■本邸 台東区池之端 1万4千坪 1896年竣工 設計:ジョサイア・コンドル
■深川別邸〈清澄園〉3万坪 1891年竣工 設計:ジョサイア・コンドル
■駒込別邸〈六義園〉12万坪
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※三菱財閥の総帥の座は親から子へ移るのではなく、
兄の弥太郎・弟の弥之助の2つの家から交互に継いでゆく。
■父 岩崎弥次郎
1808-1873
■母 小野美和 小野慶蔵の娘
1814-1900
●男子 岩崎弥太郎 1834年生
●男子 岩崎弥之助 1851年生
●女子 岩崎サキ 1838年生 藤岡正敏と結婚→娘藤岡直子は日本勧業銀行総裁志村源太郎と結婚
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◆初代 岩崎弥太郎 初代統帥
1835-1885 50歳没
*生まれつき頑健だったが、長年の大酒がたたって40代から胃の不調に悩む。
*胃痛と嘔吐を繰り返し胃ガンと診断され、痩せて腹部だけ膨れ、死亡。
■妻 高芝喜勢 高芝玄馬の娘
1845-1923 78歳没
●実子 岩崎久弥 1865年生 2代当主・3代総帥
●庶子 岩崎秀弥 1880年生
●庶子 岩崎康弥 1882年生 医者松山棟庵の娘松山登志子と結婚
●庶子 岩崎正弥 1882年生 外務官僚能勢辰五郎の娘能勢高麗子と結婚
●養子 岩崎豊弥 1875年生 郷純造の子・妻は伯爵柳沢保申の娘武子・子は岩崎勝太郎
●実娘 岩崎春路 1864年生 総理大臣加藤高明伯爵と結婚
●実娘 岩崎磯路 1871年生 京都府知事木内重四郎と結婚
●庶女 岩崎富子 1876年生 三菱社員早尾淳実と結婚離婚
●庶女 岩崎雅子 1881年生 総理大臣幣原喜重郎男爵と結婚
●岩崎豊弥 郷純造の子・妻は伯爵柳沢保申の娘武子・子は岩崎勝太郎
岩崎勝太郎 1978年
1918年「岩崎家五婚」
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『明治大正名妓物語』1929年
岩崎弥太郎なども盛んに吉原で遊んだものである。
例の癇癖でいくぶん変態的なところもあったものと見え、吉原の芸者に上品な丸髷や高島田を結わせ、それをメチャクチャに潰して一種の快感を貪っていた。
若松屋の〈おりえ〉が73歳の卒塔婆小町となって岩崎の屋敷に無心に行き、玄関口で卒倒して高輪病院に担ぎ込まれたなどという哀話が残っているのを見ても、岩崎弥太郎がいかに吉原で札びらを切ったかが思われる。
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『横から見た華族物語』1932年
大阪富田屋に〈お雄〉という芸妓がいた。
これに目をつけたのが富田屋にとって一の客である岩崎弥太郎男爵であった。
まだ年の若いお雄として、金のために自由にされるということは好まなかった。
なかなかおいそれと色よい返事をしない。
金さえ積めばどんなことでも思うままになると思い込んでいる大尽は、金は山ほど積むとか、言うことを聞けば何でも望む物は買ってやるとか、そんな言葉が幾度となく繰り返された。
すると当人のお雄は相手の言葉をみなまで聞かず、すいと立ち上がって気分が悪いからと言ってその場から出てしまった。
ちょうど冬のことで岩崎大尽はコタツに入って飲んでいた。
お雄の艶な姿が見えなくなると布団の上に顔を押し付け太い息を吐いていたが、やがて布団をメリメリと引き裂き、綿をちぎって左右へ投げ始めた。
顔を見ると目には涙さえ浮かべているといった有様で、天下の弥太郎も一婦人のために滅茶滅茶の姿となった。
この狂態を見せつけられては富田屋の夫婦も黙って見ていられなかった。
