■京都別邸〈祇園閣〉京都市東山区祇園町 3階建て・高さ36メートル 
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◆初代男爵 大倉喜八郎 実家は農家→商家
1837-1928 90歳没

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■妻  持田トク 芸者徳子
1855年生

1916年 中央が大倉喜八郎・その右隣がトク夫人
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前列が大倉喜八郎夫妻・後列が大倉喜七郎夫妻
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※妾・庶子多数のため代表的な子供のみ


●実子 大倉喜七郎 2代当主
●実子 大倉鶴子  日清豆粕製造社長高島小金治と結婚
●実子 大倉時子  野口粂馬が婿養子になる


★妾  川口タマ
●庶子 大倉文吉


★妾  久保井勇
●庶子 大倉幸二
●庶子 大倉雄二
●庶子 大倉瑛三


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『明治豪商の夫人』明治36年出版

大倉喜八郎氏はそれまでに妻を迎えることは前後3回ばかりもあったけれども、どうも凡物では気に入るはずもなく当時は3度目の妻を追い出しての一人暮らしに、いつしか芸者買いの始まりがそもそも今の夫人と馴れ初むる発端であったとか。
徳子がその当時一方ならぬ御贔屓をしてくれた客というのは世間でよく噂する銅山王とやら。
銅山王も徳子が素敵な美人と性質の非凡なのを愛して、受け出してシャバの人間にしてやろうと思っていると、大倉の大将も徳子を寵愛せられたびたびならず近くの待合料理店などに招き互いに語り合うては楽しんでいると、いつしか銅山王の身請け問題が大倉の耳に入るとたまったものではない。
すぐさま占領してしまおうと思ったものの、銅山王が御寵愛の先口とかで、一応は銅山王に打ち明け、そのうえ占領せねば国際公法の違反ともなるだろうと、右の次第を王に相談すると、かえって徳子の卓見を嘉賞し仲人の労を取られ、ここにめでたく大倉夫婦ができあがったのである。
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宮武外骨『地獄耳』

華族は世襲制度であるから公卿大名はもちろんのこと泥棒将軍西村精一、石コロ男爵大倉喜八郎ら新華族の面々までもが、子々孫々相伝えて皇室の藩屏でござる、カマボコでござるとのさばり返るのはまことにもってウンザリせざるを得ない。
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◆2代 大倉喜七郎 1代喜八郎の子
1882-1963 80歳没

*英ケンブリッジ大学に留学

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フィアットに乗る喜七郎
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■妻  溝口久美子 伯爵溝口直正の娘
1889年生

1907年 19歳
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●男子 大倉喜六郎 3代当主

●女子 大倉正子  男爵目賀田綱美の子目賀田重芳と結婚
●女子 大倉鉄子  実業家浜口喜雄と結婚


1929年
1929-3005



●女子(名前不明)
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宮武外骨『地獄耳』

大倉喜八郎の子 喜七郎は放蕩者だが、自転車の操縦だけは上手いそうである。
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<大倉喜七郎&久美子の結婚披露宴の記事>1907年

大倉喜八郎氏令息喜七郎氏はさきに伊藤公爵の媒酌にて溝口伯爵令嬢久美子と結婚せしが、
午後2時より披露のため赤坂葵町の本邸にて園遊会を開きたり。
来賓は名士千余名にして新夫人の知友たる諸家の令嬢令夫人これに加わり、その盛んなることは近時まれに見るものというべく、3時より余興場を開き、4時半 主人夫婦および新郎新婦の挨拶あり、食堂にては末松子爵発声にて大倉家の万歳を唱えたり。

当日お嫁さんの衣装は黒の紋羽二重でしたが、地模様は花菱で上品なものでした。
裾模様は松に紅葉で雲を彩どったのはたいそうよろしく、帯は唐織で柳に橋の模様でしたが、地色が黄色でしたから黒との映りが非常によろしかったそうです。

午後4時半に食堂が開かれましたが、その時にはお嫁さんは衣装をお着替えになって古代紫の振袖でした。
裾模様などはすべて能生の意匠で、すこぶる込み入ったものでした。
帯は綴織で、扇の模様が美しく目立ちましたそうです。
洋々たる奏楽とともに一同食堂にはいりましたが、やがて末松謙澄男爵の発声でシャンパンの杯を挙げつつ新夫婦の万歳を唱えられました。
花嫁のお友達がたくさん見えたから、淑女令夫人がすこぶる多かったので、いっそう目立って美しく見えました。
花嫁さんは極めて平民的で、来賓にビールなどをお酌なさいました。
始終愉快らしく笑顔をもって客にお会いなさいましたから、みな感心してほめていました。
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宮武外骨『地獄耳』

大倉喜七郎の女房久美子は先年役者買いを新聞にすっぱ抜かれ、その後 夫の許可を得ずしてはいかなる男とも面会はできなくなっている。
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◆3代 大倉喜六郎 2代喜七郎の子
1910-1989 79歳没


■妻  山本千代子 伯爵山本清二の娘
1914年生 


●長男
●二男
●三男