直球和館

2024年

2004/01

◆25代 中院通富    徳大寺実堅の子・婿養子になる
1823-1885

1879年 58歳
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■妻  中院繁子/千代 23代中院通繁の娘
1881年没


●男子 中院理助    財閥住友理助となる

●女子 中院冨子/鎮子 仏職水沼寛厚と結婚
●女子 中院致子    公家愛宕通旭と結婚
●女子 中院盛子    水戸藩主徳川昭武と結婚
●女子 中院旭子    東本願寺大谷勝尊と結婚


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◆26代 中院通規 徳大寺公純の子・養子になる
1856-1925

1879年 25歳
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●庶子 中院武夫 29代当主
●庶子 中院亨  27代当主
●庶子 中院至朗 28代当主

●庶女 中院大子 上田義山と結婚


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◆27代 中院亨 26代通規の子
1911-1945


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◆28代 中院至朗 26代通規の子 
1922-1948



■妻  竹内峰子 竹内義演の娘


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◆29代 中院武夫 26代通規の子
1906-1979



■妻  荒川文栄 荒川儀三郎の娘
1913年生


●長男
●長女
●二女

◆16代 三条西季知 15代三条西実勲の子 「七卿落ち」の一人
1811-1890 文化08-明治23 79歳没

1879年 70歳
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■前妻 山内豊敬の娘


■後妻 出石藩主仙石久道の娘


●男子 三条西公允 17代当主

●女子 三条西幾子 白川資訓子爵と結婚
●女子 三条西浜子 婿養子を迎え18代当主とする


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◆17代 三条西公允 16代季知の子●子供ナシ
1841-1904 天保12-明治37 63歳没

1879年 40歳
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■前妻 広幡千鶴 公家広橋光成の娘 離婚
1843-1934


■後妻 以登
1859年生


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◆18代 三条西実義 公家風早公紀の子・婿養子になる
1866-1949 慶応02-昭和24 83歳没

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■妻  三条西浜子 16代季知の娘
1870-1922 明治03-大正11 52歳没


●長男 三条西公正 19代当主
●二男 三条西公武 風早公武子爵となる 高本承彦の娘翠と結婚・村上作治の娘久子と再婚

●二女 三条西基子


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◆19代 三条西公正 18代実義の子
1901-1984 明治34-昭和59 83歳没


■前妻 久邇宮信子女王 久邇宮邦彦王の娘 姉は香淳皇后
1904-1945 明治37-昭和20 41歳没





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■後妻 四条治子 公家四条隆英の娘


●男子 三条西実謙 20代当主
●男子 三条西実栄 久邇実栄侯爵となる

●女子 三条西淑子 四条隆貞男爵と結婚
●女子 三条西咊子 木下利福子爵と結婚
●女子 三条西洋子 出雲大社北島英孝と結婚
●女子 三条西澄子


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◆20代 三条西実謙/三条西尭雲
1929-1997 昭和04-平成09 68歳没




■妻  斉藤コト 斉藤覚造の娘


●長男
●二男
●三男

◆28代 嵯峨実愛 27代正親町三条公厚の弟・26代正親町三条実義の子
1820-1909 文政03-明治42 89歳没


■妻 今城登茂 公家今城定章の娘 


●眉延子 冷泉為柔子爵と結婚
●保子  毛利元敏子爵と結婚
●餘年子 野宮定穀子爵の後妻
●公勝  29代


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嵯峨実愛『嵯峨日記』

<最初伯爵位を授けられて不満を持つ実愛>

明治17年7月6日
〔太政大臣三条実美が実愛宅を来訪して〕
今般、諸華族一同へ公侯伯子男五爵、授け下さるべきにつき、一族中旧新家差別等級、当否内談なり。

明治17年7月7日
今日午前9時後、小御所代に出御、授爵式あり。
まず公爵、次いで侯爵、次いで伯爵なり。以上多人数なり。
子爵・男爵は明日授けられる由なり。当家伯爵を下さる。
旧摂家は公爵を賜り、旧清華は侯爵を授かる。
また、旧武家のうち徳川家達は公列にあり。これ幕府なり。
三条・岩倉同じく公列にあり。偉勲をもって定められるところか。
また、島津久光・島津忠義など両家、毛利元徳など同じく公列にあり。
これまた偉勲による者なり。
また、旧清華・三条の他8家には、みな侯爵を授く。これ旧家格なり。
また、前田利嗣以下、旧大藩現収15万石以上、同じく侯列にあり。
また、中山忠能には勲功をもって特に侯爵を授くるなり。その他みな伯爵なり。
しかれども、東久世通禧は勲功によって特に伯爵を授ける。
これらの分別をもって推窮するのところ、当家旧家格のごときは諸家堂上の上にあり。
世俗大臣家と称し数代任槐、また諸大夫などを召しつかう。
大略清華に下らず。家格をもってするも侯爵に恥じず。
いわんや維新の功をもって、賞典米千石ならびに一等勲章を賜る。
世人の見聞、大略中山と同じく、その声望、東久世に下らず。
しかれども、授かるところ、上に見るがごとし。
また、中御門経之の功労、予に同じ。これまた伯列にあり。
旧家格をもって定めらるるところか。
また、大原重朝、子爵にあり。
これまた祖父故重徳、賞典米千石を賜るところなり。
かつ故重徳、つとに勤王の志を立て、終始貫徹の名望海外に響く。
しかれども、今度子爵を授けらる。
当家・中御門・小原などの勲功の儀、一切沙汰無きなり。人によるものか。
このほか幸不幸もっとも多し。これにより人心はなはだ不平なり。

