直球和館

2025年

2001/07

◆常陸宮正仁親王(義宮正仁親王)124代昭和天皇の二男
1935年生

*幼少期に小児マヒに罹ったが、戦後まで秘されていた。


■妻  津軽華子 津軽義孝伯爵の娘
1940年生




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三笠宮寛仁親王 1977年

───皇族方でお酒を召し上がるのは三笠宮寛仁親王だけですか?

とんでもない。
美智子妃もお飲みになるし、明仁皇太子もあんまりお強くはないけど梅酒なんかはよくお飲みになりますね。
それから常陸宮もウイスキーがお好きです、お強くはないけど。
あとはいないな。
ウチの兄弟ぐらいです。

僕の他はウチの弟二人でしょうね。
弟たちは本格的に飲んだら強いだろうね。
常陸宮は水割りをお飲みになっても、2杯か3杯ね。
美智子妃がわりと洋酒がお好きで、これもやっぱり2杯か3杯ってとこでしょうね。
明仁皇太子は梅酒が好きで、それ以外はほとんどお飲みにならない。
オフクロはたまに僕が食事の時にワインなんか飲むと「ちょっと私も」と言ったり、
日本酒飲んでると「ちょっと一杯飲みたい」とか言う程度。
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◆常陸宮正仁親王(義宮正仁親王)124代昭和天皇の二男
1935年生

*幼少期に小児マヒに罹ったが、戦後まで秘されていた。


■妻  津軽華子 津軽義孝伯爵の娘
1940年生




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『入江相政日記』侍従長

1942年4月1日
今日常陸宮、初等科に御入学。
御病後のためかだいぶおやつれで、どうも心細い。
三里塚で十二分に御静養願いたいものである。
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『入江相政日記』侍従長

1950年5月23日
常陸宮伝育官東園基文・侍従久松定孝・皇子伝育官村井長正・侍従山田康彦と一緒に常陸宮のことにつき協議。
近頃の御様子を聴取していろいろ意見も述べる。
なかなか心配なことである。

1950年5月26日
侍従次長鈴木一・山田侍従・村井伝育官と一緒に常陸宮のことについていろいろ相談する。
我々が心配しているようなことを聞いたのは、今日が初めてだったらしい。

1950年6月14日
常陸宮のことにつき縦横に議論する。
いろいろな人の意見があり、いろいろな事情があって、真に複雑を極めている。

1950年7月6日
今夜宮内庁長官田島道治と侍従長三谷隆信が常陸宮に御相伴に出るそうであるが、常陸宮の御伝育方針をめぐっていろいろな行き違いがあるにのに結局どういう所に落ち着くであろうかと山田侍従も心配している。
毎々のことであるが、実に不思議なことであると思う。
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田島道治『拝謁記』宮内庁長官

1950年7月5日
田島長官◆三笠宮のことに関連し、明仁皇太子・常陸宮のこともなかなか考えさせられまする。
明仁皇太子は特別にて民法に長子相続もなくなったにかかわらず、皇室だけは長子相続の建前で二男・三男は冷や飯で、この点よほど注意しなければならぬと存じます。
明仁皇太子のことは東宮大夫穂積重遠の無責任では駄目ゆえ、東宮参与小泉信三に変わってもらうという具体案ができてお許しを得て実行しましたが、常陸宮についてはなお研究中。
昭和天皇◆田島は戦争後になって宮様方が平民的自由と皇族の特権とを両方活発にやられるようになったと言ったが、戦前からずいぶん平民的な特権をやっておいでだった。
一つは別当などの人がついていたことと、今一つは検閲制で新聞に出なかったというだけだ。

昭和天皇◆東宮ちゃんと常陸宮は教育が違う。
二人は同じ学習院へ通ってる。
私は御学問所、秩父宮は陸軍幼年学校、高松宮は中等科という風にみな違った教育を受け、私だけは特別だったから。
田島長官◆明仁皇太子は上中下と分けて上の部にお入りになり、馬・テニス何でもなさいますが、失礼ながら常陸宮は中の部にもお入りになれませぬ上、御体格上テニス等の御運動もできず、学習院でも御孤独であるとのことでございます上、明仁皇太子は将来の天皇たる天職お定まりでありまするが、常陸宮は旧憲法時代と違い軍人ということはなくなり、何か将来のことをお考えになる必要があります。
昭和天皇◆今は化学がいいと思う。
しかし専門家になってもらっては困る。
相当の暇つぶしになって、そして趣味の程度ということを考える。
田島長官◆常陸宮の問題で何か最近あったらしき様子。
昭和天皇◆皇子伝育官村井長正が皇子伝育官東園基文や次長を出し抜いて何か言うから、山田に言って次長に注意して、それから次長がいろいろやり出したのだ。
常陸宮は私に何でも進んで聞いてくる。
常陸宮はいろいろなことを私に言ってくるから何を考えているのかよくわかる。
東宮ちゃんとも議論してることがよくあるが、なごやかにやってるから心配ないと思ってる。
田島長官◆それが最近必ずしもそうでないと聞きました。
昭和天皇◆これは年頃で、性の問題にも関してると思う。
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田島道治『拝謁記』宮内庁長官

