毛利子爵家 長府藩主

  • author: easthall
  • 2004/05/25


◆毛利元敏
1849-1908



■妻 公家嵯峨実愛の娘 保子
1852-1925


●暢子  毛利元忠子爵夫人
●元雄  次代当主
●元智  乃木元智となる
●式子  小早川四郎男爵夫人
●邦樹  福原邦樹となる
●亮子  徳大寺則麿男爵夫人
●幸子  中牟田武正子爵夫人
●新歌子 加藤泰秋子爵の子加藤泰俊夫人
●多栄子 三条公輝公爵の前妻・本人死別
●幣子  永井直諒子爵の子永井直翠夫人
●梢子  武富政彦夫人


●式子  小早川四郎男爵夫人


●亮子  徳大寺則麿男爵夫人

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●幸子 中牟田武正子爵夫人


●新歌子 加藤泰秋子爵の子加藤泰俊夫人
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●多栄子 三条公輝公爵の前妻・本人死別
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◆毛利元雄
1877-1945


■妻 水戸徳川昭武公爵の娘 政子
1885-1977


●元匡 次代当主
●久子 津軽義孝伯爵夫人
●綾子 岡部長景子爵の子岡部長衡夫人
●桃子 安藤直義男爵夫人


●久子 津軽義孝伯爵夫人


●綾子 岡部長景子爵の子岡部長衡夫人

左端が綾子 立っているのが夫岡部長衡
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●桃子 安藤直義男爵夫人





◆毛利元匡
1909-1941


■妻 山内豊英子爵の娘 鋼子
1915- 


●元海





戸沢子爵家 新庄藩主

  • author: easthall
  • 2004/05/24


東京本邸 1万坪 麻布


◆戸沢正実 最後の藩主
1833-1896


1001


1000



■1度目の妻 小倉藩主小笠原忠徴の娘 茂代子 戸沢正実と離婚・小倉藩主小笠原忠幹と再婚
1834-1904


■2度目の妻 上田藩主松平忠固の娘 章子
1846-1875


■3度目の妻 篠山藩主青山忠良の娘 銀子 板倉勝運と結婚・戸沢正実と再婚


■4度目の妻 吉田藩主松平信順の娘 愛子 戸沢正実と離婚・広瀬藩主松平直巳と再婚
 -1869


■5度目の妻 庄内藩主酒井忠発の娘 錦子 島原藩主松平忠和と結婚・戸沢正実と再婚
1852-1909


●正定 次代当主
●慶子 島津隼彦男爵と結婚
●ます 米津政賢子爵と結婚
●敬子 岩倉具徳男爵と結婚
●富寿 松浦厚伯爵の娘和子と結婚


●富寿 松浦厚伯爵の娘和子と結婚






◆戸沢正定
1861-1888


■妻 有馬道純子爵の娘 直子 相手死別・関宿藩主久世広業と再婚
1869-1917


●正已




◆戸沢正已
1888-1960




■妻 酒井忠彰子爵の娘 錦子
1891-1952




●鶴江 婿養子を迎えて次代当主とする
●靖子 浦山春雄と結婚
●慰子 小野金雄と結婚
●瑛子 尚裕侯爵と結婚
●董子 米田正武と結婚・池田芳蔵と再婚
●三知 婿養子を迎えて次々代当主とする




◆戸沢正弘 井伊直忠伯爵の子 婿養子になるが離婚
1910-


■妻 先代正巳の娘 鶴江
1919-




◆戸沢奎三郎 西脇健治の子 婿養子になる
1919-


■妻 先々代正巳の娘 三知


●友子





土井子爵家 古河藩主

  • author: easthall
  • 2004/05/23


・大地主
・東京本邸 本郷区駒込曙町 (現:文京区本駒込)


土井子爵家は東京の大地主として
大正期の資産高は100万円、昭和期の資産高は270万円あった。

※当時の総理大臣の年給は1万2000円




◆土井利与 最後の藩主
1851-1929 78歳没





■前妻 篠山藩主青山忠良の娘 千嘉子 死別
1854-1889 35歳没


■後妻 黒羽藩主大関増徳の娘 銑子
1870-


●利孝  次代当主
●富美子 大橋篤治夫人
●与志子 井関保久夫人
●利正  平岡アヤと結婚
●辰子  金沢修三夫人
●利大  中広亮子と結婚
●美恵子 高田政治夫人





