◆初代伯爵 児玉源太郎 陸軍大臣・文部大臣・内務大臣 「明治陸軍の三羽烏」の一人
1852-1906 54歳没
*身長159センチ、小柄でこまめに動き回るので「リス」と呼ばれた。
*生まれつき健康で、病気らしい病気をしないまま、
ある朝起きてこないので家族が見に行くと寝室で眠ったまま死んでいた。
心筋梗塞または脳梗塞だと思われる。
1904年児玉源太郎は日露戦争開戦に際して、参謀本部次長という降格人事を引き受ける際、
「山県有朋では困る。ガマ坊(大山巌)とならやれる」という条件を出した。
日清戦争後引退を考えていた大山だったが、引っ張り出されて満州軍総司令官を務める。
大山の妻大山捨松は
「イワオの好きなものは、第一に児玉源太郎さん、第二に私、第三にビーフステーキ」とよく語った。
1879年 29歳
■妻 岩永松子 岩永秀松の娘
1856年生
●男子 児玉秀雄 2代伯爵
●男子 児玉貞雄 江副廉蔵の娘江副シズコと結婚
●男子 児玉友雄 中村雄次郎男爵の娘中村ミツコと結婚
●男子 児玉常雄 木戸孝正侯爵の娘木戸八重子と結婚
●男子 児玉国雄 中村覚男爵の娘中村節子と結婚
●男子 児玉八郎 山根文策の娘山根寿満子と結婚
●男子 児玉九一 大森鍾一男爵の娘大森幸子と結婚
●女子 児玉芳子 官僚立花俊吉と結婚
●女子 児玉仲子 穂積重遠男爵と結婚
●女子 児玉元子 法学者藤田嗣雄と結婚
●女子 児玉鶴子 木戸幸一侯爵と結婚
※木戸幸一は農商務省に入った1915年に児玉源太郎伯爵の四女児玉鶴子と結婚した。
木戸の妹木戸八重子が鶴子の兄児玉常雄と結婚している縁からだった。
立つ左から
吉富庄祐
タキコ夫人の弟長谷川鉄雄
沢子の夫児玉秀雄
寺内正毅
毅雄
寿一
寺内の甥宇田川義三
中谷兵之進
タキコ夫人の弟長谷川巌
座る左から
沢子
児玉源太郎の娘元子
須恵
寿一の前妻百合
タキコ夫人
児玉源太郎の叔母
沢子の娘児玉貞子
児玉源太郎の娘鶴子/木戸幸一侯爵夫人
児玉源太郎の娘芳子
児玉源太郎の娘仲子/穂積重遠男爵夫人
宇佐川スミコ
川村大佐夫人
立つ右端の軍服が児玉源太郎 立つ左から4人目の白い軍服が寺内正毅伯爵
●児玉元子 法学者藤田嗣雄と結婚 1914年
●児玉鶴子 侯爵木戸幸一と結婚 1915年
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『明治大臣の夫人』明治36年出版
<児島源太郎の放蕩>
日清戦争の時であった。
児玉伯爵の当時の痴劇と言ったら、かの伊藤博文公爵が官邸時代もかくやとばかり思うぐらい、夜に至ると馴染芸者を推参させ、かねて手懐けた小使が案内でシッポリ濡れた露尾花、阿呆と鳴く烏に驚かされ寝乱れ姿のしどけなく官邸を出る別嬪を見かけたことが少なくなかった。
この時の小使いという親爺はいまなお児玉の家へ養われてあるそうだが、これは先年の恩義に報いるためとか。
しかしこの話が夫人の耳に入ったならきっとただは済むまいか、とそんじょそこらで噂とりどり。
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宮武外骨『スコブル』1918年
「児玉神社の霊験」
近ごろ江の島にできた児玉神社は台湾泥棒の親分児玉源太郎を祭ったものであるが、その敷地は岩下清蔵の女婿山本三郎の実家たる岩本楼の所有地であったのを、杉山茂丸が買い込んで神社を建てたのである。
元来この神社は向島の杉本の別荘内にあったのだが、先年の洪水で滅茶苦茶になったのでここに移したものである。
寄進した鳥居や手水鉢には杉本や岩下の名が麗々と刻み込んであるが、何でも相場の神様・梅毒の神様とうので近ごろ流行するということである。
なぜ梅毒の神様であるかというと、児玉の死因は病死説・馬蹄銀事件で自殺した説の他に脳梅毒で死んだのだという説があるからだ。
