◆初代男爵 尾崎三良 外務官僚
1842-1918
ロシアで
1879年 39歳
■前妻 バサイア・キャサリン・モリソン イギリス人・離婚
1843年生
■後妻 山沢八重 仏職藤山沢証の娘
1855-1943
尾崎八重夫人
★妾 藤木道枝 士族藤木行顕の娘
●前妻の子 尾崎英子/テオドラ 政治家尾崎行雄と結婚
●前妻の子 尾崎政子 イギリス人アルフレッド・ジェームス・ヒューイットと結婚
●前妻の子 尾崎君子 スウェーデン人ヘンリック・オークテルロニーと結婚
●後妻の子 尾崎寿子 衆議院議員小野義一と結婚
●道枝の子 尾崎洵盛 2代当主
●道枝の子 尾崎盛貞 戸田盛貞となる
●道枝の子 尾崎昌盛
●道枝の子 尾崎望盛 高田望盛となる 伴田六之助の娘伴田孝子と結婚
●道枝の子 尾崎賀子 倉橋泰昌子爵と結婚
●道枝の子 尾崎繁盛
●道枝の子 尾崎雄盛
●道枝の子 尾崎朝子 豊国銀行重役斉藤福之助と結婚
●道枝の子 尾崎元子 土木学者物部長穂と結婚
●尾崎盛貞 戸田盛貞となる
●尾崎昌盛
●1939年 尾崎昌盛の娘 尾崎良子
1920年生・学習院出身・趣味はピアノ・琴・料理
●尾崎望盛 高田望盛となる 伴田六之助の娘伴田孝子と結婚
●尾崎賀子 倉橋泰昌子爵と結婚
●尾崎寿子 衆議院議員小野義一と結婚
●尾崎朝子 豊国銀行重役斉藤福之助と結婚
●尾崎繁盛
●尾崎雄盛
●尾崎元子 土木学者物部長穂と結婚
尾崎はイギリスに留学中、教師のウイリアム・モリソン宅に下宿していた。
その一人娘バサイアと結婚し3人の娘をもうけるが、妻子を残して帰国した。
尾崎はかねてから養母戸田玉井が嫁に決めていた玉井の妹八重と結婚する。
さらに八重に何年も子供ができなかったことから、士族藤木行顕の娘道枝を妾にして妻妾同居となった。
ところが尾崎が妻子を置いて帰国し日本で結婚したことに対して、旧主人である三条実美や外務大臣井上馨から厳しく叱責された。
窮した尾崎は八重と形式上離婚し、バサイアとの結婚の公許を得てロシア公使として出発した。
バサイアをペテルスブルグに呼び寄せ話し合いをしたが、尾崎はバサイアを本妻として日本に連れて帰って八重・道枝と3人で同居するつもりであったから、バサイアはこれを拒絶、ロンドンで父モリソンの立ち合いのもと離婚協議となり、未払いの養育費と手切金550ポンドを渡して別れることになった。
結局帰国した尾崎は再び八重を妻とし道枝を妾として、妻妾同居で暮らした。
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万朝報 1898年
男爵尾崎三良は先妻英国人バサイアを離別し、今は本行寺住職藤山沢証の娘を妻としながら、自邸に同居せる戸田玉井の養女ミチ(40歳)を妾とす。
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尾崎三良の自伝
これにてまず一個の家庭を作り、その収入は政府より俸給1ヶ月150円なり。
すなわち八重に対して「これよりそなた主婦の役目として家政を料理すべし。
その入費はすなわちこれなり」とて、政府より受けたる月給150円をその紙包のまま手渡したる時は、
彼女少し当惑の気味にてシクシク泣きおるから、
「なぜ泣くにや」と詰れば、
「いまだかくのごとき大金を任せられたることなきゆえいかにかはせんと当惑心痛の余りなり」と言う。
よって出入帳簿記入の仕方および月末計算の方法等を教え、かたわら珠算を教えたり。
元暗愚の性にあらざれば1ヶ月も習熟して略々要領を得て、爾来数十年家政はもっぱら彼女に委任して大過なかりし。
明治30年前後に至り、家賃も少々豊かなるに従い、金銭の出納もおいおい複雑になり、女子の手ひとつにては困難に趣きしより、家扶を置きこれに委任することとせり。
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尾崎三良の日記
1902年8月※妾道枝の死について
