◆124代 昭和天皇(迪宮裕仁親王)123代大正天皇の長男
1901-1989 87歳没
■妻 香淳皇后 久邇宮良子女王 久邇宮邦彦王の娘
1903-2000 97歳没
●継宮 明仁親王 125代平成天皇
●義宮 正仁親王 常陸宮
●照宮 成子内親王 東久邇盛厚王と結婚
●久宮 祐子内親王 早逝
●孝宮 和子内親王 鷹司平通と結婚
●順宮 厚子内親王 池田隆政と結婚
●清宮 貴子内親王 島津久永と結婚
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高松宮喜久子妃の妹 徳川久美子→松平久美子→井出久美子 徳川慶久公爵の娘
天皇陛下にも幾度かお目にかかる機会がありました。
高松宮殿下がご病気になられ、お見舞いにいらっしゃった時でした。
義兄高松宮邸の玄関は段差があるため心配になり、私が思わず天皇陛下の手をお取りしようとしたら、陛下が私の手をサッと振り払われたのです。
高松宮殿下は酸素ボンベの管をつけたまま大いに笑われて、
「振り払われてるよ」とおっしゃりながら大変愉快そうに喜ばれておられました。
恐れ多くも陛下の手を取ろうなんて誰も考えないことですからね。
普通のご兄弟のように、和やかにお話を交わされていたお姿が思い出されます。
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━━天皇陛下・秩父宮・高松宮の御三方は皇孫殿下でいらっしゃったわけですね?
高松宮妃◆そう。三笠宮は大正天皇の時にお生まれになったので、皇子殿下。上の御三方はいつも御一緒にくっついていらした。皇孫様でいらしたから、少しは気楽な御立場で御生活おできになったの。
秩父宮妃◆三笠宮殿下は特に天皇陛下の皇子として御誕生のため、自分達は皇孫だったんだからちょっと立場が違うとお思いになったようね。昔書いたものを拝見すると、お小さい頃のエピソードなどがいろいろおありになる。参内する方々や地方からなど御三方様におもちゃとかスポーツ用具とか土地の名産など献上があったようです。あるとき御三方様で三つの人形それぞれお選びになるわけね。陛下はやっぱりそのことから兄上様だから、いつも弟様達に「お先に」とおっしゃるんです。
高松宮妃◆なかなかできないことですわね。
秩父宮妃◆そういうようにお躾られになったんですね。御子様だし自分の欲しい物は欲しい。まず宮が真っ先に「ありがとう」とおっしゃってお取りになる。今度は秩父宮は本当に珍しく「お兄様お先に」とおっしゃったんですね。そしたら陛下がびっくり遊ばしたと同時に、やっぱりを欲しい物をすぐにお取りになった。秩父宮は結局欲しい物がなく、残った物をやむをえずにお取りになった。涙を流さんばかりで。
高松宮妃◆おかわいいわねえ。
秩父宮妃◆本当におかわいいの。
高松宮妃◆本当に仲の良い御兄弟でいらした。
秩父宮妃◆御三方が御一緒に青山の皇子御殿でお育ちになって、明治天皇が崩御あそばして昭和天皇が東宮にお成りになって、〈おあにい様〉だけが高輪の東宮御所にお移りになって特別な教育を受けることになったわけ。
高松宮妃◆つまり東宮御学問所ね。
秩父宮妃◆それで御三人様はお別れする時が来て。お別れのお悲しみは大変でした。秩父宮と高松宮は、その時冬だったもので「明日は雪になれ雪になれ、大雪になれ、大雨になれ」って祈ってらしたんですって。そしたら本当に大雪で東宮が高輪にお移りになるのが御延期になり、バンザイバンザイで皆さん大喜びだったと書いてありますよ。お無邪気でほんとにお仲よしね。
高松宮妃◆まったくお仲よしねえ。
秩父宮妃◆ところがそう長くは降ってないでしょう、その翌日は晴れていよいよお別れで、あとの御二方様も別々の御用邸にいらっしゃることになりました。
高松宮妃◆陛下は沼津、秩父宮は葉山、うちの宮様は小田原と、別々に違う所へ おいでになったとあります。本当にお気の毒でしたの。
秩父宮妃◆そして御学友というのが決められて付属邸で御一緒に勉強して、皇子御殿の係の人が宮様方の御友達の世話もするのね。10日間ぐらいその子供達は親にも会えないし、宮様も夜は別の御部屋にお泊りになる。同じ御用邸の中でも、宮様方は御別室。小さな御学友の中には家に帰りたがって、親の顔を見たくて泣く子もあったと思います。
高松宮妃◆親の方も会いに行くのはお許しがあるけれど、勝手に連れて帰るわけにはいかない。そういう風な御教育でした。
━━秩父宮・高松宮は昭和天皇のことは「お兄上様」とおっしゃるんですか?
