◆28代 嵯峨実愛 27代正親町三条公厚の弟・26代正親町三条実義の子
正親町三条から嵯峨に改姓
1820-1909 89歳没
■妻 今城登茂 公家今城定章の娘
●二男 嵯峨公勝 1863年生 29代当主
●長女 嵯峨眉延子 1848年生 冷泉為柔子爵と結婚
●二女 嵯峨保子 1852年生 毛利元敏子爵と結婚
●七女 嵯峨餘年子 1857年生 野宮定穀子爵と結婚
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嵯峨実愛『嵯峨日記』
<最初伯爵位を授けられて不満を持つ実愛>
明治17年7月6日
〔太政大臣三条実美が実愛宅を来訪して〕
今般、諸華族一同へ公侯伯子男五爵、授け下さるべきにつき、一族中旧新家差別等級、当否内談なり。
明治17年7月7日
今日午前9時後、小御所代に出御、授爵式あり。
まず公爵、次いで侯爵、次いで伯爵なり。以上多人数なり。
子爵・男爵は明日授けられる由なり。当家伯爵を下さる。
旧摂家は公爵を賜り、旧清華は侯爵を授かる。
また、旧武家のうち徳川家達は公列にあり。これ幕府なり。
三条・岩倉同じく公列にあり。偉勲をもって定められるところか。
また、島津久光・島津忠義など両家、毛利元徳など同じく公列にあり。
これまた偉勲による者なり。
また、旧清華・三条の他8家には、みな侯爵を授く。これ旧家格なり。
また、前田利嗣以下、旧大藩現収15万石以上、同じく侯列にあり。
また、中山忠能には勲功をもって特に侯爵を授くるなり。その他みな伯爵なり。
しかれども、東久世通禧は勲功によって特に伯爵を授ける。
これらの分別をもって推窮するのところ、当家旧家格のごときは諸家堂上の上にあり。
世俗大臣家と称し数代任槐、また諸大夫などを召しつかう。
大略清華に下らず。家格をもってするも侯爵に恥じず。
いわんや維新の功をもって、賞典米千石ならびに一等勲章を賜る。
世人の見聞、大略中山と同じく、その声望、東久世に下らず。
しかれども、授かるところ、上に見るがごとし。
また、中御門経之の功労、予に同じ。これまた伯列にあり。
旧家格をもって定めらるるところか。
また、大原重朝、子爵にあり。
これまた祖父故重徳、賞典米千石を賜るところなり。
かつ故重徳、つとに勤王の志を立て、終始貫徹の名望海外に響く。
しかれども、今度子爵を授けらる。
当家・中御門・小原などの勲功の儀、一切沙汰無きなり。人によるものか。
このほか幸不幸もっとも多し。これにより人心はなはだ不平なり。
〔授爵式のあと三条実美宅を訪問して〕
当家伯爵不満の意、ならびに中御門・大原のことなどに至り、いささか談ず。
明治17年7月12日
中御門経明、来談。叙爵の件なり。
書き記すいとまなし。密談に時を移し、帰去。
明治17年7月15日
中御門家に立ち寄り、経明と面談。
爵の一件なり。大原重朝来会。
席で内々申し合わすところあり。書き記すあたわず。
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◆29代 嵯峨公勝 28代嵯峨実愛の子
1863-1941 78歳没
■妻 中山南加 公家中山忠光の娘
1865年生
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『横から見た華族物語』昭和7年出版
嵯峨公勝侯爵はとてもガッチリしているそうで、
華族仲間では誰に尋ねても「あの老侯はなかなか一筋縄ではいかぬ」と言っている。
もう70を出た年輩だが釣りの名人で、鵠沼へ引っ込んで朝夕釣竿に親しむかたわら、
小鳥なんかを飼って安くない値で仲間へ売りつけている。
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●長男 嵯峨実勝 1887年生 30代当主
●二男 嵯峨次郎 1895年生 牧野康熙子爵となる
●三男 嵯峨実英 1897年生 浅井実英となる
●四男 嵯峨公愛 1900年生 相楽公愛男爵となる