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1927年『お鯉物語』安藤照子・芸者お鯉・15代目市村羽左衛門と離婚・首相桂太郎の妾
児玉源太郎大将は築地の待合〈かしわ家〉にふらりと出かけられては、
「おい、女将。面白く遊ばせてくら。何か愉快なことはないか」
無造作で剽軽でいたずら者の児玉大将の遊びはまた一風変わっている。
引き締まった鋭い顔・鷲のごとくに高い鼻・ランランと人を射る眼光いずれも常人のものではないのであるが、元来が極の小男で、ナリが至ってお粗末である。
鼠色になった白縮緬の兵児帯に、小倉の鼻緒をすがった杣の書生下駄、ヨレヨレの鳥打帽ときては、どう見ても落魄した老壮士である。
児玉大将はそんなことは平気の平左で
芸者をつかまえては、「どこか面白いところへ連れて行け。うまい物を食いに行こう」とおっしゃる。
面白く遊ばせてあげればいい役目の芸者連、いろいろなところへ引き回す。
ある時日本橋の中華亭にごはんを食べに行った。
児玉大将は例のいでたちで、連れもかまわず一人速足でドンドン中華亭の入口にかかったが、遅れた芸者連がやっと追いついた時、児玉大将はしょんぼりとして店から出て来た。
「御前さん、どうしたのです」
「ダメじゃよ。座敷が無いそうじゃよ」
「そんなことはないでしょう」
一同ゾロゾロおしかけると、女優は「どうぞ、こちらへ」と案内する。
「おかしなことがあるものじゃ。一人の入る座敷がなくて、大勢だと座敷があるんじゃからね」
床柱を背負った児玉大将が新橋一流の芸者ばかりを6~7人を相手に笑いながらからかわれるので、中華亭の女中たちは恐縮してしまう。
これに味をしめた芸者たちは、その後この伝で方々を押し回る。
「瓢屋はまだ行ったことがないが、女将は知ってるぞ」と児玉大将がおっしゃる。
みんなは門の外に隠れて、児玉大将だけ一人玄関に差しかかる。
案の定、女中から断られる。
児玉大将は決まり文句を聞かされるやいなや後ろを振り返って、「おい、おい、断られたぞ。みんな来てくれ」
そこで美しい伏兵、ワーッとばかりに飛び込む。
瓢屋では面くらうやら謝るやら。
お国柄のせいでもあるまいが、児玉大将は下帯というものを用いられない。
軍服はもとより洋服の時はそれでもいっこう差し支えないが、和服の時には時々はたの者が迷惑する。
芸者たちと大勢で浅草の大金に鶏を食べに行った時、気の利いた芸者が浅草の仲見世でサルマタを買って、大金へ行ってから児玉大将を無理にお湯に入れて、そのサルマタを用いていただいた。
「これは良いものをくれたね」
児玉大将は破顔一笑。
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◆2代伯爵 児玉秀雄 初代伯爵児玉源太郎の子
1876-1947
■妻 寺内サワコ 寺内正毅伯爵の娘
1881-1966
●女子 児玉貞子 婿養子を迎え3代当主とする
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『横から見た華族物語』昭和7年出版
<児玉秀雄の結婚>
児玉源太郎伯爵は子供の教育には周到な用意を払った。
嫁を探すについても非常な関心をもってこれに当たった。
だが当人の心持にまで立ち入って干渉するような愚はせぬ。
誰でも本人の気に入った者を選ぶがよいが、ただ児玉家は小姑が大勢いるからそれとも折り合いを上手くつける女を探せと言った。
秀雄氏も親父の言葉を承服して親子ともどもその条件に合った女を探したが、いわゆる帯に短しタスキに長しで思うようなのが見当たらない。
寺内正毅伯爵の屋敷に内輪の祝宴が開かれて児玉父子もこれに招かれた。
