■鹿児島藩 江戸高輪屋敷
■東京本邸 芝区袖ヶ崎 敷地3万坪・建物2,500坪
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◆11代 島津斉彬 10代島津斉興の子
1809-1858 49歳没
*生まれつき頑健であったが、中年期からは体調を崩しがちであった。
*1858年7月9日風邪と腹痛を訴え、下痢が始まる。
7月10日には発熱も加わり、1日に30回の激しい下痢が続く。
7月16日死亡。
コレラと診断されたが、細菌性赤痢であったと思われる。
■妻 徳川恒子 一橋徳川斉敦の娘
1805-1858 53歳没
★側室 伊集院須磨
1821-1870 49歳没
※斉彬には複数の側室・庶子がいたが、成人したのは須磨の子供だけである。
●須磨の子 島津暐子 1851年生 12代当主島津忠義の前妻
●須磨の子 島津典子 1852年生 島津珍彦男爵と結婚
●須磨の子 島津寧子 1853年生 12代当主島津忠義の後妻
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◆12代 島津忠義 島津久光公爵の子・婿養子になる 最後の藩主
1840-1897 57歳没
■1番目の妻 島津暐子 11代島津斉彬の娘・死別
1851-1869 18歳没
■2番目の妻 島津寧子 11代島津斉彬の娘・前妻の妹・死別
1853-1879 26歳没
■3番目の妻 板倉棲子 板倉勝達子爵の娘
1886年没
★側室 山崎寿満子
1850-1927 77歳没
★側室 菱刈久子
1872-1960 88歳没
●山崎寿満子の子 島津忠重 1886年生 13代当主
●菱刈久子の子 島津忠備 1891年生 島津忠備男爵となる
●菱刈久子の子 島津忠弘 1892年生 島津忠弘男爵となる
●菱刈久子の子 島津久範 1894年生 島津久範伯爵となる
●菱刈久子の子 島津康久 1895年生 島津忠済公爵の娘島津肅子と結婚
●山崎寿満子の子 島津清子 1871年生 黒田長成侯爵と結婚
●山崎寿満子の子 島津充子 1873年生 池田詮政侯爵と離婚・松平直亮伯爵と再婚
●山崎寿満子の子 島津常子 1874年生 山階宮菊麿王妃
●山崎寿満子の子 島津知子 1875年生 徳川達孝伯爵と結婚
●山崎寿満子の子 島津貞子 1878年生 久松定謨伯爵と結婚
●山崎寿満子の子 島津俔子 1879年生 久邇宮邦彦王妃
●山崎寿満子の子 島津正子 1885年生 徳川家正公爵と結婚
●菱刈子久の子 島津為子 1897年生 徳川頼貞侯爵と結婚
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長※当時は宗秩寮職員
1922年11月2日
※倉富&東久邇宮家事務官金井四郎の会話
倉富◆久邇宮俔子妃はよほど寡言の方なる由。
金井◆これはまったく無言なり。
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◆13代 島津忠重 12代島津忠義の子
1886-1968 82歳没
■妻 徳大寺伊楚子 徳大寺実則公爵の娘
1888-1971 83歳没
●長男 島津忠秀 1912年生 14代当主
●二男 島津晃久 1914年生 鹿島晃久伯爵となる
●三男 島津矩久 1917年生 柳原博光伯爵の娘柳原行子と結婚
●四男 島津斉徳 1919年生 柳沢保承伯爵の娘柳沢佐久子の婿養子になるが離婚
●長女 島津経子 1913年生 島津忠済公爵の子島津久大と結婚
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『横から見た華族物語』昭和7年出版
先年十五銀行がいけなくなった時、社長の松方巌公爵は爵位をも辞退し、その他身についた一切の公職を投げ出して一平民の松方巌となり、どこかの長屋へ今は日陰者の身を運び込んだ。
自分が主宰する銀行があんなことになって、世間様を騒がして何とも申し訳がないという意思を表明したものであるが、実を言うとあれは表面だけのことで、本当の心は旧藩主島津家に対する謝罪のため、あのような態度に出たと言った者があった。
十五銀行の騒ぎでは旧大小名華族のほとんど全部が大なり小なり手傷を負うたが、中でも最もひどくやられたのは島津公爵家であった。
当時島津家では十五銀行へ150万円の預金があった。
そのうえに2万近い新株を持っていてその払い込みがざっと145万円、もし島津家がこの新株を払い込まないようだったら、十五銀行の整理案が成り立たぬというのっぴきならぬ辛い立場に置かれた。
