◆初代 北白川宮智成親王 伏見宮邦家親王の子伏見宮智成親王
1856-1872 15歳没
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◆2代 北白川宮能久親王 1代智成親王の兄
1847-1895 48歳没
*ドイツに留学するがなかなか帰国せず、
ベルタ・フォン・テッタウ男爵未亡人と勝手に結婚して、現地の新聞に結婚広告まで出した。
明治天皇は激怒、単身日本に連れ戻された。
*日清戦争中、台湾に出征しマラリアのため現地で死亡。
*お騒がせ皇族の一人である。側室も多く、庶子も多い。
死後にも認知されていなかった庶子が現れ大問題となった。
ベルリンで
1879年 34歳
■前妻 山内光子 高知藩主山内容堂の娘・離婚 妹は東伏見宮依仁親王妃八重子
1859年生
1879年 22歳
後の梨本宮守正王と
■後妻 伊達富子 伊達宗徳侯爵の娘・島津久光公爵の子と婚約解消・能久親王と結婚
1887-1923 74歳没
*何かと口をはさみたがる、うるさ型の皇族の一人であった。
●庶子 北白川宮恒久王 竹田宮恒久王となる
●実子 北白川宮成久王 3代当主
●庶子 北白川宮輝久王 小松輝久侯爵となる
●庶子 北白川宮芳之 能久親王死後認知され二荒芳之伯爵となる
●庶子 北白川宮正雄 能久親王死後認知され上野正雄伯爵となる
●庶子 北白川宮満子女王 甘露寺受長伯爵と結婚
●庶子 北白川宮貞子女王 有馬賴寧伯爵と結婚
●庶子 北白川宮武子女王 藤堂高紹伯爵と婚約解消・保科正昭子爵と結婚
●庶子 北白川宮拡子女王 二荒芳徳伯爵と結婚
男子左から 成久王・恒久王・輝久王
女子左から 貞子女王・満子女王・武子女王
左から 貞子女王・満子女王・拡子女王・武子女王
●北白川宮恒久王 竹田宮恒久王となる
●北白川宮輝久王 小松輝久侯爵となる
●正雄 上野正雄伯爵となる
●北白川宮満子女王 甘露寺受長伯爵と結婚
●北白川宮貞子女王 有馬賴寧伯爵と結婚
●北白川宮武子女王 藤堂高紹伯爵と婚約解消・保科正昭子爵と結婚
●北白川宮拡子女王 二荒芳徳伯爵と結婚
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◆3代 北白川宮成久王 2代能久親王の子
1887-1923 35歳没
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夫妻でフランスに留学中に交通事故を起こして成久王は死亡、
同乗していた房子妃と朝香宮鳩彦王が重傷を負った。
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■妻 周宮房子内親王 明治天皇の娘
1890-1974 84歳没
1911年
●北白川宮 永久王 4代当主
●北白川宮 美年子女王 蜂須賀正氏侯爵と婚約解消・立花種勝子爵と結婚
●北白川宮 佐和子女王 東園基文子爵と結婚
●北白川宮 多恵子女王 徳川圀順公爵の子徳川圀禎と結婚
1925年
●北白川宮美年子女王 立花種勝子爵と結婚
●北白川宮佐和子女王 東園基文子爵と結婚
●北白川宮多恵子女王 徳川圀順公爵の子徳川圀禎と結婚
1939年
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◆4代 北白川宮永久王 3代成久王の子
1910-1940 30歳没
*陸軍大学校卒業後に赴任した蒙古で飛行機のプロペラに巻き込まれて死亡
■妻 徳川祥子 徳川義恕男爵の娘
1916年生
*24歳で未亡人となる。女官長となり長く香淳皇后に仕えた。
1940年
●北白川宮 道久王 5代当主
●北白川宮 肇子女王 島津忠広公爵と結婚
●北白川宮 肇子女王 島津忠広公爵と結婚
1958年
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◆5代 北白川宮道久王 4代北白川宮永久王の子
1937年生
■妻 島津慶子 島津忠承公爵の娘・兄島津忠広と夫の妹肇子女王が結婚している関係から兄妹同士の相互結婚
1943年生
●長女
●二女
●三女
1982年 北白川宮道久王の娘
