直球和館

2024年

2011/03

◆6代 徳川昭武
1853-1910

水戸徳川斉昭の子・将軍徳川慶喜の異母弟
のちに当家を離れて水戸徳川家当主となる


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◆7代 徳川篤守 6代昭武の甥/水戸徳川慶篤の子
1856-1924 67歳没

*米コロンビア大学に留学

*いろいろな事業に手を出して破産、経済的に困窮して爵位を返上

1879年 29歳
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■妻  小笠原登代子 小倉藩主小笠原忠幹の娘 離婚
1865-1939


●男子 徳川好敏 8代当主
●男子 徳川守  松平忠威子爵の娘裕香子と結婚
●男子 徳川明  士族川上明となる
●男子 徳川光
●男子 徳川雄  山田雄となる

●女子 徳川芳子 朽木綱貞子爵と結婚
●女子 徳川貞子 吉井信照と結婚
●女子 徳川保子 森有礼子爵の子で牧師森明夫と結婚
●女子 徳川鈴子 牧師小原十三司と結婚
●女子 徳川重子 坪田修吉と結婚


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孫 徳川豪英

祖父はものすごく事業欲に燃えていたらしい。
山を買うとか名誉職につくとか、ともかく大穴を開けてぶっ潰れた。
破産ですね。
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◆8代 徳川好敏 7代徳川篤守の子
1884-1963 78歳没

*フランスの飛行学校に留学

*功績が認められて男爵となる


■妻  松平千枝子 松平忠威子爵の娘
1896-1973 77歳没




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1940年
1940-0941



●男子 徳川豪英  9代
●男子 徳川輝尚  馬場等の娘早知子と結婚

●女子 徳川佐枝子 土屋義弥子爵と結婚
●女子 徳川久美子 古月晴と結婚
●女子 徳川華子  高木恭治と結婚
●女子 徳川富美子 堀川正秀と結婚


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徳川豪英

親父には親戚から名前をあげろという圧力はあったでしょうね。
親父はわりあいハイカラな方で、自転車も珍しい時代にオートバイを乗り回していた。
機械が好きで自然にあの道に入ったんじゃないですか。
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◆9代 徳川豪英 8代好敏の子
1922年生


■妻  伊東和嘉子 伊東重吉の娘
1927年生


●長男

東京本邸 小石川区林町(現:文京区千石)
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1020(2)


1020(3)



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◆7代 徳川慶寿 田安徳川斉匡の子
1823-1847 文政06-弘化04 24歳没


■妻  伏見宮直子女王 伏見宮貞敬親王の娘
1830-1893 文政13-明治26 62歳没


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◆8代 徳川昌丸 尾張徳川斉荘の子
1846-1847 弘化03-弘化04 1歳没


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◆9代 徳川慶喜 水戸徳川斉昭の子
のちに当家を離れて15代将軍となる


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◆10代 徳川茂栄
1831-1884 天保02-明治17 53歳没
高須藩主松平義建の子・高須四兄弟の二番目
父の跡を継いで高須藩第11代藩主となる→松平義比
次に尾張徳川家15代当主となる→徳川茂徳
次に一橋徳川家10代当主となる→徳川茂栄


■妻 丹羽政子 二本松藩主丹羽長富の娘
1838-1909 天保09-明治42 71歳没


●実子 徳川義端 高須藩主松平義端となる
●庶子 徳川達道 11代当主


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◆11代 徳川達道 10代茂栄の子
1872-1944 明治05-昭和19 72歳没


■妻 徳川鉄子 将軍徳川慶喜の娘
1875-1921 明治08-大正10 46歳没


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◆12代 徳川宗敬 水戸徳川篤敬侯爵の子 徳川敬信
1897-1989 明治30-平成01 91歳没