1951年4月18日
田島長官◆池田の方〔順宮厚子内親王の夫池田隆政〕は、ただ今のところ何の障害も起らず一応無難であります。
名門であり、御仕事も実業で。
昭和天皇◆その実業も土地についたいい意味の実業だし。
田島長官◆職業軍人なき今日、将来常陸宮の御仕事としても結構かと内々考えておりまするような
ことでございます。

1951年6月16日
昭和天皇◆常陸宮が少し共産党に同情的だということを言ったと思うが、昨日話してみるとずいぶん違って、このごろはよほどキリスト教的になった。
常陸宮とてもいつ皇位継承するということがないとは言われないので、やはり偏らぬことがよいと思う。
天皇とかいうような立場はやはり灰色が必要で、仏教も神道も哲学も儒教のようなこともそれぞれ長所があるので、どれということのない灰色にしたい。
東宮参与小泉信三とよく相談してくれ。
田島長官◆そういう変化は何か本か人かがキリスト教の感化を常陸宮に与えましたのでございましょうか。
昭和天皇◆皇子伝育官村井長正の影響もあるかもしれぬが、水島三一郎がクリスチャンだと言ってる。
田島長官◆水島は化学の難しいことを平易に御説明することは上手でございます。

1951年11月1日
昭和天皇◆常陸宮のキリスト教のことだが、非常に熱心で私にも東宮ちゃんにも言うから、友達には秘密にするとは言ってるが話すかもしれぬ。
万一のことあれば常陸宮も皇位を継承すべき人だから、常陸宮の身分としては仏教のことも知り神道のことも知って偏してもらいたくない。
皇室は神道であり、これは私は宗教と思わないが、アメリカ占領軍などで宗教だと言えば客観的には宗教でないと言い切ることもできぬかとも思う。
祝詞をあげること、葬式もやること、結婚もやることを考えると、あながち儀式とばかり言えぬかと思う。
常陸宮は賢所のことなど儀式だからキリスト教とは無関係だと言うが、私はこれはどうかと思う。
東宮参与小泉信三と相談して、一つ仏教や神道の話を聞かせるようなことも考えてくれ。
これには皇子伝育官村井長正の力があるようだから、場合によっては替えることも考えてみてもらわんと。
田島長官◆村井は内村鑑三の弟子矢内原忠雄の弟子で熱心な信者であり、性質がややすっとんきょうな点もあり大きな声で笑いまするし、先年花園天皇御年紀の際、事績に感激して御伝記編纂の事業を熱心に申し出ましたこともあり、少し熱する方でありますが、仏教ならば仏教学者鈴木大拙でも講義を頼んでということも考えられますが。
昭和天皇◆いや、鈴木は難しいよ。
歴史の座談会の時に支那にキリスト教が広まらなかったのは儒教があったからだとの話だったが。
田島長官◆天皇の御位置としてはキリスト教の信者となられることは仰せのごとく困りますことでありますが、仮に平民とすれば信仰にお進みになったということがあればむしろ喜ぶべきことかと思います
昭和天皇◆それはそうだ。
宗教的信仰を持つことは平民ならいいことだ。
しかし万一の場合に継承するかもしれぬという常陸宮としては困る。
田島長官◆仰せのとおりでありますが、明仁皇太子とは多少の差がありまする上、昭和天皇も御承知の通り常陸宮はヴァイニング夫人の帰ります前頃は非常に変で、ヴァイニング夫人も困ると申し、中等科から高等科へお進みの時にもあまり成績がおよろしくなく、いろいろ御心配申し上げておりましたところ、最近非常によくおできになるようになり、英語その他まだ御不得意の学科がありますそうですが、昨年から見ますれば大変な御進歩とのことで大いに喜んでおりますが、田島はこの御進歩と御信仰は離るべからざる関係がおありと思います。
青年の一番難しい時をお乗り切りになる時、キリスト教が役立ち、お落ち着きの結果の御進歩だと思いますから、ただいまキリスト教のことをかれこれ申し上げますことは、角を矯めて牛を殺すということになるかと存じますので、今しばらくお見送りのお許しを得たいと存じます。
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田島道治 日記 宮内庁長官

1952年1月3日
明仁皇太子・常陸宮に拝謁。
明仁皇太子無表情、常陸宮御言葉ぶりよろし。

1952年9月26日
徳川慶光の娘を常陸宮へとの話。
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田島道治『拝謁記』宮内庁長官