寺内家には沢子と呼ぶ娘があって、長女ではあるが大勢の兄弟達と義理の母親との間に立って、三方四方に心を配り家庭の円満に努めているので当時評判となっていたが、この沢子が当日のお客の接待に出た。
その姿に目をつけたのが児玉伯爵であった。
寺内家から帰ってから「あの娘はどうか」とさっそく秀雄氏の意見を聞くと、実は秀雄氏も沢子の淑やかな風姿に心を動かしていたのであったから、
「実は私もあれなら理想の嫁だと思っていたところです」というようなことで、それは面白い、期せずして親子とも理想の婦人に邂逅したとはよくよくの巡り合わせだということになって、さっそく先方にも掛け合った上とうとう沢子を秀雄氏の嫁にすることになった。
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1927年『お鯉物語』安藤照子・芸者お鯉・15代目市村羽左衛門と離婚・首相桂太郎の妾
桂太郎公爵は「児玉が行きていてくれたらなあ。しかし児玉には秀雄がある。あれは利口者じゃ。まだ若いが親の子じゃから、大物になるじゃろう」
お鯉は「秀雄さんは冗談をおっしゃる時には本当にお父様と同じ調子で面白い方でございます。芸者の頃、私共に『いつもオヤジが厄介になる。いろいろありがとうよ』などとあの禿げた頭をお下げになるので、私共はおかしくってたまらないのです。口達者な芸者が『児玉さん、そんなに御辞儀をされるとよく光りますよ、まぶしくって堪らないわ』などと申し上げると、『僕も気をつけてなるべく御辞儀しないようにしているのだが、お歴々がそろっているのでうっかりやってしまった』なんて御冗談を言われるんですもの、みなで大笑いしました。」
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◆3代当主 児玉忠康 広幡忠朝侯爵の子・婿養子になる
1898-1990
■妻 児玉貞子 2代伯爵児玉秀雄の娘
1902年生
●長男
●二男
●三男
●四男
1852-1906 54歳没
*身長159センチ、小柄でこまめに動き回るので「リス」と呼ばれた。
*生まれつき健康で、病気らしい病気をしないまま、
ある朝起きてこないので家族が見に行くと寝室で眠ったまま死んでいた。
心筋梗塞または脳梗塞だと思われる。
1904年児玉源太郎は日露戦争開戦に際して、参謀本部次長という降格人事を引き受ける際、
「山県有朋では困る。ガマ坊(大山巌)とならやれる」という条件を出した。
日清戦争後引退を考えていた大山だったが、引っ張り出されて満州軍総司令官を務める。
大山の妻大山捨松は
「イワオの好きなものは、第一に児玉源太郎さん、第二に私、第三にビーフステーキ」とよく語った。
1879年 29歳
■妻 岩永松子 岩永秀松の娘
1856年生
●男子 児玉秀雄 2代伯爵
●男子 児玉貞雄 江副廉蔵の娘江副シズコと結婚
●男子 児玉友雄 中村雄次郎男爵の娘中村ミツコと結婚
●男子 児玉常雄 木戸孝正侯爵の娘木戸八重子と結婚
●男子 児玉国雄 中村覚男爵の娘中村節子と結婚
●男子 児玉八郎 山根文策の娘山根寿満子と結婚
●男子 児玉九一 大森鍾一男爵の娘大森幸子と結婚
●女子 児玉芳子 官僚立花俊吉と結婚
●女子 児玉仲子 穂積重遠男爵と結婚
●女子 児玉元子 法学者藤田嗣雄と結婚
●女子 児玉鶴子 木戸幸一侯爵と結婚
※木戸幸一は農商務省に入った1915年に児玉源太郎伯爵の四女児玉鶴子と結婚した。
木戸の妹木戸八重子が鶴子の兄児玉常雄と結婚している縁からだった。
立つ左から
吉富庄祐
タキコ夫人の弟長谷川鉄雄
沢子の夫児玉秀雄
寺内正毅
毅雄
寿一
寺内の甥宇田川義三
中谷兵之進
タキコ夫人の弟長谷川巌
座る左から
沢子
児玉源太郎の娘元子
須恵
寿一の前妻百合
タキコ夫人
児玉源太郎の叔母
沢子の娘児玉貞子
児玉源太郎の娘鶴子/木戸幸一侯爵夫人
