直球和館

2024年

◆初代侯爵 大久保利通 内務卿・大蔵卿
1830-1878 47歳没*暗殺

*身長175~178センチ・体重65~70キロ

*ニコチン中毒・カフェイン中毒・漬け物好き。

*慢性胃痛・慢性下痢あり。

*頭頂部に円形脱毛症があり、毎日長時間かけて整髪していた。


1868年
2000


1872年 パリで
2508


1872年 ロンドンで
2509


1872年 サンフランシスコで
2026


1872年 ワシントンで
1000



■妻  早崎満寿子 士族早崎七郎右衛門の娘
1840-1878

2001



★妾  杉浦勇   京都の芸者〈おゆう〉


※利通は本妻&実子は本邸に、おゆう&庶子は高輪別邸に住まわせていた。


●実子 大久保彦熊 2代当主大久保利和となる
●実子 大久保伸熊 伯爵牧野伸顕となる
●実子 大久保三熊 3代当主大久保利武となる
●庶子 大久保達熊 大久保利夫となる
●実子 大久保雄熊 石原雄熊となる
●庶子 大久保駿熊 子爵税所篤一の娘税所サワコと結婚
●庶子 大久保七熊 恩地順之助の娘恩地コキンと結婚
●庶子 大久保利賢 子爵高橋是清の娘高橋和喜子と結婚→子はロッキード事件で逮捕された利春

●実子 大久保芳子 男爵伊集院彦吉と結婚


1891年 左から
小が利賢・大が駿熊・雄熊・男性・利和・芳子・七熊・牧野伸顕・利夫
2028



立つ左から 雄熊・利武・利賢・七熊
椅子左から 牧野伸顕・芳子・利和
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1900年 ウィーンで 左から
利武・伸顕の子伸通・牧野伸顕・伸顕の妻峰子・雄熊
2302



カメラ:丸木利陽
後列6人左から
伸顕の妻峰子・利武・牧野伸顕・利賢・利和・雄熊
前列4人左から
利武の妻栄子・利和の妻尚子・おゆう・伸顕の娘雪子
2009



カメラ:丸木利陽
後列5人左から
利武・牧野伸顕・利和・芳子の夫伊集院彦吉・男性
前列4人左から
芳子・利和の妻尚子・おゆう・利武の妻栄子
2010



1935年
後列5人左から
女性・女性・イトコ山田三次郎・イトコ石原助熊・女性
中列4人左から
伸顕の妻峰子・利武の妻栄子・女性・女性
前列5人左から
利賢・利武・利和・牧野伸顕・芳子
2020



1937年
後列8人左から
女性・女性・女性・女性・利謙・牧野伸通・利賢・イトコ石原助熊
前列9人左から
芳子・伸顕の妻峰子・利和・牧野伸顕・女子・利武・女子・女子・利武の妻栄子
2021



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◆2代 大久保利和 1代利通の子
1859-1945 86歳没

フィラデルフィアで 留学中
1035(1)


1879年 22歳
0022



■妻  重野尚子 重野安居の娘
1875-1918 43歳没

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◆3代 大久保利武 2代利和の弟/1代利通の子
1865-1943 78歳没

*米エール大学・ドイツの大学に留学


1891年 ドイツ留学中
2003


1902年 カメラ:小川一真
2002



■妻  近藤栄子  男爵近藤廉平の娘
1879-1956 77歳没






●長男 大久保利謙 4代当主
●二男 大久保利正 慶光院利敬の娘慶光院治子と結婚
●三男 大久保通忠 山口金太郎の娘山口澄子と結婚


1938年 大久保通忠&山口澄子の結婚式
後列6人左から
男性・男性・利賢・利謙・男性・利正
中列8人左から
女性・女性・女性・女性・女性・利正の妻治子・利謙の妻八重子・利賢の妻和喜子
前列8人左から
栄子夫人・大久保利武・仲人男性・新郎・新婦・仲人女性・山口金太郎・山口の妻
2024



後列5人左から
通忠・通忠の妻澄子・利正の妻治子・利正・利謙
前列4人左から
栄子夫人・利泰・大久保利武・羽原又吉
2022



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◆4代 大久保利謙 3代利武の子
1900-1995 95歳没




■妻  米田八重子 子爵米田国臣の娘
1910年生

1088(2)