1952年6月24日
昭和天皇◆この間会食の時に東宮ちゃんが、学習院高等科の優秀は東大へ行くから、その次のが進級してる所へ、外部から入って来る者が相当あり、これが多少対立し、外部から来た者はやはり進歩的と言うか左的であり、学習院高等科から登ったものはそうでないので、なかなか難しいところがあるとのことだ。
学習院院長安倍能成は誠に人格はいいが、そういうことを処理するのに進歩的な方に譲歩する傾きがあるのではないか。
米内光政と似てるのではないか。
昭和天皇◆学習院も世間の大学並に左的な空気はありましょうし、いずれの大学でも教授・学生共に進歩的でなければ一日も治まらぬ情勢ゆえ、安倍も立場も非常に困難だと思います。
勇気がないと言うより、実際的でない理論的であるかと思います。
全面講和論のごとき態度であります。
緒方竹虎に随行しました朝日新聞嘉治隆一の話に、
「蒋介石政権では中共と正面に反対しておりまする以上、日本が国民政府に援助せぬにせよ、少なくとも中共に勢いをつけることだけはやめてもらいたい。南原繁・安部能成・矢内原忠雄というような人の言論は5万の援兵ぐらいの価値がある」と申しておりました。
明仁皇太子の教育の面も大学はなかなか難しく、場合によりますればお辞め願ってもよろしいと考えております。
昭和天皇◆常陸宮も言っておいでだったが、水島三一郎の話に
「東大の中にはそんな悪い学生はいない。あれは外部の学生だ」というようなことを言ってたそうだ。
しかし大学は大学でやるから自治で警察は困るとかいうので矛盾しているように思うが、水島がそんなことを言ってたそうだ。

1952年11月5日
昭和天皇◆私は牡蠣が好きで、常陸宮も好きで、先年二人は大いに食べて〔食中毒〕やったことがあるが、そのとき牡蠣を食べなかった良子も少しやられた。
牡蠣に付着しがちなものは他にも付着しがちゆえ。
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田島道治『拝謁記』宮内庁長官

1953年4月14日
田島長官◆常陸宮が御文庫でアメリカの映画を御覧の時、アメリカの宣伝映画と仰せになったことについて、学友連中の空気また安倍参与の理想平和論のことなどよく小泉参与とも相談をいたします。
昭和天皇からも「宣伝映画かもしれないけれども、そう言わないで観たらどうだ」という風に軽く仰せいただきますと大変よろしいかと存じます。

1953年5月18日
田島長官◆常陸宮の御成年も2年半の後で一家御創立の問題もありまするが、高松宮・三笠宮とも御直宮は軍人としてお立ちになる制度下で今のようにおなりになりましたのですが、常陸宮の場合は果たしてどういう御職務をなさいますかも問題であり、大学御進級の科もお決め願いませんければならず、ほぼこの方がよろしいかと一応結論を得て、学校での教育責任者であります学習院長安倍能成の意見を聞く必要もありますので、それらを総合いたしまして昭和天皇のお許しを得たいと存じておりまするわけではありますが、この問題とても政府の了承に関係を持ちませんするし、いずれに致しましても安定政権が望ましく、目下新聞は孝宮和子内親王・順宮厚子内親王の御結婚をスクープできなかったので残念がり、皇太子妃は何とかしてスクープすると申しておりますそうでありますが、これは内親王と違い皇室会議の議を経なければなりませず、どうしても政局の判定は望ましいのであります。
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『入江相政日記』侍従長

1954年11月13日
常陸宮御殿の御歌会。
今日も良子皇后がならせられ、もう御常連になっておしまいになった。
酒が出たら良子皇后が御文庫からすぐ鮒寿司をお取り寄せになった。
そして良子皇后もお喜びで御酒をかなり召し上がった。
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『入江相政日記』侍従長

1958年6月14日
常陸宮御殿で歌合。
例によって大変な騒ぎ。
良子皇后は始めから、昭和天皇と清宮貴子内親王は途中から、酒肴をいただき8時に散会。
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『入江相政日記』侍従長

1962年2月6日
宮内庁長官宇佐美毅の所へ行き、このあいだ葉山で良子皇后が吉田茂に常陸宮のことをお頼みになったことなどを中心に話す。
侍従次長稲田周一の所でダベる。
常陸宮のは結局まだなんともなっていないらしい。
困ったことである。

1962年7月12日
稲田侍従次長から常陸宮の御縁談もまったく白紙に返ったと聞く。
やはり旧華族からとの強い御注文の由。
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『入江相政日記』侍従長

1964年2月21日
常陸宮のお見合いを朝日がスクープしたというので大騒ぎ。

1964年4月14日〔常陸宮、納采の儀〕
津軽華子さん、御両親拝謁。

1964年9月4日
常陸宮侍従東園基文。
常陸宮は【侍女長】のことにつき、皇室が信義を失っては大変と涙を流しておっしゃった由。

1964年9月7日
永積侍従次長と【侍女長】問題などについて語り合う。
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田島道治『日記』宮内庁長官

