直球和館

2025年

2001/08

◆秋篠宮文仁親王 125代平成天皇の二男


■妻  川嶋紀子 経済学者川嶋辰彦の娘


●眞子内親王
●佳子内親王
●悠仁親王


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『小林忍日記』昭和天皇の侍従

1979年1月17日
夜、東宮四殿下御参内。
(浩宮様御不参)
秋篠宮いよいよ背が伸び、もう浩宮様を追い越してしまったという。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従

1985年12月23日
秋篠宮のヒゲ願望につき、富田宮内庁長官に相談。
富田宮内庁長官は否定的。

1985年12月24日
東宮侍従手塚英臣に、秋篠宮のヒゲのことにつき善処方申し入れ。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従

1988年10月6日〔昭和天皇闘病中〕
昭和陛下より田中侍従にヒオウギアヤメの資料を読むように御指示あり。
〔ヒオウギアヤメは秋篠宮紀子妃のお印〕
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『小林忍日記』昭和天皇の侍従

1988年11月7日
秋篠宮、御帰国。
イギリス御就学中の秋篠宮は、昭和陛下の御容態が良くないというので、今夕日本に御到着になるという。
深夜0時半頃記者会見というのだから恐れ入る。
間に合わなくてもかまわないと思うのだが。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従

1989年7月12日
秋篠宮、留学先のイギリスから自動車持ち帰りのことが問題点。
〔結婚後の〕秋篠宮御用邸についても不確定要素多し。

1989年8月21日
秋篠宮の結婚問題 来月あたり皇室会議にはかることになるやもということで、侍従手塚英臣が三笠宮寛仁親王の時の記録を借用していく。

1989年8月26日
朝6時ころ記者の電話で起こされる。
秋篠宮の結婚問題を朝日がスクープしたことで、他の記者からも「やられた」と電話してくる。

1989年8月28日
管理部長から秋篠宮の御新居に関し、赤坂御用地内の故孝宮和子内親王邸のことを聞いてくる。

1989年9月26日
秋篠宮御結婚来年6月末、新居は旧孝宮和子内親王邸と発表する由。

1989年9月27日
記者、6月御結婚にくやしがる。

1989年9月28日
秋篠宮御結婚関係の予算案につき検討会を行う。

1989年10月5日
秋篠宮の結婚予算について協議。

1989年10月9日
10月14日川嶋家へ支度金を届けること山本侍従長了解。

1989年10月14日
川嶋辰彦氏来庁。
山本侍従長から第一回の賜金伝達。
現金はとりあえずこちらで預かりに。

1989年10月25日
秋篠宮御結婚祝宴予算について協議。

1989年12月13日
秋篠宮納采の儀の打ち合せ。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『小林忍日記』昭和天皇の侍従

1989年9月12日
秋篠宮、御婚約正式決定。
川嶋紀子嬢との御婚約につき、今日午前9時から皇室会議が開かれ全会一致で決まった。
お二人は午後吹上御所に昭和皇太后に御挨拶のため参内。
皇太后宮大夫安楽定信がお申し置きをお受けした。

1989年9月26日
秋篠宮、御結婚の日取りは来年6月末と決まり発表された。
6月半ばにイギリスでの御修学が実質的に終了するので、秋篠宮の早い御希望に応えてそう決まったらしい。
9月説もあったというが、その方が9月まで御修学の期間なのだから当然なのだが。
お住いは赤坂御用地内の故孝宮和子内親王の家を増改築してお使いになるという。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従

1990年1月12日
秋篠宮、納采の儀。
秋篠宮が両陛下に御挨拶、次に川嶋家三人御挨拶。
後で紀子さんのみ平成皇后に拝謁、指輪賜る。

1990年2月13日
本日より紀子さんのお妃教育始まり、御感想の発表あるとか。

1990年4月18日
秋篠宮御結婚の儀について打ち合せ。

1990年5月18日
秋篠宮の内廷基金よりの新宮家独立基金について説明あり。

1990年7月18日
土曜日の秋篠宮邸のバーベキューパーティーが午前まで続いていたことを問題とする。

1990年10月23日
宮務課長から紀宮清子内親王の序列位置について聞いてくる。
秋篠宮の次と答える。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『小林忍日記』昭和天皇の侍従