●長男 大久保利泰 5代当主
●長女 大久保成子


1939年 大人3人左から 父利武・大久保利謙・母栄子
2023



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◆5代 大久保利泰 4代利謙の子
1934年生




■妻  松平尚子  大給松平悌の娘


●長女

■東京本邸 豊多摩郡戸塚町(現:新宿区西早稲田)4,230坪


■東京本邸 庭園
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■小田原別邸 3千坪
2028(2)


2028(1)



■大磯別邸「磺龍居」4千坪
2002(1)


2002(2)


2000



■軽井沢別邸


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◆初代侯爵 大隈重信 「佐賀の七賢人」の一人 総理大臣
1838-1922 83歳没

*あだ名は「大風呂敷」・陽気な性格から「百ワット」など

*身長180センチ

*生まれつき健康だったが、61歳の時に爆弾テロにより右足を切断、義足となる。

*晩年は胆石症が持病となり、膀胱炎の診断を受けた翌年に死亡。


■前妻 江副美登 大隈重信と離婚・士族大塚綱領と再婚
1843-1912


■後妻 三枝綾子 幕臣三枝七四郎の娘・柏木貨一郎と離婚・大隈重信と再婚
1850-1923 73歳没

*「大風呂敷」と言われた大隈も綾子夫人には頭が上がらず「うちの番頭」と呼んでいた。
大隈は大学構内に綾子夫人の銅像を建てようとして学生の猛反対にあう。


●実子 大隈熊子 婿養子を迎え2代当主とする
●庶子 大隈光子 婿養子を迎え3代当主とする


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宮武外骨『地獄耳』

大隈の先妻は佐賀の名族江副家から来たので賢婦人であったが、小姑にいじめられてしばらく里に帰っていた。
仲裁人は入り大隈家に帰るということになり帰ってみると、小間使いとして雇い入れてあった女が大いに寵をほしいままにしているので自ら離縁を宣言して去ったが、その小間使いが今日の綾子夫人である。
綾子夫人は旗本三枝家の娘と言っているが三枝家にも大三枝・小三枝というのがあって、綾子夫人の親元は三枝家でもその端くれの小身微禄で、維新後一家没落して綾子は遊船宿の養女にまでなっていた。
綾子の初めの夫柏木某はどこかの役所の腰弁であったが、相場に失敗して鉄道往生をしたそうだ。
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宮武外骨『地獄耳』

『騒動の裏に女あり』
昔からお家騒動の裏面には必ず女が伏在しているものであるが、大正の今日 早稲田大学の騒動にもやはり女が陰になっているとは、今さらながら閨門の勢力の大なるに驚かざるを得ない。
今度の騒動の表面の立役者はむろん高田・天野の両人であるが、その陰に隠れて秘かに彼らを煽動したのは大隈綾子夫人である。
近刊の『日本及日本人』の「早稲田騒動の人々」と題せる記事中にも「西太后のあだ名ある綾子婆さんの出しゃばり、婆さんの親戚筋なる三枝某のワガママ、知恵のないくせに野心の強い劣等な人格の信常の干渉などが因となり果となってこんがらがった騒動」とあった。
綾子は元来官僚的の女で虚栄に憧れること深く、今度の騒動も自分の養子たる信常を早稲田大学の総長にしたいという野心から出たのである。
すなわち高野・天野の両人にケンカをさせ結局喧嘩両成敗として両人を首切り、その後任として大隈家の幇間たる早大法科教授阪本三郎を学長にすえ、おもむろに時機を待って重信に引退させ、その代りとして信常を総長に押し進める考えであった。
さきに綾子の銅像を構内に建てることに反対した少壮教授連を免職にしたのも、むろん綾子の差し金である。

阪本三郎は小学教員あがりで一時は大審院判事であったが、無能な故をもって免職されしばらく浪人でいたのを大隈に救われて県知事になったが、それもつかの間で今は早大法科の教授である。
彼は無能のくせに野心が深く、先年ドイツで博士号をもらったのにはドイツのある売文社に頼んで博士論文を代作してもらったのであった。
恥さらしの男ではないか。
親族法の講義などでその無能を知っている学生らは阪本が学長と聞いて強硬に反対し血を見るまでの騒ぎが起ったので阪本はやむなく辞することになったが、その後釜に擬せられたのが讃岐高松の馬鹿殿様松平頼寿である。
これは調停者の中野武営が旧藩士であるところから引っぱってきたのでもあろうが、これも大隈綾子の魂胆である。