1964年2月21日
秩父宮妃。
今度のことで明仁皇太子夫妻〔平成天皇夫妻〕にショックなきよう。
〔常陸宮&津軽華子の結婚〕

1964年3月3日
宮内庁長官宇佐美毅。
常陸宮苦心談、昭和両陛下 明仁皇太子夫妻〔平成天皇夫妻〕に直言。
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『入江相政日記』侍従長

1966年10月16日
常陸宮夫妻と御散策。
このあいだ明治会の時に皆様おすすめでお集めのお金どう遊ばすかにつき、昨日侍従次長永積重遠からいろいろ申し上げたるところ、良子皇后はお取り上げにならず、それを打ち切って今日常陸宮に御相談とのこと。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従

1974年7月19日
常陸宮妃、御誕生日で宮殿に御参内。
入江侍従長が「本日は御誕辰でお喜び申し上げます」と御挨拶の後、
「大変涼しい日が続き、常陸宮妃の御誕生日らしく思われません」と冗談を言われて、常陸宮妃も大笑いされていた。
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『入江相政日記』侍従長

1975年5月1日
〔5月7日~5月12日のエリザベス女王来日について〕
宇佐美長官・侍従次長徳川義寛・女官長北白川祥子・式部官長島重信と話し合い。
秩父宮妃・高松宮妃が美智子妃・常陸宮妃に、
「和服ではダンスができないから、良子皇后にお願いして洋服にしろ」と強く言われた由。
お嫁さんたちとしてはそんなことはできないということで、美智子妃・常陸宮妃は和服、他は御勝手にということにしようということになる。

1975年5月3日
晩餐の時のダンスの関係で、美智子妃・常陸宮妃はローブデコルテ、良子皇后は和服の関係上、御一方では具合が悪いので秩父宮妃・高松宮妃も和服ということで昭和両陛下のお許しを得ようということになる。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従

1977年3月4日
常陸宮から献上のスッポンを昭和両陛下に御披露。
御料理用ということで、飼育をくいとめる。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従

1977年7月4日
夜、常陸宮夫妻御参内。
お飼いになっているチンチラの子が2匹生まれたので、御覧に入れるためカゴに入れてお持ちになった。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従

1978年1月17日
常陸宮夫妻、御参内。
御食後〈お能カルタ〉
お能の曲名を漢字で書いたものが取り札、万葉仮名で書いたものが読み札。
昭和両陛下なかなか御上手。
漢字で読めないものもあり、昭和両陛下はお慣れになっている。
源平に分れ半分の50枚を取った。
時間が短く物足りなかった。
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『入江相政日記』侍従長

1980年6月13日
〔元常陸宮伝育官〕掌典長東園基文に会い、明仁皇太子と常陸宮のこと聞く。
この頃はおよろしいとのこと。
皇后宮大夫安楽定信に話しておく。
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『入江相政日記』侍従長

1982年3月10日
常陸宮へ御礼に行く。
常陸宮妃、いつもながらいい方。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従

1987年4月15日
昭和天皇より「常陸宮が東京倶楽部を継承したら、紫煙に囲まれて肺ガンにならないか」との御心配。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従

1988年10月18日
夜半かなりの下血があった由。
御寝室にうかがった御様子ではさほどお変りない。
常陸宮妃がお吹き込みになった童話をお聴きになる。

1988年10月22日
昭和天皇、常陸宮妃お吹き込みのイタリア昔話『疥癬にかかったバラリッキ』20分お聴き。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従

1995年11月14日
常陸宮還暦記者会見で、小児マヒのことあえて言われることなしと。
〔常陸宮は幼少時に小児マヒに罹ったが、戦後になるまで伏せられていた〕
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◆常陸宮正仁親王(義宮正仁親王)124代昭和天皇の二男
1935年生

*幼少期に小児マヒに罹ったが、戦後まで秘されていた。


1955年 成年式 未成年皇族の正装
5014


1955年 成年式 成年皇族の正装
30s9223


0012


1962年
19620001


19620003





■妻  津軽華子 津軽義孝伯爵の娘
1940年生

1964年
9200


1191


3000


ede51ee8


1964年
19640001


1976年
19760204


1976年
19760244


19760246


1982年
19820051


1983年
19830053

◆125代 平成天皇(継宮明仁親王)124代昭和天皇の長男


■妻  正田美智子 日清製粉社長正田英三郎の娘


●浩宮 徳仁親王  125代天皇
●礼宮 文仁親王  秋篠宮
●紀宮 清子内親王 黒田慶樹と結婚


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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従

