華頂宮家

  • author: easthall
  • 2001/05/02


東京本邸 港区三田

鎌倉別邸

※鎌倉市にある通称旧華頂宮邸は、正確には華頂博信侯爵邸である

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◆華頂宮博経親王
1851-1876 嘉永04-明治09 26歳没
もと伏見宮邦家親王の子 華頂宮を創設

*アメリカ留学中に病死

アメリカにて



■妻 南部利剛伯爵の娘 郁子
1853-1908 嘉永06-明治41 55歳没
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●博厚親王 次代当主 





◆華頂宮博厚親王
1875-1883 明治08-明治16 8歳没





◆華頂宮博恭王=伏見宮博恭王
伏見宮貞愛親王の子博恭王が華頂宮を継承するが、
実家に復帰して華頂宮から離れ伏見宮博恭王となる





◆華頂宮博忠王
1902-1924 明治35-大正13 22歳没
先代博恭の弟

*未婚であったため華頂宮家は廃絶





有栖川宮家

  • author: easthall
  • 2001/05/01


・東京本邸 移転前 麹町区霞ヶ関 (現:千代田区霞が関) 設計ジョサイア・コンドル

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・東京本邸 移転後 麹町区三年町 (現:千代田区永田町)

・福島別邸

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・舞子別邸

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・葉山別邸


◆有栖川宮幟仁親王
1812-1886 文化09-明治01 74歳没




■妻 公家二条斉信の娘 広子
1819-1875 文政02-明治08年 55歳没


●庶子 熾仁王  次代当主
●庶子 幟子女王 水戸徳川慶篤の前妻・本人死別
●庶子 宜子女王 井伊直憲伯爵夫人
●庶子 利子女王 伏見宮貞愛親王妃
●庶子 威仁王  次々代当主




◆有栖川宮熾仁親王●子供ナシ
1835-1895 天保06-明治02 60歳没

*身長160cm・体重68kg

*皇女和宮と婚約していたが、和宮は公武合体政策のために将軍徳川家茂に嫁がされる。






■前妻 水戸藩主徳川斉昭の娘 貞子 死別
1850-1872 嘉永03-明治05 22歳没




■後妻 越後新発田藩主溝口直溥の娘 董子
1855-1923 安政01-大正12 68歳没













◆有栖川宮威仁親王
1862-1913 文久02-大正02 52歳没
先代熾仁親王の弟

*嫡男が早逝したため有栖川宮は断絶

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■妻 金沢藩主前田慶寧の娘 慰子
1864-1923 文久04-大正12 59歳没

*何かと口をはさみたがる、やかまし屋の宮妃の一人であった。










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明治天皇紀 明治22年02月14日

有栖川宮威仁親王その宿願を聴され再び欧州差遣の命を蒙るや、
妃慰子かねてより視察の希望あるをもって同行せんことを欲す。
天皇すぐにこれを斥け「婦女の洋行はいたずらに西欧の物質文化に眩惑せられ、
娯楽または奢侈の悪風を助長するに過ぎず」と為して敢えて聴したまうの意なし。
先年小松宮彰仁親王、妃を伴いて欧州に抵しが、いたずらに宝石・衣類等を購いしが如き結果にかんがみたまうなり。
父有栖川熾仁親王さらにこれを請えどもついに肯じたまわず。
よりて親王、自費をもって同行せしめんことを請うに及び、天皇はじめて「そは勝手たるべし」との仰せあり。
これにおいて威仁親王の願意ようやく達し、この年01月10日慰子の徴行して侯爵前田利嗣夫婦と共に洋行するを許したまう。
利嗣は慰子の兄なるをもって、慰子これと同行しその費は利嗣をして支弁せしむることとせるなり

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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正11年08月16日

<威仁親王の不倫問題>

※宮内官僚小原駩吉の台詞

先年東伏見宮依仁親王が婦人を愛せられ周子妃が大いに困り処置方を自分に相談せられたる時、
「有栖川宮慰子妃の如く実子ありかつ性質も剛き方ですら、その問題につき云々せられたる結果は面白からず。
ことに周子妃殿下には実子なく性質も弱き方につき、この際は何事も言わず全く無頓着になされおる方がよろしからん」
と言いたる事ありたるが、幸いに間もなく婦人の関係は止みたり。

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●栽仁王    早逝
●実枝子女王 徳川慶久公爵夫人→子は高松宮喜久子妃


●栽仁王




●実枝子女王




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明治天皇紀 明治39年01月09日

昌子内親王をもって恒久王に、允子内親王をもって栽仁王に配せんとし、内旨を侍従長侯爵徳大寺実則に伝えたまう。
これより先有栖川宮威仁親王、内親王中一人を得てその嗣栽仁王の妃と為さんと欲し、侯爵伊藤博文を介して内請する所あり。

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