松平頼寿は信常の実家松浦家の縁族であり、また早稲田大学の出身であるという縁故からであるが、これもおっては馬鹿な信常を総長にすえることに便宜であるがためにほかならなかった。
松平頼寿は大の低能児なので帝国大学へはむろん行けず学習院へも入れないので、親族の縁故でやっと早大卒業ということにしてもらったのであるという。
ところがいかに調停者たる中野・渋沢らの推挙だとはいえ、民本主義を唱える学校の学長に田舎の馬鹿殿様をすえるとはけしからぬと息巻く者が多かったのでこれもおジャンになって、結局は当分は学長なしということで姑息のケリはついたらしいが、おっては再騒動が起こるであろうし、綾子婆さんがどんな知恵をしぼってどんな魂胆を巧むか、その大詰めは猫騒動の講談でも聴くつもりでゆるゆる待つのも一興だろう。

早稲田騒動は後藤新平が憲政派の中堅たる大隈党に打撃を与えるつもりで学生を煽動したのは事実で、その事実はあれほどの大騒動を警察が袖手傍観でいたのでも証明されている。
小池国三が学生の騒動費に6千円寄付したのもその筋からの関係からであって、株屋あがりの彼が学生に同情するはずがない。
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◆2代 大隈英麿 盛岡藩主南部利剛の子・婿養子になるが離婚
1856-1910

*英麿は旧藩士にだまされ多額の借金を作ってしまい離婚に至る。


■妻 大隈熊子 1代重信の実子
1863-1933


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◆3代大隈信常 松浦詮伯爵の子・婿養子になる
1871-1947 明治04-昭和22 75歳没

*英ケンブリッジ大学に留学


■妻 三枝光子 1代重信の庶子/三枝守富の養女 
1884-1946


●長男 大隈信幸 4代当主
●長女 大隈豊子 伯爵広沢真吾と結婚


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宮武外骨『地獄耳』

大隈常信の女房は戸籍面は綾子の兄三枝守富の娘ということになっているが、実は大隈重信が小間使いに夜這いしてこしらえた落し胤という。
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宮武外骨『地獄耳』

ホラ侯爵の愛婿大隈信常は家庭では真面目くさった顔をしていても、毎晩8時頃になると散歩に出ると称して神楽坂に遊びに行くが、11時頃になるとそっと帰るから誰もその事を知らないでいるそうな。
大隈の若殿信常は花柳界で「蛸常」のあだ名がある。
蛸はむやみに吸いつくので、それから取ったのである。
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宮武外骨『地獄耳』

ロンドンには日本人ばかり相手にする淫売屋カスタムハウス(税関)とあだ名される一団がある。
これはロンドンに来た日本人は是が非でも一度はこの女どもの厄介にならねばならぬので、カスタムハウスと付けたのだ。
大隈家の養子信常は日露戦争が開かれると、早稲田大学から大急ぎで英国留学にやられた。
このとき彼は徴兵の猶予年限も過ぎて検査を受けねばならぬ時であったが、大隈家のためというので高田・天野の取り計いで徴兵逃れに外国に行ったのだ。
信常はまずカスタムハウスを通過せねばならぬというので、前記の淫売婦に引っかかって馬鹿な金銭を使ったものだ。
そしてこの淫売婦に2人の子を産ませたが、彼が日本に帰るというとき多くの養育料を取られたうえ、いつか信常を訪ねて日本に行くという手紙が来た時などはビックリして少なからぬ金銭を送り、それを中止させたそうである。
もっともこの2人の子供は実は信常の子ではなく、他の留学生の奸策から信常をしぼるため女を煽てて狂言を仕組んだものだという。
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宮武外骨『地獄耳』

早稲田騒動以来犬猿の仲になっている大隈信常と永井柳太郎が、一方は支那漫遊一方は南洋行きで支那で鉢合わせがおもしろかったという。
同じ船同じ汽車に乗っても双方少しも口を利かずにらみ合っているので、大隈随行の横山章などは中に立って弱ったということだ。
大連などで「小大隈きたる」と大きな標題で新聞に出ているので、うぬぼれ強い信常は自分のことかと読んでみると、あにはからんや目の敵にしている永井のことであったので怒髪天を衝いたそうな。
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◆4代 大隈信幸 3代信常の子
1910-2004 93歳没


