黒田清綱子爵家 官僚

  • author: easthall
  • 2005/06/03


◆黒田清綱●子供ナシ
1830-1917 天保01-大正06



■妻 平岡等の娘 貞子
天保08-明治37





◆黒田清輝 洋画家
1866-1924 慶応02-大正13
先代清綱の甥/黒田清兼の子



■妻 藤井直次郎の娘 久子 離婚
明治08-


★妾 芸者 金子種子/照子


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萬朝報 明治31年08月25日

子爵黒田清綱嗣子清輝は誰も知る裸体画の大熱心家なるが、
彼は裸体画の好模型を求むるを口実として数次柳橋に遊び、
ついに元柳町の芸妓山田屋【おたか】の妹照子こと乾サク(18)といえる美人を選みて落籍させ、
昼夜の分かちなく裸体のままそばに引きつけいたるが、
ようやくにして一個の裸体画を作り上げこれを白馬会に出品せり。
しかしてサクは今なお妾として逗子の別荘に置かる。


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正13年07月02日

宮内官僚酒巻芳男

黒田清輝病気重体なり。清輝には正妻なく妾照子を正妻と為す事の希望あり
宮内大臣牧野伸顕より相談ありたるゆえ、
「宗秩寮としては聞き届けらるる事は望まず。先例は二様になりおり。
これを許す方の先例は桂太郎の妻可那子は井上馨の養女と為りて結婚を許可されおり、
これを聞き届けざる例も最近にあり」との事を告げたるに、
宮内大臣は「これを拒む旨を告げ置くべし」と言いたり。


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◆黒田文紀
大正12-
先代清輝の姉の孫/橋口孝長の子





阪谷芳郎子爵家 官僚

  • author: easthall
  • 2005/06/02


東京本邸 小石川区原町 (現:文京区千石)  敷地3000坪

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◆阪谷朗廬/阪谷希八
1822-1881 文政05-明治14 59歳没



■妻 山成直蔵の娘 恭子 イトコ結婚
1832-1924 天保03-大正13 92歳没




●礼之介
●次雄
●達三
●芳郎


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朗廬&恭子の曾孫 阪谷芳直

朗廬は顔が長くて「馬面」と言われた容貌の持ち主で
いわゆる良い男の部類には到底入らなかったし、
ひどく歯が悪くて豆腐ばかり食べている不景気な面もあった。
山成直蔵は甥である朗廬の人物や学殖はもちろん高く買ってはいたが、
娘の恭子を嫁にやるという点になると
直蔵も娘心を推し量って果たして恭子が首をタテにふるかどうか危ぶんだ。
ところが直蔵が気持ちを聞くと
恭子は言下に「希八っつあん、好きや」と答えたので話はバタバタと決まった。

物にこだわらない飄逸でユーモラスな性格の
いささかも偉ぶることのない親切で働き者の「婆サ」は、
5人の息子のうちただ一人生き残った四男の芳郎が
異数の出世を遂げ華族に列せられ大邸宅を営むようになってもそうした生活を喜ばず
自分の息子の芳郎の謹直ぶりに辟易して「芳っさんは、どうも堅苦しゅうていかん」と言って
芳郎の大邸宅を出て次男次雄の遺児良之進とともに
本郷西片町の小さな家でささやかに暮らすことの方を喜んだ。

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◆阪谷芳郎
1863-1941 文久03-昭和16 78歳没




■妻 渋沢栄一子爵の娘 琴子
1870- 明治03-



●希一  次代当主
●敏子  堀切善次郎夫人
●和子  高嶺俊夫夫人
●俊作  
●八重子 中村貫之男爵夫人
●千恵子 秋庭義衛夫人
●総子  伊藤熊三夫人


左から 千恵子 八重子 総子



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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

渋沢栄一子爵は経済上の意見を徴するとの名の下に、
都筑馨六・添田寿一・久米金弥・瀬田健次郎・棚橋一郎・杉江輔人らを
飛鳥山の別邸に招いて酒宴を開いた。阪谷男爵もその席に列した一人である。
その時盛装した美少女があって、
時々席に姿を現しては客に茶をすすめ酒を注ぐ風情の何とも言えぬ艶やかさに、
一同は酔えるごとく期せずして視線をこの美少女に集中した。
よいほどに宴を徹して解散となったが、
それから数日を経て穂積博士〔渋沢栄一の娘婿〕は阪谷男爵の下宿を訪ね、
渋沢子爵の娘を妻に迎えんことを勧めた。
あまり突然の話に阪谷男爵も始め耳を疑ったが、よく聞けば酒宴に現れた美少女が当の娘で、
過日の集まりは実は愛娘の婿選びをする目的で開かれた宴会であることがわかった。
しかも多数才人の中から阪谷男爵を選んで白羽の矢が放たれたということであったから、
どうしてこれを断ることができよう。男冥利に余った話とあって即座に承諾した。
他の一同はこれを伝え聞いて、さてはそうであったかと引立役になった愚を後悔するやら、
岡焼き半分に欺かれたことを憤るやら、
なかでも都筑男爵のごときは渋沢子爵の娘に意があって陰に運動を試みつつあった折柄とて、
その落胆失望の様はよその見る目も気の毒なほどであったということだ。

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◆阪谷希一
1889-1957 明治22-昭和32 68歳没




■妻 三島弥太郎子爵の娘 寿子



●正子
●朗子
●芳直
●理子
●順子
●春子
●秀直





中牟田倉之助子爵家 軍人

  • author: easthall
  • 2005/06/01


◆中牟田倉之助
1837-1916 天保08-大正05
もと金丸文雅の子 婿養子になる



■前妻 先代武貞の娘 清子 死別
1846-1868 20歳没


■後妻 士族石井彦蔵の娘 梅子
1847-1909 弘化04-明治42



●前妻の子 浜子 軍人相良頼見夫人
●前妻の子 今子 塚原周造夫人
●後妻の子 武正 次代当主
●後妻の子 常子 医学者入沢達吉夫人
●後妻の子 鶴子 工学者伊藤忠太夫人
●後妻の子 貞子 政治家小寺謙吉夫人





◆中牟田武正
1877-1918 明治10-大正07



■妻 毛利元敏子爵の娘 幸子
1888-1981 明治21-



●松子 松田寿男夫人
●明子 萩原徹夫人
●好子 三橋一夫夫人
●武信 次代当主
●昭子 坂本善吉夫人





◆中牟田武信
1914-1973


■妻 阿川順一の娘 裕子
1925-


●雅子
●典子