二条公爵家 摂家

  • author: easthall
  • 2002/01/17


◆二条斉敬
1816-1878


■妻 伏見宮邦家親王の娘 恒子女王
1826-1916


●正麿 酒井忠義伯爵の娘鶴子と結婚
●利敬 宮橋利敬となる 東園基愛子爵の娘増子と結婚
●隆英 四条隆平男爵の娘駒子の婿養子になり四条隆英男爵となる


●正麿 酒井忠義伯爵の娘鶴子と結婚






◆二条基弘 公家九条尚忠の子
1859-1928 安政06-昭和03 69歳没








愛車フォードとともに

1001



■妻 金沢藩主前田斉泰の娘 洽子
1863-1925 文久03-大正14 62歳没


●実子 徳基
●実子 厚基 次代当主
●実子 邦基
●実子 敬子 鍋島直高男爵と結婚
●庶子 澄子
●庶子 承子 平光寿と結婚
●庶子 元基
●庶子 建基
●庶子 恭基
●庶子 敏基
●庶子 正基
●庶子 成基
●庶子 倫基


●敬子 鍋島直高男爵と結婚





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※当時の総理大臣の年給は1万2000円

二条基弘は大資産家の金沢藩主の娘と結婚しており、
また公爵は華族中の華族として最低資産10万円が保障されているため、
経済的基盤は揺るぎないものであったが、基弘の浪費によって二条家は傾く。

基弘は何事にも精力的な性格で妾にも多くの子を生ませているし、
英語・書・詩歌・弓・鉄砲・馬・彫刻・茶・花などに凝った。
30歳近くになってからイギリスのケンブリッジ大学に留学して、
帰国してから凝ったのが政治である。
政治活動に資産を使い果たし、大正3年には40万円の借金ができる。
さらに借金を重ねて翌大正4年には100万円にふくれあがる。
二条家は基弘を隠居させ、息子の厚基を当主として借金の整理に苦労する。
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◆二条厚基●子供ナシ
1883-1927 明治16-昭和02 44歳没


■妻 島津長丸男爵の娘 泰子
1899-1936 明治32-昭和11 37歳没




◆二条弼基 二条正麿男爵の子
1911-1985 明治44-昭和60 74歳没


■妻 多嘉王の娘 恭仁子女王
1917- 大正06-



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●昌子 梅溪通明と結婚
●和子 飯田叡と結婚
●基敬






一条公爵家 摂家 その2

  • author: easthall
  • 2002/01/16


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四条隆謌侯爵の孫 阪谷寿子 三島弥太郎子爵令嬢/阪谷希一子爵夫人

一条の伯父様〔一条実輝〕は本当は祖父上〔四条隆謌〕さんのお子さんではなく、
弟の隆平さんが部屋住み時代にある女の人に産ませたお子さんなのですが、
祖父上が自分の子とされ成人してから一条家へ養子にやられたのです。
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一条公爵家 摂家 その1

  • author: easthall
  • 2002/01/15


東京本邸 赤坂区福吉町 (現:港区赤坂)

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京都別邸

1012





◆一条忠香
1812-1863 文化09-文久03 51歳没


■妻 伏見宮邦家親王の娘 順子女王
1827-1908 文政10-明治41 81歳没


●本妻の子 実良 次代当主
●生母不明 明子 柳沢保申伯爵夫人
●側室の子 美子 明治皇后/昭憲皇太后


●側室の子 美子 明治皇后/昭憲皇太后

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◆一条実良 先代忠香の子
1835-1868 天保06-慶応04 33歳没


■妻 公家近衛忠煕の娘 総子
 -1887  -明治20


●生母不明 良子 婿養子を迎え次代・次々代当主とする




◆一条忠貞●子供ナシ 醍醐忠順の子 婿養子になるが本人死別
1862-1882 文久02- 20歳没


■妻 先代実良の娘 良子 死別後再度婿養子を迎える




◆一条実輝 四条隆謌侯爵の養子/弟四条隆平の子 婿養子になる
1866-1924 慶応02-大正13 58歳没

*フランスに駐在

1009


1011





■前妻 先々代実良の娘 良子 死別
1868-1899 明治01-明治32 31歳没


■後妻 細川護久侯爵の娘 悦子
1877-1945 明治10-昭和20 68歳没

1003


1008


1002


1003(1)