1990年1月12日
秋篠宮、納采の儀。
午前侍従次長重田保夫が天皇陛下のお使いとして、目白の川嶋家を訪問した。
納采の品は、絹の洋服地3巻・清酒6本・鮮鯛2尾という。
午後竹の間で川嶋紀子さんと両親が両陛下と秋篠宮に御挨拶になり、川嶋家はすぐお帰りになり、その後両陛下と秋篠宮に皇族・元皇族が祝賀。
引き続いて宮内庁長官・宮内庁次長・侍従長の職員総代が祝賀。
さらに海部首相外遊中につき橋本総理代行・両院議長・最高裁長官の四長官が同様に祝賀申し上げる。
昨日届けられた名簿によれば、中村侍従が出ていなかった。
これは兼任侍従であることが忘れられ皇太后職参事とばかり考えられていたためだが、それなら安楽氏も侍従次長兼任なのだから皇太后大夫としては召されないはず。
しかし安楽氏は侍従次長として召されることになっていた。
そこで我々がこれを問題視し、卜部侍従から手塚英臣侍従に訂正を申し入れた。
その結果侍従として中村氏も召されることになった。
この問題は赤坂中心の考えで侍従職・東宮職側近を召すだけでよしとし、皇太后職を無視することから起きるので、これまでもこれからも礼宮御夫妻は吹上で皇太后職にお世話になることを考えないのか。
せめて女官長を代表として召すべきではないのか。

1990年6月29日
秋篠宮、結婚式。
午後から朝見の儀。
秋篠宮御夫妻は南車寄から仮御所にお帰り。
宮内庁職員が東庭でお見送り。
小生は行かず。

1990年6月30日
四方の写真は正式の記念写真として問題がある。
秋篠宮が両手を前で組んでいるのは論外。
最高の正装をし極めて改まった写真であるべきところ、こんな姿勢では良識を疑われると言うべきである。
従来から秋篠宮は両手を組む癖がおありのようで、そういう写真をよく見る。
平成陛下の左手も甚だよくない。
手のひらを大きく開いている。
自然に伸ばすか軽く握かすべきであろう。
これも癖らしく、国賓との写真でも見かける。
いずれもこの場に立ち会った側近か侍従の者が当然注意してお直し願うべきである。
カメラマンはそこまで立ち入って申し上げることはできない。
折に触れ報道される写真であるだけに、特に日頃からキリッとしない動作の多い秋篠宮にとって大きなマイナスである。
立ち会った側近の責任重大である。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従

1991年10月24日
昨夜秋篠宮家内親王御誕生につき、雪印からミルクを献上できないかとの相談。
ちょっと無理ではないかと。

1991年10月29日
秋篠宮御命名は眞子と。
なぜ当用漢字をお使いにならないのか。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『小林忍日記』昭和天皇の侍従

1991年3月13日
秋篠宮妃御懐妊、宮内省発表。
皇太子様のお妃選びも何かと言われよう。

1993年6月22日
秋篠宮邸前を通ったが、門前の車庫前で秋篠宮妃がお子さんを連れ運転手とお話ししておられたのでお辞儀をした。
全く普段着のスラックスにTシャツという姿で、最初は秋篠宮妃とは気づかなかった。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従

1996年4月15日
日タイ協会の前田氏来訪。
秋篠宮の総裁就任の件は、例の問題がらみで先送りすることになったと。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

◆秋篠宮文仁親王 125代平成天皇の二男


■妻  川嶋紀子 経済学者川嶋辰彦の娘


●眞子内親王
●佳子内親王
●悠仁親王




1985年 成年式
19850005


1985年 成年式
5025


1986年
19860586


1989年
19890346


1989年
19890693


1990年
19900212


1990年
19900138


1990年
5016


1990年
5020


1990年
19900227


19900229


1990年
19900068


1990年
19900573


1991年
19910301


1992年
19920301


1996年
19960233

◆126代 令和の天皇/浩宮徳仁親王 125代平成天皇の長男


■妻  小和田雅子 外務官僚小和田恒の娘


●敬宮 愛子内親王


5512



::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『入江相政日記』侍従長

1973年2月23日
御誕辰につき浩宮様御参内。
あまり大きくおなりにならず、感じがまことに繊細である。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『小林忍日記』昭和天皇の侍従

1978年2月23日
浩宮様御誕生日の御挨拶に吹上に。
あらかじめ昭和天皇両陛下がまだ御入りになっておらず、浩宮様に3~4分廊下でお待ち願った。
両陛下に対する女官の連絡が足りない。
昭和陛下の御着の直後に御入りを申し上げるべきだ。