高松宮妃◆陛下。
秩父宮妃◆昔は「お兄様」とおっしゃった時代もあるようです。
高松宮妃◆お小さい時は「お兄宮様」
秩父宮妃◆お手紙はそうね、「お兄宮様」
高松宮妃◆私はいま宮様の御伝記を作らせておりますけれど、お手紙を全部整理したの。
貞明皇后から宮様宛にいろいろお手紙をいただいていまして、それを拝見すると本当にお偉いお母さまだったということがよくわかるの。受け皿の宮様方もお偉かったと思いますけど、お母様としての貞明皇后も大した方でいらっしゃいましたね。
高松宮妃◆終戦日に伺いましたよね。
秩父宮妃◆当日ね。あの時はお風邪を召していられたので、いったいどういうことになるか不安でした。陛下の初めての御放送で、こんな悲しい、終戦と言っているけど敗戦ですから。本当に思いもかけない出来事で、しかも初めて御放送遊ばすから、御兄弟として心配していらっしゃるわけ。お耐えになれるどうか、それからみんながちゃんとわかるかどうか。そこへ高松宮が高松宮妃とご一緒に、お忙しいのにわざわざいらしてくださいました。お知らせのあった時は、よくぞと嬉しく感激いたしました。お兄様とご一緒に御放送を伺おうとお思いになったからでしょう。やっぱり御兄弟で一緒にお育ちになったお兄様がはたしてうまく放送おできになるかどうか、お兄様の気持ちもお辛かろうから、せめてご一緒に聞こうというお気持ちなのね。
高松宮妃◆陛下の放送を四人でご一緒に伺いました。
秩父宮妃◆四人で伺ったのね、涙ばかり。高松宮はすぐ御用で飛んでお帰りになった。私はお昼の代わりに何か差し上げなければといっても、あの時代ですからお米とか玉子とか鶏とか飼ったり作ったり全部自給自足していましたから、お粗末な食事でしたけどそれを召し上がっていただいてお立ちになった。
━━玉音放送をお聞きになってから、昭和天皇にお会いになったのはいつごろでしょうか?
秩父宮妃◆皇族方はみんなすぐそれから方々に陛下の御言葉をお伝えするためお出かけになったでしょ。高松宮が一番でいらしてね。大変だったと思う、軍の基地の数が多くて。
高松宮妃◆ええ、全国に飛んでいらして。厚木の航空隊ものすごかったんです。反乱の企てをやめさせようというので。あれで収まったのね。それでなかったら。
秩父宮妃◆昭和天皇がはっきりとおっしゃったにも関わらず、御放送は場所によっては聞こえないし伺えない。私どもは悲しかったけど、泣いてもいられないから手落ちにないよう緊張しました。
高松宮妃◆昭和天皇は戦争中ずいぶんお痩せになったわね。やっぱりいろいろと御苦労遊ばして、本当においたわしい。
秩父宮妃◆良子皇后の御功績は大きかったとつくづく思います。あのお苦しみにお耐えになったのは良子皇后がおそばにいらしたからこそであって、その御功績を忘れてはならないと思います。
高松宮妃◆仲のよい御夫婦で大変なのよね。
秩父宮妃◆悪いみたいね、大変って(笑)
高松宮妃◆すぐ「良宮」とおっしゃるの。ものすごく「良宮、良宮」って。みんな当てられっぱなし(笑)ところが昭和天皇は当てられるという言葉をご存知なかったの。
秩父宮妃◆そう何かにぶつけられると思ってらした(笑)
高松宮妃◆そういうことご存じなかったのよ。「当てられる」というのがおわからりにならないの。年中当てていらして、お仲がよろしかったわねえ。
高松宮妃◆吹上にプールを作りになった時、私伺って泳いだの。良子皇后のお相手をして。
秩父宮妃◆吹上のどこよ?
高松宮妃◆御所の向こうの方にできました。
秩父宮妃◆良子皇后はテニスでも何でもスポーツはお好きですね。
高松宮妃◆でも良子皇后は初めはお泳ぎになれなかったのよ。
秩父宮妃◆そうですってね。
高松宮妃◆それでお相手をさせていただいて。でも大変おにぎやかなの、キャーッと。私、おかしくて。
秩父宮妃◆お声がお高くてね、おきれいなお声でね。
高松宮妃◆いいお声ね。
秩父宮妃◆昭和天皇は戦後はゴルフはなさいませんね。
高松宮妃◆戦前には吹上にもコースがおありになって、よく遊ばされたんだけど。
秩父宮妃◆イギリスの皇太子がいらした時、ご案内遊ばしたもの。
高松宮妃◆新宿御苑にもコースがあった。
秩父宮妃◆うちの宮様は「ゴルフは五十歳以上なら良いが、若者は活発なものを」としきりにおっしゃった。
高松宮妃◆そうね、そうねお兄様は駄目でいらしたわね。
秩父宮妃◆昭和天皇は吹上に雪を積まれてスキー遊ばした。
高松宮妃◆私、その覚えある。
高松宮妃◆昭和26年貞明皇后がお亡くなりになった時に、お後のおかたづけをしなければならない。御殿場でずっと御静養されていた秩父宮は「高松宮に頼む」とおっしゃった。それで私たちは毎日のように大宮御所に毎日通っていきました。お形見分けですね。いろんな物をお並べしてありますでしょう。最初に昭和天皇に「お好きなものお取りになっていただきます」って申し上げたんです。そしたら昭和天皇は広いところへお並べしてあるのを一通りご覧になって、標本のビンがありますよね、お魚を入れたりするガラスの。陛下は「あれだけ欲しい」とおっしゃった。「あとのものは何もいらない」と。私はひっくり返るほどビックリしてしまいました。それで私は「ああ、さすがに昭和天皇というのは御欲がおありにならないな」としみじみ思いました。御自身の標本のためのビンがお要りになるから、そのビンが欲しい。それもただのビンよ。ズラッと並んでるいるんですよ、10ぐらいじゃなかったかしら。
秩父宮妃◆他にいろいろ御立派なものがあったのにね。