フランスにて



外国人乳母と 椅子が悦子夫人 床が経子




●前妻の子 経子 婿養子を迎え次代当主とする
●後妻の子 実基 一条実基男爵となる イギリス人テス・スネアと結婚
●後妻の子 朝子 伏見宮博義王妃 昭和天皇のお妃候補の一人であった
●後妻の子 実光 佐野常光伯爵となる 竹田宮恒久王の娘礼子女王と結婚
●後妻の子 実英 南部利淳伯爵の娘瑞子の婿養子になり南部利英伯爵となる
●後妻の子 直子 閑院宮春仁王妃・熟年離婚
●後妻の子 圭子 鍋島直和子爵の子鍋島直方と結婚
●後妻の子 生子 伊達宗克男爵と結婚


左から 経子 朝子 悦子夫人 赤ちゃん実英 外国人乳母 実光

1006


左から 実光 悦子夫人 実基 実英 朝子

1001


本邸にて 左から 生子 直子 圭子 朝子

1007



●朝子 伏見宮博義王妃 昭和天皇のお妃候補の一人であった






●実光 佐野常光伯爵となる 竹田宮恒久王の娘礼子女王と結婚

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●実英 南部利淳伯爵の娘瑞子の婿養子になり南部利英伯爵となる

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●直子 閑院宮春仁王妃・熟年離婚

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◆一条実孝 大炊御門師前の子 婿養子になる
1880-1959 明治13-昭和34 79歳没




■妻 先代実輝の娘 経子
1885-1956 明治18-昭和31 71歳没

*九条良致は経子の婿養子になる予定で一条家の養子になっていたが、
経子がこれを嫌ったため破談となり良致は九条家に戻って九条武子と結婚する。



実孝&経子夫妻

1005



●正子 財閥三井高陽男爵と結婚
●重子 鍋島直庸子爵の子鍋島直浩と結婚離婚・正田文右衛門と再婚
●実文 次代当主




◆一条実文 先代実孝の子
1917-1985 大正06-昭和60 68歳没


■妻 松平頼庸子爵の娘 好子
1922-1976 大正11-昭和51 54歳没


●実昭
●頼実


左 頼実  右 実昭

1014(1)







西園寺公爵家 清華家 その2

  • author: easthall
  • 2002/01/14


◆西園寺公望 公家徳大寺公純の子 総理大臣
1849-1940 嘉永02-昭和15 91歳没

*フランスに留学

*遊び人で、花柳界では「お寺さん」という愛称で呼ばれていた。


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西園寺公望の晩年のスケジュール

朝7時頃に起き、自分でヒゲをそってから洋間で新聞に一通り目を通し、
8時過ぎに粥食の朝食をとる。
それから昼まで政府からの報告に目を通したり、手紙を書いたり、読書をして過ごす。
来客があればこの時間に会う。
昼食はラジオのニュースに耳を傾けながら軽い洋食、
昼寝のあと3時頃から夕方までまた読書。
フランス語の原書が多く、政治・現代思想・ロシア研究・ヨーロッパ事情・伝記など、
丸善を通じて取り寄せたり大使館から送られてきたりした。
外務省から届く外交文書にも丹念に目を通す。
トランプの一人遊びに興じるのもこの時間だ。
夕食は熱燗の日本酒に日本料理。
夜9時40分のニュースを聞いて10時頃就寝。

