■東京本邸 本郷区向ケ丘弥生町 8千坪 大地主
↓
■東京本邸 豊島区駒込
■西ヶ原別邸
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◆27代 浅野長勲 浅野懋昭の子・養子になる
1842-1937 95歳没
1879年 39歳
■妻 山内綱子 高知藩主山内豊熙の娘
1845-1919
イタリアで
ナイアガラで
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『横から見た華族物語』昭和7年出版
十五銀行騒ぎで叩かれた華族で大頭株の中に旧芸州広島藩の浅野家がある。
主人の長勲侯爵は頭脳が綿密というのか、細かいところによく気がつくというのか、旧臣名簿という閻魔帳のようなものをこしらえていて、何の某の娘は当年幾歳で何の某の所へ嫁に入っているというようなことからはじめ、旧臣の身分に関する一切のことを書きとめている。
それほどだからお正月などでも旧臣のうち一人でも年賀に来ない者があると、老人すこぶる御機嫌が悪い。
算盤高いことでもまた有名で、浅野家へ何かまとまった物を売り込もうとする者はいちいち老人に会って直接の取引だが、少しでも高いと思われるとそんな算盤の持ち方はないだろうと言ってそっぽを向いてしまう。
この親にしてせがれの長之氏はなんと不肖な子であったものか。
現在十五銀行の重役をしていながら8千なにがしの新株を背負い込んでいた。
そのうえ整理のためには重役としての私財30万円をも吐き出さねばならなかったため、新株の払い込みと合わせて100万円に近い大損害をこうむったから老人怒るまいことか。
60何歳にもなっている長之氏をとらまえて「この大馬鹿野郎」と怒鳴りつけたということだ。
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◆28代 浅野長之 27代浅野長勲のイトコ/浅野懋績の子
1864-1947
■前妻 松平鑑子 松江藩主松平定安の娘・離婚
1870-1893
■後妻 大河内恭子 高崎藩主大河内輝声の娘
1877-1913
●後妻の子 浅野長武 1895年生 29代当主
●後妻の子 浅野峰松 1900年生 大河内輝信子爵となる
●後妻の子 浅野鉄馬 1908年生 浅野鉄馬男爵となる
●後妻の子 浅野礼子 1896年生 九鬼隆輝子爵の子九鬼隆興と結婚
●後妻の子 浅野望子 1906年生 斯波正夫男爵と結婚
●浅野礼子 九鬼隆輝子爵の子九鬼隆興と結婚
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◆29代 浅野長武 28代浅野長之の子
1895-1969
■前妻 伏見宮恭子女王/結婚後、寧子と改名 伏見宮博恭王の娘・死別
1898-1919
■後妻 山階宮安子女王 山階宮菊麿王の娘
1901-1974
●後妻の子 浅野長愛 1927年生 30代当主
●後妻の子 浅野茂松 1927年生 山階芳麿侯爵の養子になる 山階芳正
●後妻の子 浅野頼子 1923年生 水戸徳川圀順公爵の子徳川圀斉と結婚
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『岡部長景日記』文部大臣※当時は内大臣秘書官長
1930年5月17日
かねて浅野長武君から、浅野家収蔵の名画数点を展観に供するからとの招待を受けていたので、浅野侯爵家へ赴いた。
温厚なる長武君が出迎えてくれて、嵯峨帝御筆の絵巻物・雪村の龍・雪舟の山水巻などいちいち敬服する物ばかり。
同行の溝口祥次郎君・細川護立君も賛美を措かなかった。
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◆30代 浅野長愛 29代浅野長武の子
1927-2007
■妻 鷹司庸子 鷹司信輔公爵の娘
1928-1990
●長男
●長女
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■東京本邸 豊島区駒込
■西ヶ原別邸
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◆27代 浅野長勲 浅野懋昭の子・養子になる
1842-1937 95歳没
1879年 39歳
■妻 山内綱子 高知藩主山内豊熙の娘
1845-1919
イタリアで
ナイアガラで
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『横から見た華族物語』昭和7年出版
十五銀行騒ぎで叩かれた華族で大頭株の中に旧芸州広島藩の浅野家がある。
主人の長勲侯爵は頭脳が綿密というのか、細かいところによく気がつくというのか、旧臣名簿という閻魔帳のようなものをこしらえていて、何の某の娘は当年幾歳で何の某の所へ嫁に入っているというようなことからはじめ、旧臣の身分に関する一切のことを書きとめている。
それほどだからお正月などでも旧臣のうち一人でも年賀に来ない者があると、老人すこぶる御機嫌が悪い。
算盤高いことでもまた有名で、浅野家へ何かまとまった物を売り込もうとする者はいちいち老人に会って直接の取引だが、少しでも高いと思われるとそんな算盤の持ち方はないだろうと言ってそっぽを向いてしまう。
この親にしてせがれの長之氏はなんと不肖な子であったものか。
現在十五銀行の重役をしていながら8千なにがしの新株を背負い込んでいた。
そのうえ整理のためには重役としての私財30万円をも吐き出さねばならなかったため、新株の払い込みと合わせて100万円に近い大損害をこうむったから老人怒るまいことか。
60何歳にもなっている長之氏をとらまえて「この大馬鹿野郎」と怒鳴りつけたということだ。
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◆28代 浅野長之 27代浅野長勲のイトコ/浅野懋績の子
1864-1947
■前妻 松平鑑子 松江藩主松平定安の娘・離婚
1870-1893
■後妻 大河内恭子 高崎藩主大河内輝声の娘
1877-1913
●後妻の子 浅野長武 1895年生 29代当主
●後妻の子 浅野峰松 1900年生 大河内輝信子爵となる
●後妻の子 浅野鉄馬 1908年生 浅野鉄馬男爵となる
●後妻の子 浅野礼子 1896年生 九鬼隆輝子爵の子九鬼隆興と結婚
●後妻の子 浅野望子 1906年生 斯波正夫男爵と結婚
●浅野礼子 九鬼隆輝子爵の子九鬼隆興と結婚
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◆29代 浅野長武 28代浅野長之の子
1895-1969
■前妻 伏見宮恭子女王/結婚後、寧子と改名 伏見宮博恭王の娘・死別
1898-1919
■後妻 山階宮安子女王 山階宮菊麿王の娘
1901-1974
●後妻の子 浅野長愛 1927年生 30代当主
●後妻の子 浅野茂松 1927年生 山階芳麿侯爵の養子になる 山階芳正
●後妻の子 浅野頼子 1923年生 水戸徳川圀順公爵の子徳川圀斉と結婚
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『岡部長景日記』文部大臣※当時は内大臣秘書官長
1930年5月17日
かねて浅野長武君から、浅野家収蔵の名画数点を展観に供するからとの招待を受けていたので、浅野侯爵家へ赴いた。
温厚なる長武君が出迎えてくれて、嵯峨帝御筆の絵巻物・雪村の龍・雪舟の山水巻などいちいち敬服する物ばかり。
同行の溝口祥次郎君・細川護立君も賛美を措かなかった。
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◆30代 浅野長愛 29代浅野長武の子
1927-2007
■妻 鷹司庸子 鷹司信輔公爵の娘
1928-1990
●長男
●長女






