児玉源太郎の娘芳子
児玉源太郎の娘仲子/穂積重遠男爵夫人
宇佐川スミコ
川村大佐夫人
立つ右端の軍服が児玉源太郎 立つ左から4人目の白い軍服が寺内正毅伯爵
●児玉元子 法学者藤田嗣雄と結婚 1914年
●児玉鶴子 侯爵木戸幸一と結婚 1915年
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『明治大臣の夫人』明治36年出版
<児島源太郎の放蕩>
日清戦争の時であった。
児玉伯爵の当時の痴劇と言ったら、かの伊藤博文公爵が官邸時代もかくやとばかり思うぐらい、夜に至ると馴染芸者を推参させ、かねて手懐けた小使が案内でシッポリ濡れた露尾花、阿呆と鳴く烏に驚かされ寝乱れ姿のしどけなく官邸を出る別嬪を見かけたことが少なくなかった。
この時の小使いという親爺はいまなお児玉の家へ養われてあるそうだが、これは先年の恩義に報いるためとか。
しかしこの話が夫人の耳に入ったならきっとただは済むまいか、とそんじょそこらで噂とりどり。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
宮武外骨『スコブル』1918年
「児玉神社の霊験」
近ごろ江の島にできた児玉神社は台湾泥棒の親分児玉源太郎を祭ったものであるが、その敷地は岩下清蔵の女婿山本三郎の実家たる岩本楼の所有地であったのを、杉山茂丸が買い込んで神社を建てたのである。
元来この神社は向島の杉本の別荘内にあったのだが、先年の洪水で滅茶苦茶になったのでここに移したものである。
寄進した鳥居や手水鉢には杉本や岩下の名が麗々と刻み込んであるが、何でも相場の神様・梅毒の神様とうので近ごろ流行するということである。
なぜ梅毒の神様であるかというと、児玉の死因は病死説・馬蹄銀事件で自殺した説の他に脳梅毒で死んだのだという説があるからだ。
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1927年『お鯉物語』安藤照子・芸者お鯉・15代目市村羽左衛門と離婚・首相桂太郎の妾
児玉源太郎大将は築地の待合〈かしわ家〉にふらりと出かけられては、
「おい、女将。面白く遊ばせてくら。何か愉快なことはないか」
無造作で剽軽でいたずら者の児玉大将の遊びはまた一風変わっている。
引き締まった鋭い顔・鷲のごとくに高い鼻・ランランと人を射る眼光いずれも常人のものではないのであるが、元来が極の小男で、ナリが至ってお粗末である。
鼠色になった白縮緬の兵児帯に、小倉の鼻緒をすがった杣の書生下駄、ヨレヨレの鳥打帽ときては、どう見ても落魄した老壮士である。
児玉大将はそんなことは平気の平左で
芸者をつかまえては、「どこか面白いところへ連れて行け。うまい物を食いに行こう」とおっしゃる。
面白く遊ばせてあげればいい役目の芸者連、いろいろなところへ引き回す。
ある時日本橋の中華亭にごはんを食べに行った。
児玉大将は例のいでたちで、連れもかまわず一人速足でドンドン中華亭の入口にかかったが、遅れた芸者連がやっと追いついた時、児玉大将はしょんぼりとして店から出て来た。
「御前さん、どうしたのです」
「ダメじゃよ。座敷が無いそうじゃよ」
「そんなことはないでしょう」
一同ゾロゾロおしかけると、女優は「どうぞ、こちらへ」と案内する。
「おかしなことがあるものじゃ。一人の入る座敷がなくて、大勢だと座敷があるんじゃからね」
床柱を背負った児玉大将が新橋一流の芸者ばかりを6~7人を相手に笑いながらからかわれるので、中華亭の女中たちは恐縮してしまう。
これに味をしめた芸者たちは、その後この伝で方々を押し回る。
「瓢屋はまだ行ったことがないが、女将は知ってるぞ」と児玉大将がおっしゃる。
みんなは門の外に隠れて、児玉大将だけ一人玄関に差しかかる。
