酒井伯爵家 姫路藩主

  • author: easthall
  • 2004/04/19


◆酒井忠興
1879-1919 明治12-大正08 40歳没



■妻 三条実美公爵の娘 夏子
1885-1907 明治18-明治40 22歳没


●秋子 婿養子を迎え次代当主とする
●菊子 久邇宮朝融王と婚約解消・前田利為侯爵の後妻となる


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菊子は久邇宮朝融王と婚約していたが、
7年も経ってから朝融王が一方的に婚約破棄したため大問題となった。
その後、望まれて妻を亡くした前田利為侯爵の後妻となる。
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<伯爵酒井忠興と令嬢秋子の君・菊子の君が、
邸内に飼育されたる猿に餌を与えられつつ微笑みて立たれたり>

これ動物園じゃなくて自前なんですねえ

秋子

菊子

イギリスにて 左が菊子 右が秋子

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◆酒井忠正
1893-1971 明治26-昭和46 77歳没
もと阿部正桓伯爵の子 婿養子になる



■妻 先代忠興の娘 秋子
1902- 明治35-


●忠元 次代当主





◆酒井忠元
1921-1990 大正10-平成02 69歳没


■妻 前田利為侯爵の娘 美意子 イトコ結婚
1926-1999 大正05-平成11 73歳没







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●忠紀
●美津子
●忠澄


忠正&秋子夫妻 忠元&美意子夫妻
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久松伯爵家 松山藩主

  • author: easthall
  • 2004/04/18


◆松平勝成 高松藩主松平頼恕の子
1832-1912




■前妻 先々代定通の娘 令子
1832-1854


■後妻 姫路藩主酒井忠学の娘 鋼子
1841-1863


●定靖




◆松平定昭●子供ナシ 津藩主藤堂高猷の子
1845-1871


■妻 先々代勝善の娘 邦子
1843-1904




◆久松定謨 旗本松平勝実の子 家名を松平から久松に改姓
1867-1943

*フランスに留学




■妻  島津忠義侯爵の娘 貞子
1878-1974




●宜子 小笠原恒子爵夫人
●基子 久松勝親子爵夫人
●定武 次代当主
●定孝 前田利同伯爵の娘韁子と結婚
●輝子 松平親義子爵夫人


左から 宣子 基子 輝子

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●定孝 前田利同伯爵の娘韁子と結婚

韁子夫人






◆久松定武
1899-1995


■妻 小笠原長幹伯爵の娘 春枝
1908-1987


●定成
●直子
●寿子





津軽伯爵家 弘前藩主

  • author: easthall
  • 2004/04/17


◆津軽承昭 熊本藩主細川斉護の子 婿養子になる
1840-1916 天保11-大正05 75歳没






■前妻 先代順承の娘 常子 死別
1839-1861 天保10-文久01 22歳没


■後妻 公家近衛忠熙の娘 尹子
1848-1900 嘉永01-明治33 52歳没




●庶子 理喜子 津軽行雄男爵と結婚
●庶子 楢麿  津軽楢麿男爵となる 未婚
●庶子 寛子  尾張系徳川義恕男爵と結婚→子義孝は14代津軽伯爵家当主

左側 細川護立侯爵&博子夫妻 右側 理喜子&津軽行雄男爵夫妻

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●理喜子 津軽行雄男爵と結婚

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◆津軽英麿●子供ナシ 公家近衛忠房の子
1872-1919 明治05-大正08 47歳没




■妻 小笠原忠忱伯爵の娘 照子
1887-1972 明治20-昭和47 85歳没
















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先代承昭は男子を次々と失ったため、
理喜子の婿養子にする予定で近衛家から英麿を養子に迎えたが、
その翌年妾に男子楢麿が生まれてしまう。
承昭は自分の息子を後継ぎにしたかったが、
本家筋にあたる近衛家から迎えた養子を廃嫡するわけにもいかず、
結局宮内省に泣きついて楢麿の方を分家させて男爵にしてもらう。

しかし英麿は14歳でドイツに留学したまま18年も帰らず、
32歳で帰国した時には理喜子と結婚するのを嫌がった。
承昭は仕方なく良縁を求め、小笠原伯爵家の娘照子と結婚させた。
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◆津軽義孝
1907- 明治40-
先々代の娘寛子&尾張系徳川義恕男爵の子

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■妻 毛利元雄子爵の娘 久子
1911- 明治44-



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●泰子  西田幾久彦と結婚
●実枝子 山田英夫と結婚
●明子  高野実夫人
●華子  常陸宮正仁親王妃