何と言っても九州の島津だ、動産不動産合わせて8000万円は下るまいと言われている金持華族だからそれぐらいの金は右から左へ出すだろうと思われたが、有るようで無いのは金、無いようで有るのは借金というやつ、こればかりはどうにもならぬ。
そこで袖ヶ崎のあの屋敷、明治大帝がしばしば行幸あらせられたという由緒の深い3万坪の屋敷のうち、6千坪だけを残し後を全部売りに出して、そこから浮かんだ240万円の金で銀行の方のカタをつけたものだ。
いくら島津が財産家でもこれはこたえたに違いない。
そこで松方公爵にすれば、旧臣の情誼として主家にそれほどの大穴を開けたからには何とかして申し訳をせねばならぬ道理、昔ならさしずめ切腹ものだが、今ではそんな古手は流行らない。
それで身につくもの一切を投げ出してこれで御勘弁と出たという。
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『牧野伸顕日記』内大臣
1932年9月21日
樺山愛輔伯爵来訪、島津公爵家の金山問題なり。
探鉱の施設として40万円を3年にわたり支出する目論見なるが、同家の財政を回復する方法他に見込なく、関係者一同も一致の意見なれば実行したしとのことなり。
賛意を表し置けり。
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◆14代 島津忠秀 13代島津忠重の子
1912-1996 84歳没
■妻 近衛昭子 近衛文麿公爵の娘・島津忠秀と離婚・整体師野口晴哉と再婚
1916-2004 88歳没
昭子は戦中整体師野口晴哉と駆け落ちして再婚、『昭和のノラ事件』と呼ばれて話題になった。
●長男
●二男
●長女
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酒井美意子 前田利為侯爵の娘・酒井忠元伯爵の妻
近衛文麿公爵の長女昭子さんは、薩摩の殿様 島津忠秀氏に嫁していた。
戦前戦中なら不満が生じても一生我慢したはずである。
だが自由と開放の時代、昭子夫人は我慢しなかった。
終戦間際に島津家を出奔した昭子さんは、出入りの指圧師野口晴哉と同棲、1947年正式に野口氏と結婚して世間をアッと言わせた。
マスコミは口をそろえて離婚を絶賛、昭子さんを「昭和のノラ」と讃えた。
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■東京本邸 芝区袖ヶ崎 敷地3万坪・建物2,500坪
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◆11代 島津斉彬 10代島津斉興の子
1809-1858 49歳没
*生まれつき頑健であったが、中年期からは体調を崩しがちであった。
*1858年7月9日風邪と腹痛を訴え、下痢が始まる。
7月10日には発熱も加わり、1日に30回の激しい下痢が続く。
7月16日死亡。
コレラと診断されたが、細菌性赤痢であったと思われる。
■妻 徳川恒子 一橋徳川斉敦の娘
1805-1858 53歳没
★側室 伊集院須磨
1821-1870 49歳没
※斉彬には複数の側室・庶子がいたが、成人したのは須磨の子供だけである。
●須磨の子 島津暐子 1851年生 12代当主島津忠義の前妻
●須磨の子 島津典子 1852年生 島津珍彦男爵と結婚
●須磨の子 島津寧子 1853年生 12代当主島津忠義の後妻
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◆12代 島津忠義 島津久光公爵の子・婿養子になる 最後の藩主
1840-1897 57歳没
■1番目の妻 島津暐子 11代島津斉彬の娘・死別
1851-1869 18歳没
■2番目の妻 島津寧子 11代島津斉彬の娘・前妻の妹・死別
1853-1879 26歳没
■3番目の妻 板倉棲子 板倉勝達子爵の娘
1886年没
★側室 山崎寿満子
1850-1927 77歳没
★側室 菱刈久子
1872-1960 88歳没
●山崎寿満子の子 島津忠重 1886年生 13代当主
●菱刈久子の子 島津忠備 1891年生 島津忠備男爵となる
●菱刈久子の子 島津忠弘 1892年生 島津忠弘男爵となる
●菱刈久子の子 島津久範 1894年生 島津久範伯爵となる
●菱刈久子の子 島津康久 1895年生 島津忠済公爵の娘島津肅子と結婚
●山崎寿満子の子 島津清子 1871年生 黒田長成侯爵と結婚
●山崎寿満子の子 島津充子 1873年生 池田詮政侯爵と離婚・松平直亮伯爵と再婚
●山崎寿満子の子 島津常子 1874年生 山階宮菊麿王妃
●山崎寿満子の子 島津知子 1875年生 徳川達孝伯爵と結婚
●山崎寿満子の子 島津貞子 1878年生 久松定謨伯爵と結婚