とうとう嫌がるお雄を口説き落として岩崎男爵の意に従わせることとなった。
それから後の岩崎男爵は足一歩も富田屋の敷居から出ずお雄を引きつけ切りであったが、東京へ行かねばならぬ用件ができたのでしばらくお雄と遠ざかることになった。
岩崎男爵が上京の留守中に井上馨侯爵が富田屋に遊んで、一目お雄の姿を見ると今まで馴染んでいた女を振り捨て一本やりにお雄を目指して手に入れようと焦り出した。
お雄にはすでに岩崎大尽という日本一の旦那のあることは承知している。
だが井上侯爵とて富田屋にとっては岩崎男爵にもまして大切なお客様である。
井上侯爵を押し付けられてみると、井上侯爵の女道楽は相当の修養を積んでいるから女の嬉しがりそうなことを言ってちょいちょい優しいところを見せる。
男慣れしていないお雄が日増しに井上侯爵に引きつけられて行くのは無理もないことで、もし二人の仲が岩崎男爵に知れても決して見捨てて下さるなと自分の方から真心を見せて頼むほどになった。
意外なところから井上という色敵が飛び出してこっそりお雄の手を握った秘密は神ならぬ身の知る由もなかったが、場所が口さがなき遊郭のことではあり関係する人々がいずれも当世第一の人物であったから、誰言うことなく噂は噂を生んで井上侯爵とお雄とが描いた秘密がとうとう岩崎男爵の耳に入ってしまった。
ある晩富田屋の大広間で長州人と土州人との懇親会が開かれた。
井上侯爵も岩崎男爵もむろんこの席に列なった。
集まった者はいずれも維新前後の危ない巷を出入りした粒よりの勇者で、維新当時の立ち働きや自分達の功名談に花を咲かせ、痛快を叫びつつ献酬に忙しく盃の巡りも存外に早かった。
岩崎男爵は急に席を立ちお雄の手を取って井上侯爵の前へやって来た。
立ったまま井上侯爵を見下ろしながら肴を遣わすと言うなりお雄を井上侯爵の前へ突き倒し、「乞食武士には腐った肴が分相応だ、よく匂いを嗅いで賞玩しろ」と怒鳴りつけたから、井上侯爵も黙ってはいられない行き掛りになった。
それでもその場は仲裁する者が出てどうにか無事に納まったが、お雄には岩崎男爵から暇が出た。
こうなるとお雄としては意地からでも井上侯爵に捨てられてはならぬ。
そこで井上侯爵に念を押したところ、「わしも長州の井上だ、お前の他には女を相手にしない」とキッパリした返事であった。
そんな約束がいつまで守れるはずがない。
月日が経つに従って浮気の心も起りお雄の顔も見飽いてきた。
その後天王寺家の房鶴という芸妓を相手にお雄に内密でちょいちょい会っていたが、いつのまにかそれがお雄の耳に入ったからただで済むはずはなかった。
井上侯爵が房鶴を相手にふざけている現場へ乗り込んで行って、「岩崎さんがお前さんを乞食武士だと言ったが、本当に乞食武士に違いない。
それに女の乞食もいて二人でさかっていやがる」と恐ろしい啖呵を切って、井上侯爵の顔を痰を吐きかけてそれきり絶交してしまった。
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弥太郎は4人の娘たちに将来有望な婿を選んで結婚させた。
富子の夫早尾淳実も東京大学法科を2番で卒業した秀才だったが、富子の不倫を機に、部下に当時の金額で16億円もの小切手を振り出すように命じたりするようになって精神病院送りとなった。
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宮武外骨『地獄耳』1917年
故岩崎弥太郎の娘岩崎富子は、本郷駒込の岩崎の別邸に多年幽閉されている。
富子は妾腹で、役者勘五郎の胤と言われたほどの美人で、三菱五婿の一人早尾淳実に嫁いだが、役者買いに浮き身をやつして風波絶えず、夫の早尾は発狂し、富子は離縁となって今日なお駒込の別邸に日陰者となっている。
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宮武外骨『地獄耳』1917年
