◆27代 華園摂信 公家鷹司政通の子 浄土真宗興正寺
1808-1877


●男子 華園沢称 28代当主
●男子 華園信暁 子爵東坊城任長の娘東坊城成子と結婚・士族鈴木文子と再婚

●女子 華園暢子 福成寺橘得証と結婚
●女子 華園晟子 公家裏辻公愛と離婚・子爵曽我祐準と再婚
●女子 華園糸子 仏光寺渋谷達性と結婚


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1871年2月、華園摂信の娘晟子20歳は公家裏辻公愛50歳と結婚する。
しかし30歳も年上の裏辻には、すでに妾との間に2歳から12歳までの4人の庶子があった。
結婚して4年後の1875年3月、妾との間にさらに男子が産まれた。
父摂信は娘晟子に「当方御可給にてもよろしく婦道を守るを善とす」と忍耐を促す手紙を送った。
摂信は裏辻に度重なる借金の連帯保証人になってもらっていたからである。
1876年8月裏辻は単身上京、晟子は実家で暮らすという別居生活が始まった。
摂信は「妾はめでたく暇遣になり候」と喜んだが、1877年に摂信自身が死んでしまう。
1878年、裏辻は摂信の借金の連帯保証人になっていたため破産する。
さらに1882年には政治に手を出して逮捕される。
晟子は裏辻の子を産むことなく離婚して、曽我祐準子爵と再婚できた。

華園信暁は京都府士族神原タツを妾にしていたが、分家が認められ一戸を構えることができたので、東坊城任長子爵の娘成子と結婚した。
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◆28代 華園沢称 27代摂信の子
1852年生

1879年 29歳
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■妻  萩原徳子 子爵萩原員光の娘 
1859年生


●男子 華園真淳 29代当主
●庶子 華園称善 男爵梶野行康となる
●庶子 華園称淳 丸亀善照寺三原俊栄の娘三原沢子と結婚
●庶子 華園称  日下称となる
●庶子 華園称円 大伴称円となる

●長女 華園穆子 正覚寺有馬憲文と結婚
●二女 華園準子 仏職小笠原厳実と結婚

●庶子 華園寛子 富士澤信隆と結婚
●庶子 華園偕子 阿岸基照と結婚


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◆29代 華園真淳 28代沢称の子
1884年生


■前妻 林千賀子 林竹三郎の娘・離婚
1904年生

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3000



■後妻 井上〈国明〉 井上幸一の娘 
1897年生


●男子 華園真準 30代当主

●庶女 華園咲子 武藤勇哉と結婚
●庶女 華園実子 松谷貞治と結婚


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◆30代 華園真準 29代真淳の子
1925年生


■妻  三林昭子 医者三林隆吉の娘 
1933年生


●長男
●長女
●二女