●山崎寿満子の子 島津俔子 1879年生 久邇宮邦彦王妃
●山崎寿満子の子 島津正子 1885年生 徳川家正公爵と結婚
●菱刈子久の子 島津為子 1897年生 徳川頼貞侯爵と結婚
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長※当時は宗秩寮職員
1922年11月2日
※倉富&東久邇宮家事務官金井四郎の会話
倉富◆久邇宮俔子妃はよほど寡言の方なる由。
金井◆これはまったく無言なり。
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◆13代 島津忠重 12代島津忠義の子
1886-1968 82歳没
■妻 徳大寺伊楚子 徳大寺実則公爵の娘
1888-1971 83歳没
●長男 島津忠秀 1912年生 14代当主
●二男 島津晃久 1914年生 鹿島晃久伯爵となる
●三男 島津矩久 1917年生 柳原博光伯爵の娘柳原行子と結婚
●四男 島津斉徳 1919年生 柳沢保承伯爵の娘柳沢佐久子の婿養子になるが離婚
●長女 島津経子 1913年生 島津忠済公爵の子島津久大と結婚
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『横から見た華族物語』昭和7年出版
先年十五銀行がいけなくなった時、社長の松方巌公爵は爵位をも辞退し、その他身についた一切の公職を投げ出して一平民の松方巌となり、どこかの長屋へ今は日陰者の身を運び込んだ。
自分が主宰する銀行があんなことになって、世間様を騒がして何とも申し訳がないという意思を表明したものであるが、実を言うとあれは表面だけのことで、本当の心は旧藩主島津家に対する謝罪のため、あのような態度に出たと言った者があった。
十五銀行の騒ぎでは旧大小名華族のほとんど全部が大なり小なり手傷を負うたが、中でも最もひどくやられたのは島津公爵家であった。
当時島津家では十五銀行へ150万円の預金があった。
そのうえに2万近い新株を持っていてその払い込みがざっと145万円、もし島津家がこの新株を払い込まないようだったら、十五銀行の整理案が成り立たぬというのっぴきならぬ辛い立場に置かれた。
何と言っても九州の島津だ、動産不動産合わせて8000万円は下るまいと言われている金持華族だからそれぐらいの金は右から左へ出すだろうと思われたが、有るようで無いのは金、無いようで有るのは借金というやつ、こればかりはどうにもならぬ。
そこで袖ヶ崎のあの屋敷、明治大帝がしばしば行幸あらせられたという由緒の深い3万坪の屋敷のうち、6千坪だけを残し後を全部売りに出して、そこから浮かんだ240万円の金で銀行の方のカタをつけたものだ。
いくら島津が財産家でもこれはこたえたに違いない。
そこで松方公爵にすれば、旧臣の情誼として主家にそれほどの大穴を開けたからには何とかして申し訳をせねばならぬ道理、昔ならさしずめ切腹ものだが、今ではそんな古手は流行らない。
それで身につくもの一切を投げ出してこれで御勘弁と出たという。
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『牧野伸顕日記』内大臣
1932年9月21日
樺山愛輔伯爵来訪、島津公爵家の金山問題なり。
探鉱の施設として40万円を3年にわたり支出する目論見なるが、同家の財政を回復する方法他に見込なく、関係者一同も一致の意見なれば実行したしとのことなり。
賛意を表し置けり。
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◆14代 島津忠秀 13代島津忠重の子
1912-1996 84歳没
■妻 近衛昭子 近衛文麿公爵の娘・島津忠秀と離婚・整体師野口晴哉と再婚
1916-2004 88歳没
昭子は戦中整体師野口晴哉と駆け落ちして再婚、『昭和のノラ事件』と呼ばれて話題になった。
●長男
●二男
●長女
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酒井美意子 前田利為侯爵の娘・酒井忠元伯爵の妻
近衛文麿公爵の長女昭子さんは、薩摩の殿様 島津忠秀氏に嫁していた。
戦前戦中なら不満が生じても一生我慢したはずである。
だが自由と開放の時代、昭子夫人は我慢しなかった。
終戦間際に島津家を出奔した昭子さんは、出入りの指圧師野口晴哉と同棲、1947年正式に野口氏と結婚して世間をアッと言わせた。
マスコミは口をそろえて離婚を絶賛、昭子さんを「昭和のノラ」と讃えた。
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