高松宮妃◆「あら、これは大変だ」と。何と言うのかしら、御形見的なものじゃないわよね、ビンは。仕方がないから昭和天皇はあきらめて、良子皇后の方にいいものを差し上げようと思って、「これはいかがでござます?」なんて一生懸命になってお勧め申し上げたの。
秩父宮妃◆本当に大変でしたわね。こちらは御殿場だったものでね、お手伝いできませんでした。
高松宮妃◆お姉様がいらっしゃればよろしかったんだけど、御看病でいらっしゃれなかった。
秩父宮妃◆本当に御質素なのね。また御興味をお寄せになるものも、人の目につかない興味も持たないような地味なものとかそういうもの。
高松宮妃◆御大喪の時も私ども近しい人が御棺の中に一品ずつ入れさせていただいたのですけど、順々に包んだものをいろいろ。お使いになられた鉛筆とか御眼鏡とか、いろいろお入れしたんですけど、御質素な物が多いだけによけい御人柄をお偲びし、なにか情けなくて涙が出てしまって。
秩父宮妃◆毎日御研究でお使いしていらしたものばっかりなのね。
高松宮妃◆余談だけれど、昭和天皇は御和服をお持ちにならないのよ。普通なら御風呂を召されたあと浴衣かなんか着てくつろがれますわね。ところが昭和天皇はすぐにちゃんとネクタイを遊ばす。和服と洋服、二重生活というかそういうことをなさらないという風なお考え。
秩父宮妃◆二重生活ではすべてが贅沢になるし、面倒な生活になるからでしょうね。
高松宮妃◆御風呂を召して、すぐネクタイとは驚きでしょう。
秩父宮妃◆御殿でもう誰にもお会いになる必要がないのにきちんと遊ばす。
高松宮妃◆御浴衣のお用ちにならない。御儀式の服は別よ。
秩父宮妃◆もちろん御装束はお召しですけど、相当の御改革だったらしいです。どうしても宮中の費用がかさむからでしょう。
高松宮妃◆本当に和服姿をお見かけしたことないわね。
秩父宮妃◆私もないわ、一ぺんも。
高松宮妃◆昭和天皇が生物学の勉強を遊ばしたということはストレス解消の目的もおありになったんじゃないかと。以前宮様から伺ったことがあったけど、それは私も知らなかったことですが。
秩父宮妃◆葉山の御用邸などで普通の人の知らないようなパッとしないような、海のものなんかをよくお飽きにならずに研究なさってましたね。それで今度伊豆に御用邸がおでき遊ばしても、またお地味なものばかりね。どこにでももっと珍しいご興味深くご研究になれるものがあるに違いないと思いますわね。でも昭和天皇はまだまだ目の前の海にだって調べ上がってないものがあるのだから、それを研究してというお気持ちでしょう。
高松宮妃◆動物とか植物のお話を申し上げると、わざわざお立ちになって図鑑をお持ちになってきて見せてくださいましたね。
秩父宮妃◆雑草なんて呼ぶものはないとおっしゃる。御殿場におります時に「いま何が咲いてる?」とおっしゃって、「そうでございますね、野菊くらいなものでございます」と申し上げたら、「野菊じゃわからない」とおっしゃって。びっくりしてしまって、それから発奮して教えていただきましたり勉強しましたり。それでなるほど野菊にもいろいろあると思いました。今度は少し春のを覚えて参りましたら、「いま何が咲いてる?」とお尋ねになりましたので、〈オキナグサ〉だとかなんとか申し上げたら大変お喜びで。私が得意になってお話し申し上げていたら、高松宮殿下が「そろそろその辺でやめないとボロが出るよ」っておっしゃったの。それでも知らん顔して得意になってお話ししていたのでそしたら、やっぱりボロが出かけてきたんです。それで「ボロが出ないうちにもうそこらで」と申し上げたら、昭和天皇がお笑いになって。おかげさまで楽しみが増えました。
高松宮妃◆御食事の後に和菓子が出るの。そうすると甘い物がお好きな昭和天皇は二つあると二つとも召し上がりたいんだけど、「良宮、もう一つ食べてもいいか?」と仰るから笑っちゃいました。
秩父宮妃◆チョコレートが大好きでいらっしゃった。特に板チョコがね。
高松宮妃◆陛下は元旦新年祝賀の儀で朝から総理大臣をはじめ大勢の人とお会いになる。お昼は私どもとも帰らずに昭和天皇と御所で御一緒に御食事をいただくの。時間の制限があるから一皿にお魚やらお肉やらが盛ってあって、それをおしゃべりしながらいただくんですが、お姉様と私はいつもチョコレートを持ってお伺いするの。
秩父宮妃◆内緒でね。以前召し上がりすぎて御具合が悪くなられたことがおありになって、それ以来あまり差し上げないらしいんです。でもお好きなのよね。だから自分たちが食べるような顔をして持って行ったチョコレートを御食事の場でいきなりお出しするんです。
高松宮妃◆お姉様が1箱、私が1箱。それを大膳の人がお持ちすると、まず秩父宮からのものを2つお取りになる。うちからのも2つお取りになる。そしてみんなに順々にお回ししていくの。で、全部済んだら、昭和天皇が「4つ食べたが、数が悪いからもう1つ」と。皆がドッと吹き出してね。それほどお好きなんです。
秩父宮妃◆本当はいけないのよね。こちらの全責任です。その他では鰻がお好きだった。
高松宮妃◆時々私たちお好きな物を差し上げるの。
秩父宮妃◆それから中華料理ね。
高松宮妃◆カレーライスもお好きでした。みなさんお好きね。今の平成陛下だってものすごくお好きじゃない。
秩父宮妃◆平成陛下は特別カレーライスがお好きですね。
高松宮妃◆私が差し上げたものに、新潟の栗飴というのがあるの。食後に一巻ずつ召し上がったんですって。
秩父宮妃◆それはお喜びになったでしょ。それから蜂の子だとか、変なものがお好きで。
高松宮妃◆そうね、変なのがお好きね。
━━秩父宮もおしるこがお好きだとか。
秩父宮妃◆ええ、そうです。
高松宮妃◆アンパンじゃない?