1988年 北白川宮道久王の娘
1856-1872 15歳没
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◆2代 北白川宮能久親王 1代智成親王の兄
1847-1895 48歳没
*ドイツに留学するがなかなか帰国せず、
ベルタ・フォン・テッタウ男爵未亡人と勝手に結婚して、現地の新聞に結婚広告まで出した。
明治天皇は激怒、単身日本に連れ戻された。
*日清戦争中、台湾に出征しマラリアのため現地で死亡。
*お騒がせ皇族の一人である。側室も多く、庶子も多い。
死後にも認知されていなかった庶子が現れ大問題となった。
ベルリンで
1879年 34歳
■前妻 山内光子 高知藩主山内容堂の娘・離婚 妹は東伏見宮依仁親王妃八重子
1859年生
1879年 22歳
後の梨本宮守正王と
■後妻 伊達富子 伊達宗徳侯爵の娘・島津久光公爵の子と婚約解消・能久親王と結婚
1887-1923 74歳没
*何かと口をはさみたがる、うるさ型の皇族の一人であった。
●庶子 北白川宮恒久王 竹田宮恒久王となる
●実子 北白川宮成久王 3代当主
●庶子 北白川宮輝久王 小松輝久侯爵となる
●庶子 北白川宮芳之 能久親王死後認知され二荒芳之伯爵となる
●庶子 北白川宮正雄 能久親王死後認知され上野正雄伯爵となる
●庶子 北白川宮満子女王 甘露寺受長伯爵と結婚
●庶子 北白川宮貞子女王 有馬賴寧伯爵と結婚
●庶子 北白川宮武子女王 藤堂高紹伯爵と婚約解消・保科正昭子爵と結婚
●庶子 北白川宮拡子女王 二荒芳徳伯爵と結婚
男子左から 成久王・恒久王・輝久王
女子左から 貞子女王・満子女王・武子女王
左から 貞子女王・満子女王・拡子女王・武子女王
●北白川宮恒久王 竹田宮恒久王となる
●北白川宮輝久王 小松輝久侯爵となる
●正雄 上野正雄伯爵となる
●北白川宮満子女王 甘露寺受長伯爵と結婚
●北白川宮貞子女王 有馬賴寧伯爵と結婚
●北白川宮武子女王 藤堂高紹伯爵と婚約解消・保科正昭子爵と結婚
●北白川宮拡子女王 二荒芳徳伯爵と結婚
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◆3代 北白川宮成久王 2代能久親王の子
1887-1923 35歳没
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夫妻でフランスに留学中に交通事故を起こして成久王は死亡、
同乗していた房子妃と朝香宮鳩彦王が重傷を負った。
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■妻 周宮房子内親王 明治天皇の娘
1890-1974 84歳没
1911年
●北白川宮 永久王 4代当主
●北白川宮 美年子女王 蜂須賀正氏侯爵と婚約解消・立花種勝子爵と結婚
●北白川宮 佐和子女王 東園基文子爵と結婚
●北白川宮 多恵子女王 徳川圀順公爵の子徳川圀禎と結婚
1925年
●北白川宮美年子女王 立花種勝子爵と結婚
●北白川宮佐和子女王 東園基文子爵と結婚
●北白川宮多恵子女王 徳川圀順公爵の子徳川圀禎と結婚
1939年
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◆4代 北白川宮永久王 3代成久王の子
1910-1940 30歳没
*陸軍大学校卒業後に赴任した蒙古で飛行機のプロペラに巻き込まれて死亡
■妻 徳川祥子 徳川義恕男爵の娘
1916年生
*24歳で未亡人となる。女官長となり長く香淳皇后に仕えた。
1940年
●北白川宮 道久王 5代当主
●北白川宮 肇子女王 島津忠広公爵と結婚
●北白川宮 肇子女王 島津忠広公爵と結婚
1958年
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◆5代 北白川宮道久王 4代北白川宮永久王の子
1937年生
■妻 島津慶子 島津忠承公爵の娘・兄島津忠広と夫の妹肇子女王が結婚している関係から兄妹同士の相互結婚
1943年生
●長女
●二女
●三女
1982年 北白川宮道久王の娘
1988年 北白川宮道久王の娘