直球和館

2024年

2011/02

東京本邸 麻布区富士見町(現:港区南麻布)
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◆12代 徳川斉荘   将軍徳川家斉の子・養子になる
1810-1845


■妻  徳川猶子/友子 田安徳川斉匡の娘 
1807-1872


●庶子 徳川昌丸    一橋徳川家当主となる
●庶子 徳川利子    広島藩主浅野慶熾と結婚
●庶子 徳川釧子/釣子 岩村藩主松平乗命の前妻


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◆13代 徳川慶臧 田安徳川斉匡の子・養子になる
1836-1849 13歳没


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◆14代 徳川慶勝/松平義恕/徳川慶恕 高須藩主松平義建の子・高須四兄弟の1番目
1824-1883 59歳没


■妻  丹羽矩子 二本松藩主丹羽長富の娘 
1831-1902 71歳没


●庶子 徳川義宜  16代当主
●庶子 徳川義恕  徳川義恕男爵となる 津軽承昭伯爵の娘弘子と結婚

●庶子 徳川道子  松平義生子爵の前妻
●庶子 徳川登代子 18代当主徳川義礼の前妻・離婚
●庶子 徳川良子  18代当主徳川義礼の後妻
●庶子 徳川富子  公爵毛利元昭と離婚・子爵戸田康泰の3/3番目の妻


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◆15代 徳川茂徳 14代徳川慶勝の弟/高須藩主松平義建の子・高須四兄弟の2番目
1831-1884 52歳没

父の跡を継いで高須藩11代藩主となる→松平義比
次に尾張徳川家15代当主となる   →徳川茂徳
次に一橋徳川家10代当主となる   →徳川茂栄


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◆16代 徳川義宜 14代慶勝の子
1858-1875 17歳没


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◆17代 14代徳川慶勝が再度


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◆18代 徳川義礼 高松松平頼聰伯爵の子・婿養子になる
1863-1908 44歳没

*婿養子となったが放蕩が続いたため除籍されかけた。


■前妻 徳川登代子 17代慶勝の娘・離婚
1857-1908 51歳没


■後妻 徳川良子  17代慶勝の娘・前妻の妹
1869-1924 55歳没


●後妻の子 徳川米子 婿養子を迎え19代当主とする


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『明治閨秀美譚』明治25年出版

侯爵徳川義礼氏の夫人は旧尾張藩主徳川慶勝君の第二女なり。
姉君についで義礼君に配す。義礼君元高松家の公達出でて徳川家を継ぐ。
かつて海外を漫遊し帰朝ののち品行やや修まらず、朝に新橋の花を弄し夕に柳橋の月を賞し楽しんで帰るを忘れ、孤閨紅涙宵々夫人の夢魂を騒がせしも、母公を慰め奴婢を戒め夫の過失を覆うて人に知らしめざらん事を努む。

義礼君離縁の議起こり、旧臣二派に分れて争論沸鼎のごとし。
義礼君難を避けて名古屋に閉居するや夫人悲泣してしばしば帰邸を促せども、義礼君難いまだ定まらざるをもって帰るを肯んぜず。
幾ばくもなく紛議の局を結んで平和の団円を見しは、夫人の堅志またあずかって大なりと言う。
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◆19代 徳川義親 福井藩主松平春嶽の子・婿養子になる
1886-1976 89歳没

*困窮した多くの華族家の財産整理を手助けし、「理財の殿様」と呼ばれた。

*昭和6年(1931)軍部と右翼が手を組んだクーデター「三月事件」に当時の金額で20万円の資金提供をした。


■妻  徳川米子 18代義礼の娘
1892-1980 88歳没


●長男 徳川義知  20代当主
●二男 徳川義龍  伯爵大給義龍となる 朝香宮鳩彦王の娘湛子女王と結婚

●長女 徳川絹子  侯爵大炊御門経輝と結婚
●二女 徳川春子  侯爵西郷吉之助の前妻・離婚
●三女 徳川百合子 侯爵佐竹義栄と結婚


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◆20代 徳川義知 19代義親の子
1911-1992 81歳没

*イギリスに留学


■妻  松平正子 宮内大臣松平恒雄の娘・姉は秩父宮勢津子妃
1913年生


●男子 徳川五郎太 

●長女 徳川三千子 婿養子を迎え21代当主とする
●二女 徳川博子  高橋是修と結婚


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徳川義知

父は私のようなドラ息子が出てきてお宝を売ってしまってはいけないと思い、法人徳川黎明会を作ったんでしょうね。
見せるための美術館ではなく、保存するための美術館だったわけです。
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徳川正子 松平正子