*夫妻でドイツ留学


■妻 池田幹子 池田仲博侯爵の娘 
1902-1996 明治35-平成08 93歳没


●男子 徳川宗信  13代当主

●女子 徳川美代子 甘露寺親房と結婚
●女子 徳川伊津子 阿部正道と結婚


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徳川宗敬の妻徳川幹子←池田仲博侯爵の娘池田幹子

若奥様の毎日はけっこう退屈でした。
朝起きて朝食を食べ終わると、銘仙の着物を着て髪を結い、お風呂に入ります。
お風呂では奥女中が洗ってくれるので、言われる通りにおとなしくしていればいいのです。
お風呂から出ると木綿の浴衣を着て鏡台の前に座りお化粧が始まります。
流し・箪笥・姿見・鏡台がそろった「お納戸」という部屋の縁側の近くに鏡台が置いてあります。
姑鉄子は器用な人でしたから、出かける時は私のお化粧も髪もやってくれました。
自分もいつも丸髷を結っていたし、私には島田や丸髷、銀杏返しなどの髪を結ってくれました。
顔は下地にコールドクリームを薄く伸ばし、練白粉を水で薄めて首や衿にまで刷毛で塗るのです。
支度が整ったところで私は御召ちりめんなどのいい着物を着て、お客様がいつみえてもいいようにしています。
今みたいにすぐに電話で話が通じるわけではないから、お客様は頻繁にいらしゃいました。
けれどお茶菓子は何にしようかなどとアレコレ考える必要はなかったのです。
黙っていてもちゃんとおもてなしのお皿が出てくるから、私の知ったことではなかったの。
実家では座布団に座ったことはなかったけれど、一橋家では若奥様ですから絹の座布団の上にお人形みたいにかしこまって座っていればよかったのです。
とにかく私は何もすることがないの。
何もかも女中たちがやってくれます。
お手元といって、両親が毎月10円づつ小遣いを下さいました。
私は何も使いませんでした。
着物や生活必需品などはすべてそろっているから欲しい物はなかったし、必要なお金は全部家の会計から出る。
うちの会計がどうなっているかなんて、嫁いできたばかりのお嫁さんには知らされません。
働くことはなかったけれども、ただ座っているだけというのも楽ではなかったです。
実家から持ってきた物も自分で荷造りしたのではないから、嫁いできて何がどこに入っているんだかわからなくて、本を読もうったってどうしようもできないのです。

何もすることが無いと言っても、主人より後に起きて先に寝るなんてことは許されません。
結婚当初主人はまだ東京大学農学部に在学していました。
朝は主人と一緒に朝御飯を食べて送り出さなければならないので、先に起きて身支度を整えます。
晩は帰りを待って両親と4人で夕食です。
そこのお家の御家風の中へ嫁として入っていくには理屈を言ったらやっていけません。
これはこうするんですよと言われたら、素直に言うことを聞くしかないのです。
それこそ箸の上げ下ろしまで注意されました。
自主性なんてものは持っていてはいけないのです。
結婚する時「苦労は山ほどあるから承知していなさい」と母に言われて嫁ぎました。

結婚した翌年に長女が生まれました。
婚家の両親は厳格な人たちでしたが、孫が生まれた時はとても喜んでくれました。
私、親孝行したと思いました。
子供を生んだら、それまでより姑のお小言が減ったもの。
子供が生まれたら若奥様の何もしなくていい生活が変わったかというと、そうでもないのです。
極端に言うと、子供を産んでも産みっぱなしでした。
子供が歩けるようになるまで看護婦さんをつけてくれたので、私が特別手をかけることはなかったの。

私は舅達道にあまり気に入ってもらえてはいなかったようです。
ところが、長男宗信が生まれました。
私は産院から帰って来ましたが、お風呂に入って着物をきちんとしてからでないと舅に挨拶できないので寝室にいると、寝室なんぞに絶対に顔を見せたことのない舅が一も二もなく飛んで来まして、
深々とお辞儀をしながら「この度はなんともお手柄で…」と言うのです。
私はこういうのをお手柄というのかしらと思ったけれども、舅のあんなに喜んだ姿、後にも先にも一回も見たことがないほどだったんです。
一橋の徳川家にとっては「ご本腹」と言うんですけれども、本妻が産んだ男の子は80何年ぶりのことだったんです。

