◆初代伯爵 佐野常民 農商大臣 「佐賀の七賢人」の一人
1823-1902 79歳没


1105 (3)


1879年 59歳
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■妻  山領駒子 士族山領真武の娘
1858-1902




●実子 佐野源一郎 ドイツ留学中に死亡
●庶子 佐野常羽  3代当主
●庶子 佐野常砥  法学者
●庶子 佐野常尾  軍人

●実子 佐野粂千代 婿養子を迎え2代当主とする
●実子 佐野芳子 
●庶子 佐野貞子  子爵田村丕顕と結婚


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万朝報 1898年

伯爵佐野常民は旧仙台藩士東海林庄五郎の長女春(50歳)を妾とし、麹町区三年町の自宅に置く。
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『明治大臣の夫人』明治36年出版

佐野伯爵が壮時はなかなかの暴れ者で毎日2升も3升も傾けたほどの大酒飲み、一家の財政もあったものではない。
酒さえ飲めればその日の用が足りるという主義、これには夫人も閉口して種々諌告をしてみたけれども、妻の諌めたぐらいで明日から止めるわけにはゆかない。
昼の内は真面目くさって辛抱したものの夜になると例の鯨飲、これには夫人も手の付けようがない。
この上は自ら一家の財政を引き受けて種々に心を砕かれたためようやく家に事無きを得た。

佐野伯爵には多くの子供はあるが夫人の腹を痛めたのは一男二女である。
長男源一郎はドイツに留学中不幸にも亡くなってしまったのは、いかに夫婦を失望させたのであろうか。
二女の粂千代に佐野常樹を養子としてこれに配し相続をさせる事としたが、不幸にも粂千代は4人の愛児を遺して帰らぬ旅に赴いた。
不運にも相続人たるべき常樹は病の床に伏したが、とうとう黄泉の客となった。
嗣子は常羽と言い常羽以下の兄弟は佐野伯爵の子には相違ないが、駒子夫人の腹を痛めたのではなく妾腹の子である。
ところが夫人はこれらの兄弟に向かっても実子もなお及ばざるくらいの待遇、決して妾腹の子だからといって分け隔てするような事は爪の垢ほどもなかった。
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◆2代 佐野常樹  浅見忠雄が婿養子になる


■妻  佐野粂千代 1代常民の娘


●長女 佐野米子  男爵有馬頼多と離婚・男爵小野尊正と再婚
●二女 佐野仲子  士族加藤秀一と結婚
●三女 佐野益子  男爵伊達宗経と結婚
●四女 佐野茂子  蜂印葡萄酒近藤利兵衛の養女になる


●佐野米子 男爵有馬頼多と離婚・男爵小野尊正と再婚
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◆3代 佐野常羽 2代常樹の弟/1代常民の子
1871-1956 85歳没

ボーイスカウト姿で



■妻  保科尚子 子爵保科正益の娘
1876年生

*資産家だった佐野伯爵家は尚子夫人の浪費で傾く。


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※当時の総理大臣の年給は1万2千円

佐野伯爵家は軍人出身ながら資産家で、大正期の資産高は60万円。
芝高輪南町と北品川に1万2,000坪の宅地を有していた。
ところが、佐野常羽の妻尚子の浪費が家を傾ける。
尚子は保科正益子爵の娘で、母は資産家の伊達宗紀伯爵の娘、姉は財閥岩崎久弥男爵夫人、母と姉の生活を見て尚子自身の経済感覚もマヒしてたらしく、知らず知らずの借金は少なくとも6万5,000円にのぼることが発覚した。
大正8年佐野家は芝高輪南町と北品川に有していた1万2,000坪の宅地も処分し、那須野の別荘に隠棲するに至った。
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◆4代 佐野常光    公爵一条実輝の子・養子になる
1906年生


■妻  竹田宮礼子女王 竹田宮恒久王の娘
1913-2003 90歳没

1822


6014


1820




1816


1818



●長男
●二男
●三男