加藤高明の女房は岩崎家のお嬢さんで200万円の持参金つきだから一生女房に頭が上がらぬ方だが、それでも女房に内々で新橋の松日の家松栄・花月の女将お静を寵愛している。
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宮武外骨『地獄耳』1918年
千葉県では「あいつは木内のような奴だ」という言葉が流行している。
これは三菱の鮒馬で京都府知事たる木内重四郎のことである。
この男の傲岸不遜ときたら、途中で人がお辞儀をしても見向きもしないくらいの威張り方であるそうな。
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◆2代当主 岩崎久弥 初代当主岩崎弥太郎の子 3代統帥
1865-1955 90歳没
■妻 保科寧子 保科正益子爵の娘
1874年生
●長男 岩崎彦弥太 幻の5代総帥
●二男 岩崎隆弥 大臣池田成彬の娘池田敏子と結婚
●三男 岩崎恒弥 海軍清河純一の娘清河勝代と結婚
●長女 岩崎美喜 外務官僚沢田廉三と結婚
●二女 岩崎澄子 伯爵甘露寺受長の子甘露寺方房と結婚
●三女 岩崎綾子 福沢諭吉の孫福沢堅次と結婚
●岩崎美喜 外務官僚沢田廉三と結婚 エリザベスサンダースホームを創立
1958年 息子沢田信一が離婚訴訟で敗ける
1980年 沢田美喜夫妻が息子の不倫相手を養女にする
1980年
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◆3代当主 岩崎彦弥太 2代当主岩崎久弥の子・幻の5代総帥
1895-1967
■妻 佐竹操子 佐竹義準男爵の娘
●長男 岩崎寛弥 1930年生 4代当主
●長女 岩崎勢津子 1928年生 国広達宣と結婚
●二女 岩崎昭子 1929年生 山村泰弘と結婚
●三女 岩崎美智子 1932年生 高島孝之と結婚
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岩崎寛弥 岩崎彦弥太の子
「自分のところで育てた馬が走るわけですから、競馬に熱心でした。
馬は育てることも、レースに出すことも、自分で乗ることも好きで、
馬術についてはウィーンのスペイン馬術学校に入学しているほどです。
戦後の父は、馬と狩りといったアウトドアの趣味と、大好きなお酒の日々でした」
彦弥太は学習院から東大に進み、卒業後はイギリスのオックスフォード大学へ留学。
帰国後は三菱鉱業や富士紡績で経営者としての修業を積んだ後、
三菱合資に入り4代総帥彦弥太の下で副社長になる。
順当に行けば5代目総帥となる予定であったが、敗戦とそれに続く財閥解体により幻に終わった。
岩崎家は三菱本体とは別に小岩井農場をはじめとする農場経営を行っており、
これは財閥解体の対象とならなかったので、その後の彦弥太は大農場のオーナーとして生きる。
国分寺別邸は1万坪の敷地に、プール・農地・鴨池・ケンネルなどがあった。
プールは子供たちのため、農地では自家用の野菜や果物を作らせ、鴨池では自家用の鴨を飼育させた。
彦弥太は狩りが好きで獲物の鴨や雉を食べるのを楽しみにしていたが、
狩りのない時用に鴨を飼っておくのである。
ケンネルは犬の繁殖のためで、イギリスやドイツから優秀なエアデールテリアを輸入し交配させていた。
使用人によると、彦弥太はすべての豚や鶏の顔を覚えていたそうである。
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◆4代当主 岩崎寛弥 3代当主岩崎彦弥太の子
1930-2008
■妻 清水美智子
1943年生
●養子 岩崎透 1950年生 2代岩崎弥之助→子岩崎輝弥→孫ドイツ語学者岩崎英二郎→曾孫岩崎透