初節句の時の舅の張り切りようも前代未聞でしたね。
鯉のぼりを立てる竿を出入りの職人を呼んで注文しました。
そのサオがとてつもなく太くて長い杉丸太でした。
しかも一橋の家は以前本所にあったので、注文した鳶職がみんなそっちの方の人なんです。
本所から林町のわが家まで杉丸太を運んでくる。
ところが警察の許可がおりません。
さんざん談判したあげく、夜が明ける前ならよかろうということになったんです。

家の中の飾りつけもそれは豪勢でしたよ。
三越の内覧会が4月の初めにあって、初日に一番良い物を買ってくるようにと、私と奥女中を行かせて一そろい買ってこさせたんですけれども、
開けてみると「これだけじゃ寂しいから」と言い始めて、ほら貝だの弓矢だの鎧だの毛槍だのいろいろ数え上げてもう一度買ってこいと言うんですよ。
大広間の真ん中にデンと陣取っていろいろ号令をかけてるんですが、
少しでも隙間ができると「何かもう一つ買っといで」と、こうでしょ。
大広間じゅう飾り物だらけで、主人なんぞ舅のあまりの張り切りに唖然としてたぐらいなんです。
うれしい気持ちはわかるけれども、あの謹厳そのものの人が一世一代の大はしゃぎというか、あれほど一人で大喜びするとは、私にはちょっと思いもよらないことでした。
養子の主人には「宗敬はうちの子じゃないんだから。水戸で生まれた子なんだから」と口癖のように言い、私たちにはすごく厳しかったけれど、
「宗信は一橋の子だ」と言って一度もお小言を言ったことはありませんでした。

舅はパンが大好物でした。
戦時下に「今日はパンがございません」と言ったら、
「うちはいつからパンが買えないほど貧乏になったのだ」と不思議そうな顔をしていました。
戦争が始まっているということをいくら説明しても、食料配給ということもわからないんです。
空襲警報が鳴ると舅の部屋に飛んでいくんです。
ところが舅はポカンとして「何があるんだ?」って聞くのね。
「空襲です」って言うと、「空襲ってなんだ?」って不思議そうな顔をするんです。
説明してもわからないし、あの時はほんとうに困っちゃった。
戦争中だという意識が頭の中にまるっきり入ってないの。
だから「敵が来るんです」と言っても、「鉄砲持っといで」って。
うちに猟銃があるからそう言うんだけど、当時の日本の状態がまったく頭に入ってなかったの。
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◆13代 徳川宗信 12代宗敬の子
1929-1993


■妻  小山好子 小山達彦の娘 
1931年生


●長男
●長女


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徳川宗信

父は土臭いことが好きで、それで林業を選んだようですね。
いつかは生産的な仕事をしてみたいという気持ちがずっとあったようです。
母も動物や草木が好きで、以前からヤギをかってみたり盆栽をいじったりはしてました。

戦時中 水戸の圀斉さんの屋敷を陸軍が使っていて兵舎が残っていたものですから、それをもらってきてバラックを建てました。
18坪を3つに仕切って、台所兼食堂の土間・一つが物置・畳は6畳だけです。
唐紙などというものはありません。
仕切りは兵隊さんが使っていた便所の扉で、桟のところに取っ手の穴があいてましたね。
寝るといきなり杉の皮の屋根が見えた。
それでも開拓部落では殿様級でしたよ。
いちおうガラス戸が入っていたし。
なにしろカヤで壁を作っていた家がほとんどだったんですから。

作物が取れないところへもってきて供出でしょう。
あれはつらかった。
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◆7代 徳川慶寿 田安徳川斉匡の子
1823-1847 文政06-弘化04 24歳没