1978年10月3日
今月から東宮様〔平成天皇〕の定例御参内が火曜日になった。
浩宮様が大学の都合で水曜日はよくないということから。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『小林忍日記』昭和天皇の侍従

1979年1月17日
夜、東宮四殿下御参内。(浩宮様御不参)
秋篠宮いよいよ背が伸び、もう浩宮様を追い越してしまったという。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『入江相政日記』侍従長

1980年2月19日
浩宮様、加冠朝見習礼。
習礼の終わったところで東宮侍従〔平成天皇〕重田保夫が「評をしてあげろ」と言うから、
「満点。少しぐらい違ったってかまわない。堂々とおやりなさいませ」と申し上げる。
喜んでいらっしゃった。

1980年2月23日
浩宮様、加冠の儀。
落ち着いていらっしゃって、御立派である。

1980年5月30日
富田長官から、靖国神社の松平永芳君が「浩宮様は御成年におなりになったのだから、靖国神社に御参拝になるべきだ」と言ってきた由。
「そんなのほっとけば」と言う。
「そう思うけれど東宮御所〔平成天皇家〕は大騒ぎ」とか。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『小林忍日記』昭和天皇の侍従

1980年2月25日
浩宮様成年式祝宴。
中央に三殿下のお並びになるのを待って、昭和陛下にお発ちを申し上げた。
浩宮様の皆様への挨拶の頭が高い。

1980年3月27日
浩宮様御成年関係の行事も終わり、やれやれ。
騒ぎすぎではないか、マスコミ。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『入江相政日記』侍従長

1983年3月14日
靖国神社の宮司松平永芳が馬鹿なこと、浩宮様〔令和の天皇〕の御留学について反対を言ってきたとか。

1983年6月3日
昭和陛下から、浩宮様御留学につき、秩父宮の留学・三笠宮寛仁親王の留学がうまく行かなかったこと、久邇宮との複雑な因縁をなかなかわかってくれないとか、浩宮が帰るまでの二年間生きていられるかなど、クヨクヨしたことをクドクドとおおせになる。

1983年12月13日
昭和陛下が中川融〔浩宮オックスフォード留学の主席随員・元国連大使〕に、
「秩父宮も三笠宮寛仁親王もオックスフォード留学は失敗だったが、浩宮の時はそんなことがないように」と仰せになったことにつき、
中川さんが「三笠宮寛仁親王のことは十分わかるが、秩父宮のはどういう御意味か」と言っていた由。
三笠宮寛仁親王は駐英大使平原毅に手紙を出して、浩宮様がいろいろな人にお会いになるよう、それを大使館が妨げると言われたことも聞く。

1983年12月28日
昭和陛下が「秩父宮のオックスフォードの教育は失敗だった」と仰せの件伺う。
つまり不十分だったのと、秩父宮の性質によるが、参謀総長閑院宮載仁親王をダラ幹と言い、当時の軍の勢いに乗ったことなど、との仰せだった。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『入江相政日記』侍従長

1985年2月6日
浩宮様〔令和の天皇〕の御立派なこと、イギリス人がイギリスを御留学先にお選びくださったことを光栄であると言っていること、アスコット競馬でエリザベス女王がエジンバラ公との間に浩宮様を据えて大事にしていらっしゃることなどまとめる。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従

1987年4月17日
東宮五殿下〔平成天皇一家〕御参内。
浩宮様は御土産のブータンの民族衣装にて御参内。

1987年4月21日〔宮内記者との懇談会〕
浩宮様の御相手について、昭和陛下が「血の濃くない方が望ましい」とお答えになる。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『小林忍日記』昭和天皇の侍従

1987年10月3日
東宮様〔平成天皇〕アメリカに御旅行のため、臨時代行委任解除。
浩宮様に臨時代行委任。
熊本御旅行中の浩宮様に勅書をお渡しするため、昨日徳川侍従長が熊本においでになり、今日ホテルでお渡しした。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『小林忍日記』昭和天皇の侍従

1988年2月26日
二二六事件につき毎年お慎みであるが、東宮様〔平成天皇〕と浩宮様が今日から28日まで岩手県八幡平にスキーにお出かけになるので、
昭和陛下は「このような日に出発するとは慎みが足りない。しかも暗殺された内大臣斉藤実は岩手県出身でもある」というお気持ちが強い。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従