来客があって客間に置き物を飾りたい。
そのためには事務所へ行っていちいち許可を取らなければならない。
2~3日経つともう事務所から「まだお使いでございますか」と催促なんですよ。
ゆっくり眺めている暇もございません。
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◆21代 徳川義宣  堀田正恒伯爵の子堀田正祥・婿養子になる
1933-2005


■妻  徳川三千子 20代義知の娘
1936年生


●長男

◆12代 徳川斉荘   将軍徳川家斉の子・養子になる
1810-1845


■妻  徳川猶子/友子 田安徳川斉匡の娘 
1807-1872


●庶子 徳川昌丸    一橋徳川家当主となる
●庶子 徳川利子    広島藩主浅野慶熾と結婚
●庶子 徳川釧子/釣子 岩村藩主松平乗命の前妻


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◆13代 徳川慶臧 田安徳川斉匡の子・養子になる
1836-1849 13歳没


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◆14代 徳川慶勝/松平義恕/徳川慶恕 高須藩主松平義建の子・高須四兄弟の1番目
1824-1883 59歳没





高須四兄弟左から (1)桑名松平定敬 (3)会津松平容保 (2)一橋徳川茂栄 (1)尾張徳川慶勝
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■妻  丹羽矩子 二本松藩主丹羽長富の娘 
1831-1902 71歳没

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●庶子 徳川義宜  16代当主
●庶子 徳川義恕  徳川義恕男爵となる 津軽承昭伯爵の娘弘子と結婚

●庶子 徳川道子  松平義生子爵の前妻
●庶子 徳川登代子 18代当主徳川義礼の前妻・離婚
●庶子 徳川良子  18代当主徳川義礼の後妻
●庶子 徳川富子  公爵毛利元昭と離婚・子爵戸田康泰の3/3番目の妻


左から 良子 富子 米子 義恕 矩子夫人
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左:徳川富子 右:徳川良子



●徳川義恕 徳川義恕男爵となる 津軽承昭伯爵の娘弘子と結婚

左:徳川義礼 右:徳川義恕
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●徳川富子 公爵毛利元昭と離婚・子爵戸田康泰の3/3番目の妻



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◆15代 徳川茂徳 14代徳川慶勝の弟/高須藩主松平義建の子・高須四兄弟の2番目
1831-1884 52歳没

父の跡を継いで高須藩11代藩主となる→松平義比
次に尾張徳川家15代当主となる   →徳川茂徳
次に一橋徳川家10代当主となる   →徳川茂栄


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◆16代 徳川義宜 14代慶勝の子
1858-1875 17歳没


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◆17代 14代徳川慶勝が再度


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◆18代 徳川義礼 高松松平頼聰伯爵の子・婿養子になる
1863-1908 44歳没

*婿養子となったが放蕩が続いたため除籍されかけた。

イギリスにて





■前妻 徳川登代子 17代慶勝の娘・離婚
1857-1908 51歳没


■後妻 徳川良子  17代慶勝の娘・前妻の妹
1869-1924 55歳没



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●後妻の子 徳川米子 婿養子を迎え19代当主とする


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◆19代 徳川義親 福井藩主松平春嶽の子・婿養子になる
1886-1976 89歳没

*困窮した多くの華族家の財産整理を手助けし、「理財の殿様」と呼ばれた。

*昭和6年(1931)軍部と右翼が手を組んだクーデター「三月事件」に当時の金額で20万円の資金提供をした。

1021(1)






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■妻  徳川米子 18代義礼の娘
1892-1980 88歳没





1021(2)


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1929年『海を渡り行く人』
「南洋バタヴィアで開催の汎太平洋学術会議に出席する徳川義親侯爵は、4月末夫人同伴鹿島立ちました。
侯爵は会議終了後、痛快な猛獣狩りをするはずであります」
1929-2023



●長男 徳川義知  20代当主
●二男 徳川義龍  伯爵大給義龍となる 朝香宮鳩彦王の娘湛子女王と結婚

●長女 徳川絹子  侯爵大炊御門経輝と結婚
●二女 徳川春子  侯爵西郷吉之助の前妻・離婚
●三女 徳川百合子 侯爵佐竹義栄と結婚


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◆20代 徳川義知 19代義親の子
1911-1992 81歳没

