◆33代 甘露寺勝長 32代甘露寺愛長の子
1828-1870


■妻  田原八千瀬 田原正直の娘
1834-1905


●男子 甘露寺義長 34代当主
●男子 甘露寺量長 男爵鷺原量長となる
●男子 甘露寺順長 勘解由小路光尚の娘勘解由小路富久子と結婚
●男子 高橋利長  高橋千代と結婚

●女子 甘露寺盛子 新庄直興と結婚
●女子 甘露寺篤子 佐久間一介と結婚・子爵石山基文と再婚
●女子 甘露寺孟子 中原国之助と結婚


=========================


◆34代 甘露寺義長 33代勝長の子
1852-1917 65歳没

1879年 29歳
0029g



1f3e5e70



■妻  勘解由路立子 子爵勘解由路資生の娘 
1856-1944




●長男 甘露寺受長 35代当主
●三男 甘露寺方房 財閥岩崎久弥男爵の娘岩崎澄子と結婚

●長女 甘露寺義子 伯爵奥保夫と結婚


●甘露寺義子 伯爵奥保夫と結婚
1110(2)



=========================


◆35代 甘露寺受長 34代義長の子 大正天皇の御学友
1880-1977 97歳没



1000



■妻  北白川宮満子女王 北白川宮能久親王の娘
1885-1975 90歳没




●長男 甘露寺忠長
●二男 甘露寺親房 36代当主

●長女 甘露寺績子 男爵島津忠彦と離婚・金融王近藤荒樹と再婚
●二女 甘露寺寿子 土方久雄と結婚

立つ左から 績子 親房
座る左から 受長 立子夫人 満子夫人
36fd25b2.jpg


立つ左から 忠長 親房
座る左から 績子 立子夫人 満子夫人 受長
bdfbbf1a.jpg



::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
侍従 岡部長章 回想記

私が侍従になった時の顔ぶれは、侍従長は鈴木貫太郎大将でしたが二二六事件で襲撃を受け療養中でした。
そして侍従次長が甘露寺受長伯爵。
明治期から侍従として宮廷に入り、昭和天皇がまだ摂政で御学問所におられた時代から侍従だった人です。
次が牧野貞亮子爵、その次に黒田長敬子爵。
大正天皇の侍従だった方で、極めておっとりとして親切なお人柄でした。
侍従職庶務課長大金益次郎さんは私の初当直の日にこの黒田侍従を配し、種々ご指導を受けるよう配慮してくれました。
大金さんのこの配慮も忘れることができないものです。

侍従の中では甘露寺伯爵が長老格で大久保彦左衛門のような存在でした。
甘露寺さんは侍従次長になって当直なしの任務だったのですが、
「当直が必要なようならいつでも引き受けるよ」と言ってくださるような人でした。
侍従の仕事について私に説明をしてくれたのは、主として黒田氏・小出氏・入江氏でした。
入江氏に言わせると侍従というのは御手先代わりだとのことで、中国では帝の落し物を拾うから侍従うのことを「拾遺」と呼ぶのだとも聞きました。
だから侍従というのはそういうお世話をするものだ、というのが入江氏の説でした。
小出氏は御上の女将を自分の身をもってお庇いするのが侍従の仕事だと説明されました。
黒田氏は口数少なく、実意を示される方でした。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
宮内庁長官 田島道治『拝謁記』

1953年3月30日
昭和天皇「意志が弱いから。それから甘露寺受長ね、あれもいい人だが意思が弱い」
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『高松宮日記』

1926年1月4日
甘露寺のお嬢さんが二人〔甘露寺績子・甘露寺寿子〕手伝いに来る。
これも候補者なり。
姉さんの方より妹の方がニコニコしていて愛嬌がある。
顔もおとなしい。
しまいに姉の方も悪くないと思った。
〔高松宮自身の妃には高松宮が有栖川宮家の祭祀を相続した時から有栖川宮家の末裔徳川喜久子がいいなずけとして決まっていたので、秩父宮のお妃候補と思われる〕
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


=========================


◆36代 甘露寺親房 35代受長の子
1912-1994


■妻  徳川美代子 一橋徳川宗敬伯爵の娘
1921年生



1002



●長男
●二男
●長女
●二女