秩父宮妃◆アンパンも。甘党。
高松宮妃◆うちの宮様も甘党ですね。お酒はあまりお飲みにならないから。
秩父宮妃◆お酒はほとんど。昭和天皇も全然お飲みになりませんね。
高松宮妃◆外国の御客様の時は、シャンパンを少々をお舐めになる。
秩父宮妃◆ぜんぜん残念なぐらい、召し上がったらよろしいのになと思いました。
高松宮妃◆良子皇后の方はお好き。召し上がれます。
秩父宮妃◆私どもは(昭和天皇を)お見舞い申し上げるにしても、毎日上がるわけではないし。
高松宮妃◆お見舞いは1カ月に1回でしたね。最初の御発病の時みんなで飛んで伺ったのが9月20日。その次が9月24日、39度の御熱が出た時。またみんなで飛んで伺いました。その時「三笠宮殿下だけどうぞ」と。「妃殿下方は休所そでお待ちするように」って。
秩父宮妃◆心配しながらみんな飛んで伺ったのにね。
高松宮妃◆宮内庁は結局お血の繋がりを第一に考えていらしたのね。でも私たちもお目にかかれるようになって、それが大体1月に1ぺん。ひと月ごとだから陛下の御様子が御悪くおなりになるのがよくわかったの。三笠宮妃に「お子さんのご病気はいかがですか?」と仰せになって。御自分がそんな重病でいらっしゃるのに、桂宮のことをおっしゃるの。私、仰天して、つい涙が出そうになって。本当に感激しました。
秩父宮妃◆本当にまず相手方を御考えになりますね。
高松宮妃◆とにかく昭和天皇という方は温かい方で、私が病気になったりケガでもすると、いつも御気に遊ばして、お目にかかると「身体はどうか?」必ず御尋くださる。うっかりするとこちらが忘れているぐらいに治っていますのにねえ。
秩父宮妃◆今度の御病気のときあまり物を召し上がっておられないし、私どもから拝見しても御体力が消耗されておいでになるのがわかるの。でも御部屋に伺うとお子様お孫様などは当然ですが、私たちにもそれぞれ一人一人御覧になって、その人との会話を思い浮かべられるのね。いくら天性がそのようでいらしても、だんだん御弱りになってこられるとそういう御気遣が申し訳ない気がして、かえってお見舞いにならないのではないかとずいぶんご案じいたしました。御最後の頃はちょっとお辞儀させていただき、御部屋に入るだけで御目に留まらぬよう退出したこともありました。
高松宮妃◆陛下の御容態はひと月ごとに御変りになりましたね。私お見舞いの時、2度ほど陛下の御手をお握り申し上げたの。黄疸で大変を御黄色く御むくみになって。御掛布団の中から御手先が出ていらしたの。ちょうど私はその辺に御椅子をいただいていたの。それでさぞ御だるくいらっしゃいましょうって思わず御手を御もみしたのね、ついね。そしたら黙ってもませていらした。
秩父宮妃◆あのとき私も高松宮とご一緒に御手を取らせていただいて、ただただもう胸がいっぱいでした。
高松宮妃◆御耳が遠くおなりになって、御声も御小さくなったのね。大きい声で申し上げるとおわかりになるのね。非常に御衰えましたね。
秩父宮妃◆あれだけの長い間ほとんど何も召し上がり物を御口から御取りにならない。普通の人ならもっとお医者に、何か他の方法はないかとか薬を変えて欲しいとかそういうことも言いたくなると思いますが、一度としておっしゃらない。毎日最良の人たちに治療してもらっているという御気持ち。それがいわゆる帝王学なのでしょう。
秩父宮妃◆公平で、お優しくて、御記憶力がおよろしくて。そして、みんなのことをお思い遊ばす。
高松宮妃◆ありがたい陛下だったと思うわ。
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1901-1989 87歳没
■妻 香淳皇后 久邇宮良子女王 久邇宮邦彦王の娘
1903-2000 97歳没
●継宮 明仁親王 125代平成天皇
●義宮 正仁親王 常陸宮
●照宮 成子内親王 東久邇盛厚王と結婚
●久宮 祐子内親王 早逝
●孝宮 和子内親王 鷹司平通と結婚
●順宮 厚子内親王 池田隆政と結婚
●清宮 貴子内親王 島津久永と結婚
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高松宮喜久子妃の妹 徳川久美子→松平久美子→井出久美子 徳川慶久公爵の娘
天皇陛下にも幾度かお目にかかる機会がありました。
高松宮殿下がご病気になられ、お見舞いにいらっしゃった時でした。
義兄高松宮邸の玄関は段差があるため心配になり、私が思わず天皇陛下の手をお取りしようとしたら、陛下が私の手をサッと振り払われたのです。
高松宮殿下は酸素ボンベの管をつけたまま大いに笑われて、
「振り払われてるよ」とおっしゃりながら大変愉快そうに喜ばれておられました。
恐れ多くも陛下の手を取ろうなんて誰も考えないことですからね。
普通のご兄弟のように、和やかにお話を交わされていたお姿が思い出されます。
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━━天皇陛下・秩父宮・高松宮の御三方は皇孫殿下でいらっしゃったわけですね?
