■東京本邸 北豊島郡日暮里村(現:台東区日暮里)


■小田原別邸
9019



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◆初代男爵 瓜生外吉 海軍大将
1857-1937 80歳没

*米アナポリス海軍兵学校卒業


アメリカ留学時代
2001(1)


2013


2014


1909年 ヨーロッパで
2015


1914年 サンフランシスコ万国博覧会
2002(1)


2009





■妻  永井繁子 益田鷹乃助の四女・軍医永井玄栄の養女となる・兄は実業家益田孝男爵
1862-1928 66歳没

*津田梅子らとともに日本最初の女子留学生としてアメリカに留学、
ヴァッサー大学音楽学校卒業、アメリカ生活は10年。

*現地で外吉と恋愛、帰国して結婚。


1871年
左から 上田悌子・永井繁子・山川捨松・津田梅子・吉益亮子
2003


1872年 シカゴ
左から 永井繁子8歳・上田悌子14歳・吉益亮子14歳・津田梅子6歳・山川捨松11歳
1000


1872年 ワシントン
2011


2004(2)


2005


2001(2)


9001


2007


2008





●長男 瓜生武雄 早逝
●二男 瓜生剛  2代当主
●三男 瓜生義男 神戸姫路電鉄内村直俊の娘内村治子の婿養子になる
●四男 瓜生勇  神父岩下壮一のイトコ岩下スズコと結婚→子は3代当主瓜生武夫

●長女 瓜生千代 住友山下芳太郎と結婚
●二女 瓜生忍  経営者峠延吉と結婚
●三女 瓜生栄枝 政治家森恪と結婚


2017



後列4人左から
義男・剛・栄枝・武雄
前列4人左から
千代・繁子夫人・勇・瓜生外吉・忍
2019



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瓜生繁子 ※原文は英語

それは18971年のことでした。
突然横浜の兄〔益田孝〕からの使いが馬で沼津にやってきて、政府の命令ですぐ東京に戻るよう、私はアメリカという国に送られるということでした。
私どもの驚きを想像してください!
何も知らぬ10歳の少女が未知の国で長い年月を過ごさねばならないなんて。
私は初めて人力車に乗って横浜を目指しました。
そして至る所で祝宴が張られ、準備のための数週間はまたたく間に過ぎてしまいました。

私たち女子は5名でした。
何人かの外国人が同じ蒸気船に乗ってアメリカ号に乗り移りました。
1階の船室が私たちの部屋となりました。
津田梅子は細くて小ちゃな女の子なので、吉益亮子と一緒に寝ました。
友人たちからはお菓子の折りを贈られました。
その箱は船室の天井近くに届くほどだったので、私たちは得意になりました。
長い弁髪の中国人コックが外国の料理を運んできましたが、私たちが箸をつけようとしないので彼らは全部引っ込めてしまいました。
私たちはその代わり菓子折りの中身を次々と空にしていきました。
一番困ったのは船酔いでした。
3日目に私たちの苦しむのを見かねて隣室の福地桜痴が、船酔いを助長する甘い菓子折りを一つ残らず海中に投げ込んでしまいました。
私たち全員が「捨てないで!」と泣き叫ぶのを尻目に。

ソルトレーク市で猛烈な吹雪となり、2週間以上もホテルに足止めを食ってしまいました。
私たちは雪のすごさを目の当たりにしました。
初めて雪ぞりに乗りましたが、私たちは日本の着物だったので、冷たい風は私たちを家の中にこもらせてしまうのでした。
伊藤博文はしばしば私たちの部屋へやってきて、髪の毛が総毛立つようなお化けの話からだんだんと昔のおとぎ話に移るのでした。

ワシントンでは私たちは駐米公使の森有礼に特に世話になりました。
津田梅子はランマン夫妻の家で暮らすことになって行ってしまいました。
夫妻には子供がなかったので、梅子を「輝かしい小っちゃなタイクーン」と呼んで可愛がりました。

捨松が来てくれました。
彼女は以前と同様、イエスに関する私の話を大して気にかけていない。
いつも彼女は優しく寛大で親切なので、私は捨松がいずれイエスに彼女の人生を委ねることを期待している。
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実業家 益田孝男爵 永井繁子の兄

妹繁子帰朝せし時はまったく日本語を忘れ、ただ「猫」という一語を記憶しているのみ。
発育盛りの10年を外国にありては、日本語を忘るも無理ならず。
余がすべて通訳の労をとり徐々に日本の言語風俗に馴れ親しむるよう努めたけれども、米国にて受けたる教養が深く身にしみて、手紙も英文、その他なにごとにても中年より日本に来りて育ちたる米国人のごとく思われたり。
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小金克子への取材 瓜生繁子の孫・瓜生千代の娘・政治家小金義照の妻

「祖母繁子の養母という人がきつい性格で、祖母は永井家の暮らしが嫌でたまらなかったとよく私の母に話していました」
それゆえ繁子にとっては、むしろ渡りに船のアメリカ留学だったというわけである。

克子さんの知っている繁子はだいたい50代からの印象であるが、とにかく格式ばらない実におおらかな性格の人であったようだ。
繁子は50代でもやはり英語の方が乗りが良く、日本語も話すがいささかトンチンカンな受け答えもあった。
夫君との会話も込み入ってくると英語になってしまい、よく口ゲンカをしたそうだ。
克子さんの家に先に繁子お祖母様が来て、少し後から外吉お祖父様がやって来ると、また二人はケンカしたのかなと思ったそうだ。

千代・忍・栄枝の三人娘が姦しくおしゃべりに興じトランプや花札にうつつを抜かしていても、口をはさむでもなくそばでニコニコしていたという。
克子さんは母の千代さんからも「繁子から勉強しろの、ピアノを習えのと、一度も言われずに育った」とも聞いたという。
周囲はアメリカにまで留学した教育者の母親がそばにいて、誰もあまり勉強もせずピアノも弾かないと笑っていたが、繁子本人はまったく平気だった。

いつも乞食に与える用の銭入れを持っていたが、すぐに空になってしまう。
またタンスに鍵をかけて外出するのは良いがその鍵をタンスの上に置いて行くので、「それでは何にもならない」と家族が言うと、繁子は「こうしておけば泥棒が重宝するでしょう」と言ったという。
「まさか歴史に残るような女性とは思わなかった。どこか浮世離れしたところがあり、ありのままの人でした」
と克子さんは語り終えた。
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伊藤忠兵衛 伊藤忠創業者

男爵海軍大将の奥さんなら貞淑そのものと思っていたら、大違いでよく口ゲンカをなさる。
奥さんは思想から態度からまったく外国式であった。
それも英語で丁々発止とやるのでさっぱりわからず、唐人の寝言とはこのことだと、不思議な気持ちで夫妻を眺めたものです。
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津田梅子 アメリカの友人あての手紙 1911年

シゲはいつも陽気で忙しくしています。
彼女は夫の地位のおかげで多くの責任を持たされ、たくさんの仕事をこなしています。
彼女はそうした生活のすべてと、高い地位が気に入っています。
彼女には多くの孫がいて、家庭生活は幸せで、かわいそうなステマツよりもはるかに幸せです。
ステマツは家族も病気がちで、彼女自身もあまり丈夫ではありません。
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◆2代 瓜生剛 1代外吉の子
1886年生


■妻  中島愛子


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◆3代 瓜生武夫 2代剛の甥/瓜生勇の子