■深川別邸〈清澄園〉3万坪 1891年竣工 設計:ジョサイア・コンドル
■駒込別邸〈六義園〉12万坪
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※三菱財閥の総帥の座は親から子へ移るのではなく、
兄の弥太郎・弟の弥之助の2つの家から交互に継いでゆく。
■父 岩崎弥次郎
1808-1873
■母 小野美和 小野慶蔵の娘
1814-1900
●男子 岩崎弥太郎 1834年生
●男子 岩崎弥之助 1851年生
●女子 岩崎サキ 1838年生 藤岡正敏と結婚→娘藤岡直子は日本勧業銀行総裁志村源太郎と結婚
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◆初代 岩崎弥太郎 初代統帥
1835-1885 50歳没
*生まれつき頑健だったが、長年の大酒がたたって40代から胃の不調に悩む。
*胃痛と嘔吐を繰り返し胃ガンと診断され、痩せて腹部だけ膨れ、死亡。
■妻 高芝喜勢 高芝玄馬の娘
1845-1923 78歳没
●実子 岩崎久弥 1865年生 2代当主・3代総帥
●庶子 岩崎秀弥 1880年生
●庶子 岩崎康弥 1882年生 医者松山棟庵の娘松山登志子と結婚
●庶子 岩崎正弥 1882年生 外務官僚能勢辰五郎の娘能勢高麗子と結婚
●養子 岩崎豊弥 1875年生 郷純造の子・妻は伯爵柳沢保申の娘武子・子は岩崎勝太郎
●実娘 岩崎春路 1864年生 総理大臣加藤高明伯爵と結婚
●実娘 岩崎磯路 1871年生 京都府知事木内重四郎と結婚
●庶女 岩崎富子 1876年生 三菱社員早尾淳実と結婚離婚
●庶女 岩崎雅子 1881年生 総理大臣幣原喜重郎男爵と結婚
●岩崎豊弥 郷純造の子・妻は伯爵柳沢保申の娘武子・子は岩崎勝太郎
岩崎勝太郎 1978年
1918年「岩崎家五婚」
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『明治大正名妓物語』1929年
岩崎弥太郎なども盛んに吉原で遊んだものである。
例の癇癖でいくぶん変態的なところもあったものと見え、吉原の芸者に上品な丸髷や高島田を結わせ、それをメチャクチャに潰して一種の快感を貪っていた。
若松屋の〈おりえ〉が73歳の卒塔婆小町となって岩崎の屋敷に無心に行き、玄関口で卒倒して高輪病院に担ぎ込まれたなどという哀話が残っているのを見ても、岩崎弥太郎がいかに吉原で札びらを切ったかが思われる。
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『横から見た華族物語』1932年
大阪富田屋に〈お雄〉という芸妓がいた。
これに目をつけたのが富田屋にとって一の客である岩崎弥太郎男爵であった。
まだ年の若いお雄として、金のために自由にされるということは好まなかった。
なかなかおいそれと色よい返事をしない。
金さえ積めばどんなことでも思うままになると思い込んでいる大尽は、金は山ほど積むとか、言うことを聞けば何でも望む物は買ってやるとか、そんな言葉が幾度となく繰り返された。
すると当人のお雄は相手の言葉をみなまで聞かず、すいと立ち上がって気分が悪いからと言ってその場から出てしまった。
ちょうど冬のことで岩崎大尽はコタツに入って飲んでいた。
お雄の艶な姿が見えなくなると布団の上に顔を押し付け太い息を吐いていたが、やがて布団をメリメリと引き裂き、綿をちぎって左右へ投げ始めた。
顔を見ると目には涙さえ浮かべているといった有様で、天下の弥太郎も一婦人のために滅茶滅茶の姿となった。
この狂態を見せつけられては富田屋の夫婦も黙って見ていられなかった。
とうとう嫌がるお雄を口説き落として岩崎男爵の意に従わせることとなった。
