直球和館

2024年

東京本邸 麹町一番町(現:千代田区一番町)

1927年
1927-2010



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◆初代伯爵 金子堅太郎 大臣を歴任
1853-1942 

*ハーバード大学に留学



1907年頃
1063(1)


1005(1)



■妻  山田弥寿子 士族山田秀典の娘 
1866-1916




●長男
●二男 金子武麿
●庶子 金子直忠 

●長女 金子ヤエコ
●二女 金子キヨコ 東京川崎財閥川崎肇と結婚
●庶子 金子文子


●金子ヤエコ
「琴・絵画・茶の湯・生け花等の嗜み深く」1906年 21歳
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●金子キヨコ 東京川崎財閥川崎肇と結婚
1906年 19歳「本年3月に華族女学校を卒業し、琴・絵画・茶の湯・生け花等の他、西洋人について英語を研究し、淑徳の誉れ高し」
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1908年 20歳
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『明治大臣の夫人』明治36年出版

金子堅太郎伯爵夫人が嗜好中の大嗜好といえば壮士芝居とやらで、壮士俳優中で夫人が最も御贔屓筋といえば川上音二郎で、彼が市中の劇場に出たと聞けばどんな用事を差し置いても必ず見物に出かけるが、初日に大入りはおろか千秋楽まで一日も欠かさず足を運ばれるその熱心さ加減はまことに夫人の引き立てに対し川上の深謝するところであろう。
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◆2代 金子武麿 1代堅太郎の子
1897-1959 




■妻  大橋豊子 博文館社長大橋新太郎の娘 
1901年生

16歳 学習院在学中
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●男子 金子正忠 3代当主
●男子 金子広忠

●女子 金子明子


●金子明子


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『高松宮日記』

1929年5月12日
金子武麿伯爵邸に晩食に行く。
細君〔武麿の妻豊子〕が虚栄家で、逗子ホテルで会った後も私のことをどうとか言っていたとか石川岩吉別当が心配していた
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◆3代 金子正忠 2代武麿の子
1922年生


■妻  福岡光子
1917年生


●長女

東京本邸 赤坂区青山南町(現:港区南青山)
1043(1)



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◆初代伯爵 黒木為楨 陸軍大将
1844-1923

1879年 38歳
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1042(1)



■前妻


■後妻 黒木百子  幕臣中山勝重の実娘・黒田清隆の養女
1868-1961

1042(2)



●長男 黒木三次 2代当主
●三男 黒木清  伯爵黒田清となる

●長女 黒木ツネ 経営者川田鷹と結婚
●二女 黒木愛子 子爵高橋是賢と結婚


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◆2代 黒木三次 1代為楨の子
1884-1944


■妻  松方竹子 公爵松方巌の娘
1895-1979 


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◆3代 黒木従達  侯爵西郷従徳の子・養子になる
1917-1983


■妻  樋口不二子 樋口元周の娘
1923-1989


●長男
●長女


1983年
19830320



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昭和天皇侍従 小林忍 日記

1983年1月20日
昨夕東宮(平成天皇)侍従長黒木従達、新宿外出先で急逝。
心臓発作という。65歳。
検診に行きつけの検診所からの帰りに、新宿のトルコ浴場に行ってそこで倒れたという。
場所が場所だけに具合が悪い。
昨夜というより真夜中2時頃八木東宮侍従から当直の安楽侍従に知らせがあり、御上には明日富田宮内庁長官が申し上げるからとのことだったという。
みなそんな時間に非常識だと憤慨した。
早速夕方の日刊紙には問題の場所として掲載された。
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東京本邸 赤坂区新坂町(現:港区赤坂)
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■父  野津鎮圭
1796-1846


■母  柏木美世  柏木権蔵の娘
1851年没


●男子 野津三之丞 折田三之丞になる
●男子 野津鎮雄  士族大山清太夫の娘大山国子と結婚
●男子 野津道貫  初代侯爵


●野津鎮雄 士族大山清太夫の娘大山国子と結婚 1879年 46歳
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◆初代侯爵 野津道貫 陸軍大将
1841-1908 

