島津久光公爵家 薩摩藩系 その2

  • author: easthall
  • 2004/01/06


●実子 忠義 薩摩藩主島津忠義公爵となる
●実子 於定 島津久静夫人
●実子 於哲 入来院公寛夫人
●実子 久治 宮之城家島津久治となる 通称:島津図書
●実子 於寛 喜入久博夫人
●実子 忠鑑 重富家島津珍彦男爵となる 薩摩藩主島津斉彬の娘典子と結婚
●実子 忠欽 玉里家島津忠欽男爵となる 島津忠冬の娘厳子と結婚
●庶子 忠経
●庶子 忠済 次代当主


左 珍彦   右 久治

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左から 不明 忠済 珍彦 忠欽 不明 不明
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左から 不明 珍彦 忠欽

洋服男性   左 珍彦   右 忠欽


●忠義 薩摩藩主島津忠義公爵となる


●久治 宮之城家島津久治となる 通称:島津図書

中央椅子が久治
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●忠鑑 重富家島津珍彦男爵となる 薩摩藩主島津斉彬の娘典子と結婚






●薫子 小松輝久侯爵夫人
●肅子 島津忠義公爵の子島津康久夫人
●忠承 次代当主
●久大 島津忠重公爵の娘経子と結婚
●量子 久邇邦久侯爵の前妻・離婚


左から 薫子 粛子 量子


●薫子 小松輝久侯爵夫人


●肅子 島津忠義公爵の子島津康久夫人


●量子 久邇邦久侯爵の前妻・離婚





島津久光公爵家 薩摩藩系 その1

  • author: easthall
  • 2004/01/05


東京本邸 麹町区三年町 (現:千代田区霞が関または永田町)


◆島津久光
1817-1887 文化14-明治20 70歳没


■妻 島津忠公の娘 千百子
1821-1847 26歳没


●実子 忠義 薩摩藩主島津忠義公爵となる
●実子 於定 島津久静夫人
●実子 於哲 入来院公寛夫人
●実子 久治 宮之城家島津久治となる
●実子 於寛 喜入久博夫人
●実子 忠鑑 重富家島津珍彦男爵となる 薩摩藩主島津斉彬の娘典子と結婚
●実子 忠欽 玉里家島津忠欽男爵となる 島津忠冬の娘厳子と結婚
●庶子 忠経
●庶子 忠済 次代当主




◆島津忠済
1855-1915 安政02-大正04




■妻 竹内治則子爵の娘 田鶴子
1870-1953 明治03-昭和28




●薫子 小松輝久侯爵夫人
●肅子 島津忠義公爵の子島津康久夫人
●忠承 次代当主
●久大 島津忠重公爵の娘経子と結婚
●量子 久邇邦久侯爵の前妻・離婚





◆島津忠承
1903-1990 明治36-平成02


■妻 三条公美公爵の娘 泰子
1908-1976 明治41-昭和51

●忠広 次代当主
●久正
●純子 波多野敬雄夫人
●迪子 兼高安登仁夫人
●慶子 北白川道久王妃




◆島津忠広
1933- 


■妻 北白川宮永久王の娘 肇子女王
1939- 昭和14-

●忠美
●彩子





島津公爵家 薩摩藩主 その2

  • author: easthall
  • 2004/01/04


◆島津斉彬
1809-1858 文化06-安政05 49歳没

*生まれつき頑健であったが、中年期からは体調を崩しがちであった。

*1858年7月9日風邪と腹痛を訴え、下痢が始まる。
7月10日には発熱も加わり、1日に30回の激しい下痢が続く。
7月16日死亡。コレラと診断されたが、細菌性赤痢であったと思われる。