■妻 久原馨子 政治家久原房之助の娘 
1916年生


●長女
●二女
●三女

◆初代侯爵 大隈重信 「佐賀の七賢人」の一人 総理大臣
1838-1922 83歳没

*あだ名は「大風呂敷」・陽気な性格から「百ワット」など

*身長180センチ

*生まれつき健康だったが、61歳の時に爆弾テロにより右足を切断、義足となる。

*晩年は胆石症が持病となり、膀胱炎の診断を受けた翌年に死亡。


カメラ:内田九一
2010


1868年
2011


2040


2008


1889年 暗殺未遂の直後
6007


2009


2024



■前妻 江副美登 大隈重信と離婚・士族大塚綱領と再婚
1843-1912


■後妻 三枝綾子 幕臣三枝七四郎の娘・柏木貨一郎と離婚・大隈重信と再婚
1850-1923 73歳没

*〈大風呂敷〉と言われた大隈も綾子夫人には頭が上がらず「うちの番頭」と呼んでいた。
大隈は大学構内に綾子夫人の銅像を建てようとして学生の猛反対にあう。


2025


2018


2026


6010


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●実子 大隈熊子 婿養子を迎え2代当主とする
●庶子 大隈光子 婿養子を迎え3代当主とする


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◆2代 大隈英麿 盛岡藩主南部利剛の子・婿養子になるが離婚
1856-1910

*英麿は旧藩士にだまされ多額の借金を作ってしまい離婚に至る。

アメリカ留学中
1036(1)




1879年 25歳
0025



■妻  大隈熊子 1代重信の娘
1863-1933


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◆3代 大隈信常 松浦詮伯爵の子・婿養子になる
1871-1947 75歳没

*英ケンブリッジ大学に留学




■妻  三枝光子 1代重信の庶子/三枝守富の養女 
1884-1946


●長男 大隈信幸 4代当主
●長女 大隈豊子 伯爵広沢真吾と結婚


左から
大隈信常と赤ちゃん信幸・熊子・綾子夫人・光子夫人・豊子・重信
2030



左から 光子夫人・信常と赤ちゃん信幸・豊子
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左から 熊子 豊子 光子夫人 重信 綾子夫人 信幸
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●大隈豊子 伯爵広沢真吾と結婚 1929年
1929-1005



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◆4代 大隈信幸 3代信常の子
1910-2004 93歳没


■妻  久原馨子 政治家久原房之助の娘 
1916年生


●長女
●二女
●三女


1989年 大隈信幸
19890120

東京本邸 麻布区市兵衛町(現:港区六本木)
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◆初代侯爵 西郷隆盛
1828-1877 49歳没

*身長5尺9寸余(179センチ)体重29貫余(108キロ)

*目が大きく「巨眼様」と呼ばれた。

*11歳の時にケンカの仲裁に入って右腕を切られて骨折、ヒジが完全には曲がらなくなった。

*34歳の時沖永良部島に流罪となり、フィラリアに感染して象皮症が持病となった。
睾丸が人の頭ほどに腫れ上がり、以降馬に乗れなくなった。

*晩年はダイエットのためにドイツ人医師ホフマンの指導でひまし油を下剤に使い、狩猟に出かけて運動をした。


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西郷隆盛の死亡診断書

創所は、頭体離断、右大腿部の貫通銃創、右尺骨部旧刀創、陰嚢水腫。
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■1番目の妻 伊集院須賀子 士族伊集院兼善の娘・離婚