1990年3月1日
ティアラの修理費のこと。
由緒品の性格上、理論づけが難しく保留。

1990年4月26日
内田式部官より、園遊会招待の御親族が安西恵美子夫妻などとなっており他と平仄が取れないと。
手塚侍従に話し、納得する。

1990年7月5日
山本侍従長に御即位饗宴用盃のデザインを見せる。
少しゴテゴテしすぎとの意見。

1990年7月23日
紀宮清子内親王のバードウォッチングのこと、庭園課長に準備方申し入れ。

1990年7月27日
紀宮清子内親王、バードウォッチングの後のお弁当を野外でとのお考え。
この暑いのに。
昼食時にその話を出したら、皇太后宮職は吹上では困ると。

1990年8月4日
紀宮清子内親王一行、予定通りバードウォッチングのため皇居へ。

1990年10月23日
宮務課長から紀宮清子内親王の序列位置について聞いてくる。
秋篠宮の次と答える。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従

1990年5月24日
盧泰愚大統領夫妻来日、国賓。
天皇の御言葉による謝罪について大統領の来日を機に盛んに報道されてきたが、象徴天皇の限界を超えてはならないという政府の方針が韓国民にどの程度理解されたがわからないが、結局落ち着くべきところに落ち着いたと言うべきか。
宮中晩餐。
平成天皇の御服装をテレビで見ると、上着はダブルの背広と全く同じ。
したがって前合せが深く、タキシード特有のひだのあるワイシャツはほとんど見えない。
これではズボンが脇に線の入った正式なものであっても、ダブルの背広に黒の蝶ネクタイをしたもののように見える。
これでタキシードと言えるのか。
こんなタキシードがあるとは知らなかったが、もし新機軸を出すためならとんでもない。
国賓処遇の正餐にまだ広く認められていない服装するなど、一国の最高首脳のすることではない。
世界先進国のもの笑いの的となるだけ。
誰の発案か示唆か知らないが、側近は何をしているのか。

1990年6月30日
4方の写真は正式の記念写真として問題がある。
秋篠宮が両手を前で組んでいるのは論外。
最高の正装をし極めて改まった写真であるべきところ、こんな姿勢では良識を疑われると言うべきである。
従来から秋篠宮は両手を組む癖がおありのようで、そういう写真をよく見る。
平成天皇の左手も甚だよくない。
手のひらを大きく開いている。
自然に伸ばすか軽く握かすべきであろう。
これも癖らしく、国賓との写真でも見かける。
いずれもこの場に立ち会った側近か侍従の者が当然注意してお直し願うべきである。
カメラマンはそこまで立ち入って申し上げることはできない。
折に触れ報道される写真であるだけに、特に日頃からキリッとしない動作の多い秋篠宮にとって大きなマイナスである。
立ち会った側近の責任重大である。

1990年10月26日
美智子皇后御誕生日祝賀行事。
侍従職は赤坂とこちらに分かれているので、こちらでは宮殿雉子の間で侍従以下事務職員・仕人など列立で平成両陛下に祝賀。
昭和天皇の時と異なり、平成両陛下でお受けになるものが多い。
我々に昼食の御馳走もない。

1990年11月3日
即位礼の習礼。
束帯は下着から一式全部で6.5キロある。
小生は璽の役。
手順がまだほとんど細部は詰めていない上、女官への連絡も悪いのでなかなか進まず。
試行錯誤で行われた。
3回ぐらい行ったが大体のところで終わり。
大筋は決まった。
石帯をつけると装束は重く、2時間あまり立ち通しでぐったり疲れた。

1990年11月10日
総合習礼。
平成両陛下・皇族方は昨日で終わり。
代役に職員が立つ。

1990年11月12日
即位礼正殿の儀。
途中高御座の帳を開いた直後に鳴るはずの鉦の音が、少し早く帳が開き始めてすぐ鳴ったし、平成天皇に一斉に礼をする合図の太鼓が、まだ御帳台を開いた女官が下部を直していた時に鳴ってしまった。
治した時になってしまった

※即位礼について感想

●習礼を5回したが、(うち3回は平成両陛下も)平成両陛下30分のお出ましで終わってしまったことを考えると、5回もする必要は全くなかった。
細部のことに調整にこだわりすぎたのではないか。
高御座の後ろや内部での侍従の所作にこだわりすぎた。
特に心外だったのは、高御座内の国璽・御璽の置き場について法制局が細かなくちばしを入れてきたことだ。
どこに置こうが高御座内に持ち込めば十分であって、目立たないところに置くと宗教色を薄めるために国璽・御璽を持ち込んだ目的が達成されないというのだろうが、なんと小心なることか。
結局神璽の前方に置くことで決着した。
●御列進行の際 平成天皇と同様に中央進むのは宝剣・お裾・神璽の3人だけで、あとは先行する式部官長官・宮内庁長官・侍従長・御笏・御草鞋の侍従全て左側を進行することはおかしい。
全部中央に進むべきだ。
最初の案は宝剣・神璽も左側を進むことになっていたのも改めさせ、その代わり履物を室内にも使う鳥皮に替え、上記3人のみ中央にした経緯がある。
平成天皇の後ろを従うものが中央を歩かないなど、通常のあらゆる御供では全くないことである。
●侍従全員が笏を持たなかったことは束帯の服装として欠陥である。
行進中に何も持たない役の者は腰に手を当てて進み、高御座の後にしき立っている時も同様の姿となる。
このとき笏を持っていないと全く様にならない。
首相の万歳三唱に和して我々も三唱するが、このとき笏を持っている侍従長などは笏を身体の中央に構える。
持っていない者は持っているかのごとく両拳を身体の中央に持ってきて三唱するというのだから笑わせる。
小生はあまりばかばかしいから、拳は腰に当てたままの姿勢で低く三唱した。
●諸役は古風な出で立ち、平成両陛下も同様、高御座・御帳台も同様。
それに対し三権の長のみは燕尾服・勲章という現代の服装。
宮殿全体は現代調。
全くちぐはぐな舞台装置の中で演ぜられた古風な式典。
参列者は日本伝統文化の粋と称える人もいたが、新憲法の下全員燕尾服・ローブデコルテで行えば済むこと。
数十億円の費用をかけることもなく終わる。
新憲法下初めてのことだけに、今後の先例になることを恐れる。