高松宮妃◆そう。三笠宮は大正天皇の時にお生まれになったので、皇子殿下。上の御三方はいつも御一緒にくっついていらした。皇孫様でいらしたから、少しは気楽な御立場で御生活おできになったの。
秩父宮妃◆三笠宮殿下は特に天皇陛下の皇子として御誕生のため、自分達は皇孫だったんだからちょっと立場が違うとお思いになったようね。昔書いたものを拝見すると、お小さい頃のエピソードなどがいろいろおありになる。参内する方々や地方からなど御三方様におもちゃとかスポーツ用具とか土地の名産など献上があったようです。あるとき御三方様で三つの人形それぞれお選びになるわけね。陛下はやっぱりそのことから兄上様だから、いつも弟様達に「お先に」とおっしゃるんです。
高松宮妃◆なかなかできないことですわね。
秩父宮妃◆そういうようにお躾られになったんですね。御子様だし自分の欲しい物は欲しい。まず宮が真っ先に「ありがとう」とおっしゃってお取りになる。今度は秩父宮は本当に珍しく「お兄様お先に」とおっしゃったんですね。そしたら陛下がびっくり遊ばしたと同時に、やっぱりを欲しい物をすぐにお取りになった。秩父宮は結局欲しい物がなく、残った物をやむをえずにお取りになった。涙を流さんばかりで。
高松宮妃◆おかわいいわねえ。
秩父宮妃◆本当におかわいいの。
高松宮妃◆本当に仲の良い御兄弟でいらした。
秩父宮妃◆御三方が御一緒に青山の皇子御殿でお育ちになって、明治天皇が崩御あそばして昭和天皇が東宮にお成りになって、〈おあにい様〉だけが高輪の東宮御所にお移りになって特別な教育を受けることになったわけ。
高松宮妃◆つまり東宮御学問所ね。
秩父宮妃◆それで御三人様はお別れする時が来て。お別れのお悲しみは大変でした。秩父宮と高松宮は、その時冬だったもので「明日は雪になれ雪になれ、大雪になれ、大雨になれ」って祈ってらしたんですって。そしたら本当に大雪で東宮が高輪にお移りになるのが御延期になり、バンザイバンザイで皆さん大喜びだったと書いてありますよ。お無邪気でほんとにお仲よしね。
高松宮妃◆まったくお仲よしねえ。
秩父宮妃◆ところがそう長くは降ってないでしょう、その翌日は晴れていよいよお別れで、あとの御二方様も別々の御用邸にいらっしゃることになりました。
高松宮妃◆陛下は沼津、秩父宮は葉山、うちの宮様は小田原と、別々に違う所へ おいでになったとあります。本当にお気の毒でしたの。
秩父宮妃◆そして御学友というのが決められて付属邸で御一緒に勉強して、皇子御殿の係の人が宮様方の御友達の世話もするのね。10日間ぐらいその子供達は親にも会えないし、宮様も夜は別の御部屋にお泊りになる。同じ御用邸の中でも、宮様方は御別室。小さな御学友の中には家に帰りたがって、親の顔を見たくて泣く子もあったと思います。
高松宮妃◆親の方も会いに行くのはお許しがあるけれど、勝手に連れて帰るわけにはいかない。そういう風な御教育でした。
━━秩父宮・高松宮は昭和天皇のことは「お兄上様」とおっしゃるんですか?