■妻  伏見宮直子女王 伏見宮貞敬親王の娘
1830-1893 文政13-明治26 62歳没



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◆8代 徳川昌丸 尾張徳川斉荘の子
1846-1847 弘化03-弘化04 1歳没


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◆9代 徳川慶喜 水戸徳川斉昭の子
のちに当家を離れて15代将軍となる


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◆10代 徳川茂栄
1831-1884 天保02-明治17 53歳没
高須藩主松平義建の子・高須四兄弟の二番目
父の跡を継いで高須藩第11代藩主となる→松平義比
次に尾張徳川家15代当主となる→徳川茂徳
次に一橋徳川家10代当主となる→徳川茂栄



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高須四兄弟 左から ④桑名松平定敬 ③会津松平容保 ②一橋徳川茂栄 ①尾張徳川慶勝
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■妻 丹羽政子 二本松藩主丹羽長富の娘
1838-1909 天保09-明治42 71歳没






●実子 徳川義端 高須藩主松平義端となる
●庶子 徳川達道 11代当主


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◆11代 徳川達道 10代茂栄の子
1872-1944 明治05-昭和19 72歳没




■妻 徳川鉄子 将軍徳川慶喜の娘
1875-1921 明治08-大正10 46歳没







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◆12代 徳川宗敬 水戸徳川篤敬侯爵の子 徳川敬信
1897-1989 明治30-平成01 91歳没

*夫妻でドイツ留学

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■妻 池田幹子 池田仲博侯爵の娘 
1902-1996 明治35-平成08 93歳没



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ベルリンにて





シンガポールにて
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●男子 徳川宗信  13代当主

●女子 徳川美代子 甘露寺親房と結婚
●女子 徳川伊津子 阿部正道と結婚


達道と
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左から 宗敬 宗信 幹子夫人 伊津子 美代子
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後列2人左から 宗敬・阿部正道
前列4人左から 美代子・幹子夫人・宗信・伊津子  
2019



●徳川美代子 甘露寺親房と結婚



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◆13代 徳川宗信 12代宗敬の子
1929-1993


■妻  小山好子 小山達彦の娘 
1931-


●長男
●長女

東京本邸 芝区三田綱町(現:港区三田)
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◆3代 徳川斉匡    一橋徳川治済の子・養子になる
1779-1848


■妻  閑院宮貞子女王 閑院宮美仁親王の娘
1787-1825


●実子 徳川匡時  
●庶子 徳川郁之助   一橋徳川斉位となる
●庶子 徳川房之助   7代当主徳川慶寿となる
●庶子 徳川錦之丞   福井藩主松平春嶽となる
●庶子 徳川耕之助   5代当主・8代当主徳川慶頼となる
●庶子 徳川鑑丸    名古屋藩主徳川慶臧となる

●実子 徳川近子    一橋徳川斉礼と結婚
●庶子 徳川鑅子    松山藩主松平定通のと結婚
●実子 徳川猶子    婿養子を迎え4代当主とする
●庶子 徳川鐐子    庄内藩主酒井忠発と結婚
●庶子 徳川欽子    弘前藩主津軽信順と結婚
●庶子 徳川愛子    名古屋藩主徳川斉温と結婚
●庶子 徳川千重子   浜田藩主松平武成正と結婚
●庶子 徳川純子    柳河藩主立花鑑寛と結婚
●庶子 徳川筆子    佐賀藩主鍋島直正と結婚


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◆4代 徳川斉荘 将軍徳川家斉の子
1810-1845 35歳没

*名古屋藩主となり当家を離れる


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◆5代 徳川慶頼 3代斉匡の子
1828-1876 47歳没


■前妻 徳川暉子 将軍徳川家慶の娘 
1826-1840 14歳没


■後妻 閑院宮直子/光子/桂子女王 閑院宮孝仁親王の娘 
1819-1906 87歳没


●庶子 徳川寿千代 6代当主 
●庶子 徳川亀之助 7代当主→本家徳川家達となる
●庶子 徳川群之助 9代当主徳川達孝となる
●庶子 徳川藤之助 和歌山徳川頼倫となる