●五男 嵯峨実元 1904年生 中根実元男爵となる
●六男 嵯峨公明 1911年生 土井公明となる・石田屋公明となる
●長女 嵯峨淑子 1884年生 貴族院議員石井省一郎の子石井三郎と結婚
●二女 嵯峨幾久子 1890年生 財閥三井高昌と結婚・絹糸商町田徳之助と再婚
●三女 嵯峨賢子 1898年生 学習院出身 川崎武之助男爵と結婚
●四女 嵯峨厚子 1902年生 学習院出身 小倉義季子爵と離婚・七条光明子爵と再婚
●五女 嵯峨愛子 1908年生 学習院出身 渡良瀬水電重役雨宮鉄郎と結婚
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『岡部長景日記』文部大臣※当時は外務官僚
1929年1月31日
牧野康強子爵、新たに迎えたる養子康熙君を同伴して来邸。
康熙君は嵯峨侯爵の次男にて、川崎男爵夫人の直の兄に当られ、体格偉大・性質快活の青年にして、牧野家の将来は多幸なるやに考えらる。
なお嵯峨侯爵は嗣子の配偶にはぜひ牧野家の血縁あるものの方より迎えたしとの希望条件なりと。
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◆30代 嵯峨実勝 29代嵯峨公勝の子
1887-1966 79歳没
■妻 浜口尚子 ヒゲタ醤油浜口容所の娘 東京女学館出身
1896-1977
●長男 嵯峨公元 1922年生 31代当主
●長女 嵯峨浩 1914年生 学習院出身 愛新覚羅溥傑と結婚
●二女 嵯峨啓子 1916年生 学習院出身 医者池見猛と結婚
●三女 嵯峨泰子 1917年生 学習院出身 福永正造と結婚
●四女 嵯峨幹子 1920年生 学習院出身 イトコの町田勉と結婚
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◆31代 嵯峨公元 30代嵯峨実勝の子
1922-1998 76歳没
■妻 和田篤子 和田利彦の娘
1929年生
●長男
●長女
●二女
正親町三条から嵯峨に改姓
1820-1909 89歳没
■妻 今城登茂 公家今城定章の娘
●二男 嵯峨公勝 1863年生 29代当主
●長女 嵯峨眉延子 1848年生 冷泉為柔子爵と結婚
●二女 嵯峨保子 1852年生 毛利元敏子爵と結婚
●七女 嵯峨餘年子 1857年生 野宮定穀子爵と結婚
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嵯峨実愛『嵯峨日記』
<最初伯爵位を授けられて不満を持つ実愛>
明治17年7月6日
〔太政大臣三条実美が実愛宅を来訪して〕
今般、諸華族一同へ公侯伯子男五爵、授け下さるべきにつき、一族中旧新家差別等級、当否内談なり。
明治17年7月7日
今日午前9時後、小御所代に出御、授爵式あり。
まず公爵、次いで侯爵、次いで伯爵なり。以上多人数なり。
子爵・男爵は明日授けられる由なり。当家伯爵を下さる。
旧摂家は公爵を賜り、旧清華は侯爵を授かる。
また、旧武家のうち徳川家達は公列にあり。これ幕府なり。
三条・岩倉同じく公列にあり。偉勲をもって定められるところか。
また、島津久光・島津忠義など両家、毛利元徳など同じく公列にあり。
これまた偉勲による者なり。
また、旧清華・三条の他8家には、みな侯爵を授く。これ旧家格なり。
また、前田利嗣以下、旧大藩現収15万石以上、同じく侯列にあり。
また、中山忠能には勲功をもって特に侯爵を授くるなり。その他みな伯爵なり。
しかれども、東久世通禧は勲功によって特に伯爵を授ける。
これらの分別をもって推窮するのところ、当家旧家格のごときは諸家堂上の上にあり。
世俗大臣家と称し数代任槐、また諸大夫などを召しつかう。
大略清華に下らず。家格をもってするも侯爵に恥じず。
いわんや維新の功をもって、賞典米千石ならびに一等勲章を賜る。
世人の見聞、大略中山と同じく、その声望、東久世に下らず。
しかれども、授かるところ、上に見るがごとし。