1990年4月5日
記者会の関心は皇太子と久邇晃子さん。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『小林忍日記』昭和天皇の侍従

1991年2月24日
浩宮様、立太子の礼。
今日の昼と夜と饗宴の儀が行われるので、首相以下閣僚が出席することになっているが、ブッシュ大統領が午後から声明を出すというのに、湾岸戦争が地上戦に突入した状況の下で外務大臣中山太郎などノンキに飲んでいてよいものか。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従

1993年1月6日
皇太子妃の報道が始まっているとのこと、テレビをつける。

1993年2月19日
NHKに納采の儀3月17日と抜かれたことに関し、また皇族からアタックありたる由。

1993年3月12日
本日より雅子さんの御進講〔お妃教育〕始まり、物々しい雰囲気漂う。

1993年6月9日
皇太子御成婚のため休日となる。
朝からテレビは特番ばかり。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『小林忍日記』昭和天皇の侍従

1993年1月6日
皇太子妃決まるの報道。
夜から各テレビ局は一斉に皇太子妃内定のニュースを流し始めた。
数年前に候補者の一人として話題を集めながら、御本人が断ったということで立ち消えになっていた小和田雅子さん。
外交官としてバリバリの人。
相当な決断で別世界に入ることを決めたものと思われる。
外交官として身を立てるべく活躍してきたのだから、断念するにはそれなりの重大な決心がなければならないが、父娘ともに外務官僚であり父は次官の立場でもある。
外交官の先輩から膝詰めで決断を迫られれば、到底断りきれないだろう。
あたら英才を籠の鳥にしてしまうのはいかにも残念だが、皇太子の幸せのためにはやむをえないのか。

1993年1月19日
皇室会議。
皇太子と小和田雅子さんとの御結婚が会議で決定された。
御両人の記者会見、なかなか几帳面に長々と質問に答えていたのはさすがだが、苦悩の末の決断だったことを示すものと思う。
別にあった御両親の記者会見で、父親の「いろいろありましたが…」という苦渋に満ちたよどみがちな挨拶に、娘と小和田家のこれからの苦労や負担を考えると気が重いということがよく表れていた。

1993年4月12日
皇太子、納采の儀。
お妃教育やら御親族の夕食会やら、本来納采の儀の後行わるべきものと思われる行事が先行してしまっている。
納采の儀がいかに形式的なものかよくわかるが、もっととっくに行わるべきこと。

1993年6月9日
皇太子、結婚式。
テレビ朝から夜まで各局とも結婚式一色、少しはしゃぎすぎ。
東宮御夫妻のパレードは雨天ならオープンカーは取りやめるとのことだったが、直前になって雨が上がり沿道を埋めた17万の人達を喜ばせた。
過剰警備が目立ったが、少し混雑で怪我人が出た程度でさしたることもなく終わった。
雅子妃の洋装がよく似合った。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従

1999年12月10日
早暁電話のベルで起こされ睡眠不足気味。
雅子妃の懐妊情報について。
NHK・朝日はトップニュースに。
小和田夫人も古川東宮大夫も聞いてないと言う。

1999年12月30日
東宮職から流産の発表入り、井関皇太后大夫に伝達。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従

2000年1月19日
大正13年・14年の記録を見る。
照宮成子内親王〔第一子〕御懐妊のスクープも朝日、まだ発表の段階ではないと対応を練るところまで〔現在と〕そっくり。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従

2001年12月1日
テレビをつけたら内親王御誕生の報あり。
同じニュースの繰り返し。
雅子妃の御出産ばかり。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

◆126代 令和の天皇/浩宮徳仁親王 125代平成天皇の長男


■妻  小和田雅子 外務官僚小和田恒の娘


●敬宮 愛子内親王


1980年 成年式 未成年皇族の正装
5022


1980年 成年式 成年皇族の正装
19801257


19801258


1986年
19860023


1988年
19880177


1988年
19880002


1988年
19880006


1991年
19910245


1993年
19930122


19930124


19930126


19930128


19930130


19930132


1993年
19930136


19930138


19930140


1993年
19930212


19930214


1993年
19930248


1993年
19930173


1993年
19930032


1993年
5018


1993年
5021


1993年
19930216


1993年
19930272


19930274


1993年
19930320


19930322


19930324


1993年
19940445


19940447


1999年
19990191

このページのトップヘ