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西園寺公望の秘書 原田熊雄男爵

昭和2年4月から6月に興津に戻られるまで2ヶ月間京都の清風荘に滞在された。
最初自分は京都ホテルに一室を借りて、そこから朝晩西園寺公の所に通うことにしておいた。
その由を西園寺公に話すと、
「清風荘は広いし部屋も充分ゆとりがあるから、そんなことはしないでぜひ清風荘に泊ってくれ」
というお話であったから、ホテルを断って清風荘の2階に室をいただいて一緒におった。
室でころがりながら本でも読んでいると、知らないうちに来られて
「もう飽きたでしょう」と御自身で掛物を替えたり床の間の置物を替えたりして下さる。
また必ず自分の室には葉巻の新しい箱が絶やさず置いてあった。
食事は必ず朝昼晩西園寺公と二人で食堂でいただいたが、
ことに晩餐にいたっては食後葉巻はもちろんのこと、
とても上等のブランデーを出されて、コーヒーも極めて上手に入ったもので、
いつも変わらない態度で接して下さった。

晩餐後執事がカゴに蛍を2千匹も入れたのをもらったと言って持ってきた。
西園寺公と食後漫談中であったので、「庭に放じて御覧になったら」とお話したら、
「それはよかろう」というので、2千匹の蛍をカゴから出すと実に美しい。
思わず見とれていると、
「つかぬことを伺うが、貴下は若いからすでに常識として御存知かと思うが、
蛍の光には熱がないという研究は5,60年前からしきりにされていたが、
その結果はどうなりましたか」という問いであった。
さっそく翌日京大の懇意の専門教授を尋ねて聞いて帰り、
午餐の卓上で披露したら非常に満足されて、
「ありがとう。一つ知識を増やしました」と喜んでおられた。


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総理大臣 若槻礼次郎男爵

西園寺公は人一倍ものやさしい方で、その言葉遣い、その態度など、
いわゆる「ぶらず」という方で、
元老ぶらず・公爵ぶらず・誰をもごく平等に待遇され、相当の敬意を払われる。
だから西園寺公と話をして帰ると、みな非常にいい気持になる。
だれにも好感を持たれる方であった。


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■妻帯せず


★妾 小林菊子 芸者玉八


★妾 中西房子 芸者ふさ奴


★妾 奥村花子 女中


●小林菊子の子 新子 婿養子を迎え次代当主とする
●中西房子の子 園子 高島正一夫人


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萬朝報 明治31年07月10日

西園寺公爵は荏原郡入新井村新井宿の本邸に、
新橋にて有名なりし蓬莱屋玉八こと松野キク(31)なる妾を蓄え、
逗子の別荘には元西京の芸妓艶鶴こと中田フサ(22)なる妾を蓄う。


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西園寺公望の恋人 祇園の芸妓 江良加代

時の権力者に次々と愛され、
西園寺公望→木戸孝允→伊藤博文→最後は財閥三井高辰の妾として幸せな生涯を終えた芸妓。

26歳の西園寺公望が祇園で13歳のお加代を見初め正妻とするために東京へ連れて行ったが、
西園寺家の猛反対により実現しなかった。お加代は祇園へ舞い戻った。

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◆西園寺八郎 毛利元徳公爵の子 婿養子になる
1881-1946 明治14-昭和21年 65歳没


■妻 先代公望の娘 新子
1886-1920 明治19-大正09 34歳没


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西園寺公望には男子がなかったため、伊藤博文が取り持って毛利家から養子を入れた。
養子の話があった時、八郎はこう言った。
「私は暴君のような男だから養子には向きますまい。
西園寺家のような名門を潰してしまう事になるかもしれませんよ」
公望はこう返事をした。「一向にかまいません。
養子にもらった以上、家を興してくれようと潰してくれようと、八郎次第です」
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●公一  ゾルゲ事件に連座して逮捕・除籍される
●二郎
●不二男 次代当主
●春子  財閥住友友成と結婚
●美代子 阿部一蔵と結婚




◆西園寺公一
1906-1993

*ゾルゲ事件に連座して逮捕・除籍される


■妻 雪江 芸者雛蝶


●一晃
●彬弘


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西園寺公一の妻 雪江夫人の取材

雪江は群馬県館林の出身。
数え17歳の時、新橋で一流と言われた【河辰中】に預けられる。
当時【河辰中】は美人ぞろいで評判であったが、
【雛蝶】と呼ばれた雪江はたちまち売れっ娘になった。
無口で愛嬌に乏しいが、天性の美貌がものをいった。
雪江は公一に身請けされたのではなく、
2年の年季を勤め上げた上お礼奉公も済ませてから公一と事実婚に入った。

