■東京本邸 渋谷区美竹町(現:渋谷区渋谷)1910年竣工 設計:木子幸三 建物785坪
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■大磯別邸 神奈川県中郡大磯町 1913年竣工
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■河口湖別邸 山梨県南都留郡 1926年竣工
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■熱海別邸 静岡県熱海市 1937年竣工


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◆初代 梨本宮守脩親王 伏見宮貞敬親王の子
1819-1881  62歳没

1879年 62歳
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◆2代 梨本宮菊麿王 山階宮山階宮晃親王の子山階宮菊麿王

※梨本宮を継ぐが、山階宮に復帰して当家を離れる


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◆3代 梨本宮守正王 久邇宮朝彦親王の子
1874-1951 78歳没


■妻  鍋島伊都子  侯爵鍋島直大の娘
1882-1976 94歳没


●梨本宮方子女王 李垠王妃 昭和天皇のお妃候補の一人であった
●梨本宮規子女王 前妻を亡くした山階宮武彦王と婚約したが武彦王の発狂により破談・伯爵広橋真光と結婚


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鍋島伊都子が梨本宮に嫁いだ際は婚礼行列が行われた。
洋服箪笥・黒塗紋付箪笥一対・桐紋付金物一対・箪笥一対・中箪笥一対・小箪笥一対・黒塗長棹一対・白木長棹一対・道具入り長棹6個などなど、行列は2日間続いた。
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枢密院議長 倉富勇三郎男爵 日記

大正13年4月8日

賀陽宮好子妃の発言(亡くなった前妻山階宮佐紀子妃の母親)

皇族の内情には面白からざること多し。
武彦王より梨本宮規子女王の書状を受け取りたる事を話されたる事あり。
これは山階宮常子妃より規子女王との結婚を促進する事を望まれたるものに相違なし。
規子女王の書状を届くる事を梨本宮伊都子妃より依頼せられたる事もあり。
外国にてはこの如き事あるやも知らざれども、実に極端なる事なり。
武彦王は自分に「規子女王が意ある様なり」と言わるるにつき、
「なぜ初めより規子女王と婚せざりしや」と言いたるに、
「初めは意ある事を知らざりし」と言いたり。
実に驚きたる事なり。

大正13年9月16日

賀陽宮好子妃の発言

武彦王は規子女王を娶りたき旨、梨本宮家に申し込まれず宮内大臣に申し込まれたる趣。

大正13年10月1日

山階宮家別当大石正吉&宮内次官関屋貞三郎の会話

大石◆武彦王は規子女王を娶らるる意あり。
宮内大臣牧野伸顕は「規子女王の性質につき懸念あるにつき、更に他の人を詮索してみるべき」旨を大石に申し聞け、大石は賀陽宮好子妃の意向を伺いたるところ、
好子妃は「規子女王にてよろしからん」と言われたり。しかし牧野よりの談あるにつき、これより第二の候補者を探してみるべし。ただし武彦王が考えを変えらるるほどの候補者を得る事は難しからんと思う。
関屋◆第二候補者を探すにしても、梨本宮家に分からざる様に為す必要あり。

大正13年12月12日

東久邇宮家事務官金井四郎の発言

賀陽宮好子妃は武彦王についてはよほど不満なる様にて、その口気を漏らされたり。
「規子女王が嫁せらるるが都合良く行くべきや」と言わるるにつき、
自分は「都合良く行くならん」と言いたるに、
「何故なるや」と言わるるにつき、
「佐紀子女王は極めて温順なる方なりしが、規子女王は言わばお転婆の方なり。性行の等しき方ならば前妃と比較して見劣りのする事あれども、性行があまり異なりおるゆえ比較する所なくかえってよろしからん」と言いたるに、
好子妃は「しかるべきか」と言われたり。
武彦王は結婚後1年ばかりは非常に親密なりしも、その後に既に佐紀子女王にも飽きが生じおりたる趣なり。
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◆4代 梨本儀光 3代守正王の孫/規子女王の子広橋儀光が養子なるが離籍
1939年生


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◆5代 梨本徳彦   久邇宮多嘉王の子徳彦王/伯爵龍田徳彦・夫妻で梨本家の養子となる
1922-2007 84歳没


■妻  久邇宮正子女王 久邇宮朝融王の娘・熟年離婚
1926年生


●長男
●長女
●二女