■東京邸 港区西麻布 789坪


■東京邸 渋谷区代々木


■大磯別邸


■山口別邸 山口市


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◆初代伯爵 寺内正毅 総理大臣
1852-1919 

寺内内閣は議会の支持なしに組閣された超然内閣だったため、
「非立憲」とルックスが似ていたビリケン像を掛けて「ビリケン宰相」と揶揄された。


寺内正毅の母猛子
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1879年 29歳
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撮影:丸木利陽
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撮影:丸木利陽
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■前妻 タニコ 小田隼見の娘 
1858-1890




■後妻 タキコ 軍人長谷川貞雄の娘 
1862-1920




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『明治大臣の夫人』明治35年出版

寺内正毅伯爵にはどうしても直らぬ一つの癖がある。
陸軍部内には将軍の七癖というものがあって、寺内伯爵もその一つに加えられてあるのだ。
寺内伯爵は金玉の前でマッチをするのが癖である。
いつしかこれが夫人の耳に入ると、ある日寺内伯爵が客に接して意気揚々と話をしていた。
夫人は寺内はどんな事をして煙草を吸うかと部屋の隙間から覗いていた。
さりとは知らぬ寺内伯爵例によってマッチをすり、夫人もおかしくってたまりかね思わず笑い出すと、寺内伯爵も何の事かと傍らなる扉を開けたら、立っていた夫人寺内伯爵の顔を見て笑い続けたが、肝心の寺内伯爵いっこうに解せない。
夫人に向かって「何がおかしいのか」と言った時、
夫人は「あなた陸軍部内に将軍の七癖とやらがある噂を御承知ですか。してあなたが先程も両股のところでマッチをおすりになったが、あまりみっともないから御注意なすってはいかが」との諌告。
寺内伯爵もここに初めて合点つき、「罪もない癖だろう」と言いざままたも客間に戻ったとか。
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●前妻の子 寿一
●前妻の子 沢子 児玉秀雄伯爵夫人
●前妻の子 須恵 福羽真城子爵の前妻
●後妻の子 毅雄 官僚中川健蔵の綾子と結婚・綾子は毅雄の戦病死後ピストルで後追い自殺


立つ左から 
吉富庄祐 タキコ夫人の弟長谷川鉄雄 沢子の夫児玉秀雄 寺内正毅 
毅雄 寿一 寺内の甥宇田川義三 中谷兵之進 タキコ夫人の弟長谷川巌
座る左から
沢子 児玉源太郎の娘元子 須恵 寿一の前妻百合 タキコ夫人
児玉源太郎の叔母 沢子の娘児玉貞子 児玉源太郎の娘鶴子/木戸幸一侯爵夫人
児玉源太郎の娘芳子 児玉源太郎の娘仲子/穂積重遠男爵夫人 宇佐川スミコ 川村大佐夫人
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●後妻の子 毅雄 官僚中川健蔵の綾子と結婚・綾子は毅雄の戦病死後ピストルで後追い自殺
2000



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『横から見た華族物語』昭和7年出版

<寺内沢子の結婚>

児玉源太郎伯爵は子供の教育には周到な用意を払った。
嫁を探すについても非常な関心をもってこれに当たった。
だが当人の心持にまで立ち入って干渉するような愚はせぬ。
誰でも本人の気に入った者を選ぶがよいが、
ただ児玉家は小姑が大勢いるからそれとも折り合いを上手くつける女を探せと言った。
秀雄氏も親父の言葉を承服して親子ともどもその条件に合った女を探したが、
いわゆる帯に短しタスキに長しで思うようなのが見当たらない。
寺内正毅伯爵の屋敷に内輪の祝宴が開かれて児玉父子もこれに招かれた。
寺内家には沢子と呼ぶ娘があって、
長女ではあるが大勢の兄弟達と義理の母親との間に立って三方四方に心を配り
家庭の円満に努めているので当時評判となっていたが、この沢子が当日のお客の接待に出た。
その姿に目をつけたのが児玉伯爵であった。
寺内家から帰ってから「あの娘はどうか」とさっそく秀雄氏の意見を聞くと、
実は秀雄氏も沢子の淑やかな風姿に心を動かしていたのであったから、
「実は私もあれなら理想の嫁だと思っていたところです」というようなことで、
それは面白い、
期せずして親子とも理想の婦人に邂逅したとはよくよくの巡り合わせだということになって、
さっそく先方にも掛け合った上とうとう沢子を秀雄氏の嫁にすることになった。
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◆寺内寿一●子供ナシ
1879-1946 明治12-昭和21


■前妻 官僚得能通昌の娘 百合 死別
1890-1911


■後妻 山下覚次郎の娘 順子
1903-1988