高松宮妃◆陛下。
秩父宮妃◆昔は「お兄様」とおっしゃった時代もあるようです。
高松宮妃◆お小さい時は「お兄宮様」
秩父宮妃◆お手紙はそうね、「お兄宮様」
高松宮妃◆私はいま宮様の御伝記を作らせておりますけれど、お手紙を全部整理したの。
貞明皇后から宮様宛にいろいろお手紙をいただいていまして、それを拝見すると本当にお偉いお母さまだったということがよくわかるの。受け皿の宮様方もお偉かったと思いますけど、お母様としての貞明皇后も大した方でいらっしゃいましたね。
高松宮妃◆終戦日に伺いましたよね。
秩父宮妃◆当日ね。あの時はお風邪を召していられたので、いったいどういうことになるか不安でした。陛下の初めての御放送で、こんな悲しい、終戦と言っているけど敗戦ですから。本当に思いもかけない出来事で、しかも初めて御放送遊ばすから、御兄弟として心配していらっしゃるわけ。お耐えになれるどうか、それからみんながちゃんとわかるかどうか。そこへ高松宮が高松宮妃とご一緒に、お忙しいのにわざわざいらしてくださいました。お知らせのあった時は、よくぞと嬉しく感激いたしました。お兄様とご一緒に御放送を伺おうとお思いになったからでしょう。やっぱり御兄弟で一緒にお育ちになったお兄様がはたしてうまく放送おできになるかどうか、お兄様の気持ちもお辛かろうから、せめてご一緒に聞こうというお気持ちなのね。
高松宮妃◆陛下の放送を四人でご一緒に伺いました。
秩父宮妃◆四人で伺ったのね、涙ばかり。高松宮はすぐ御用で飛んでお帰りになった。私はお昼の代わりに何か差し上げなければといっても、あの時代ですからお米とか玉子とか鶏とか飼ったり作ったり全部自給自足していましたから、お粗末な食事でしたけどそれを召し上がっていただいてお立ちになった。
━━玉音放送をお聞きになってから、昭和天皇にお会いになったのはいつごろでしょうか?
秩父宮妃◆皇族方はみんなすぐそれから方々に陛下の御言葉をお伝えするためお出かけになったでしょ。高松宮が一番でいらしてね。大変だったと思う、軍の基地の数が多くて。
高松宮妃◆ええ、全国に飛んでいらして。厚木の航空隊ものすごかったんです。反乱の企てをやめさせようというので。あれで収まったのね。それでなかったら。
秩父宮妃◆昭和天皇がはっきりとおっしゃったにも関わらず、御放送は場所によっては聞こえないし伺えない。私どもは悲しかったけど、泣いてもいられないから手落ちにないよう緊張しました。
高松宮妃◆昭和天皇は戦争中ずいぶんお痩せになったわね。やっぱりいろいろと御苦労遊ばして、本当においたわしい。
秩父宮妃◆良子皇后の御功績は大きかったとつくづく思います。あのお苦しみにお耐えになったのは良子皇后がおそばにいらしたからこそであって、その御功績を忘れてはならないと思います。
高松宮妃◆仲のよい御夫婦で大変なのよね。
秩父宮妃◆悪いみたいね、大変って(笑)
高松宮妃◆すぐ「良宮」とおっしゃるの。ものすごく「良宮、良宮」って。みんな当てられっぱなし(笑)ところが昭和天皇は当てられるという言葉をご存知なかったの。
秩父宮妃◆そう何かにぶつけられると思ってらした(笑)
高松宮妃◆そういうことご存じなかったのよ。「当てられる」というのがおわからりにならないの。年中当てていらして、お仲がよろしかったわねえ。
高松宮妃◆吹上にプールを作りになった時、私伺って泳いだの。良子皇后のお相手をして。
秩父宮妃◆吹上のどこよ?
高松宮妃◆御所の向こうの方にできました。
秩父宮妃◆良子皇后はテニスでも何でもスポーツはお好きですね。
高松宮妃◆でも良子皇后は初めはお泳ぎになれなかったのよ。
秩父宮妃◆そうですってね。
高松宮妃◆それでお相手をさせていただいて。でも大変おにぎやかなの、キャーッと。私、おかしくて。
秩父宮妃◆お声がお高くてね、おきれいなお声でね。
高松宮妃◆いいお声ね。
秩父宮妃◆昭和天皇は戦後はゴルフはなさいませんね。
高松宮妃◆戦前には吹上にもコースがおありになって、よく遊ばされたんだけど。
秩父宮妃◆イギリスの皇太子がいらした時、ご案内遊ばしたもの。
高松宮妃◆新宿御苑にもコースがあった。
秩父宮妃◆うちの宮様は「ゴルフは五十歳以上なら良いが、若者は活発なものを」としきりにおっしゃった。
高松宮妃◆そうね、そうねお兄様は駄目でいらしたわね。
秩父宮妃◆昭和天皇は吹上に雪を積まれてスキー遊ばした。
高松宮妃◆私、その覚えある。
高松宮妃◆昭和26年貞明皇后がお亡くなりになった時に、お後のおかたづけをしなければならない。御殿場でずっと御静養されていた秩父宮は「高松宮に頼む」とおっしゃった。それで私たちは毎日のように大宮御所に毎日通っていきました。お形見分けですね。いろんな物をお並べしてありますでしょう。最初に昭和天皇に「お好きなものお取りになっていただきます」って申し上げたんです。そしたら昭和天皇は広いところへお並べしてあるのを一通りご覧になって、標本のビンがありますよね、お魚を入れたりするガラスの。陛下は「あれだけ欲しい」とおっしゃった。「あとのものは何もいらない」と。私はひっくり返るほどビックリしてしまいました。それで私は「ああ、さすがに昭和天皇というのは御欲がおありにならないな」としみじみ思いました。御自身の標本のためのビンがお要りになるから、そのビンが欲しい。それもただのビンよ。ズラッと並んでるいるんですよ、10ぐらいじゃなかったかしら。
秩父宮妃◆他にいろいろ御立派なものがあったのにね。