1990年11月17日
大嘗祭習礼。
今日初めて大嘗宮を見る。
なかなか立派だが14億円とはとても考えられない。

1990年11月28日
即位関係の我々の分担する諸儀が終り、大役が滞りなく終って肩の荷がおりた。
赤坂の侍従は即位の礼の習礼の時から時間刻みの各担当グループの配役行動表を何回も改訂を繰り返しながら伊勢行幸啓まで多量に作って配布したことは、さぞ大変な作業だったことと、問題点はあったものの御苦労なことだったと思う。

1990年12月18日
昭和天皇御服衣品の整理。
宮殿地下の御服所に行き、現物を見ながら取捨選択をした。
背広・礼服・オーバー・天皇服・水着・御運動着・乗馬服など150着ぐらい。
そのうち50着ぐらい選ぶ。
最終的にどうするかは、いずれまた検討する。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従

1992年10月20日
美智子皇后御誕生日。
三笠宮寛仁親王が樋口侍従に、
「皇族の祝賀の際、平成両陛下というのはいかがなものか。美智子皇后お一人が良いのでは?」とのお尋ねがあり、それについての我々の意見を聞きたいとのことでいろいろ話した。
我々の意見ではお一人が良いと思うが、何事もできるだけお揃いでというのが平成流だから、いずれにしても事務主管手塚英臣にお尋ねのあったことを伝え、その意見・説明をお答えするのがよいと話した。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従

1993年10月20日
美智子皇后お倒れの報、出御はお取り止めの由。
皇太后宮侍医内西兼一郎によれば一過性脳虚血かと。

1994年11月24日
文芸春秋の手塚証言などを読む。
岸田英夫がまっとう、渡辺みどりは実態しらず。
〔『美智子皇后の孤独』侍従手塚英臣・帝京大学教授岸田英夫・皇室評論家渡辺みどり〕
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従

1993年3月31日
御用掛退職。
宮殿鳳凰の間、平成両陛下お揃い。
平成天皇から「御苦労でした。昭和皇太后〔香淳皇后〕のことをよろしく。体を大切に」と。
美智子皇后からはない。

1993年6月24日
侍従長からサンデー毎日の小生の叙勲辞退の記事について聞かれる。
小生から経緯を説明。
4月半頃皇太后宮職引間庶務係長から「旭三の叙勲となるが、受けますか?」とのことだったので、「非常勤ながらまだ出勤しているから辞退する」むね答えた。
卜部氏から同様の電話があったので、
「真意は長い間お仕えしお世話になった昭和天皇なら喜んでお受けするが、ほとんどお仕えしていない平成天皇からは受ける気にならない」と伝えた。

1993年10月20日
美智子皇后御誕生日祝賀。
美智子皇后は宮殿へのお出まし前に赤坂御所で急にお倒れになった。
はじめ意識も薄れていたが間もなく回復されたが祝賀行事は御欠席で、平成天皇のみ御祝賀をお受けになった。
美智子皇后は御昼食もお取りになって通常の御生活に戻られたが、ただ御声は出るが言葉が出ない状態という。
側近奉仕の祝賀の前に事務主幹から一同に説明があった。

1993年10月23日
第48回国体行幸。
美智子皇后はその後もな御言葉が出ない状態が続いているので大事をとっておいでにならず、平成天皇のみ御臨席・御視察。
美智子皇后は21日に宮内庁病院で東京大学の神経内科の教授の立会いでCTスキャンなどの検査を受けられたが、脳には異常が見当たらず3週間以内で治る見通しと。
肉体的・精神的な疲労、ストレスがひどいと起きる症状で、これが3週間以上続くようだと一種の脳梗塞だという。
それにしても国体へのお出まし中止の発表が、昨日の夜11時とはどういうことか。
御容態からいってお出ましは好ましくないことは、テレビで専門家が口を揃えて言ってるのだから、早く発表すべきだった。
もっとも宮内庁内にお出になることもかえって御気力の充実の上でよろしいのではという医者がいたというが、言葉が出ないことをスタイリストの美智子皇后がどれほど気にするか、そのストレスを何と考えるのだろう。