しかし新婚早々から公一はめったに家に帰ってこなかった。
雪江は主人のいない西園寺家で家令や女中頭に囲まれてつらい日々を送る。
「私のことを奥さんとは見てくれないんです。
陰で『あの女、あの女』と言われて、長男一晃の事は『若様』と言って家令が抱いて寝る。
私には任せられないというわけなんでしょうけど。
時間が来たら起きて、時間が来たら寝る。格子なき牢獄ですよ。
パパは子供がいるから週に一回帰ってくるという風で、私に愛情なんてあったのかしら」


雪江は小さかった二男の彬弘を連れて熱海の西園寺家から小田原の別荘に逃げる。
「私宛てに手紙が来たんですが、
『家風に合わないで出たものは仕方ないから帰ってこなくてもよい。
子供は迎えを差し向けるから渡せ』って言うんですよ。
冷たい人だなと思って泣いちゃいました」


戦後は目黒に土地を見つけバラックを建てて住んだ。雪江は必死で働いた。
しかし公一は浅草橋に住みついて相変わらず家には寄りつかない。
赤坂に家を見つけ引っ越した。すると公一は浅草橋から目黒へやってきて別棟を建てて住んだ。
「あの人は、私のいない後にいない後に来るような感じでしたね」
公一はウィーンで開かれた世界平和評議会に日本代表として渡航する事になった。
3ヶ月分の生活費を置いていったが、3年も帰ってこなかった。

公一がやっとウィーンから帰ってきたと思ったら、今度は中国へ行くと言う。
ここで置いていかれたらいよいよ終わりだと思った雪江が同行を申し出ると、
公一は「どっちでもいい」と言った。子供たちに訊くと、長男は「嫌だ」と言った。
二男は「僕には父親はいないよ。いらないや、あんなもの」と言った。
しかし夫妻はやっと入籍して、一家で中国へ向かった。
13年後帰国、雪江は中国からの輸入品を扱う【雪江堂】を経営した。
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◆西園寺不二男 先代八郎の子
1910-1986 明治43-昭和61 76歳没


■妻 財閥鮎川義介の娘 春子


●公友
●祥子
●裕夫






西園寺公爵家 清華家 その1

  • author: easthall
  • 2002/01/13


◆西園寺公望 総理大臣 公家徳大寺公純の子
1849-1940 嘉永02-昭和15 91歳没


*フランスに留学

*遊び人で、花柳界では「お寺さん」という愛称で呼ばれていた。

*紅絹裏にトランプ模様を染めさせた羽織を着こんで夜の町を楽しんだ。











■妻帯せず


★妾 小林菊子 芸者玉八
1865-


★妾 中西房子 芸者ふさ奴
1874-1927


★妾 奥村花子 女中
1895-1929


*年齢差46歳、西園寺がベルサイユ条約でフランスに行った時も同行したが、
西園寺以外の子を二度も出産し追放される


●菊子の子 新子 婿養子を迎え次代当主とする
●房子の子 園子 高島正一と結婚




◆西園寺八郎 毛利元徳公爵の子 婿養子になる
1881-1946 明治14-昭和21年 65歳没




■妻 先代公望の娘 新子
1886-1920 明治19-大正09 34歳没

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●公一  ゾルゲ事件に連座して逮捕・除籍される
●不二男 次代当主
●春子  財閥住友友成と結婚・2女あり
●美代子 実業家阿部一蔵と結婚


●春子  財閥住友友成と結婚




●美代子 実業家阿部一蔵と結婚






◆西園寺公一
1906-1993

*ゾルゲ事件に連座して逮捕・除籍される




■妻 雪江 芸者雛蝶


●一晃
●彬弘




◆西園寺不二男 先代八郎の子
1910-1986 明治43-昭和61 76歳没


■妻 財閥鮎川義介の娘 春子
1920-


●公友
●祥子
●裕夫