1879年 40歳
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1000



■妻  高島登女子 士族高島喜兵衛の娘
1851-1919 


●三男 野津鎮之助 2代当主
●男子 野津鎮彦  野村百合と離婚・鹿野清二郎の娘鹿野カツヨと再婚

●女子 野津槙子  子爵上原勇作と結婚
●女子 野津栄子  日本郵船林民雄と結婚
●女子 野津輝子  日清生命保険社長池田龍一と結婚
●女子 野津美屋子 名古屋電灯三浦恵民の子三浦恵一と結婚


●野津槙子 子爵上原勇作と結婚
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◆2代 野津鎮之助 1代道貫の子
1883-1942




■妻  末弘ヒロ子 小倉市長末弘直方の娘
1893-1963

*明治40年に行われた日本初の美人コンテストの優勝者








●長男 野津高光  3代当主

●長女 野津美智子 ヒゲタ醤油浜口吉右衛門久常と結婚
●二女 野津真佐子 倉敷紡績大原総一郎と結婚
●三女 野津佐恵子 実業家田中秀雄と結婚


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◆3代 野津高光 2代鎮之助の子
1921年生


■妻  佐藤緑子 佐藤茂の娘
1930年生


●長女
●二女

東京本邸 麹町区上六番町(現:千代田区三番町)
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◆初代侯爵 東郷平八郎 海軍元帥
1848-1934

1879年 イギリス留学中


1879年 34歳
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1003


1911年 ロンドンで
191101


191102


1914年
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■妻  海江田テツコ 子爵海江田信義の娘
1861-1934



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●男子 東郷彪   2代当主
●男子 東郷実   赤崎戸八郎の娘赤崎八重と結婚

●女子 東郷八千代 男爵園田実と結婚


●東郷実 赤崎戸八郎の娘赤崎八重と結婚



●東郷八千代 男爵園田実と結婚
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1007(1)



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◆2代 東郷彪 1代平八郎の子
1885-1969 明治18-昭和44

*イギリスに留学






■妻  小原百合 男爵小原駩吉の娘
1899-1985


●男子 東郷一雄 3代当主

●女子 東郷良子 子爵山口元吉と結婚
●女子 東郷百子 医者久保素信と結婚


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昭和10年2月27日、東郷彪の娘良子が家出する。
良子は3月に学習院卒業の予定であった。
東郷平八郎が国葬となって一周忌も明けないうちの事件だった。
東郷家は警察に捜索願を出すとともに、新聞の尋ね人欄で良子に呼びかけたりした。
そのうちマスコミの知るところとなり、紙面トップで報道される。
良子は偽名で住み込みのカフェーの女給をしていたのだが、新聞を読んだ客が騒ぎ出してカフェーにいられなくなる。
観念した良子は17日ぶりに自分で自宅に戻ってくる。
断髪して派手な着物を着て帰ってきた良子に家族は驚く。
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宗秩寮総裁 木戸幸一侯爵 日記

1935年3月19日
女子学習院長長屋氏来庁。
東郷良子の件、処置につき報告を聴く。
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1935年3月15日
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1935年3月16日
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1935年3月16日
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1935年3月16日
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◆3代 東郷一雄  2代彪の子
1919-1991


■妻  天野民子  天野勝美の子


●女子 東郷喜久子 婿養子を迎え4代当主とする
●女子 東郷尚子  真壁由紀夫と結婚
●女子 東郷宗子  保坂義雄と結婚


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◆4代 東郷良夫 丸山徳三郎の子 婿養子になる
1942年生