1993年12月8日
平成両陛下、皇居の新しい御所に御引越。
名称は「御所」
剣璽御動座と平成両陛下・紀宮清子内親王が同じ車列で行われた。
問題なのは御所御車寄から御所内にお入りになる御列をテレビで見ると、平成天皇が先頭でその後に剣、ついで璽、その後に美智子皇后、終りに紀宮清子内親王であった。
剣は平成天皇より前でなければならない。
おそらく赤坂御所を御出発の時も同じ順序だったろう。
新嘗祭における御列も剣の後に平成天皇と決まっている。
吹上御所を平成天皇と剣璽がお発ちになる時も同じである。
侍従が平服で奉持していたのも気になる。
モーニングにすべきだ。

1993年12月10日
吹上御所へ。
庁舎旧侍従室など荷物が廊下にいっぱい出ており、模様替などこれかららしい。
女官候所で皇太后宮女官長北白川祥子に8日の御列のことを問題としたところ、井関英男大夫も同じことを言って調べたところ、昭和天皇崩御直後の剣璽等承継の儀の後、宮殿から赤坂御所へ御剣御動座の時も平成天皇が先頭で、剣、璽と続いたと言う。
この例にならって8日も同様の順にしたと言う。
平成流と簡単に片付けるにはあまりに重大な変更であり、後日問題となろう。

1993年12月11日
美智子皇后言葉をお出しになると宮内庁発表。
昨日金沢一郎東京大学教授の診断があり、2日に単語を、10日には簡単な文をささやき声でおっしゃれるようになったとのこと。
この発表を11月の夜中にしたのだから驚く。
総務課など関係者は夜中に大変だったらしい。
10日夜、もっと早く発表すべきもの。
宮内庁の対応相変わらず。

1993年12月12日
剣璽御動座の剣。
8日の御動座の際 剣が平成天皇の後だったことについて夜当直の田中氏に意見を聞いたところ、
「確かに順としては剣が平成天皇の先に行くべきだが、剣・璽ともに移動用の鞄に入れて運んでいるので、正規の御列ではないという考えから、剣が平成天皇の後としたのだろう」とのことだった。
それなら平成両陛下なり紀宮清子内親王の後にしたらどうかと思うが、そこまで格下げにできず中途半端な形になったと思われる。
「1月7日の吹上から赤坂への御動座の時も、同様の考えから剣璽が平成天皇の後になったのでは」と田中氏は言っていた。
しかし鞄に入れようが剣璽に変わりはないのだから、この扱いには疑義がある。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従

1995年1月20日
地震のため、平成両陛下お慎みでテニス自粛とのこと。

1995年2月3日
現侍従職〔平成〕の歌会始に対する熱意のないこと、不安があるなど愚痴が出る。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従

1996年3月14日
良子皇太后と美智子皇后との確執につき、なぜか各社共通の動き。

1996年6月7日
平成天皇、前庭性神経炎によるめまいのため御静養と発表。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従

1997年9月6日
ダイアナ元妃の葬儀は国民葬ともいえる特異な方式で行われた。
テレビ各局、中継放送。
各国要人など参列。
日本からは駐英大使のみ。
徳仁皇太子夫妻に出席招待があったが断った、諸般の事情から皇族の出席はしないと決めたという。
ヨーロッパの王族はしないこと・国葬でないことが理由らしい。
しかしヨーロッパ王族でもスペインなどは出席したとの報道もあり、出席しなかった国には招待状自体が出されなかったという。
ダイアナ元妃と私的に親しかった王族だけに招待状が出されたという。
理由はともあれ、日本は徳仁皇太子・秋篠宮・三笠宮は留学もしているし、ダイアナ元妃は3度来日し皇室とは親しい関係にあったのだから、浮名も多く離婚しているとはいえ、誰か皇族が出席すべきではなかった。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従

1999年6月17日
正田英三郎氏〔美智子皇后の父〕の万一の時について協議。
正田富美子夫人死亡の時を調べる。
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明治天皇・大正天皇に仕えた女官〈椿の局〉梨木止女子→坂東長康の妻坂東登女子 
大正天皇は昔からの明治天皇の仰せになるような言葉で仰せになった。
昭和天皇はいくらか大正天皇にお似ましのようですね。
秩父宮は下方にお成り遊ばしてるので、兵隊の中で揉まれてござるわね。
一般の人にふさわしいような、近いような御言葉ですわね。
今の明仁皇太子〔平成天皇〕は余計もう、さばけておいでになる。
それにお付きしてる人がみんなそんな粗雑な言葉を使うので。
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司葉子 女優・経済企画庁長官相沢英之の妻