真田伯爵家 松代藩主

  • author: easthall
  • 2004/04/16


東京本邸 麻布区材木町 (現:港区六本木)


◆真田幸教
1836-1869


■妻 高松藩主松平頼恕の娘 晴子
1835-1915 


●政子 石川成徳子爵夫人
●与志 本多忠敬子爵夫人
●幸世 真田幸世男爵となる 阿部正恒子爵の娘綾子と結婚


●政子 石川成徳子爵夫人


●与志 本多忠敬子爵夫人


●幸世 真田幸世男爵となる 阿部正恒子爵の娘綾子と結婚






◆真田幸民
1850-1903 嘉永03-明治36 53歳没
もと宇和島藩主伊達宗城の子

*アメリカ・ヨーロッパを外遊



■最初の妻 大村藩主大村純煕の娘 隆子
-1884  -明治17


■2番目の妻 飫肥藩主伊東祐相の娘 宏子
1864-1899 元治01-明治32 35歳没


■3番目の妻 竹内治則子爵の娘 輯子
1864-1828 元治01-昭和03 36歳没

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●幸正  次代当主
●松子  島津忠麿伯爵夫人
●幸久
●田鶴子 大村純英伯爵夫人
●信子  藤堂高紹伯爵夫人
●幸保  清棲幸保伯爵となる 伏見宮博恭王の娘敦子女王と死別・ダンスホールのダンサーと再婚


●松子  島津忠麿伯爵夫人


●信子 藤堂高紹伯爵夫人


●幸保 清棲幸保伯爵となる 伏見宮博恭王の娘敦子女王と死別・キャバレーのダンサーと再婚

幸保&前妻敦子女王
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◆真田幸正
1876-1917 明治09-大正06 41歳没



■妻 松平頼英子爵の娘 澄子
1880- 明治13-
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●幸治 次代当主
●幸尚 上杉隆憲伯爵の娘敬子と結婚





◆真田幸治
1901-1977 明治34-昭和52 76歳没


■妻 相良頼綱子爵の娘 嶋子
1906- 明治39-


●幸長 次代当主





◆真田幸長
1929-1984 昭和04-昭和59 55歳没


■妻 森野森吉の娘 恵美子


●治子
●富美子
●幸俊





宗伯爵家 対馬藩主

  • author: easthall
  • 2004/04/15


◆宗義和
1818-1890


■妻 広島藩主浅野斉賢の娘 嘉代
1822-1890


●重正 次代当主
●和徳 原和徳となる
●和豊 井上和豊となる
●和志 久留里藩主黒田直和の娘鏻子の婿養子になり黒田和志子爵となる
●植子 亀山藩主松平信正の後妻
●和一 佐賀和一となる
●定  仁位定となる
●和子 九条道孝公爵と結婚
●和東 杉村和東となる
●宝子 公家難波宗礼の後妻




◆宗義達 維新後宗重正と改名
1847-1902


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■妻 蓮池藩主鍋島直与の娘 綱子
1851-1891


●重望 次代当主
●全子 松平武修子爵の前妻
●績子 酒井忠道伯爵の後妻
●正誼 氏家正誼となる




◆宗重望●子供ナシ
1867-1923




■妻 松園尚嘉男爵の娘 尚子
1873-1923 






◆宗武志 黒田和志子爵の子
1908-1985

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■前妻 大韓帝国皇帝高宗の娘 李徳恵 李垠王の妹 離婚
1912-1989











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韓国にて  左 義姉方子  右 徳恵

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■後妻 勝村繁の娘 欣永
1931-


●前妻の子 正恵 行方不明のまま死亡認定
●後妻の子 立人
●後妻の子 和木
●後妻の子 中正


●正恵

*23歳の時に大学時代に知り合った26歳の中学の英語教師の男性と恋愛結婚したが、
翌年遺書を残して失踪、生死不明のまま死亡と認定された。




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徳恵の義姉/李垠王妃/梨本宮守正王の娘 李方子

夏休みには私が付き添って伊香保に避暑されていましたが、
秋になって学校が始まっても、行きたくないと終日床につかれて食事にも出ようとされません。
夜は強度の不眠症で、時には突然外に飛び出され、驚いてお探しすると、
裏門から赤坂見附の方へ歩いておられたりということもあったので、
ただごとではないと精神科の先生に来診をお願いし、
看護婦もお付きして当分は大磯の別荘で静養されることになりました。