■妻 一橋徳川斉敦の娘 恒子
1805-1858 文化02-安政05 53歳没


★側室 伊集院須磨
1821-1870 文政04-明治03 49歳没


※斉彬には複数の側室がいたが、育ったのは須磨の子供だけである。


●須磨の子 暐子 次代当主の前妻
●須磨の子 典子 島津珍彦男爵夫人
●須磨の子 寧子 次代当主の後妻




■島津忠義 先代斉彬の甥/島津久光公爵の子 婿養子になる
1840-1897 天保11-明治30 57歳没


■1度目の妻 先代斉彬の娘 暐子 死別
1851-1869 嘉永05-明治02 18歳没


■2度目の妻 先代斉彬の娘 寧子 前妻の妹 死別
1853-1879 嘉永06-明治12 26歳没


■3番目の妻 板倉勝達子爵の娘 棲子
 -1886


★側室 山崎寿満子
1850-1927 嘉永03-昭和02 77歳没


★側室 菱刈久
1872-1960 明治05-昭和35 88歳没


●山崎寿満子の子 清子 黒田長成侯爵と結婚
●山崎寿満子の子 充子 池田詮政侯爵と結婚離婚・松平直亮伯爵と再婚
●山崎寿満子の子 常子 山階宮菊麿王妃
●山崎寿満子の子 知子 田安徳川達孝伯爵の後妻
●山崎寿満子の子 貞子 久松定謨伯爵と結婚
●山崎寿満子の子 俔子 久邇宮邦彦王妃
●山崎寿満子の子 正子 本家徳川家正公爵と結婚
●山崎寿満子の子 忠重 次代当主
●菱刈久の子   忠備 島津忠備男爵となる 戸田忠雄子爵の娘愛子と結婚
●菱刈久の子   忠弘 島津忠弘男爵となる 岩倉具定公爵の娘季子と結婚
●菱刈久の子   島津久範伯爵となる 結婚3回
島津忠麿伯爵の娘随子→島津忠麿伯爵の娘秀子→高倉永則子爵の娘久子
●菱刈久の子   康久 島津忠済公爵の娘肅子と結婚
●菱刈久の子   為子 紀州徳川頼貞侯爵と結婚


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正11年11月02日

倉富&東久邇宮家宮務監督金井四郎の会話

倉富◆久邇宮俔子妃はよほど寡言の方なる由。
金井◆これはまったく無言なり。
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◆島津忠重
1886-1968 明治19-昭和43 82歳没

*イギリスに駐在


■妻 徳大寺実則公爵の娘 伊楚子
1888-1971 明治21-昭和46 83歳没


●忠秀 次代当主
●経子 島津忠済公爵の子島津久大と結婚
●晃久 鹿島晃久伯爵となる 福井松平慶民子爵の娘英子と結婚
●矩久 柳原博光伯爵の娘行子と結婚
●斉徳 柳沢保承伯爵の娘佐久子の婿養子になるが離婚


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『横から見た華族物語』 昭和7年出版

先年十五銀行がいけなくなった時、社長の松方巌公爵は爵位をも辞退し
その他身についた一切の公職を投げ出して一平民の松方巌となり、
どこかの長屋へ今は日陰者の身を運び込んだ。
自分が主宰する銀行があんなことになって
世間様を騒がして何とも申し訳がないという意思を表明したものであるが、
実を言うとあれは表面だけのことで、
本当の心は旧藩主島津家に対する謝罪のためあのような態度に出たと言った者があった。

十五銀行の騒ぎでは旧大小名華族のほとんど全部が大なり小なり手傷を負うたが、
中でも最もひどくやられたのは島津公爵家であった。
当時島津家では十五銀行へ150万円の預金があった。
そのうえに2万近い新株を持っていてその払い込みがざっと145万円、
もし島津家がこの新株を払い込まないようだったら
十五銀行の整理案が成り立たぬというのっぴきならぬ辛い立場に置かれた。
何と言っても九州の島津だ、動産不動産合わせて8000万円は下るまい
と言われている金持華族だからそれぐらいの金は右から左へ出すだろうと思われたが、
有るようで無いのは金、無いようで有るのは借金というやつ、こればかりはどうにもならぬ。
そこで袖ヶ崎のあの屋敷、
明治大帝がしばしば行幸あらせられたという由緒の深い3万坪の屋敷のうち6千坪だけを残し、
後を全部売りに出してそこから浮かんだ240万円の金で銀行の方のカタをつけたものだ。
いくら島津が財産家でもこれはこたえたに違いない。
そこで松方公爵にすれば
旧臣の情誼として主家にそれほどの大穴を開けたからには何とかして申し訳をせねばならぬ道理、
昔ならさしずめ切腹ものだが、今ではそんな古手は流行らない。
それで身につくもの一切を投げ出してこれで御勘弁と出たという。