◆土井利孝
1901-1971 70歳没


■前妻  土井利剛子爵の娘 錦子 離婚
1903-1993 90歳没


■後妻 大久保鋳太郎の娘 幸子
1918-1993 75歳没


●前妻の子 利泰
●前妻の子 博子
●後妻の子 卓也
●後妻の子 幸也
●後妻の子 当子
●後妻の子 典子


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『横から見た華族物語』  昭和07年出版  ※当時の総理大臣の年給は1万2000円

土井利与子爵はこれがまた恐ろしい旧弊な御前。
新しいことは大の嫌いで、日常の生活をちょっと言ってみるならば、
屋敷の奥まった一室に白の下着に羽二重の着付けで脇息にもたれ
白綸子の座布団の上に端然と座り、
左右に侍る腰元ども相手に「苦しうない、近う寄れ」をやっていたものだ。
退屈になると「弓術を致す」とあって庭へ出る。
70を越した老年後もその時の元気は30代に見えた。
元気なのは弓術のみでなく、
腰元どもを相手に近う寄れをやる時にも壮者をしのぐ精力家であったとか。
その元気にまかせて子供を産ませた召使だけでも3人ある。73の時にも子供を1人生ませている。
この調子で100まで生きたらまだまだ3人や4人は産ませるだろうとの噂であったが、
昭和03年に78歳でポキリと死んでしまった。

跡取り息子の利孝子爵はこれはまたなんとしたことか親父には似ても似つかぬ新しがり屋で、
その新しがりにまかせていろいろな事をやり、
ついには礼遇停止を食って一時問題となった人物だが、
老子爵が世の中との関係を断って大弓をいたしている間は同じ8万石の殿様でも
土井家はなかなか内福だという噂で東京の多額納税者の一人であったが、
嗣子利孝子爵の代になると邸内の空気がガラリと変わって
一度に夜が明けたように明るくなったが、それとともに土井家の屋台骨がぐらつきだした。

新しい事を好む利孝子爵はまず写真道楽を始めた。
それから当時日本にはまだ一台もないという立派な活動写真機を買い込んで方々担ぎ回った。
小笠原長隆子爵が小笠原プロダクションに始めたのもこの頃であるが、
いわゆる類をもって集まるの例で
利孝子爵もこの俗にボロダクションと言われた小笠原プロに入って技師となり、
怪しい手つきでハンドルを回したものである。
これが縁となって女優や活動技師やそれに関係のある人々との交際が始まった。
そしていい気になっている間に活動山師という恐ろしい狼に噛みつかれて
親父の老子爵が大弓を致したり若い腰元どもを相手に精力の発散をやっている隙を狙って
どしどしお金を持ち出して使った。
ロシアに素敵な金鉱があってちょっと掘ると100万円ぐらいの金はすぐ出るというが
ひとつやってみてはどうかというような話が出てくる。
よかろうというので金をつぎ込む。ところが儲かるはずのが、元も子も返ってこない。
嫌気がさして手を引くと、相手の男から35万円の損害賠償の訴えが出た。
驚いたのは老子爵でさっそく準禁治産の申請をしたが、
調べてみるとあちらでも30万こちらでも40万と法律上当然利孝子爵が負担すべき借金が
方々から出てきてその総高が180万円ということになった。
これでは土井家がいくら多額納税者でも手のつけようがない。
すったもんだと揉み合っているうち老子爵はポキリと死んでしまったので
当然利孝子爵が跡を継いだが、
問題はいよいよこんがらがってきてついに礼遇停止ということになった

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小笠原子爵家 唐津藩主

  • author: easthall
  • 2004/05/22


東京本邸 豊多摩郡代々幡村幡ヶ谷 (現:渋谷区幡ヶ谷)

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◆小笠原長行 元当主小笠原長昌の子
1822-1891 文政05-明治24 68歳没



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■妻 先代長国の娘 満寿子 離婚
1848- 嘉永01-


●長生  次代当主
●艶子  軍人佐藤鉄太郎と結婚
●丁   書道家小堀鞆音の娘ツネと結婚
●壬午郎 名村壬午郎となる




◆小笠原長生
1867-1958 慶応03-昭和33 90歳没

*自宅でライオンを飼っていた。







■妻 前橋藩主松平直方の娘 秀子
1879- 明治12-




●長隆  映画監督小笠原明峰 除籍される
●武子  藤堂高寛子爵と結婚
●長英  俳優 除籍される
●信子  本庄宗久子爵と結婚離婚・医師今井泰蔵と再婚
●日佐子 実業家佐々木隆一と結婚
●宏子  下関市長松信助の子長松久と結婚→娘は女優松井康子/牧和子
●長勝  次代当主