彼女は良家の娘にして性行温厚貞誠、余に仕えて忠実24年1日のごとく、
男女を産むこと14人、うち夭折するもの5人、健康なる者9人あり。
正室にあらずといえどもその情正室に異なることなし。
余の終焉には介抱させんと期したりしに今ここ悲劇に遭う。
余の不幸これより大なるはなし。
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◆2代 尾崎洵盛 1代三良の子
1880年生
■妻 千家多嘉子 出雲大社千家尊福男爵の娘
1890年生
●長男 尾崎春盛 出羽重芳男爵の娘出羽菊江と結婚
●男子 尾崎福盛
●女子 尾崎華子 千家活麿と結婚
●女子 尾崎龍子
●女子 尾崎京子
●四女 尾崎玉子 千代田組朝吹英一の後妻
●女子 尾崎百合子
●1929年:下 尾崎華子 20歳
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長※当時は宗秩寮職員
<尾崎洵盛男爵の姉妹どんぶり>
1921年10月20日
宮内官僚酒巻芳男『面白倶楽部』なる雑誌と他の雑誌とを持ち来りてこれを示す。
雑誌には千家尊福の娘にて毛利家に嫁したる国子なる者、寡婦となりたる後その妹多嘉子の夫尾崎洵盛男爵と通じたる事実を詳記したる物なり。
予これを閲したる後、尾崎の品行を調査する事を酒巻に命ず。
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長※当時は宗秩寮職員
1922年2月23日
※倉富&宮内大臣牧野伸顕の会話
牧野◆尾崎洵盛男爵がその妻の姉毛利国子と醜行あることは事実なる様なり。
倉富◆尾崎の妻多嘉子が夫と姉との関係を周旋しおる様な形跡ある事を不思議に思う。
牧野◆聞くところによれば妻は一人にては耐え難きゆえ、姉との関係を喜びおるとの事なり。
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1842-1918
ロシアで
1879年 39歳
■前妻 バサイア・キャサリン・モリソン イギリス人・離婚
1843年生
■後妻 山沢八重 仏職藤山沢証の娘
1855-1943
尾崎八重夫人
★妾 藤木道枝 士族藤木行顕の娘
●前妻の子 尾崎英子/テオドラ 政治家尾崎行雄と結婚
●前妻の子 尾崎政子 イギリス人アルフレッド・ジェームス・ヒューイットと結婚
●前妻の子 尾崎君子 スウェーデン人ヘンリック・オークテルロニーと結婚
●後妻の子 尾崎寿子 衆議院議員小野義一と結婚
●道枝の子 尾崎洵盛 2代当主
●道枝の子 尾崎盛貞 戸田盛貞となる
●道枝の子 尾崎昌盛
●道枝の子 尾崎望盛 高田望盛となる 伴田六之助の娘伴田孝子と結婚
●道枝の子 尾崎賀子 倉橋泰昌子爵と結婚
●道枝の子 尾崎繁盛
●道枝の子 尾崎雄盛
●道枝の子 尾崎朝子 豊国銀行重役斉藤福之助と結婚
●道枝の子 尾崎元子 土木学者物部長穂と結婚
●尾崎盛貞 戸田盛貞となる
●尾崎昌盛
●1939年 尾崎昌盛の娘 尾崎良子
1920年生・学習院出身・趣味はピアノ・琴・料理
●尾崎望盛 高田望盛となる 伴田六之助の娘伴田孝子と結婚
●尾崎賀子 倉橋泰昌子爵と結婚
●尾崎寿子 衆議院議員小野義一と結婚
●尾崎朝子 豊国銀行重役斉藤福之助と結婚
●尾崎繁盛
●尾崎雄盛
●尾崎元子 土木学者物部長穂と結婚
尾崎はイギリスに留学中、教師のウイリアム・モリソン宅に下宿していた。
その一人娘バサイアと結婚し3人の娘をもうけるが、妻子を残して帰国した。
尾崎はかねてから養母戸田玉井が嫁に決めていた玉井の妹八重と結婚する。
さらに八重に何年も子供ができなかったことから、士族藤木行顕の娘道枝を妾にして妻妾同居となった。
ところが尾崎が妻子を置いて帰国し日本で結婚したことに対して、旧主人である三条実美や外務大臣井上馨から厳しく叱責された。
窮した尾崎は八重と形式上離婚し、バサイアとの結婚の公許を得てロシア公使として出発した。
