◆初代侯爵 小村寿太郎 飫肥藩士小村寛平の子 外務大臣
1855-1911
*身長156cm、大きな頭に痩せた身体、よく動き回るので「ネズミ公使」と呼ばれた。
*持病は肺結核と痔瘻だったが、腸チフスで死亡。
■妻 朝比奈マチコ 幕臣朝比奈孝一の娘
1865-1937
●男子 小村欣一 1883年生 2代当主
●男子 小村捷治 1895年生 3代当主
●女子 小村文子 1886年生 外交官佐分利貞男と結婚
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『明治大臣の夫人』明治36年出版
<小村夫人の嫉妬>
小村寿太郎侯爵の夫人と言えば、持って生まれた負けぬ嫌いの気性と蒲色が過ぎたチンチンとで折々とんだ痴劇を演じられることがある。
一時は侯爵もなかなか盛んに新橋辺へ出かけて遊んだこともあった。
その頃侯爵が本陣というのはかの蜂龍亭で、ある夜のこと例のごとく侯爵が馴染みの芸者を呼んで真猫をきめ込んでいると、かねがねその噂を聞いていた夫人は今夜こそ一番当の敵を引き捕え思う存分意趣晴らしをしてくれようと四方八方腕車を飛ばして侯爵がしけ込んだ先を探して歩いた末やっとのことで蜂龍亭にいるということを突き止めたので、細君は夜叉の暴れたるごとくに両人が今しも蘭灯のもと浅酌低唱の最中へと飛び込んだ。
驚いたのは小村の親爺まさかこの穴まで嗅ぎつけてこようとは思い設けぬ次第ゆえ、天から降ったか地から湧いたかとばかり驚いたが、さすがは鼠公使とまであだ名を取ったほどの男、例の手腕の早業で相手の女を裏座敷へと押し隠したけれど、時遅くすでに見つけた夫人には部屋に入るや否やその場にあった火鉢を力まかせに投げ出したからたまらない。
座敷中は時ならぬ雪を散らしたから侯爵は女中を呼び掃除させようとすると、
夫人は女中のホウキを引ったくり「お前なぞがあんな芸妓を取り持つから悪いのだ」と散々っぱら打ち殴ったので、この騒ぎから侯爵も少しはおとなしくなった。
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宮武外骨『地獄耳』1918年
小村寿太郎の女房は夫の生前中から不和のため発狂して、いまなお存命。
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◆2代侯爵 小村欣一 初代侯爵小村寿太郎の子
1883-1930
■妻 平山温子 平山成信男爵の娘
1887-1945
●長女 小村淑子 早逝
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『岡部長景日記』文部大臣※当時は外務官僚
1929年1月22日
外務次官官舎にて局課長連の歓談会食あり。
小村欣一君の話が出た。
「情報部長から大使館参事官になって遊撃隊は妙なものだ。いっそ貴族院議員に出たらよいに」と言う人があれば、
「侯爵だから歳費がないのには困るのだろう」と同情する人もある。
「先代が出世しすぎたのだ。陞爵も考えものだぞ。一階級下がって伯爵になり、他に男爵でもひとつこしらえたらよかろう」
「いやそれより、子爵で良いから男爵一軒分だけ金をもらったらいっそうありがたいだろう」
「いやいや、金ができたらまた元の侯爵が惜しくなるに違いない」と、さだめし小村君はくさめをしておることだろう。
1929年10月9日
青山斎場に至り、小村君の令嬢の告別式に焼香した。
淑子嬢は今年17歳。
小村君の一人娘であるし、夫人は近く厳父を失い、今またこの不幸あり。
同情に堪えなかった。
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『岡部長景日記』文部大臣※当時は貴族院議員
1930年12月29日
朝刊に小村君が十二指腸炎から膵臓炎で重体だという記事があったから、午後見舞ったところ今朝薨去された由。
嗚呼、人生朝露とはこのことか。
去12月15日の吉田令嬢結婚披露の時には、「十年余医師にかかりたることなし」とて非常なる元気であったのに、わずか2週間の内にかくなるとは。
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◆3代 小村捷治 初代侯爵小村寿太郎の子
1895-1972
■妻 飯田清子 飯田仁三郎の娘
1900-1970
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『木戸幸一日記』内大臣※当時は宗秩寮総裁
<後継者問題>
1933年9月26日
小村侯爵家相続人選定の件は、三井高公男爵より養子を入るるがごときは、今日の時勢より見ていわゆる財閥と特権階級の結託を目前に示すがごときものにて、人心を刺激して面白からずと思われる。
1933年10月17日
小村捷治氏来訪。
小村侯爵家相続の問題につき、岡部長景子爵との関係は不調となる。
〔岡部子爵家から養子を取るつもりだった〕
年齢が数カ月下なるため、母堂小村マチ夫人の反対せられたるによるとのことなり。
「ついては山県公爵の弟山県七郎氏に交渉することにしたり、尽力を乞う」とのことなりしゆえ、
予としては「側面より尽力すべき」旨を答う。
「もし万一不調に終わる場合にはもはや適当な候補者もこれなく、さりとてこのまま侯爵家を絶つも宮内省に対し申し訳なきゆえ、自分にても一時相続を願い出るほかなし」との話なりしゆえ、
「宮内省としては無理してまでも継ぐの要はなく、後世に汚名を残すごときことあらんには、むしろ二代にして侯爵家を絶つにしかずと思う」旨を答う。
1933年11月4日
山県有道公爵来庁。
小村侯爵家相続の件につき、山県公爵の令弟山県七郎氏を勧む。
困難なる事情あるらしき様子なり。
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1855-1911