それから後の岩崎男爵は足一歩も富田屋の敷居から出ずお雄を引きつけ切りであったが、東京へ行かねばならぬ用件ができたのでしばらくお雄と遠ざかることになった。
岩崎男爵が上京の留守中に井上馨侯爵が富田屋に遊んで、一目お雄の姿を見ると今まで馴染んでいた女を振り捨て一本やりにお雄を目指して手に入れようと焦り出した。
お雄にはすでに岩崎大尽という日本一の旦那のあることは承知している。
だが井上侯爵とて富田屋にとっては岩崎男爵にもまして大切なお客様である。
井上侯爵を押し付けられてみると、井上侯爵の女道楽は相当の修養を積んでいるから女の嬉しがりそうなことを言ってちょいちょい優しいところを見せる。
男慣れしていないお雄が日増しに井上侯爵に引きつけられて行くのは無理もないことで、もし二人の仲が岩崎男爵に知れても決して見捨てて下さるなと自分の方から真心を見せて頼むほどになった。
意外なところから井上という色敵が飛び出してこっそりお雄の手を握った秘密は神ならぬ身の知る由もなかったが、場所が口さがなき遊郭のことではあり関係する人々がいずれも当世第一の人物であったから、誰言うことなく噂は噂を生んで井上侯爵とお雄とが描いた秘密がとうとう岩崎男爵の耳に入ってしまった。
ある晩富田屋の大広間で長州人と土州人との懇親会が開かれた。
井上侯爵も岩崎男爵もむろんこの席に列なった。
集まった者はいずれも維新前後の危ない巷を出入りした粒よりの勇者で、維新当時の立ち働きや自分達の功名談に花を咲かせ、痛快を叫びつつ献酬に忙しく盃の巡りも存外に早かった。
岩崎男爵は急に席を立ちお雄の手を取って井上侯爵の前へやって来た。
立ったまま井上侯爵を見下ろしながら肴を遣わすと言うなりお雄を井上侯爵の前へ突き倒し、「乞食武士には腐った肴が分相応だ、よく匂いを嗅いで賞玩しろ」と怒鳴りつけたから、井上侯爵も黙ってはいられない行き掛りになった。
それでもその場は仲裁する者が出てどうにか無事に納まったが、お雄には岩崎男爵から暇が出た。
こうなるとお雄としては意地からでも井上侯爵に捨てられてはならぬ。
そこで井上侯爵に念を押したところ、「わしも長州の井上だ、お前の他には女を相手にしない」とキッパリした返事であった。
そんな約束がいつまで守れるはずがない。
月日が経つに従って浮気の心も起りお雄の顔も見飽いてきた。
その後天王寺家の房鶴という芸妓を相手にお雄に内密でちょいちょい会っていたが、いつのまにかそれがお雄の耳に入ったからただで済むはずはなかった。
井上侯爵が房鶴を相手にふざけている現場へ乗り込んで行って、「岩崎さんがお前さんを乞食武士だと言ったが、本当に乞食武士に違いない。
それに女の乞食もいて二人でさかっていやがる」と恐ろしい啖呵を切って、井上侯爵の顔を痰を吐きかけてそれきり絶交してしまった。
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弥太郎は4人の娘たちに将来有望な婿を選んで結婚させた。
富子の夫早尾淳実も東京大学法科を2番で卒業した秀才だったが、富子の不倫を機に、部下に当時の金額で16億円もの小切手を振り出すように命じたりするようになって精神病院送りとなった。
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宮武外骨『地獄耳』1917年
故岩崎弥太郎の娘岩崎富子は、本郷駒込の岩崎の別邸に多年幽閉されている。
富子は妾腹で、役者勘五郎の胤と言われたほどの美人で、三菱五婿の一人早尾淳実に嫁いだが、役者買いに浮き身をやつして風波絶えず、夫の早尾は発狂し、富子は離縁となって今日なお駒込の別邸に日陰者となっている。
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宮武外骨『地獄耳』1917年