バサイアをペテルスブルグに呼び寄せ話し合いをしたが、尾崎はバサイアを本妻として日本に連れて帰って八重・道枝と3人で同居するつもりであったから、バサイアはこれを拒絶、ロンドンで父モリソンの立ち合いのもと離婚協議となり、未払いの養育費と手切金550ポンドを渡して別れることになった。
結局帰国した尾崎は再び八重を妻とし道枝を妾として、妻妾同居で暮らした。
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万朝報 1898年
男爵尾崎三良は先妻英国人バサイアを離別し、今は本行寺住職藤山沢証の娘を妻としながら、自邸に同居せる戸田玉井の養女ミチ(40歳)を妾とす。
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尾崎三良の自伝
これにてまず一個の家庭を作り、その収入は政府より俸給1ヶ月150円なり。
すなわち八重に対して「これよりそなた主婦の役目として家政を料理すべし。
その入費はすなわちこれなり」とて、政府より受けたる月給150円をその紙包のまま手渡したる時は、
彼女少し当惑の気味にてシクシク泣きおるから、
「なぜ泣くにや」と詰れば、
「いまだかくのごとき大金を任せられたることなきゆえいかにかはせんと当惑心痛の余りなり」と言う。
よって出入帳簿記入の仕方および月末計算の方法等を教え、かたわら珠算を教えたり。
元暗愚の性にあらざれば1ヶ月も習熟して略々要領を得て、爾来数十年家政はもっぱら彼女に委任して大過なかりし。
明治30年前後に至り、家賃も少々豊かなるに従い、金銭の出納もおいおい複雑になり、女子の手ひとつにては困難に趣きしより、家扶を置きこれに委任することとせり。
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尾崎三良の日記
1902年8月※妾道枝の死について
彼女は良家の娘にして性行温厚貞誠、余に仕えて忠実24年1日のごとく、
男女を産むこと14人、うち夭折するもの5人、健康なる者9人あり。
正室にあらずといえどもその情正室に異なることなし。
余の終焉には介抱させんと期したりしに今ここ悲劇に遭う。
余の不幸これより大なるはなし。
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◆2代 尾崎洵盛 1代三良の子
1880年生
■妻 千家多嘉子 出雲大社千家尊福男爵の娘
1890年生
●長男 尾崎春盛 出羽重芳男爵の娘出羽菊江と結婚
●男子 尾崎福盛
●女子 尾崎華子 千家活麿と結婚
●女子 尾崎龍子
●女子 尾崎京子
●四女 尾崎玉子 千代田組朝吹英一の後妻
●女子 尾崎百合子
●1929年:下 尾崎華子 20歳
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長※当時は宗秩寮職員
<尾崎洵盛男爵の姉妹どんぶり>
1921年10月20日
宮内官僚酒巻芳男『面白倶楽部』なる雑誌と他の雑誌とを持ち来りてこれを示す。
雑誌には千家尊福の娘にて毛利家に嫁したる国子なる者、寡婦となりたる後その妹多嘉子の夫尾崎洵盛男爵と通じたる事実を詳記したる物なり。
予これを閲したる後、尾崎の品行を調査する事を酒巻に命ず。
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長※当時は宗秩寮職員
1922年2月23日
※倉富&宮内大臣牧野伸顕の会話
牧野◆尾崎洵盛男爵がその妻の姉毛利国子と醜行あることは事実なる様なり。
倉富◆尾崎の妻多嘉子が夫と姉との関係を周旋しおる様な形跡ある事を不思議に思う。
牧野◆聞くところによれば妻は一人にては耐え難きゆえ、姉との関係を喜びおるとの事なり。
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