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◆島津忠秀
1912-1996 大正01-平成08 84歳没


■妻 近衛文麿公爵の娘 昭子 離婚
1916-2004 大正05-平成16 88歳没

*昭子は戦後になって整体師野口晴哉と駆け落ちして再婚、
『昭和のノラ事件』と呼ばれて話題になった。


●忠敬
●修久
●滋子





島津公爵家 薩摩藩主 その1

  • author: easthall
  • 2004/01/03


東京本邸 芝区袖ヶ崎 (現:品川区東五反田) 敷地3万坪 建坪2,500坪

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◆島津斉彬
1809-1858 文化06-安政05 49歳没

*生まれつき頑健であったが、中年期からは体調を崩しがちであった。

*1858年7月9日風邪と腹痛を訴え、下痢が始まる。
7月10日には発熱も加わり、1日に30回の激しい下痢が続く。
7月16日死亡。コレラと診断されたが、細菌性赤痢であったと思われる。





■妻 一橋徳川斉敦の娘 恒子
1805-1858 文化02-安政05 53歳没


★側室 伊集院須磨
1821-1870 文政04-明治03 49歳没




※斉彬には複数の側室がいたが、育ったのは須磨の子供だけである。


●須磨の子 暐子 次代当主の前妻
●須磨の子 典子 島津珍彦男爵夫人
●須磨の子 寧子 次代当主の後妻


左から 典子 暐子 寧子






■島津忠義 先代斉彬の甥/島津久光公爵の子 婿養子になる
1840-1897 天保11-明治30 57歳没








■1度目の妻 先代斉彬の娘 暐子 死別
1851-1869 嘉永05-明治02 18歳没


■2度目の妻 先代斉彬の娘 寧子 前妻の妹 死別
1853-1879 嘉永06-明治12 26歳没


■3番目の妻 板倉勝達子爵の娘 棲子
 -1886


★側室 山崎寿満子
1850-1927 嘉永03-昭和02 77歳没


★側室 菱刈久
1872-1960 明治05-昭和35 88歳没


●山崎寿満子の子 清子 黒田長成侯爵と結婚
●山崎寿満子の子 充子 池田詮政侯爵と結婚離婚・松平直亮伯爵と再婚
●山崎寿満子の子 常子 山階宮菊麿王妃
●山崎寿満子の子 知子 田安徳川達孝伯爵の後妻
●山崎寿満子の子 貞子 久松定謨伯爵と結婚
●山崎寿満子の子 俔子 久邇宮邦彦王妃
●山崎寿満子の子 正子 本家徳川家正公爵と結婚
●山崎寿満子の子 忠重 次代当主
●菱刈久の子   忠備 島津忠備男爵となる 戸田忠雄子爵の娘愛子と結婚
●菱刈久の子   忠弘 島津忠弘男爵となる 岩倉具定公爵の娘季子と結婚
●菱刈久の子   島津久範伯爵となる 結婚3回
島津忠麿伯爵の娘随子→島津忠麿伯爵の娘秀子→高倉永則子爵の娘久子
●菱刈久の子   康久 島津忠済公爵の娘肅子と結婚
●菱刈久の子   為子 紀州徳川頼貞侯爵と結婚


男性左から 康久 久範 忠弘 忠備 忠重

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後列左から 充子 清子 俔子
前列左から 島津久長の娘/近衛忠房夫人/貞子/光子 知子 男子 正子

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立つ左から 康久 忠弘 側室寿満子 忠備 久範 
椅子左から 正子 貞子 常子 清子 忠重 充子 知子 俔子 為子