高松宮妃◆「あら、これは大変だ」と。何と言うのかしら、御形見的なものじゃないわよね、ビンは。仕方がないから昭和天皇はあきらめて、良子皇后の方にいいものを差し上げようと思って、「これはいかがでござます?」なんて一生懸命になってお勧め申し上げたの。
秩父宮妃◆本当に大変でしたわね。こちらは御殿場だったものでね、お手伝いできませんでした。
高松宮妃◆お姉様がいらっしゃればよろしかったんだけど、御看病でいらっしゃれなかった。
秩父宮妃◆本当に御質素なのね。また御興味をお寄せになるものも、人の目につかない興味も持たないような地味なものとかそういうもの。
高松宮妃◆御大喪の時も私ども近しい人が御棺の中に一品ずつ入れさせていただいたのですけど、順々に包んだものをいろいろ。お使いになられた鉛筆とか御眼鏡とか、いろいろお入れしたんですけど、御質素な物が多いだけによけい御人柄をお偲びし、なにか情けなくて涙が出てしまって。
秩父宮妃◆毎日御研究でお使いしていらしたものばっかりなのね。
高松宮妃◆余談だけれど、昭和天皇は御和服をお持ちにならないのよ。普通なら御風呂を召されたあと浴衣かなんか着てくつろがれますわね。ところが昭和天皇はすぐにちゃんとネクタイを遊ばす。和服と洋服、二重生活というかそういうことをなさらないという風なお考え。
秩父宮妃◆二重生活ではすべてが贅沢になるし、面倒な生活になるからでしょうね。
高松宮妃◆御風呂を召して、すぐネクタイとは驚きでしょう。
秩父宮妃◆御殿でもう誰にもお会いになる必要がないのにきちんと遊ばす。
高松宮妃◆御浴衣のお用ちにならない。御儀式の服は別よ。
秩父宮妃◆もちろん御装束はお召しですけど、相当の御改革だったらしいです。どうしても宮中の費用がかさむからでしょう。
高松宮妃◆本当に和服姿をお見かけしたことないわね。
秩父宮妃◆私もないわ、一ぺんも。
高松宮妃◆昭和天皇が生物学の勉強を遊ばしたということはストレス解消の目的もおありになったんじゃないかと。以前宮様から伺ったことがあったけど、それは私も知らなかったことですが。
秩父宮妃◆葉山の御用邸などで普通の人の知らないようなパッとしないような、海のものなんかをよくお飽きにならずに研究なさってましたね。それで今度伊豆に御用邸がおでき遊ばしても、またお地味なものばかりね。どこにでももっと珍しいご興味深くご研究になれるものがあるに違いないと思いますわね。でも昭和天皇はまだまだ目の前の海にだって調べ上がってないものがあるのだから、それを研究してというお気持ちでしょう。
高松宮妃◆動物とか植物のお話を申し上げると、わざわざお立ちになって図鑑をお持ちになってきて見せてくださいましたね。
秩父宮妃◆雑草なんて呼ぶものはないとおっしゃる。御殿場におります時に「いま何が咲いてる?」とおっしゃって、「そうでございますね、野菊くらいなものでございます」と申し上げたら、「野菊じゃわからない」とおっしゃって。びっくりしてしまって、それから発奮して教えていただきましたり勉強しましたり。それでなるほど野菊にもいろいろあると思いました。今度は少し春のを覚えて参りましたら、「いま何が咲いてる?」とお尋ねになりましたので、〈オキナグサ〉だとかなんとか申し上げたら大変お喜びで。私が得意になってお話し申し上げていたら、高松宮殿下が「そろそろその辺でやめないとボロが出るよ」っておっしゃったの。それでも知らん顔して得意になってお話ししていたのでそしたら、やっぱりボロが出かけてきたんです。それで「ボロが出ないうちにもうそこらで」と申し上げたら、昭和天皇がお笑いになって。おかげさまで楽しみが増えました。
高松宮妃◆御食事の後に和菓子が出るの。そうすると甘い物がお好きな昭和天皇は二つあると二つとも召し上がりたいんだけど、「良宮、もう一つ食べてもいいか?」と仰るから笑っちゃいました。
秩父宮妃◆チョコレートが大好きでいらっしゃった。特に板チョコがね。
高松宮妃◆陛下は元旦新年祝賀の儀で朝から総理大臣をはじめ大勢の人とお会いになる。お昼は私どもとも帰らずに昭和天皇と御所で御一緒に御食事をいただくの。時間の制限があるから一皿にお魚やらお肉やらが盛ってあって、それをおしゃべりしながらいただくんですが、お姉様と私はいつもチョコレートを持ってお伺いするの。
秩父宮妃◆内緒でね。以前召し上がりすぎて御具合が悪くなられたことがおありになって、それ以来あまり差し上げないらしいんです。でもお好きなのよね。だから自分たちが食べるような顔をして持って行ったチョコレートを御食事の場でいきなりお出しするんです。
高松宮妃◆お姉様が1箱、私が1箱。それを大膳の人がお持ちすると、まず秩父宮からのものを2つお取りになる。うちからのも2つお取りになる。そしてみんなに順々にお回ししていくの。で、全部済んだら、昭和天皇が「4つ食べたが、数が悪いからもう1つ」と。皆がドッと吹き出してね。それほどお好きなんです。
秩父宮妃◆本当はいけないのよね。こちらの全責任です。その他では鰻がお好きだった。
高松宮妃◆時々私たちお好きな物を差し上げるの。
秩父宮妃◆それから中華料理ね。
高松宮妃◆カレーライスもお好きでした。みなさんお好きね。今の平成陛下だってものすごくお好きじゃない。
秩父宮妃◆平成陛下は特別カレーライスがお好きですね。
高松宮妃◆私が差し上げたものに、新潟の栗飴というのがあるの。食後に一巻ずつ召し上がったんですって。
秩父宮妃◆それはお喜びになったでしょ。それから蜂の子だとか、変なものがお好きで。
高松宮妃◆そうね、変なのがお好きね。
━━秩父宮もおしるこがお好きだとか。
秩父宮妃◆ええ、そうです。
高松宮妃◆アンパンじゃない?
