◆14代 松平勝成 高松藩主松平頼恕の子・婿養子になる
1832-1912

1879年 52歳
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■前妻 松平令子 12代松平定通の娘 
1832-1854


■後妻 酒井鋼子 姫路藩主酒井忠学の娘 
1841-1863


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◆15代 松平定昭 津藩主藤堂高猷の子・婿養子になる
1845-1871


■妻  松平邦子 13代勝善の娘 
1843-1904


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◆16代 14代松平勝成が再度


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◆17代 15代松平定昭が再度


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◆18代 久松定謨 幕臣松平勝実の子・養子になる 松平から久松に改姓
1867-1943

*フランスに留学




■妻   島津貞子 公爵島津忠義の娘 
1878-1974




●男子 久松定武 19代当主
●男子 久松定孝 伯爵前田利同の娘前田韁子と結婚

●女子 久松宜子 子爵小笠原恒と結婚
●女子 久松基子 子爵久松勝親と結婚
●女子 久松輝子 子爵松平親義と結婚


左から 宣子 基子 輝子
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宮内庁長官 田島道治『拝謁記』

1951年11月1日
田島長官「侍従久松定孝のことでありますが、この度広島へ参りまして実際を実見し驚きました。同僚山田康彦が致すのに任せて何もいたしません。そして休養などはいち早く致します。山田に聞きましたが、『あの人はああいう風で、侍従入江相政などは仲間になるのを避ける』とか申しておりましたが、人間として同僚が仕事しているとき袖手傍観しているということは理解しがたく、かねて評判は聞いておりましたがこれほどとは存じませんでした。天子様の御学友であったり皇后様の従兄弟さんであればああいう勤務ぶりでもいいのかと誤解されますれば、ひいては御徳にも関せぬとも限りませぬと存じます。こういう職務を怠る人を放置しますることは、人事の責任者としての田島の曠職でありますので、なんとかする事のお許しを得たいと存じます」
昭和天皇「よろしいが、後の人の事を考えて」

1952年3月8日
「侍従久松定孝でございますが、行き先を心がけておりますがどうもございません。しかしただいまの行政整理にかかれば退職金は相当額にはなりますゆえ、一方侍従職の方で〔久松定孝の退職を〕望んでおりますので、なんとか今年中に致したいと存じております」

1952年11月7日
「掌典庭田重行が死亡いたしました際、元侍従久松定孝が捨扶持にはありつきましたが、2年の期限ではありまするし、怠け癖の人でも掌典の仕事ならば大丈夫と存じ掌典長甘露寺受長にも話しました。甘露寺掌典長が同人の意向を尋ねましたところその希望なしとのことで、甘露寺掌典長はしからば三条実春を任命願いたいとの申出でございます
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◆19代 久松定武  18代定謨の子
1899-1995


■妻  小笠原春枝 伯爵小笠原長幹の娘 
1908-1987


●長男
●長女
●二女