※平成の即位の礼 1990年11月12日より

11月12日「賢所大前の儀」に始まって12月10日の総理大臣主催「天皇陛下御即位記念祝賀会」が終わるまで、計10回あまりの行事に私もお供して宮中に上がらせていただきました。
朝・昼・夜もそのつど着替えるので、その2日間はホテルオークラに衣装を運び込んで泊まり、戻っては着替え、着替えては出かけるということを繰り返しました。
こういう儀式に何を着て行けばいいのか頭を抱え込んでしまうところですが、宮内庁から事前に服装についての詳しい細部にわたっての資料をちょうだいしました。

「正殿の儀」
■男子は
●洋装なら燕尾服・モーニングまたはこれに相当するもの。
シルクハットは不要。
勲章着用。
手袋は随意。
●和装なら紋付の羽織・袴。

■女子は
●洋装ならロングドレスかデイドレスあるいはドレッシーなワンピースかアンサンブルスーツ。
デザインは長袖で衿の詰まったもの。
生地は絹または絹風のもの。
色は淡い色が望ましい。
靴はドレスと同色系のパンプス型。
帽子・手袋は随意。
アクセサリーは随意(金・銀・真珠などの上品なもの)
●和装なら白襟、紋付の色留袖・訪問着、黒留袖でも差し支えない。
羽織は不可。
襦袢は白羽二重または白綸子の長襦袢など。
帯は丸帯または袋帯。
足袋は白。
ハンドバッグは革製ではなく、絹織・佐賀錦・ビーズなどの小型のもの。
履物は糸錦、金色または銀色の布地のものなど。
扇子・アクセサリーは随意。

「饗宴の儀」
■男子は「正殿の儀」に同じ。

■女子は
●洋装ならイブニングドレス。
デザインは長袖で衿のないもの。
胸や背中の広く開いたワンピース仕立。
生地は絹または絹風のもの。
色は淡い色が望ましい。
手袋は革製または化繊のもので、白またはドレスと同色の長手袋。
靴は金・銀の繻子、またはドレスと同色の繻子や絹のパンプス型。
アクセサリーは随意(金・銀・真珠などの上品なもの)
●和装なら白衿、紋付の色留袖・訪問着など。
以下は「正殿の儀」に同じ。

◆その他、毛皮不可、女子は黒色不可。
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伏見宮敏明王

お妃選びの報道が過熱する中、いろいろな「お妃候補」が登場しました。
その一人に私の妹の名も出ました。
旧皇族であり、明仁皇太子の同学年で、生まれは2カ月ほど後、こうしたことを基に推測で報道したのだと思います。
お妃選びが終盤になると、新聞社から「お相手は正田さんの家で間違いありませんでしょうか」といった電話が来るようになりました。
これもまた、ずいぶん困りました。
うっかりしたことを言えませんからね。
僕から明仁皇太子に「正田美智子さんですか」なんて聞くこともできません。
僕が聞けば何か返事をしてくださったかもしれません。
けれども、それはまずいなと思って。
僕に情報が入ったのは世間と同じ。
正式に決まってから、明仁皇太子から電話がありました。

後成婚の前に、御所の水槽で飼われている熱帯魚を見せていただいたことがあります。
突然明仁皇太子は「食べるとおいしいんだよ」とおっしゃって、侍従に醤油を持ってこさせたのです。
「熱帯魚は観賞するものではないのですか」と言っても、明仁皇太子は水槽に手を入れて1匹を取り出し、醬油につけてパクッと食べられました。
「博明さんもどうぞ」と言われるので、食べないわけにはいきませんでしたが食べませんでした。
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◆125代 平成天皇(継宮明仁親王)124代昭和天皇の長男


■妻  正田美智子 日清製粉社長正田英三郎の娘


●浩宮 徳仁親王  125代天皇
●礼宮 文仁親王  秋篠宮
●紀宮 清子内親王 黒田慶樹と結婚




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三笠宮寛仁親王 1977年

───皇族方でお酒を召し上がるのは三笠宮寛仁親王だけですか?

とんでもない。
美智子妃もお飲みになるし、明仁皇太子もあんまりお強くはないけど梅酒なんかはよくお飲みになりますね。
それから常陸宮もウイスキーがお好きです、お強くはないけど。
あとはいないな。
ウチの兄弟ぐらいです。

僕の他はウチの弟二人でしょうね。
弟たちは本格的に飲んだら強いだろうね。
常陸宮は水割りをお飲みになっても、2杯か3杯ね。
美智子妃がわりと洋酒がお好きで、これもやっぱり2杯か3杯ってとこでしょうね。
明仁皇太子は梅酒が好きで、それ以外はほとんどお飲みにならない。
オフクロはたまに僕が食事の時にワインなんか飲むと「ちょっと私も」と言ったり、
日本酒飲んでると「ちょっと一杯飲みたい」とか言う程度。
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