加藤高明の女房は岩崎家のお嬢さんで200万円の持参金つきだから一生女房に頭が上がらぬ方だが、それでも女房に内々で新橋の松日の家松栄・花月の女将お静を寵愛している。
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宮武外骨『地獄耳』1918年
千葉県では「あいつは木内のような奴だ」という言葉が流行している。
これは三菱の鮒馬で京都府知事たる木内重四郎のことである。
この男の傲岸不遜ときたら、途中で人がお辞儀をしても見向きもしないくらいの威張り方であるそうな。
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◆2代当主 岩崎久弥 初代当主岩崎弥太郎の子 3代統帥
1865-1955 90歳没
■妻 保科寧子 保科正益子爵の娘
1874年生
●長男 岩崎彦弥太 幻の5代総帥
●二男 岩崎隆弥 大臣池田成彬の娘池田敏子と結婚
●三男 岩崎恒弥 海軍清河純一の娘清河勝代と結婚
●長女 岩崎美喜 外務官僚沢田廉三と結婚
●二女 岩崎澄子 伯爵甘露寺受長の子甘露寺方房と結婚
●三女 岩崎綾子 福沢諭吉の孫福沢堅次と結婚
●岩崎美喜 外務官僚沢田廉三と結婚 エリザベスサンダースホームを創立
1958年 息子沢田信一が離婚訴訟で敗ける
1980年 沢田美喜夫妻が息子の不倫相手を養女にする
1980年
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◆3代当主 岩崎彦弥太 2代当主岩崎久弥の子・幻の5代総帥
1895-1967
■妻 佐竹操子 佐竹義準男爵の娘
●長男 岩崎寛弥 1930年生 4代当主
●長女 岩崎勢津子 1928年生 国広達宣と結婚
●二女 岩崎昭子 1929年生 山村泰弘と結婚
●三女 岩崎美智子 1932年生 高島孝之と結婚
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岩崎寛弥 岩崎彦弥太の子
「自分のところで育てた馬が走るわけですから、競馬に熱心でした。
馬は育てることも、レースに出すことも、自分で乗ることも好きで、
馬術についてはウィーンのスペイン馬術学校に入学しているほどです。
戦後の父は、馬と狩りといったアウトドアの趣味と、大好きなお酒の日々でした」
彦弥太は学習院から東大に進み、卒業後はイギリスのオックスフォード大学へ留学。
帰国後は三菱鉱業や富士紡績で経営者としての修業を積んだ後、
三菱合資に入り4代総帥彦弥太の下で副社長になる。
順当に行けば5代目総帥となる予定であったが、敗戦とそれに続く財閥解体により幻に終わった。
岩崎家は三菱本体とは別に小岩井農場をはじめとする農場経営を行っており、
これは財閥解体の対象とならなかったので、その後の彦弥太は大農場のオーナーとして生きる。
国分寺別邸は1万坪の敷地に、プール・農地・鴨池・ケンネルなどがあった。
プールは子供たちのため、農地では自家用の野菜や果物を作らせ、鴨池では自家用の鴨を飼育させた。
彦弥太は狩りが好きで獲物の鴨や雉を食べるのを楽しみにしていたが、
狩りのない時用に鴨を飼っておくのである。
ケンネルは犬の繁殖のためで、イギリスやドイツから優秀なエアデールテリアを輸入し交配させていた。
使用人によると、彦弥太はすべての豚や鶏の顔を覚えていたそうである。
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◆4代当主 岩崎寛弥 3代当主岩崎彦弥太の子
1930-2008
■妻 清水美智子
1943年生
●養子 岩崎透 1950年生 2代岩崎弥之助→子岩崎輝弥→孫ドイツ語学者岩崎英二郎→曾孫岩崎透