*イギリスに留学


■妻  松平正子 宮内大臣松平恒雄の娘・姉は秩父宮勢津子妃
1913年生

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●男子 徳川五郎太 

●長女 徳川三千子 婿養子を迎え21代当主とする
●二女 徳川博子  高橋是修と結婚


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◆21代 徳川義宣  堀田正恒伯爵の子堀田正祥・婿養子になる
1933-2005


■妻  徳川三千子 20代義知の娘
1936年生


●長男

東京本邸 麻布区飯倉町(現:港区東麻布)1万2000坪


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◆14代 徳川茂承 西条藩主松平頼学の子松平頼久が養子になる
1844-1906 62歳没


■前妻 伏見宮則子女王 伏見宮邦家親王の娘 
1850-1874 23歳没


■後妻 本多広子    越後新発田藩系本多忠興の娘 
1856-1886 30歳没


●前妻の子 徳川久子 婿養子を迎え15代とする
●前妻の子 徳川孝子 伊達宗陳侯爵の後妻
●後妻の子 徳川保子 松平頼和子爵と結婚


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◆15代 徳川頼倫 田安徳川慶頼の子 婿養子になる
1872-1925 52歳没


■妻  徳川久子 14代徳川茂承の娘
1873年生


●男子 徳川頼貞 16代
●男子 徳川宣方
●男子 徳川治  落馬で死亡


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◆16代 徳川頼貞 15代徳川頼倫の子
1982-1954 明治25-昭和29 61歳没

*ケンブリッジ大学に留学


■妻  島津為子 島津忠義公爵の娘 姉は山階宮常子妃・久邇宮俔子妃
1898-1989 明治31-平成01 91歳没


●男子 徳川頼韶 17代
●女子 徳川宝子 婿養子を迎える


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『横から見た華族物語』昭和07年出版 ※当時の総理大臣の年給は9,600円

先代の頼倫侯爵は物柔らかな利口な人物であったが、当主の頼貞侯爵はあまり評判が良くない。
頼倫侯爵が死んだ時、頼貞侯爵は3000万円の財産を相続して80万円の相続税を納めた。
その前には十五銀行の騒ぎに56万なにがしの損害をこうむった。
それやこれやで財政が苦しくなったので、昭和3年に什器の売り立てをやって臨時収入200万円を手に入れた。
頼貞侯爵は旧弊な家職どもに取り囲まれているにもかかわらず、皮肉にも日本より外国のことを好む。
特にフランスのことを好む。
だから紀州家の本邸は万事フランス式でやっているが、特に台所は一切フランス張りでその料理が頼貞侯爵の何よりの自慢だとある。
これは先年頼貞侯爵が大阪ホテルで食事をした時料理が非常にお気に召したところから、そこのコックを高い給金をはらって本邸へ雇い入れてから始まったという話だ。

紀州家では予算制度がやまかしくて、1年の経常費を50万円と計上している。
先代頼倫侯爵の時には80万円であったが、当時は使用人が70人もいた。
今は西洋風の簡単な生活で、頼貞侯爵の召使としては4人きりである。
それで年50万円といえば、月に割って2万5000円の勘定となる。
どんな贅沢でもできそうに思われるが、頼貞侯爵に言わせると自由に使える金といってはあまりないそうだから、生活費以外に無駄な金がよほど消えるのであろう。

昭和5年の春、欧米漫遊の旅に立った。
一行は7名それで旅費として月に1万円ずつ費やす予算であったが、行ってみるとその倍額の要求となり、外遊2年の間に50万円に近い金を使ってしまった。
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和歌山徳川家の相談役 経済学者上田貞次郎の日記 昭和2年4月

徳川家の問題はもちろん財政整理である。
今春は予定通り什宝売却を断行して好成績であった。
売上160万円に達した。手取り124万9000円。
しかし十五銀行破綻のために毎年7万円の収入減となる。
頼貞侯爵も大いに節約の意思はあるが、実行はできない。
本邸は今年も予定超過で、総額20万円以上使っている。
今借金は210万円で昨年末に比すれば70万円減じたが、結局本邸も売却しなければ整理はできない。
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和歌山徳川家の相談役 経済学者上田貞次郎の日記 昭和4年9月