秩父宮妃◆アンパンも。甘党。
高松宮妃◆うちの宮様も甘党ですね。お酒はあまりお飲みにならないから。
秩父宮妃◆お酒はほとんど。昭和天皇も全然お飲みになりませんね。
高松宮妃◆外国の御客様の時は、シャンパンを少々をお舐めになる。
秩父宮妃◆ぜんぜん残念なぐらい、召し上がったらよろしいのになと思いました。
高松宮妃◆良子皇后の方はお好き。召し上がれます。
秩父宮妃◆私どもは(昭和天皇を)お見舞い申し上げるにしても、毎日上がるわけではないし。
高松宮妃◆お見舞いは1カ月に1回でしたね。最初の御発病の時みんなで飛んで伺ったのが9月20日。その次が9月24日、39度の御熱が出た時。またみんなで飛んで伺いました。その時「三笠宮殿下だけどうぞ」と。「妃殿下方は休所そでお待ちするように」って。
秩父宮妃◆心配しながらみんな飛んで伺ったのにね。
高松宮妃◆宮内庁は結局お血の繋がりを第一に考えていらしたのね。でも私たちもお目にかかれるようになって、それが大体1月に1ぺん。ひと月ごとだから陛下の御様子が御悪くおなりになるのがよくわかったの。三笠宮妃に「お子さんのご病気はいかがですか?」と仰せになって。御自分がそんな重病でいらっしゃるのに、桂宮のことをおっしゃるの。私、仰天して、つい涙が出そうになって。本当に感激しました。
秩父宮妃◆本当にまず相手方を御考えになりますね。
高松宮妃◆とにかく昭和天皇という方は温かい方で、私が病気になったりケガでもすると、いつも御気に遊ばして、お目にかかると「身体はどうか?」必ず御尋くださる。うっかりするとこちらが忘れているぐらいに治っていますのにねえ。
秩父宮妃◆今度の御病気のときあまり物を召し上がっておられないし、私どもから拝見しても御体力が消耗されておいでになるのがわかるの。でも御部屋に伺うとお子様お孫様などは当然ですが、私たちにもそれぞれ一人一人御覧になって、その人との会話を思い浮かべられるのね。いくら天性がそのようでいらしても、だんだん御弱りになってこられるとそういう御気遣が申し訳ない気がして、かえってお見舞いにならないのではないかとずいぶんご案じいたしました。御最後の頃はちょっとお辞儀させていただき、御部屋に入るだけで御目に留まらぬよう退出したこともありました。
高松宮妃◆陛下の御容態はひと月ごとに御変りになりましたね。私お見舞いの時、2度ほど陛下の御手をお握り申し上げたの。黄疸で大変を御黄色く御むくみになって。御掛布団の中から御手先が出ていらしたの。ちょうど私はその辺に御椅子をいただいていたの。それでさぞ御だるくいらっしゃいましょうって思わず御手を御もみしたのね、ついね。そしたら黙ってもませていらした。
秩父宮妃◆あのとき私も高松宮とご一緒に御手を取らせていただいて、ただただもう胸がいっぱいでした。
高松宮妃◆御耳が遠くおなりになって、御声も御小さくなったのね。大きい声で申し上げるとおわかりになるのね。非常に御衰えましたね。
秩父宮妃◆あれだけの長い間ほとんど何も召し上がり物を御口から御取りにならない。普通の人ならもっとお医者に、何か他の方法はないかとか薬を変えて欲しいとかそういうことも言いたくなると思いますが、一度としておっしゃらない。毎日最良の人たちに治療してもらっているという御気持ち。それがいわゆる帝王学なのでしょう。
秩父宮妃◆公平で、お優しくて、御記憶力がおよろしくて。そして、みんなのことをお思い遊ばす。
高松宮妃◆ありがたい陛下だったと思うわ。
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