*身長156cm、大きな頭に痩せた身体、よく動き回るので「ネズミ公使」と呼ばれた。
*持病は肺結核と痔瘻だったが、腸チフスで死亡。
■妻 朝比奈マチコ 幕臣朝比奈孝一の娘
1865-1937
●男子 小村欣一 1883年生 2代当主
●男子 小村捷治 1895年生 3代当主
●女子 小村文子 1886年生 外交官佐分利貞男と結婚
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『明治大臣の夫人』明治36年出版
<小村夫人の嫉妬>
小村寿太郎侯爵の夫人と言えば、持って生まれた負けぬ嫌いの気性と蒲色が過ぎたチンチンとで折々とんだ痴劇を演じられることがある。
一時は侯爵もなかなか盛んに新橋辺へ出かけて遊んだこともあった。
その頃侯爵が本陣というのはかの蜂龍亭で、ある夜のこと例のごとく侯爵が馴染みの芸者を呼んで真猫をきめ込んでいると、かねがねその噂を聞いていた夫人は今夜こそ一番当の敵を引き捕え思う存分意趣晴らしをしてくれようと四方八方腕車を飛ばして侯爵がしけ込んだ先を探して歩いた末やっとのことで蜂龍亭にいるということを突き止めたので、細君は夜叉の暴れたるごとくに両人が今しも蘭灯のもと浅酌低唱の最中へと飛び込んだ。
驚いたのは小村の親爺まさかこの穴まで嗅ぎつけてこようとは思い設けぬ次第ゆえ、天から降ったか地から湧いたかとばかり驚いたが、さすがは鼠公使とまであだ名を取ったほどの男、例の手腕の早業で相手の女を裏座敷へと押し隠したけれど、時遅くすでに見つけた夫人には部屋に入るや否やその場にあった火鉢を力まかせに投げ出したからたまらない。
座敷中は時ならぬ雪を散らしたから侯爵は女中を呼び掃除させようとすると、
夫人は女中のホウキを引ったくり「お前なぞがあんな芸妓を取り持つから悪いのだ」と散々っぱら打ち殴ったので、この騒ぎから侯爵も少しはおとなしくなった。
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宮武外骨『地獄耳』1918年
小村寿太郎の女房は夫の生前中から不和のため発狂して、いまなお存命。
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◆2代侯爵 小村欣一 初代侯爵小村寿太郎の子
1883-1930
■妻 平山温子 平山成信男爵の娘
1887-1945
●長女 小村淑子 早逝
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『岡部長景日記』文部大臣※当時は外務官僚
1929年1月22日
外務次官官舎にて局課長連の歓談会食あり。
小村欣一君の話が出た。
「情報部長から大使館参事官になって遊撃隊は妙なものだ。いっそ貴族院議員に出たらよいに」と言う人があれば、
「侯爵だから歳費がないのには困るのだろう」と同情する人もある。
「先代が出世しすぎたのだ。陞爵も考えものだぞ。一階級下がって伯爵になり、他に男爵でもひとつこしらえたらよかろう」
「いやそれより、子爵で良いから男爵一軒分だけ金をもらったらいっそうありがたいだろう」
「いやいや、金ができたらまた元の侯爵が惜しくなるに違いない」と、さだめし小村君はくさめをしておることだろう。
1929年10月9日
青山斎場に至り、小村君の令嬢の告別式に焼香した。
淑子嬢は今年17歳。
小村君の一人娘であるし、夫人は近く厳父を失い、今またこの不幸あり。
同情に堪えなかった。
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『岡部長景日記』文部大臣※当時は貴族院議員
1930年12月29日
朝刊に小村君が十二指腸炎から膵臓炎で重体だという記事があったから、午後見舞ったところ今朝薨去された由。
嗚呼、人生朝露とはこのことか。
去12月15日の吉田令嬢結婚披露の時には、「十年余医師にかかりたることなし」とて非常なる元気であったのに、わずか2週間の内にかくなるとは。
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◆3代 小村捷治 初代侯爵小村寿太郎の子
1895-1972
■妻 飯田清子 飯田仁三郎の娘
1900-1970
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『木戸幸一日記』内大臣※当時は宗秩寮総裁
<後継者問題>
1933年9月26日
小村侯爵家相続人選定の件は、三井高公男爵より養子を入るるがごときは、今日の時勢より見ていわゆる財閥と特権階級の結託を目前に示すがごときものにて、人心を刺激して面白からずと思われる。
1933年10月17日
小村捷治氏来訪。
小村侯爵家相続の問題につき、岡部長景子爵との関係は不調となる。
〔岡部子爵家から養子を取るつもりだった〕
年齢が数カ月下なるため、母堂小村マチ夫人の反対せられたるによるとのことなり。
「ついては山県公爵の弟山県七郎氏に交渉することにしたり、尽力を乞う」とのことなりしゆえ、
予としては「側面より尽力すべき」旨を答う。
「もし万一不調に終わる場合にはもはや適当な候補者もこれなく、さりとてこのまま侯爵家を絶つも宮内省に対し申し訳なきゆえ、自分にても一時相続を願い出るほかなし」との話なりしゆえ、
「宮内省としては無理してまでも継ぐの要はなく、後世に汚名を残すごときことあらんには、むしろ二代にして侯爵家を絶つにしかずと思う」旨を答う。
1933年11月4日
山県有道公爵来庁。
小村侯爵家相続の件につき、山県公爵の令弟山県七郎氏を勧む。
困難なる事情あるらしき様子なり。
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