◆1代 徳川義恕 尾張藩主徳川慶勝の子 男爵家を創設
1978-1946


■妻  津軽寛子 津軽承昭伯爵の娘
1886-1961


*徳川義寛は侍従長・北白川祥子は女官長として兄妹で同時に昭和天皇に長く仕えた


●男子 徳川義寛 2代当主
●男子 徳川義孝 津軽義孝伯爵となる 毛利元雄子爵の娘久子と結婚→娘は常陸宮華子妃
●男子 徳川義忠 黒田長敬子爵の娘礼子と結婚・戦後一家でブラジルに移住
●男子 徳川義恭 田安徳川達成伯爵の娘雅子と結婚

●女子 徳川祥子 北白川宮永久王の妃


1993年 徳川義忠の子 徳川義幸
19930272



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◆2代 徳川義寛 1代義恕の子
1906-1996


■妻  三条博子 三条公輝公爵の娘
1914年生


●男子 徳川義真  3代当主
●男子 徳川義正  油谷秀雄の娘油谷智英子と結婚 

●女子 徳川美智子 マルハ中部鉄次郎と結婚


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侍従 岡部長章 回想記

1945年8月15日は朝早くいつものように紺色の防空服を着て、自転車で官舎を出ました。
宮中は静かなものでした。
何事もなかったのかと胸を撫で下ろしながら侍従室に入った途端、張り詰めた空気を感じました。
三井氏が疲れた様子で腰掛けているその横に、宮内書記官の筧素彦が立ってヒソヒソ話をしています。
何かあったのですかという私の声を制して三井氏が小声で、
「やっぱりね」と小声で襲われたと言い、
「録音盤をどうやって持ち出そうかと相談しているのです」と後ろの戸棚を指差されました。
昨夜から未明にかけて近衛師団の叛乱軍が宮城に押し入り、陛下が吹き込まれた録音盤を探し回ったという事実を聞かされました。
そのとき徳川義寛侍従は反乱軍に顔が腫れ上がるほど殴られたということでした。

反乱軍は総務局をくまなく探したが録音盤は見つからない。
徳川君が機転を利かせて侍従室の粗末な戸棚の中に入れておいたのです。
反乱軍は侍従室にもやってきたのですが、さすがにこんな汚いところにと粗末な戸棚の中までは探さなかったのです。
スフ入りの防空服を着て廊下を歩いていたら近衛の伍長に捕まって、
「録音盤はどこにあるか」と聞かれたのだそうです。
着剣した銃を持つ兵とピストルを握る下士官が囲んでいる。
彼は尾張徳川の分家の長男だというプライドもあったので、
「そんなこと教えられるか」と突っぱねたそうです。
それで殴られ顔が腫れ上がってしまったのです。
徳川君の任官は私より後でしたが、クラスは二つ上でした。
学習院の学生当時から無口で友人と談笑する姿はあまり見ません。
とっつきが良くないのでしょうが、常に孤独であったのです。
8月14日の当直では徳川君はスフの防空服を着ていたそうです。
体も小さいからとても侍従には見えなかったでしょう。
身をもって天皇をおかばいするのが侍従の任務なのですから、すれ違いざまに「録音盤はどこに隠してあるか」と聞かれたら「さあ、わかりません」とでも言えたでしょう。
殺されでもしたらいざという時に役に立てなくなってしまいます。
それでも自分の身が可愛くて逃げたのではないのですから立派なものです。
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侍従 小林忍 日記

1988年4月7日
徳川侍従長辞任の件。
徳川侍従長から「侍従長を辞めることにした。去年からかねてそのように富田宮内庁長官に話していたのだが、陛下の御病気などもあり延々になっていた。後任はせめて宮内庁のことをよく知っている山本宮内庁次官ではどうかと長官に進言し、長官も了承した」と。

1988年4月12日
徳川侍従長退任の記者会見。
昭和11年侍従になってから、昭和44年に入江侍従長のもとに侍従次長を16年間務め、昭和60年侍従長になった。
80歳を超えて昨年夏から辞意をもらしていたが、陛下の御病気のこともあり今日まで来たが、御公務も少しずつなさるようになったので、この機会に辞めるという。
陛下も最初は御許にならなかった、辞めてからも御歌のこと・皇后様の御絵の整理のこと・御研究のことなど引き続いて参与として行うから、というので御許が出たという。
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◆3代 徳川義真 2代徳川義寛の子
1934年生


■妻  牛場孝子 牛場道雄の娘
1942年生


●長女 徳川恵子
●二女 徳川純子


孝子夫人
8003


4000(7)


1987年
19870923(2)