■東京本邸 下屋敷 本所区新小梅町 2万坪

14代当主徳川圀斉
「墨田区の小梅町にあった水戸家の下屋敷は、畳敷きの廊下だけでまっすぐ一町はありました」
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■東京本邸 豊多摩郡渋谷町下渋谷

■東京本邸 豊多摩郡渋谷区猿楽町


■上屋敷 後楽園 10万坪


■中屋敷 本郷弥生岡 5万坪


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◆9代 徳川斉昭     7代徳川治紀の子/8代徳川斉脩の弟
1800-1860 60歳没


■妻  有栖川宮吉子女王 有栖川宮織仁親王の娘 
1804-1893 88歳没


●実子 徳川親敬     1832年生 10代当主徳川慶篤となる
●実子 徳川昭致     1837年生 15代将軍徳川慶喜となる

●庶子 徳川昭音     1837年生 鳥取藩主池田慶徳となる
●庶子 徳川昭融     1839年生 川越藩主松平直侯となる
●庶子 徳川昭休     1839年生 岡山藩主池田茂政となる 
●庶子 徳川昭音     1842年生 浜田藩主松平武聰となる
●庶子 徳川昭縄     1844年生 喜連川藩主喜連川縄氏となる
●庶子 徳川昭訓     1849年生 松平昭訓となる
●庶子 徳川昭嗣     1851年生 島原藩主松平忠和となる 
●庶子 徳川昭邦     1852年生 土浦藩主土屋挙直となる
●庶子 徳川昭徳     1853年生 11代当主徳川昭武となる 
●庶子 徳川昭則     1855年生 守山藩主松平喜徳となる 
●庶子 徳川昭鄰     1858年生 守山藩主松平頼之となる 

●庶子 徳川賢子/佐加子 1822年生 宇和島藩主伊達宗城婚約者
●庶子 徳川祝子/欽子  1827年生 水戸家家老山野辺義正と結婚
●庶子 徳川松子/明子  1836年生 盛岡藩主南部利剛と結婚
●庶子 徳川八代/孝子  1841年生 仙台藩主伊達慶邦と結婚
●庶子 徳川茂子/貞子  1850年生 有栖川宮熾仁親王と結婚
●庶子 徳川愛子/真子  1852年生 高岡藩主井上正順と結婚
●庶子 徳川正子     1858年生 鹿奴藩主池田徳澄と結婚


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◆10代 徳川慶篤    9代徳川斉昭の子
1832-1868 35歳没


■前妻 有栖川宮幟子女王 有栖川宮幟仁親王の娘 
1835-1856


■後妻 広幡経子     公家広幡基豊の娘 
1837-1876


●庶子   徳川篤敬 1855年生 12代当主
●庶子   徳川篤守 1856年生 清水徳川篤守伯爵となる

●前妻の子 徳川随子 1854年生 松平定教子爵と婚約解消・蜂須賀茂韶侯爵と結婚


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◆11代 徳川昭武 9代徳川斉昭の子 最後の藩主
1853-1910 56歳没


■妻  中院盛子 公家中院通富の娘 
1861-1883


★側室 斉藤八重 斉藤貫行の娘 正妻の死後、側室を持つ


●八重の子 徳川武定 1888年生 徳川武定子爵となる

●実子   徳川昭子 1883年生 東京女子師範学校出身 松平頼寿伯爵と結婚

●八重の子 徳川政子 1885年生 東京女子師範学校出身 毛利元雄子爵と結婚
●八重の子 徳川直子 1900年生 学習院出身 松平斉光男爵と結婚
●八重の子 徳川温子 1901年生 学習院出身 京極高修子爵と結婚


1909年 写真好きだった昭武、現像中
1000



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◆12代 徳川篤敬  10代慶篤の子
1855-1898 42歳没


■妻  松平聡子 高松松平頼聡伯爵の娘 
1869-1934 65歳没


●長男 徳川圀順 1886年生 13代当主
●男子 徳川敬信 1897年生 一橋徳川宗敬伯爵となる

●女子 徳川敬子 1889年生 松浦陞伯爵と結婚


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◆13代 徳川圀順 12代篤敬の子
1886-1969 82歳没

*圀順が亡くなった時、相続税を払うために軽井沢の別荘を手放した。


■前妻 徳川英子 将軍徳川慶喜の娘・死別
1887-1924 37歳没


■後妻 石野彰子 石野基道子爵の娘 京都女学校出身 
1900-1991 91歳没


●長男 徳川圀斉 1912年生 14代当主
●二男 徳川圀禎 1915年生 結婚3回
北白川宮成久王の娘北白川宮多恵子女王→長谷部天信の娘長谷部愛子→大友協介の娘大友桃子
●三男 徳川圀秀 1916年生 松平圀秀子爵となる
●四男 徳川圀弘 1918年生 松平圀弘子爵となる

●長女 徳川典子 1914年生 学習院出身 香川敬男伯爵と結婚


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徳川圀順

どこの大名家でもほとんど養子が入って繋いでいる。
ところが水戸家だけは一度も養子が入っていない。
その血がだんだん腐っていくんですな。

水戸家は非常に気が早くて、藩籍奉還の時に皇室に何でもあげちまったんです。
今の後楽園が本邸でしょう。
もう一つ本郷の弥生岡に中屋敷があったんだが、そういういいところはみんな皇室へあげちまって、一番下等な所へ住まったわけです。
そこが水戸式でしてな。ことを決めるのに非常にせっかちなんですよ。
だからいい場合もあるけども、大変な損をすることもある。
損得の問題になると、水戸家というものはえらい損をしてると思うんだ。

徳川家に3軒ぐらい公爵家があってもいいんじゃないですかね。
いくら悪口を言われたって、とにかく300年のあいだ日本を平和に保っていたんですからね。
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『木戸幸一日記』内大臣※当時は内務大臣

<北白川宮多恵子女王の縁談>

1939年4月29日
北白川宮房子妃・北白川宮永久王に拝謁す。
多恵子女王の御縁談につき御相談あり。
徳川圀順公爵の子徳川圀禎云々、分家新華族創立の点なり。

1939年5月8日
宮内大臣・宗秩寮総裁武者小路公共と面会、北白川宮家の件につき相談す。
御降嫁のため新華族設立は不可なることに意見一致す。

1939年5月9日
北白川宮房子妃・北白川宮永久王に拝謁す。
宮内大臣等と協議の結果を御報告申し上ぐ。
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◆14代 徳川圀斉  13代徳川圀順の子
1912-1986 74歳没


■妻  浅野頼子  浅野長武侯爵の娘 学習院出身 
1923年生


●長男
●二男