●長隆
1900-1946 明治33-昭和21 45歳没
映画監督になり、小笠原明峰と名乗る
芸能界入りにより男爵家より除籍される


左 信子  右 日佐子 

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●信子 本庄宗久子爵と結婚離婚・医師今井泰蔵と再婚相手死別

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●日佐子 実業家佐々木隆一と結婚

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●長英
1902-1974 明治35-昭和49 72歳没
俳優楠英二郎のちに小笠原章二郎と改名
芸能界入りにより男爵家より除籍される





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小笠原信子の取材 本庄宗久子爵と結婚離婚・医師今井泰蔵と再婚相手死別

当時海軍中将小笠原長正子爵の三女信子さんが本庄宗久子爵と結婚したのは、
大正12年2月16歳の時だった。
翌年には嗣子宗正さんが生まれ、その頃は人もうらやむ幸福な生活だった。
しかし夫は当時の金額にして数十万円の負債を作った。
追いかけるように取引銀行が倒産した。
一家は邸宅を売り払って、実家小笠原家の一隅に身を寄せなければならなくなった。
このころから夫の放蕩が始まった。
鎌倉の二号宅に入り浸って、たまに帰宅すれば金の無心だったのだ。

「信子、500円ばかり用立ててくれないか。どうしても今日中に必要なのだ」
10日も顔を見せなかった夫が酒気をおびて帰宅すると、またもや金の無心だった。
「頼む。手元になければ父上にお願いしてくれ」
「いいえ、これ以上どうしてお願いできましょう」
この言葉を聞くと、夫は急に気でも狂ったように彼女に飛びかかった。
殴る蹴るの乱暴に膝を崩すまいと必死に身を支えながら、彼女は今こそはっきりと離婚を決意した。
結婚7年目の冬だった。

華族社会の離婚沙汰は当時のビッグニュースだった。
2年の歳月が流れ暗い破婚の記憶が薄れかけた頃、
信子さんは胸部疾患におかされて床につくようになった。
しかし病気は彼女に第二の人生を与えたのだった。
京都の兄の元に身を寄せていた信子さんを診察したのが、兄の親友である今井泰蔵医師だった。
鹿児島県の素封家の出で、京大医学部を卒業後、ドイツに留学し、京都で内科医院を開いていた。

昭和8年に二人は結婚した。
亡くなった先妻の遺した2人の娘と信子さんの生んだ2人の息子との6人家族の平穏な月日が過ぎた。
それも10年、夫は狭心症で急死し、幸福には終止符が打たれてしまったのだった。

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◆小笠原長勝
1919-1994 大正08-平成06 75歳没


■妻 啓子





相良子爵家 人吉藩主

  • author: easthall
  • 2004/05/21


◆相良長福
1824-1855


■妻 大村藩主大村純昌の娘 操子


●頼紹 次々代当主
●女子 蓑田司馬と結婚




◆相良頼基 先代頼福の弟
1841-1885


中央が頼基

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■前妻 米沢藩主上杉斉憲の娘 栄子 結婚3回
人吉藩主相良頼基→飛鳥井雅望伯爵→山内豊範侯爵
1848-1886


■後妻 公家徳大寺公純の娘 永子
1853-1877


●頼綱 次々代当主
●弘子 京極高備子爵と結婚
●基直 加治木家島津久宝の娘直子の婿養子になり島津久賢男爵となる




◆相良頼紹 先々代頼福の子
1854-1924


■妻 公家徳大寺公純の娘 中子
1857-1940


●貞子 福岡秀猪子爵と結婚
●鴻子 杉村虎一と結婚




◆相良頼綱 先々代頼基の子
1876-1966



■妻 稲葉久通子爵の娘 寿子
1885-


●頼知 次代当主
●嶋子 真田幸治伯爵と結婚
●充子 伊藤銃次郎と結婚
●綱二




◆相良頼知 先代頼綱の子
1904-


■妻 秋葉徳治郎の娘 イネ
1907-1991


●知重
●頼正
●清子
●勝子
●知達