●庶子 徳川鎮子  庄内藩主酒井忠篤と結婚


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◆6代 徳川寿千代 5代慶頼の子
1860-1865 4歳没


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◆7代 徳川亀之助/徳川家達 6代寿千代の弟/5代慶頼の子 
1863-1940 76歳

*徳川本家当主となり当家を離れる


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◆8代 5代徳川慶頼が再度


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◆9代 徳川達孝 8代慶頼の子
1865-1941 75歳没


■前妻 徳川鏡子 将軍徳川慶喜の娘・死別
1873-1893 20歳没


■後妻 島津知子 島津忠義公爵の娘・姉は山階宮常子妃と久邇宮俔子妃
1875-1948 73歳没


●後妻の子 徳川達成  9代当主

●前妻の子 徳川須美子 伯爵溝口直亮と結婚
●前妻の子 徳川穀子  子爵土屋拳直と結婚
●前妻の子 徳川艶子  子爵立花鑑徳と結婚
●前妻の子 徳川繍子  子爵徳川武定と結婚
●後妻の子 徳川恵子  子爵大久保寛一と結婚


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困窮した多くの華族家の財産整理を手助けした 尾張徳川義親侯爵の日記

田安伯を訪ねる。伯は病中なりしも面会出来。
田安家の整理について話す。田安家は前々より財政的に困難なればなり。
三田の田安家に行き、達孝伯に家政整理につきて懇談する。同時に達成君にも話す。
華族会館にて千駄ヶ谷公〔本家德川家達公爵〕にお目にかかり、田安家のことにつきお話を伺う。
非常に御心配かつ御嘆きなり。なんとか良い結末になるよう努力することを申し上げる。
徳川達孝伯、礼に来られる。田安家の整理につき尽力せるためにお礼にお出でとのこと。
今日まで各家の整理につきて尽力せるも、田安伯ぐらい早く決心され整理を一任されて進行するものもなく、また特に感謝されたるもまた初めてなり。
この当然なることが、今まで他家の場合にはなかりし。
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◆10代 徳川達成 9代達孝の子
1899-1961 61歳没


■妻  戸田元子 伯爵戸田氏秀の娘
1907-1989 82歳没


●長男 徳川宗英 11代当主
●二男 徳川宗賢 大学教授浅尾陽子と結婚
●三男 徳川宗広 日本石油大坪太計雄の娘大坪田鶴子と結婚
●四男 徳川宗紀 福井松平智子の婿養子になり松平宗紀となる

●長女 徳川雅子 経営者渡辺正広と結婚
●二女 徳川文子 外務官僚溝口道郎と結婚


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徳川宗賢

当主ならともかく、はずれにいるほど徳川家がどうなっているのか無責任で無関心なんですよ。
家に関係した仕事を持っているなら何か特別な意識があるかもしれません。
しかし徳川の家業は政治だった。
それから切り離されて百年も経ってしまえば家意識は風化してしまう。
むしろ仕事と結びついた家の方が特別な意識があるでしょう。
しかもその周りに家臣団的な家々が付随していますからね。
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毎日新聞 1955年12月11日
「東本願寺 光紹師の新裏方 徳川文子さんに決まる」

しかしこの縁談は破談になる。
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徳川宗賢の娘
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1987年 徳川宗賢の娘
19870922(1)



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◆11代 徳川宗英 10代徳川達成の子
1929年生


■妻  永池裕子 三井信託永池武光の娘
1935年生


●長女


1982年 徳川宗英の娘
19820931(1)