徳川家の借金はまだ250万円ある。
先代からの引き継ぎの時350万円あったのが、什器売却で100万、土地売却で200万作ったにも関わらず100万しか減らないのは、現在支出超過が毎年2,30万円ずつあるからだ。
頼貞侯爵は今外遊中だが毎月1万円の旅費を予定していたのに、5月以来すでに8万円すなわち倍額出ている。
何事にしても主人が締まらなければ何もならぬ。
この顧問の仕事は実に馬鹿馬鹿しい。
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昭和9年6月19日の東京朝日新聞に
『徳川侯爵家を恨み老植木師が服毒 積立金を返さぬと』という記事が出る。
長年紀州徳川家に雇われていた植木職人が紀州徳川家事務所に給料から天引きで積み立て貯金をしていたのに、退職の際に総額804円を返してもらえなかった。
何度事務所にかけあっても拒否されたので、徳川家の中で猫イラズを飲んで抗議の自殺をした。
後日遺族に1000円の弔慰金を支払うことで決着した。
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徳川頼貞は東京大崎に洋風の大邸宅を作り<パレス・クィーン・エリザベス>と名づけた。
パーティーを開くときは、金ピカの制服を着た召使を玄関に立たせ、ヨーロッパ宮廷風に招待客の名前を読み上げさせた。
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徳川正子 松平恒雄の娘/尾張徳川義知の妻

駐英大使で赴任した父の後を追って私もロンドンに参りましたのですが、ちょうど頼貞様の御外遊の時期でごさいました。
お嬢さんの宝子さんがまだお小さくて、5つぐらいでしたでしょうか。
郊外の方にバトラーがいるお家をお借りになって、看護婦が宝子さんをつきっきりで看ておりました。
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◆17代 徳川頼韶 16代徳川頼貞の子
1917-1958 大正06-昭和33 41歳没


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◆18代 徳川剛 日系二世の青山由太郎の子 婿養子になるが離婚
1924年生


■妻 徳川宝子 17代徳川頼韶の娘 
1926年生


●長女 
●二女 


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戦後宝子は生活のために池袋の西武百貨店と日比谷の三井ビルにレストラン「マルキーズ」を開店して成功するが、夫が勝手に権利を売って逃げてしまい離婚に至る。
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1977年
19770445(3)


1980年
19800338(1)

◆14代 徳川茂承 西条藩主松平頼学の子松平頼久が養子になる
1844-1906 天保15-明治39 62歳没

1879年 37歳
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■前妻 伏見宮則子女王 伏見宮邦家親王の娘 
1850-1874 嘉永03-明治07 23歳没


■後妻 本多広子    越後新発田藩系本多忠興の娘 
1856-1886 安政03-明治19 30歳没


●前妻の子 徳川久子 婿養子を迎え15代とする
●前妻の子 徳川孝子 伊達宗陳侯爵の後妻
●後妻の子 徳川保子 松平頼和子爵と結婚


●徳川孝子 伊達宗陳侯爵の後妻



●徳川保子 松平頼和子爵と結婚



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◆15代 徳川頼倫 田安徳川慶頼の子 婿養子になる
1872-1925 明治05-大正14 52歳没

イギリスで




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■妻 徳川久子 14代徳川茂承の娘
1873年生








●男子 徳川頼貞 16代
●男子 徳川宣方
●男子 徳川治  落馬で死亡


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◆16代 徳川頼貞 15代徳川頼倫の子
1982-1954 明治25-昭和29 61歳没

*ケンブリッジ大学に留学

イギリスで


後列中央が頼貞
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■妻 島津為子 島津忠義公爵の娘 姉は山階宮常子妃・久邇宮俔子妃
1898-1989 明治31-平成01 91歳没







頼貞夫妻 音楽家エフレム・ジンバリストと
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1929年『海を渡り行く人』
「今秋ベルリンで開かれる万国商事会議に出席する徳川頼貞侯爵は、5月夫人同伴渡航しました。
侯爵夫妻は会議後1年半各国を音楽行脚する予定であります」
1929-2023(1)



●男子 徳川頼韶 17代
●女子 徳川宝子 婿養子を迎える


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◆17代 徳川頼韶 16代徳川頼貞の子
1917-1958 大正06-昭和33 41歳没


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■夫 徳川剛  日系二世の青山由太郎の子 婿養子になるが離婚
1924年生


■妻 徳川宝子 17代徳川頼韶の娘 
1926年生


●長女
●二女

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