案の定、女中から断られる。
児玉大将は決まり文句を聞かされるやいなや後ろを振り返って、「おい、おい、断られたぞ。みんな来てくれ」
そこで美しい伏兵、ワーッとばかりに飛び込む。
瓢屋では面くらうやら謝るやら。
お国柄のせいでもあるまいが、児玉大将は下帯というものを用いられない。
軍服はもとより洋服の時はそれでもいっこう差し支えないが、和服の時には時々はたの者が迷惑する。
芸者たちと大勢で浅草の大金に鶏を食べに行った時、気の利いた芸者が浅草の仲見世でサルマタを買って、大金へ行ってから児玉大将を無理にお湯に入れて、そのサルマタを用いていただいた。
「これは良いものをくれたね」
児玉大将は破顔一笑。
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◆2代伯爵 児玉秀雄 初代伯爵児玉源太郎の子
1876-1947
■妻 寺内サワコ 寺内正毅伯爵の娘
1881-1966
●女子 児玉貞子 婿養子を迎え3代当主とする
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『横から見た華族物語』昭和7年出版
<児玉秀雄の結婚>
児玉源太郎伯爵は子供の教育には周到な用意を払った。
嫁を探すについても非常な関心をもってこれに当たった。
だが当人の心持にまで立ち入って干渉するような愚はせぬ。
誰でも本人の気に入った者を選ぶがよいが、ただ児玉家は小姑が大勢いるからそれとも折り合いを上手くつける女を探せと言った。
秀雄氏も親父の言葉を承服して親子ともどもその条件に合った女を探したが、いわゆる帯に短しタスキに長しで思うようなのが見当たらない。
寺内正毅伯爵の屋敷に内輪の祝宴が開かれて児玉父子もこれに招かれた。
寺内家には沢子と呼ぶ娘があって、長女ではあるが大勢の兄弟達と義理の母親との間に立って、三方四方に心を配り家庭の円満に努めているので当時評判となっていたが、この沢子が当日のお客の接待に出た。
その姿に目をつけたのが児玉伯爵であった。
寺内家から帰ってから「あの娘はどうか」とさっそく秀雄氏の意見を聞くと、実は秀雄氏も沢子の淑やかな風姿に心を動かしていたのであったから、
「実は私もあれなら理想の嫁だと思っていたところです」というようなことで、それは面白い、期せずして親子とも理想の婦人に邂逅したとはよくよくの巡り合わせだということになって、さっそく先方にも掛け合った上とうとう沢子を秀雄氏の嫁にすることになった。
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1927年『お鯉物語』安藤照子・芸者お鯉・15代目市村羽左衛門と離婚・首相桂太郎の妾
桂太郎公爵は「児玉が行きていてくれたらなあ。しかし児玉には秀雄がある。あれは利口者じゃ。まだ若いが親の子じゃから、大物になるじゃろう」
お鯉は「秀雄さんは冗談をおっしゃる時には本当にお父様と同じ調子で面白い方でございます。芸者の頃、私共に『いつもオヤジが厄介になる。いろいろありがとうよ』などとあの禿げた頭をお下げになるので、私共はおかしくってたまらないのです。口達者な芸者が『児玉さん、そんなに御辞儀をされるとよく光りますよ、まぶしくって堪らないわ』などと申し上げると、『僕も気をつけてなるべく御辞儀しないようにしているのだが、お歴々がそろっているのでうっかりやってしまった』なんて御冗談を言われるんですもの、みなで大笑いしました。」
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◆3代当主 児玉忠康 広幡忠朝侯爵の子・婿養子になる
1898-1990
■妻 児玉貞子 2代伯爵児玉秀雄の娘
1902年生
●長男
●二男
●三男
●四男