〔授爵式のあと三条実美宅を訪問して〕
当家伯爵不満の意、ならびに中御門・大原のことなどに至り、いささか談ず。

明治17年7月12日
中御門経明、来談。叙爵の件なり。
書き記すいとまなし。密談に時を移し、帰去。

明治17年7月15日
中御門家に立ち寄り、経明と面談。
爵の一件なり。大原重朝来会。
席で内々申し合わすところあり。書き記すあたわず。

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◆29代 嵯峨公勝 28代嵯峨実愛の子
1863-1941 文久03-昭和16 78歳没


■妻 中山南加 公家中山忠光の娘


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『横から見た華族物語』昭和7年出版

嵯峨公勝侯爵はとてもガッチリしているそうで、
華族仲間では誰に尋ねても「あの老侯はなかなか一筋縄ではいかぬ」と言っている。
もう70を出た年輩だが釣りの名人で、鵠沼へ引っ込んで朝夕釣竿に親しむかたわら、
小鳥なんかを飼って安くない値で仲間へ売りつけている。
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●実勝  30代
●淑子  軍人石井三郎と結婚
●幾久子 財閥三井高昌と結婚・町田徳之助と再婚
●次郎  牧野康熙となる 大村彦太郎の娘当子と結婚
●実英  浅井実英となる
●賢子  川崎武之助と結婚
●公愛  相楽公愛男爵となる 梅渓通魯子爵の娘淳子と結婚
●厚子  小倉義季子爵と結婚離婚・七条光明子爵と再婚
●実元  中根実元男爵となる
●愛子  雨宮鉄郎と結婚
●公明  石田屋公明となる




◆30代 嵯峨実勝 29代嵯峨公勝の子
1887-1966 明治20-昭和41 79歳没


■妻 浜口尚子 ヒゲタ醤油浜口容所の娘
1896-1977


●浩  愛新覚羅溥傑と結婚
長女慧生 学習院大学在学中に同級生大久保武道と心中する。19歳没。(天城山心中)
次女嫮生 福永氏と結婚
●啓子 医師池見猛と結婚
●泰子 福永正造と結婚
●幹子 イトコの町田勉と結婚
●公元 31代




◆31代 嵯峨公元 30代嵯峨実勝の子
1922-1998 大正11-平成10 76歳没


■妻 和田篤子 和田利彦の娘
1929-


●実充
●節子
●敬子


◆28代 嵯峨実愛 27代正親町三条公厚の弟・26代正親町三条実義の子 正親町三条から嵯峨に改姓
1820-1909 89歳没

1879年 61歳
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■妻  石川宇野  石川喜助の娘
1840年生


●二男 嵯峨公勝  29代当主

●長女 嵯峨眉延子 子爵冷泉為柔と結婚
●二女 嵯峨保子  子爵毛利元敏と結婚
●七女 嵯峨餘年子 子爵野宮定穀と結婚


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◆29代 嵯峨公勝 28代嵯峨実愛の子
1863-1941 78歳没

1879年 19歳
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■妻  中山南加  公家中山忠光の娘
1865年生


●長男 嵯峨実勝  30代当主
●二男 嵯峨康熙  牧野康熙となる
●三男 嵯峨実英  浅井実英となる
●四男 嵯峨公愛  男爵相楽公愛となる
●五男 嵯峨実元  男爵中根実元となる
●六男 嵯峨公明  土井公明となる

●長女 嵯峨淑子  政治家石井省一郎の子石井三郎と結婚
●二女 嵯峨幾久子 財閥三井高昌と結婚・経営者町田徳之助と再婚
●三女 嵯峨賢子  男爵川崎武之助と結婚
●四女 嵯峨厚子  子爵小倉義季と離婚・子爵七条光明と再婚
●五女 嵯峨愛子  渡良瀬水電雨宮鉄郎と結婚


後列3人左から 次郎 厚子 幾久子
中列6人左から 実英 淑子 美勝の妻南加 公勝 実勝 賢子
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左から 公愛 愛子 幾久子 厚子 賢子 実元
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●嵯峨厚子 子爵小倉義季と離婚・子爵七条光明と再婚



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◆30代 嵯峨実勝 29代嵯峨公勝の子
1887-1966 79歳没



■妻  浜口尚子 ヒゲタ醤油浜口容所の娘
1896-1977





●長男 嵯峨公元 31代当主

●長女 嵯峨浩  愛新覚羅溥傑と結婚
●二女 嵯峨啓子 医者池見猛と結婚
●三女 嵯峨泰子 福永正造と結婚
●四女 嵯峨幹子 イトコの町田勉と結婚


後列左から 娘たち3人
中列左から4人目実勝 尚子夫人 公元 濱口吉右衛門
前列左から 郭布羅潤麒 不明 本庄繁 溥傑 浩 本庄夫人 公勝 南加夫人
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左から 実勝 尚子夫人 孫の愛新覚羅慧生
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◆31代 嵯峨公元 30代嵯峨実勝の子
1922-1998 76歳没




■妻  和田篤子 和田利彦の娘
1929年生


●長男
●長女
●二女

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