■東京本邸 神田区駿河台鈴木町
↓
■東京本邸 牛込区市ケ谷土原町
↓
■東京本邸 麹町区下二番町 1,516坪
↓
■東京本邸 本郷区駒込上富士前町
■大磯別邸
■軽井沢別邸
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◆初代伯爵 加藤高明 尾張藩士服部重文の子加藤総吉・養子になる 総理大臣
1860-1926
1925年
■妻 岩崎春路 財閥岩崎弥太郎男爵の娘
1864-1942
●二男 加藤厚太郎 1895年生 2代伯爵
●長女 加藤悦子 1888年生 岡部長景子爵と結婚
左から 悦子・加藤高明・春路夫人
左から 厚太郎・春路夫人・加藤高明・悦子の子・悦子
1918年「岩崎家五婚」
1918年「加藤高明四天王」
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宮武外骨『地獄耳』1917年
加藤高明の女房は岩崎家のお嬢さんで、200万円の持参金つきだから一生女房に頭が上がらぬ方だが、それでも女房に内々で新橋の松日の家松栄・花月の女将お静を寵愛している。
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宮武外骨『地獄耳』1918年
加藤高明の傲慢は有名なものである。
先年英国大使として赴任の際、何年か会わなかった旧知の某が日本の様子を聞くため、ロンドン大使館に彼を訪うて「何某の近況はいかがですか」と尋ねると、
「当人に問い合せたらよかろう」とけんもほろろの挨拶に、その男は怫然として座を立ったという。
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宮武外骨『地獄耳』1918年
犬猿の仲→原敬と加藤高明
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宮武外骨『地獄耳』1918年
加藤高明の腰巾着は富田幸次郎。
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宮武外骨『地獄耳』1918年
総じて山県有朋の寵を得んとするには、詩を作るとか書を書くとかの資格がなくては駄目である。
だから寺内正毅がしきりに書を稽古するのも、後藤新平や仲小路廉や大島健一が漢詩をひねくるのも、ひっきょうは親分の御覚えめでたからんがためであって、杉山茂丸や大岡育造などまでが幼学便覧式の詩を作るのも、みなこの目的からであるそうな。
されば政党の首領としても加藤高明とか原敬とかいう手合いは、詩一つ作るでなし、字一つ書くでなし、この没風流な所がどうしても山県の気に入らぬわけである。
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原田熊雄 西園寺公望の私設秘書 1943年
1927年4月 京都の清風荘で、西園寺元老が「加藤高明は鉄道国有に反対して閣外に出たが、一言も自分の悪口を言ったこともなく、また自分も加藤の悪口は言わなかった」と言った。
1936年秋 米寿の席で、西園寺元老が「今にして思えば、木戸孝允・大久保利通・伊藤博文あるいは加藤高明、やや落ちるが原敬など、いずれもひとかどの人物だった」と言った。
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近衛文麿公爵 総理大臣
私が一番親しめたのは加藤高明さんであった。
加藤さんの言われることには駆け引きや嘘が全然なかった。
そしてストーブを前にしてでも話されると、滔々として尽くるところを知らずといった感がした。
正義を愛し、不正を憎み、原敬さんとは違った強さを持った人であった。
加藤さんは憲政会の総裁だったが、眼中には憲政会も政友会もなかった。
政友会でも良い人のことは口を極めて褒めたし、憲政会の人でも感心しない人のことは糞味噌に貶された。
これは当たり前のことではあるが、そこが原さんとは違っていた。
大正9年頃私は森恪君や山口義一君などと憲法運用その他の政治問題を研究する会を作った。
それには貴族院・衆議院の各会派の人も入れようということになった。
そして政友会の人も関係するのだから、時の総裁の原さんに一応の諒解だけは得ておこうというので、ある日 原さんを訪ねた。
すると原さん曰く「至極結構なことであるが、衆議院のメンバーだけは政友会だけにして、憲政会の連中は入れないでくれ」という挨拶であった。
私はそれでは困るので、会の趣旨は一党一派に偏するべきものでないゆえんを説いてみたが、原さんはどうしても聞き入れなかった。