◆3代 徳川斉匡    一橋徳川治済の子・養子になる
1779-1848


■妻  閑院宮貞子女王 閑院宮美仁親王の娘
1787-1825


●実子 徳川匡時  
●庶子 徳川郁之助   一橋徳川斉位となる
●庶子 徳川房之助   7代当主徳川慶寿となる
●庶子 徳川錦之丞   福井藩主松平春嶽となる
●庶子 徳川耕之助   5代当主・8代当主徳川慶頼となる
●庶子 徳川鑑丸    名古屋藩主徳川慶臧となる

●実子 徳川近子    一橋徳川斉礼と結婚
●庶子 徳川鑅子    松山藩主松平定通のと結婚
●実子 徳川猶子    婿養子を迎え4代当主とする
●庶子 徳川鐐子    庄内藩主酒井忠発と結婚
●庶子 徳川欽子    弘前藩主津軽信順と結婚
●庶子 徳川愛子    名古屋藩主徳川斉温と結婚
●庶子 徳川千重子   浜田藩主松平武成正と結婚
●庶子 徳川純子    柳河藩主立花鑑寛と結婚
●庶子 徳川筆子    佐賀藩主鍋島直正と結婚


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◆4代 徳川斉荘 将軍徳川家斉の子
1810-1845 35歳没

*名古屋藩主となり当家を離れる


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◆5代 徳川慶頼 3代斉匡の子
1828-1876 47歳没




■前妻 徳川暉子 将軍徳川家慶の娘 
1826-1840 14歳没


■後妻 閑院宮直子/光子/桂子女王 閑院宮孝仁親王の娘 
1819-1906 87歳没


●庶子 徳川寿千代 6代当主 
●庶子 徳川亀之助 7代当主→本家徳川家達となる
●庶子 徳川群之助 9代当主徳川達孝となる
●庶子 徳川藤之助 和歌山徳川頼倫侯爵となる

●庶子 徳川鎮子  庄内藩主酒井忠篤と結婚

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◆6代 徳川寿千代 5代慶頼の子
1860-1865 4歳没


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◆7代 徳川亀之助/徳川家達 6代寿千代の弟/5代慶頼の子 
1863-1940 76歳

*徳川本家当主となり当家を離れる


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◆8代 5代徳川慶頼が再度


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◆9代 徳川達孝 8代慶頼の子
1865-1941 75歳没



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■前妻 徳川鏡子 将軍徳川慶喜の娘・死別
1873-1893 20歳没

鏡子と祖母徳川吉子(徳川慶喜の生母)
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■後妻 島津知子 島津忠義公爵の娘・姉は山階宮常子妃と久邇宮俔子妃
1875-1948 73歳没

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●後妻の子 徳川達成  9代当主

●前妻の子 徳川須美子 伯爵溝口直亮と結婚
●前妻の子 徳川穀子  子爵土屋拳直と結婚
●前妻の子 徳川艶子  子爵立花鑑徳と結婚
●前妻の子 徳川繍子  子爵徳川武定と結婚
●後妻の子 徳川恵子  子爵大久保寛一と結婚


左から 艶子 繍子 須美子 穀子
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左から 達成 達孝 恵子 知子夫人 繍子
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男性左から 達孝 達成 立花鑑徳子爵
女性左から 繍子 知子夫人 須美子 穀子 艶子
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◆10代 徳川達成 9代達孝の子
1899-1961 61歳没


■妻  戸田元子 伯爵戸田氏秀の娘
1907-1989 82歳没




左から 知子夫人 恵子 達孝 達成 元子夫人
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●長男 徳川宗英 11代当主
●二男 徳川宗賢 大学教授浅尾陽子と結婚
●三男 徳川宗広 日本石油大坪太計雄の娘大坪田鶴子と結婚
●四男 徳川宗紀 福井松平智子の婿養子になり松平宗紀となる

●長女 徳川雅子 経営者渡辺正広と結婚
●二女 徳川文子 外務官僚溝口道郎と結婚


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◆11代 徳川宗英 10代徳川達成の子
1929年生


■妻  永池裕子 三井信託永池武光の娘
1935年生


●長女

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