■2番目の妻 愛加那/愛子 佐栄志の娘・奄美大島の現地妻


■3番目の妻 岩山糸子 岩山直温の娘・バツイチ・隆盛と再婚
1838-1922 84歳没


●愛加那の子 西郷菊次郎   伯爵吉井友実の娘吉井久子と結婚
●愛加那の子 西郷菊草/菊子 公爵大山巌の弟大山誠之助と結婚

●糸子の子  西郷寅太郎   2代当主
●糸子の子  西郷牛次郎   士族堀藤十郎の娘堀ヒデコと結婚
●糸子の子  西郷酉三


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学習院院長 一戸兵衛

日露戦争後我々武官に対し豊明殿のおいて昼の御陪食を賜ったことがあったが、その時が最も御側近くで龍顔を拝しまた玉音にも接した時であった。
正面には陛下、その御左右には皇族方、それから大山巌元帥・山県有朋元帥、陛下とお向き合いの席には宮内大臣というような席次であった。
たまたま明治の初年、最初の西国御巡幸のみぎりに御話を遊ばされた。
西郷隆盛が供奉長であったこと、その時お乗りになった軍艦龍宮がどういう間違いからか浅瀬に乗り上げてしまったことなどを御話になり、30余年前の御事を偲び給うがのごとく、
「あの時は西郷が怒ってのう」と供奉長西郷隆盛が艦長その他の過失を憤ったことを御話になった。
西郷はその時 恐懼措く所を知らず、一方いたく艦長その他の失態を憤り、刀を抜いて館内にあったスイカを斬り、ようやく胸の怒りを鎮めたということである。
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◆2代 西郷寅太郎 1代隆盛の子
1866-1919 53歳没

*ドイツに留学


■妻  園田信子  実業家園田実徳の娘
1877年生

*信子夫人の浪費により西郷侯爵家は困窮する

●男子 西郷隆輝  3代当主
●男子 西郷吉之助 4代当主
●男子 西郷隆永  大橋田鶴子と結婚
●男子 西郷隆国  子爵波多野隆国となる
●男子 西郷隆明  松村重子と結婚
●男子 西郷隆正  尾道造船社長浜根岸太郎の養子になり浜根隆正となる
●男子 西郷隆徳

●女子 西郷敦子  横浜電鉄緒明太郎と結婚
●女子 西郷勝子
●女子 西郷愛子  吉田道夫の養女になる
●女子 西郷光子  総理大臣幣原喜重郎の子幣原道太郎と結婚


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宮武外骨『地獄耳』

西郷南洲の子は西郷寅次郎といって、陸軍中佐で近衛師団に勤めている。
この人は20年前の日清戦争には陸軍中尉で台湾征伐にも加わった。
当時の友人はみな大佐や少将に立身しているのにいつまでも中佐で昇進の遅いのは、とにかく英雄南洲の子たるを鼻にかけて上官をバカにし常に敬礼を欠いているからである。

この人は南洲とは正反対の痩せて細長い体格で、言語動作も女性的で南洲の風は少しもない。
なんでもその母親にそっくりだということだ。

しかし末弟の牛次郎は南洲そのままで、大兵肥満の大男である。
今は日本郵政会社の書記を務めている。
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※当時の総理大臣の年給は1万2千円

西郷寅太郎の妻信子の浪費癖によって西郷家は傾いた。
信子は競馬に大金を投じたりして贅沢で知られた実業家園田実徳の娘で、信子も万事に派手好みであった。
日銀総裁富田鉄之助の元邸宅を購入する、13人もの女中を雇う、衣裳・芝居・物見に浪費する。
到底軍人の給料で支払える家計ではなかったが、信子の実家園田家の援助で何とか維持していた。
大正06年父園田実徳が亡くなって援助が途絶えると、西郷家はたちまち困窮した。
大正08年寅太郎が死亡した時には、負債は4万円に膨らんでいた。
信子は邸宅を9万円で売却した後、姑隆盛夫人糸子を始め寅太郎の遺児たちも寅太郎の弟牛次郎に押し付けて鹿児島別邸に逃れる。
大正08年侯爵を継いだ嫡男隆輝は心労から精神病となり、翌大正9年に死亡する。
そこで西郷家は、隆輝の弟吉之助を当主にすると同時に信子を除籍するに至った。
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東京朝日新聞

『寅太郎侯が亡くなってから、火の消えたように淋しい西郷家』
信子夫人の室には、遺児の八男四女の夥しい群が団欒の袖も重げに声をのんだ。
西郷隆盛翁の世嗣として、寅太郎侯はあまりにも不遇の裡に死んだ。
父の名を維持せんとする痩我慢と生活に闘う苦悩とに寅太郎侯の健康は尠からず損られて、死に先立つ数ヶ月寅太郎侯の病耳に入るものは生活の苦しい呻きばかりであった。
夫人の生家なる園田実徳氏が存命の折には生活の補いにかなりな情を受けたが、園田氏没後は宏壮な邸をも売払って寅太郎侯には無論大打撃となった。
毎月600円も要という生計費は、寅太郎侯が華族として世襲財産の利子と陸軍大佐の給料とに到底償い得なかった。
活計かさんで邸宅は既に3万余円の抵当にさえ入ったと伝えられた。
邸宅が売物に出た時 寅太郎侯は「私の存命中は、決して他人に渡したくない」と病床に叫んだそうだが、老体の糸子母堂の心苦労を思い遣り令弟午次郎氏のもとに移らしめた。
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雑誌 婦人世界『怨みと憎み号』