その頃は私もまだ若かったから、原さんになど話さなければよかったと後悔した。
そこで森君といろいろ相談してみたが、総裁がそう言う以上は仕方がないと言う。
そかしそれでは会の趣旨が立たぬので最初のメンバーを変更して、憲政会や国民党からはほんの申し訳に1人か2人ずつ入れ、ともかくも政友会からの独占から免れたのであった。
私は原さんという人が、あまりに政党根性が露骨なので驚いた。
しかし原さんも根本においてはやはり国家本位の人だったと思う。
ただ自己の経綸を行うには政党の力が必要であると信じていたらしく、かなり党本位と見える行動があったようだが、やはり国家を第一においていた人で、力の政治家として容易に見ることのできない偉い人だと思っている。
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『岡部長景日記』文部大臣※当時は内大臣秘書官長
※岡部長景は加藤高明の娘婿
1929年6月9日
加藤伯爵家いよいよ本日お引き移りになり、御馳走になった。
日本館の方は比較的よくできたが、西洋館の方は拙だ。
津田技師の技量も疑われる。
ことにシャンデリアは非常に大き過ぎるので、加藤母上はお困りの御様子。
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◆2代伯爵 加藤厚太郎 初代伯爵加藤高明の子
1895-1959
左:姉悦子 右:加藤厚太郎
左から 母春路夫人・加藤厚太郎・姉悦子・富美夫人
■妻 上野富美 宮内省大膳頭上野季三郎の娘 学習院出身
1901-1977
左:富美夫人 右:義姉悦子
椅子は春路夫人の母岩崎喜勢
左から 厚太郎・悦子の夫岡部長景・春路夫人・悦子・加藤高明
立つ4人左から 富美夫人・加藤厚太郎・悦子の夫岡部長景・悦子
座る5人左から 春路夫人と赤ちゃん昇一郎・春路夫人の母岩崎喜勢・悦子の子岡部長衡・高明
●長男 加藤昇一郎 1921年生 3代当主
●男子 加藤総雄 1931年生
●男子 加藤満雄 1932年生
●女子 加藤春恵子
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◆3代当主 加藤昇一郎 2代伯爵厚太郎の子
1921-1970
■妻 蜷川当子 大学教授蜷川新の娘
1924年生
●長男
↓
■東京本邸 牛込区市ケ谷土原町
↓
■東京本邸 麹町区下二番町 1,516坪
↓
■東京本邸 本郷区駒込上富士前町
■大磯別邸
■軽井沢別邸
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◆初代伯爵 加藤高明 尾張藩士服部重文の子加藤総吉・養子になる 総理大臣
1860-1926
1925年
■妻 岩崎春路 財閥岩崎弥太郎男爵の娘
1864-1942
●二男 加藤厚太郎 1895年生 2代伯爵
●長女 加藤悦子 1888年生 岡部長景子爵と結婚
左から 悦子・加藤高明・春路夫人
左から 厚太郎・春路夫人・加藤高明・悦子の子・悦子
1918年「岩崎家五婚」
1918年「加藤高明四天王」
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宮武外骨『地獄耳』1917年
加藤高明の女房は岩崎家のお嬢さんで、200万円の持参金つきだから一生女房に頭が上がらぬ方だが、それでも女房に内々で新橋の松日の家松栄・花月の女将お静を寵愛している。
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宮武外骨『地獄耳』1918年
加藤高明の傲慢は有名なものである。
先年英国大使として赴任の際、何年か会わなかった旧知の某が日本の様子を聞くため、ロンドン大使館に彼を訪うて「何某の近況はいかがですか」と尋ねると、
「当人に問い合せたらよかろう」とけんもほろろの挨拶に、その男は怫然として座を立ったという。
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宮武外骨『地獄耳』1918年
犬猿の仲→原敬と加藤高明
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宮武外骨『地獄耳』1918年
加藤高明の腰巾着は富田幸次郎。
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宮武外骨『地獄耳』1918年
総じて山県有朋の寵を得んとするには、詩を作るとか書を書くとかの資格がなくては駄目である。