もともと内気な方だったとはいえ、私などには明るく希望に満ちたお話しぶりで、
将来は学校の先生になって、と御利発なお言葉を頼もしく伺っていたのに、
今は鬱々として床についておられるばかりなのです。
「早く元気におなり遊ばして…」
とベッドの枕辺にひざまづいて幾度となく涙を流してお話ししましたが、
受け答えもなく、ついに早発性痴呆症と診断されました

ところが昭和6年を迎えて徳恵様はだいぶ落ち着かれ、
お食事も進んでお話しも少しは調子良く話されるようになったため、
宗伯爵との御縁談も順調に進んで5月8日には御結婚式が挙げられることになりました。
この日の早いことを誰よりも望んでいた殿下〔李垠王〕と私であったとはいえ、
また小康を得られたとはいいながら白い洋装のお姿が何かしらおいたわしい思いがして、
そっと涙をぬぐったことでした。
再発への心配と、
朝鮮の血を無理矢理日本の血の中へ同化させてしまおうとする当局の意図への反発も、
秘かに感じていた私でした。


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宗武志の教育係であった平山為太郎の日記 昭和6年11月3日

午前10時、伯爵〔宗武志〕に伺候し、
古森氏・斎藤家令・伯爵と4人、絵画の談および蘭の培養等につき長時間談話をなす。
その時に徳恵夫人も突然来席あり。挨拶を述べしも、一言の言葉なく答礼ありしのみ。
そして絶えず声を出して失笑せらるること数次、真に病的の挙動なり。
伯爵の御胸中果たして如何、嘆息の至りなり。


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昭和13年から昭和15年まで宗伯爵家に勤めた中村国枝の証言

*対馬の小学校時代、宗武志の担任を務めた米田隆太の娘
その縁で女学校卒業後、上京して宗伯爵家に勤める

私は正恵さんのお勉強やお遊びのお相手をするのが第一の仕事で、
他にお掃除や縫い物などもいたしました。
正恵さんは当時小学校の1年ぐらいでしたが、細くて弱い体のお子さんで、
御養生のために湯河原の温泉へお供したこともあります。
学習院の送り迎えにもお供いたしました。父兄会に私が代理で出席したこともありました。

当時の宗家には十数人の人が働いていたでしょうか。
私達は御当主を「伯爵様」とお呼びし、徳恵様のことを「御前様」とお呼びしていました。
伯爵様は週に何回かは千葉の方へ講義にお出かけで、遠いので夜遅くなられることもありました。
広い洋間の書斎があって、よく書き物などをしておられました。
伯爵様がお風呂に入って大きなお声で『この道』を歌っておられたのを覚えています。
とてもいいお声でした。
一度、伯爵様とピンポンをしたことがありましたが、あれは応接間だったかしら…。

徳恵様のお世話はミヨさんと和田さんの二人が主にしていました。
お召し物は洋服のことも和服のこともありました。
具合の良くない時、御寝巻にガウンをかえけたお姿も多かったようです。
お身体の華奢な、手も本当にほっそりとしてきれいな方でした。
時々2階から、誰も相手がいないのに笑う声が聞こえることもありました。
時たま2階から正恵さんの部屋に降りてきて、椅子にじっと座っていらっしゃることもありました。
そんな時 何もおっしゃらないのですが、お名前をお尋ねすると漢字で「徳恵」とお書きになります。
「お子様は何とおっしゃいますか」と聞くと「正恵」とお書きになりました。


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1908年 明治41
宗武志誕生

1912年 大正01
徳恵誕生

1919年 大正08 徳恵07歳
徳恵の父死去

1925年 大正14 徳恵13歳
徳恵来日

1929年 昭和04 徳恵17歳
徳恵の母死去

1930年 昭和05 武志22歳 徳恵18歳
李垠・方子・徳恵、完成した李王家新邸へ転居、「早発性痴呆症」と診断される
武志と徳恵初対面

1931年 昭和06 武志23歳 徳恵19歳
武志と徳恵結婚

1932年 昭和07 武志24歳 徳恵20歳
正恵誕生

1946年 昭和21 武志38歳 徳恵34歳 正恵14
徳恵精神病院へ入院

1955年 昭和30 武志47歳 徳恵43歳 正恵23歳
正恵結婚
武志と徳恵離婚
武志再婚

1956年 昭和31 武志48歳 徳恵43歳 正恵24歳
正恵失踪、生死不明のまま死亡認定

1962年 昭和37 武志54歳 徳恵50歳
徳恵韓国に帰国

1985年 昭和60 武志 死去 77歳

1989年 平成01 徳恵 死去 76歳

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