『侘住居の侯爵夫人』
「故侯爵西郷寅太郎氏の夫人信子の君は故あって西郷家を出て、今は東京市内の某屋に侘しい独り住まいをしておられます」

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◆3代 西郷隆輝 2代寅太郎の子
1902-1920 18歳没


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◆4代 西郷吉之助 3代隆輝の弟/2代寅太郎の子
1906-1997 91歳没


■前妻 徳川春子 尾張徳川義親侯爵の娘・離婚
1915年生


■後妻 斉藤貞子 斉藤芳次郎の娘
1925年生


●長男
●長女
●二女

◆初代侯爵 西郷隆盛
1828-1877 49歳没

*身長5尺9寸余(179センチ)体重29貫余(108キロ)

*目が大きく「巨眼様」と呼ばれた。

*11歳の時にケンカの仲裁に入って右腕を切られて骨折、ヒジが完全には曲がらなくなった。

*34歳の時沖永良部島に流罪となり、フィラリアに感染して象皮症が持病となった。
睾丸が人の頭ほどに腫れ上がり、以降馬に乗れなくなった。

*晩年はダイエットのためにドイツ人医師ホフマンの指導でひまし油を下剤に使い、狩猟に出かけて運動をした。


■1番目の妻 伊集院須賀子 士族伊集院兼善の娘・離婚


■2番目の妻 愛加那/愛子 佐栄志の娘・奄美大島の現地妻




■3番目の妻 岩山糸子 岩山直温の娘・バツイチ・隆盛と再婚
1838-1922 84歳没



1737





●愛加那の子 西郷菊次郎   伯爵吉井友実の娘吉井久子と結婚
●愛加那の子 西郷菊草/菊子 公爵大山巌の弟大山誠之助と結婚

●糸子の子  西郷寅太郎   2代当主
●糸子の子  西郷牛次郎   士族堀藤十郎の娘堀ヒデコと結婚
●糸子の子  西郷酉三


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■夫  西郷菊次郎 西郷隆盛の子
1861-1928


■妻  吉井久子  伯爵吉井友実の娘


●長男 西郷隆吉
●二男 西郷隆治
●三男 西郷隆秀
●四男 西郷隆泰
●五男 西郷隆清
●六男 西郷準
●七男 西郷潔

●長女 西郷ハナ
●二女 西郷治子
●三女 西郷洲子
●四女 西郷淑子
●五女 西郷泰子
●六女 西郷潔子
●七女 西郷清子


立つ8人左から 
準・寅太郎の子隆永・寅太郎の子隆国・寅太郎の子隆徳・隆治・寅太郎の子隆明・寅太郎の子隆正
座る5人左から
治子・西郷小兵衛の妻マツコ・西郷菊次郎・久子夫人・潔子
1738



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◆2代 西郷寅太郎 1代隆盛の子
1866-1919 53歳没

*ドイツに留学

1735





■妻  園田信子  実業家園田実徳の娘
1877年生

*信子夫人の浪費により西郷侯爵家は困窮する




●男子 西郷隆輝  3代当主
●男子 西郷吉之助 4代当主
●男子 西郷隆永  大橋田鶴子と結婚
●男子 西郷隆国  子爵波多野隆国となる
●男子 西郷隆明  松村重子と結婚
●男子 西郷隆正  尾道造船社長浜根岸太郎の養子になり浜根隆正となる
●男子 西郷隆徳

●女子 西郷敦子  横浜電鉄緒明太郎と結婚
●女子 西郷勝子
●女子 西郷愛子  吉田道夫の養女になる
●女子 西郷光子  総理大臣幣原喜重郎の子幣原道太郎と結婚


●西郷愛子 吉田道夫の養女になる



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◆3代 西郷隆輝 2代寅太郎の子
1902-1920 18歳没




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◆4代 西郷吉之助 3代隆輝の弟/2代寅太郎の子
1906-1997 91歳没



1736



■前妻 徳川春子 尾張徳川義親侯爵の娘・離婚
1915年生


■後妻 斉藤貞子 斉藤芳次郎の娘
1925年生


●長男
●長女
●二女

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