だから寺内正毅がしきりに書を稽古するのも、後藤新平や仲小路廉や大島健一が漢詩をひねくるのも、ひっきょうは親分の御覚えめでたからんがためであって、杉山茂丸や大岡育造などまでが幼学便覧式の詩を作るのも、みなこの目的からであるそうな。
されば政党の首領としても加藤高明とか原敬とかいう手合いは、詩一つ作るでなし、字一つ書くでなし、この没風流な所がどうしても山県の気に入らぬわけである。
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原田熊雄 西園寺公望の私設秘書 1943年
1927年4月 京都の清風荘で、西園寺元老が「加藤高明は鉄道国有に反対して閣外に出たが、一言も自分の悪口を言ったこともなく、また自分も加藤の悪口は言わなかった」と言った。
1936年秋 米寿の席で、西園寺元老が「今にして思えば、木戸孝允・大久保利通・伊藤博文あるいは加藤高明、やや落ちるが原敬など、いずれもひとかどの人物だった」と言った。
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近衛文麿公爵 総理大臣
私が一番親しめたのは加藤高明さんであった。
加藤さんの言われることには駆け引きや嘘が全然なかった。
そしてストーブを前にしてでも話されると、滔々として尽くるところを知らずといった感がした。
正義を愛し、不正を憎み、原敬さんとは違った強さを持った人であった。
加藤さんは憲政会の総裁だったが、眼中には憲政会も政友会もなかった。
政友会でも良い人のことは口を極めて褒めたし、憲政会の人でも感心しない人のことは糞味噌に貶された。
これは当たり前のことではあるが、そこが原さんとは違っていた。
大正9年頃私は森恪君や山口義一君などと憲法運用その他の政治問題を研究する会を作った。
それには貴族院・衆議院の各会派の人も入れようということになった。
そして政友会の人も関係するのだから、時の総裁の原さんに一応の諒解だけは得ておこうというので、ある日 原さんを訪ねた。
すると原さん曰く「至極結構なことであるが、衆議院のメンバーだけは政友会だけにして、憲政会の連中は入れないでくれ」という挨拶であった。
私はそれでは困るので、会の趣旨は一党一派に偏するべきものでないゆえんを説いてみたが、原さんはどうしても聞き入れなかった。
その頃は私もまだ若かったから、原さんになど話さなければよかったと後悔した。
そこで森君といろいろ相談してみたが、総裁がそう言う以上は仕方がないと言う。
そかしそれでは会の趣旨が立たぬので最初のメンバーを変更して、憲政会や国民党からはほんの申し訳に1人か2人ずつ入れ、ともかくも政友会からの独占から免れたのであった。
私は原さんという人が、あまりに政党根性が露骨なので驚いた。
しかし原さんも根本においてはやはり国家本位の人だったと思う。
ただ自己の経綸を行うには政党の力が必要であると信じていたらしく、かなり党本位と見える行動があったようだが、やはり国家を第一においていた人で、力の政治家として容易に見ることのできない偉い人だと思っている。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『岡部長景日記』文部大臣※当時は内大臣秘書官長
※岡部長景は加藤高明の娘婿
1929年6月9日
加藤伯爵家いよいよ本日お引き移りになり、御馳走になった。
日本館の方は比較的よくできたが、西洋館の方は拙だ。
津田技師の技量も疑われる。
ことにシャンデリアは非常に大き過ぎるので、加藤母上はお困りの御様子。
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◆2代伯爵 加藤厚太郎 初代伯爵加藤高明の子
1895-1959
左:姉悦子 右:加藤厚太郎
左から 母春路夫人・加藤厚太郎・姉悦子・富美夫人
■妻 上野富美 宮内省大膳頭上野季三郎の娘 学習院出身
1901-1977
左:富美夫人 右:義姉悦子
椅子は春路夫人の母岩崎喜勢
左から 厚太郎・悦子の夫岡部長景・春路夫人・悦子・加藤高明
立つ4人左から 富美夫人・加藤厚太郎・悦子の夫岡部長景・悦子
座る5人左から 春路夫人と赤ちゃん昇一郎・春路夫人の母岩崎喜勢・悦子の子岡部長衡・高明
●長男 加藤昇一郎 1921年生 3代当主
●男子 加藤総雄 1931年生
●男子 加藤満雄 1932年生
●女子 加藤春恵子
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◆3代当主 加藤昇一郎 2代伯爵厚太郎の子
1921-1970
■妻 蜷川当子 大学教授蜷川新の娘
1924年生
●長男
