■妻  東郷喜久子 3代一雄の娘


●長男
●二男

◆初代侯爵 小村寿太郎 外務大臣
1855-1911 安政02-明治44

*米ハーバード大学に留学

*身長156cm、大きな頭に痩せた身体、よく動き回るので「ネズミ公使」と呼ばれた。

*持病は肺結核と痔瘻だったが、腸チフスで死亡。

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■妻  朝比奈マチコ 朝比奈孝一の娘
1865-1937




●男子 小村欣一 2代当主
●男子 小村捷治 3代当主

●女子 小村文子 外交官佐分利貞男と結婚


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『明治大臣の夫人』明治36年出版

<小村夫人の嫉妬>

小村寿太郎侯爵の夫人と言えば、持って生まれた負けぬ嫌いの気性と蒲色が過ぎたチンチンとで折々とんだ痴劇を演じられることがある。
一時は侯爵もなかなか盛んに新橋辺へ出かけて遊んだこともあった。
その頃侯爵が本陣というのはかの蜂龍亭で、ある夜のこと例のごとく侯爵が馴染みの芸者を呼んで真猫をきめ込んでいると、かねがねその噂を聞いていた夫人は今夜こそ一番当の敵を引き捕え思う存分意趣晴らしをしてくれようと四方八方腕車を飛ばして侯爵がしけ込んだ先を探して歩いた末やっとのことで蜂龍亭にいるということを突き止めたので、細君は夜叉の暴れたるごとくに両人が今しも蘭灯のもと浅酌低唱の最中へと飛び込んだ。
驚いたのは小村の親爺まさかこの穴まで嗅ぎつけてこようとは思い設けぬ次第ゆえ、天から降ったか地から湧いたかとばかり驚いたが、さすがは鼠公使とまであだ名を取ったほどの男、例の手腕の早業で相手の女を裏座敷へと押し隠したけれど、時遅くすでに見つけた夫人には部屋に入るや否やその場にあった火鉢を力まかせに投げ出したからたまらない。
座敷中は時ならぬ雪を散らしたから侯爵は女中を呼び掃除させようとすると、
夫人は女中のホウキを引ったくり「お前なぞがあんな芸妓を取り持つから悪いのだ」と散々っぱら打ち殴ったので、この騒ぎから侯爵も少しはおとなしくなった。
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◆2代 小村欣一 1代寿太郎の子
1883-1930




■妻  平山温子 男爵平山成信の娘
1887-1945



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●長女 小村淑子 早逝

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◆3代 小村捷治 2代欣一の弟/1代寿太郎の子
1895-1972

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■妻  飯田清子 飯田仁三郎の娘
1900-1970


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宗秩寮総裁 木戸幸一侯爵 日記

<後継者問題>

1933年9月26日
小村侯爵家相続人選定の件は、三井高公男爵より養子を入るるがごときは、今日の時勢より見ていわゆる財閥と特権階級の結託を目前に示すがごときものにて、人心を刺激して面白からずと思われる。

1933年10月17日
小村捷治氏来訪。
小村侯爵家相続の問題につき、岡部子爵との関係は不調となる。
(岡部子爵家から養子を取るつもりだった)
年齢が数カ月下なるため、母堂小村マチ夫人の反対せられたるによるとのことなり。
「ついては山県公爵の弟山県七郎氏に交渉することにしたり、尽力を乞う」とのことなりしゆえ、
予としては「側面より尽力すべき」旨を答う。
「もし万一不調に終わる場合にはもはや適当な候補者もこれなく、さりとてこのまま侯爵家を絶つも宮内省に対し申し訳なきゆえ、自分にても一時相続を願い出るほかなし」との話なりしゆえ、
宮内省としては無理してまでも継ぐの要はなく、後世に汚名を残すごときことあらんには、むしろ二代にして侯爵家を絶つにしかずと思う」旨を答う。

1933年11月4日
山県有道公爵来庁。
小村侯爵家相続の件につき、山県公爵の令弟山県七郎氏を勧む。
困難なる事情あるらしき様子なり。
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