また、中御門経之の功労、予に同じ。これまた伯列にあり。
旧家格をもって定めらるるところか。
また、大原重朝、子爵にあり。
これまた祖父故重徳、賞典米千石を賜るところなり。
かつ故重徳、つとに勤王の志を立て、終始貫徹の名望海外に響く。
しかれども、今度子爵を授けらる。
当家・中御門・小原などの勲功の儀、一切沙汰無きなり。人によるものか。
このほか幸不幸もっとも多し。これにより人心はなはだ不平なり。
〔授爵式のあと三条実美宅を訪問して〕
当家伯爵不満の意、ならびに中御門・大原のことなどに至り、いささか談ず。
明治17年7月12日
中御門経明、来談。叙爵の件なり。
書き記すいとまなし。密談に時を移し、帰去。
明治17年7月15日
中御門家に立ち寄り、経明と面談。
爵の一件なり。大原重朝来会。
席で内々申し合わすところあり。書き記すあたわず。
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◆29代 嵯峨公勝 28代嵯峨実愛の子
1863-1941 78歳没
■妻 中山南加 公家中山忠光の娘
1865年生
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『横から見た華族物語』昭和7年出版
嵯峨公勝侯爵はとてもガッチリしているそうで、
華族仲間では誰に尋ねても「あの老侯はなかなか一筋縄ではいかぬ」と言っている。
もう70を出た年輩だが釣りの名人で、鵠沼へ引っ込んで朝夕釣竿に親しむかたわら、
小鳥なんかを飼って安くない値で仲間へ売りつけている。
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●長男 嵯峨実勝 1887年生 30代当主
●二男 嵯峨次郎 1895年生 牧野康熙子爵となる
●三男 嵯峨実英 1897年生 浅井実英となる
●四男 嵯峨公愛 1900年生 相楽公愛男爵となる
●五男 嵯峨実元 1904年生 中根実元男爵となる
●六男 嵯峨公明 1911年生 土井公明となる・石田屋公明となる
●長女 嵯峨淑子 1884年生 貴族院議員石井省一郎の子石井三郎と結婚
●二女 嵯峨幾久子 1890年生 財閥三井高昌と結婚・絹糸商町田徳之助と再婚
●三女 嵯峨賢子 1898年生 学習院出身 川崎武之助男爵と結婚
●四女 嵯峨厚子 1902年生 学習院出身 小倉義季子爵と離婚・七条光明子爵と再婚
●五女 嵯峨愛子 1908年生 学習院出身 渡良瀬水電重役雨宮鉄郎と結婚
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『岡部長景日記』文部大臣※当時は外務官僚
1929年1月31日
牧野康強子爵、新たに迎えたる養子康熙君を同伴して来邸。
康熙君は嵯峨侯爵の次男にて、川崎男爵夫人の直の兄に当られ、体格偉大・性質快活の青年にして、牧野家の将来は多幸なるやに考えらる。
なお嵯峨侯爵は嗣子の配偶にはぜひ牧野家の血縁あるものの方より迎えたしとの希望条件なりと。
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◆30代 嵯峨実勝 29代嵯峨公勝の子
1887-1966 79歳没
■妻 浜口尚子 ヒゲタ醤油浜口容所の娘 東京女学館出身
1896-1977
●長男 嵯峨公元 1922年生 31代当主
●長女 嵯峨浩 1914年生 学習院出身 愛新覚羅溥傑と結婚
●二女 嵯峨啓子 1916年生 学習院出身 医者池見猛と結婚
●三女 嵯峨泰子 1917年生 学習院出身 福永正造と結婚
●四女 嵯峨幹子 1920年生 学習院出身 イトコの町田勉と結婚
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◆31代 嵯峨公元 30代嵯峨実勝の子
1922-1998 76歳没
■妻 和田篤子 和田利彦の娘
1929年生
●長男
●長女
●二女