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●清子 黒田長成侯爵と結婚




●充子 池田詮政侯爵と結婚離婚・松平直亮伯爵と再婚




●常子 山階宮菊麿王妃




●知子 田安徳川達孝伯爵の後妻




●俔子 久邇宮邦彦王妃



●正子 宗家徳川家正公爵と結婚




●忠備 島津忠備男爵となる 戸田忠雄子爵の娘愛子と結婚




●忠弘 島津忠弘男爵となる 岩倉具定公爵の娘季子と結婚






●久範 島津久範伯爵となる 結婚3回
島津忠麿伯爵の娘随子→島津忠麿伯爵の娘秀子→高倉永則子爵の娘久子



久範&久子夫妻と子供たち

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●康久 島津忠済公爵の娘肅子と結婚




●為子 紀州徳川頼貞侯爵と結婚






◆島津忠重
1886-1968 明治19-昭和43 82歳没

*イギリスに駐在






■妻 徳大寺実則公爵の娘 伊楚子
1888-1971 明治21-昭和46 83歳没









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●忠秀 次代当主
●経子 島津忠済公爵の子島津久大と結婚
●晃久 鹿島晃久伯爵となる 福井松平慶民子爵の娘英子と結婚
●矩久 柳原博光伯爵の娘行子と結婚
●斉徳 柳沢保承伯爵の娘佐久子の婿養子になるが離婚




◆島津忠秀
1912-1996 大正01-平成08 84歳没


■妻 近衛文麿公爵の娘 昭子 離婚
1916-2004 大正05-平成16 88歳没

*昭子は戦後になって整体師野口晴哉と駆け落ちして再婚、
『昭和のノラ事件』と呼ばれて話題になった。


昭子と父近衛文麿

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●忠敬
●修久
●滋子





毛利公爵家 長州藩主 その1

  • author: easthall
  • 2004/01/02


◆毛利敬親●子供ナシ
もと先々代斉元の子
1819-1871 文政02-明治04 52歳没




■妻  先代斉広の娘 都美子
1833-1913 天保04-大正02 80歳没




◆毛利元徳
もと徳山藩主毛利広鎮の子
1839-1896 天保10-明治29 57歳没






■妻 長府藩主毛利元運の娘 安子
1843-1925 天保14-大正14 82歳没



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●本妻の子 元昭 次代当主
●生母不明 三郎 小早川三郎男爵となる
●生母不明 四郎 三郎の養子になり小早川四郎男爵となる 毛利元敏子爵の娘式子と結婚
●本妻の子 五郎 毛利五郎男爵となる 福井藩主松平春嶽の娘正子と結婚
●生母不明 六郎 大村徳敏子爵となる 福原芳山男爵の娘梅子と結婚
●生母不明 八郎 西園寺公望公爵の娘新子の婿養子になり西園寺八郎公爵となる
●生母不明 万子 武者小路公共子爵夫人




◆毛利元昭
1865-1938 元治02-昭和13 73歳没








■前妻 尾張徳川慶勝の娘 富子 離婚・戸田康泰子爵の後妻となる
1870-1909 明治03-明治42 39歳没






■後妻 三条実美公爵の娘 美佐子
1874-1934 明治07-昭和09 60歳没




●後妻の子 顕子  醍醐忠重侯爵夫人
●後妻の子 茂登子 愛宕通経子爵夫人
●後妻の子 元道  次代当主
●後妻の子 元治  叔父小早川四郎男爵の養子になり小早川元治男爵となる
●側室の子 浜子  戸田忠肅子爵夫人


左から 元昭 小早川式子夫人 元治 小早川四郎 美佐子夫人

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宮武外骨が書いた記事

毛利元昭公は本当の馬鹿殿様で、そのため東京に置かれず多病の名で三田尻に若隠居させられている。
前夫人は名古屋の徳川家から輿入れしたが、あまり夫の馬鹿なのに愛想を尽かして逃げ出し、
その後添いに三条公の御姫様が行っているが、このお姫様は似た者御夫婦の低能なので、
めでたく家は治まっている。

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◆毛利元道
1903-1976 明治36-昭和51 72歳没




■妻 桑名松平定晴子爵の娘 誠子
1912-1976 大正01-昭和51 64歳没

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ベルリンにて

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●元敬
●元宏
●元保
●元敦
●妙子