◆20代 大谷光沢/広如 顕証寺住職近松暉宣の子・養子になる
1798-1871


■妻  鷹司祥子 公家鷹司政熙の娘
1817-1846


★側室 岡田為子 士族


●側室の子 大谷光尊 21代当主
●側室の子 大谷沢依

●側室の子 大谷朴子 大谷昭然と結婚


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◆21代 大谷光尊/明如 20代大谷光沢/広如の子
1850-1903 53歳没

*5代目尾上菊五郎と並び称されるほどの美男だった。


■妻  大谷枝子 大谷光威/徳如の娘


★側室 松原藤子 松原有積の娘


●藤子の子 大谷光瑞 22代当主
●藤子の子 大谷孝慈 男爵木辺孝慈となる 侯爵醍醐忠敬の娘静子と結婚
●藤子の子 大谷光明 公爵九条道孝の娘九条紝子と結婚→子光照は23代当主・娘正子は近衛文隆と結婚
●藤子の子 大谷尊由 子爵小出英尚の娘小出泰子と結婚→娘益子は朝香宮正彦王妃

●藤子の子 大谷文子 男爵常磐井堯猷と結婚
●藤子の子 大谷武子 男爵九条良致と結婚→歌人九条武子
●本妻の子 大谷義子 男爵壬生泰弘と結婚・広瀬千秋と再婚


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『高松宮日記』

1940年11月14日
音羽様〔音羽正彦侯爵&大谷尊由の娘大谷益子〕の御披露。
大きな砲丸投げやるだけ左肩を上げた癖のある、許婚が長かっただけ慣れたお嫁さんだった。

1943年6月30日
音羽様〔音羽正彦侯爵〕の奥様〔大谷尊由の娘大谷益子〕御病気なりしとのことにて御見舞の件 秩父様と御相談せるも、音羽様は別に女あるらしく、奥様は今まで黙ってきたのだがそれが原因とのことにて、御見舞はもう少し調べてからとなる。
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◆22代 大谷光瑞/鏡如 21代光尊/明如の子
1876-1948 72歳没

*当時としては珍しい180センチ超、80キロと大柄であった。


■妻 九条寿子 公爵九条道孝の娘・妹は貞明皇后
1882-1911 29歳没


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光瑞には嫌いなものが6つあった。
蛇と雷、これは単に苦手なもの。
囲碁と将棋、これは時間を浪費するから。
そして、女と老人。女は愚痴を言い、老人は過去を語るから。
光瑞は特に女のおしゃべりを毛嫌いした。女々した旧式の女を好まなかった。
光瑞の眼鏡に適ったのは妹の武子だけであった。
美しく、好奇心が強く、ユーモアがあり、自分の意見を持っている人物だったからである。

女嫌いであった光瑞は妻の死後再婚せず、六甲山に二楽荘を造って移り住んだ。
総面積は24万6000坪、ケーブルカーを3本備えていた。
建坪は500坪。
イギリスの沈没船を引き揚げて解体して作られた建物で、アラビア室・インド室・中国室・イギリス室・エジプト室など各国の部屋が設けられ、各部屋には金にまかせて世界各地から買い集められた物が飾られていた。

住み込みの仕立屋と中国人のコックがおり、食堂には2人のイギリス人少年がいた。
すべてに豪華好みの光瑞であったが食事だけは粗食であり、主食は麦飯であった。
しかし食事の作法は外国式で、食堂での言葉は英語である。
「ワンモア・ミソシル」「ワンカップオブ・メシ」と光瑞が言うと、礼服を着たイギリス人のボーイは優雅に命じられたことを行った。
光瑞が目指したものは単なる別荘ではなく、学校も造って教育事業も併せて行うという壮大な理想郷の設立であった。
二楽荘の近くに2階建ての校舎を建設し武庫仏教中学を設けた。
生徒は日本全国から選んだ450人。
光瑞は耳の形のいい者にしか立派な人間はいないと信じていたから、生徒の選考基準はまず耳の形のいい少年。次が容姿の美しい少年であった。
学校の生徒一人一人にロンドンから純毛の毛布を取り寄せ、1人に3枚ずつ支給して鉄製のベッドで眠らせた。
洋服や靴も、ヨーロッパの貴族の子弟並みの物を与えた。
美少年が揃った学校の中でも光瑞が選びに選んだ美少年が、光瑞の身辺にはべり世話をした。

しかし別荘と学校さらに大谷探検隊により負債が膨らんで、光瑞は爵位を返上して法主の座も去った。
武庫仏教中学と二楽荘は手放したが、その後は世界中を飛び回り、旅順に策進書院・大連に浴日荘・上海に無憂園・台湾に逍遥園・インドネシアに環翠山荘と耕雲山荘などを持った。
戦後は京都に戻り、別府で最期を迎えた。
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宮武外骨『地獄耳』

本願寺の大谷光瑞が今度僧籍を脱して還俗すると言っているそうであるが、大野心家の俗物 今さら形式の還俗でもあるまい。
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◆23代 大谷光照/勝如 22代光瑞の甥/大谷光明の子
1911-2002 91歳没


■妻  徳大寺嬉子 公爵徳大寺実厚の娘
1918年生


●長男 大谷光真  24代当主

●長女 大谷篤子
●二女 大谷紀美子
●三女 大谷登代子