◆秋篠宮文仁親王 125代平成天皇の二男
■妻 川嶋紀子 経済学者川嶋辰彦の娘
●眞子内親王
●佳子内親王
●悠仁親王
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1979年1月17日
夜、東宮四殿下御参内。
(浩宮様御不参)
秋篠宮いよいよ背が伸び、もう浩宮様を追い越してしまったという。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1985年12月23日
秋篠宮のヒゲ願望につき、富田宮内庁長官に相談。
富田宮内庁長官は否定的。
1985年12月24日
東宮侍従手塚英臣に、秋篠宮のヒゲのことにつき善処方申し入れ。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1988年10月6日〔昭和天皇闘病中〕
昭和陛下より田中侍従にヒオウギアヤメの資料を読むように御指示あり。
〔ヒオウギアヤメは秋篠宮紀子妃のお印〕
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1988年11月7日
秋篠宮、御帰国。
イギリス御就学中の秋篠宮は、昭和陛下の御容態が良くないというので、今夕日本に御到着になるという。
深夜0時半頃記者会見というのだから恐れ入る。
間に合わなくてもかまわないと思うのだが。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1989年7月12日
秋篠宮、留学先のイギリスから自動車持ち帰りのことが問題点。
〔結婚後の〕秋篠宮御用邸についても不確定要素多し。
1989年8月21日
秋篠宮の結婚問題 来月あたり皇室会議にはかることになるやもということで、侍従手塚英臣が三笠宮寛仁親王の時の記録を借用していく。
1989年8月26日
朝6時ころ記者の電話で起こされる。
秋篠宮の結婚問題を朝日がスクープしたことで、他の記者からも「やられた」と電話してくる。
1989年8月28日
管理部長から秋篠宮の御新居に関し、赤坂御用地内の故孝宮和子内親王邸のことを聞いてくる。
1989年9月26日
秋篠宮御結婚来年6月末、新居は旧孝宮和子内親王邸と発表する由。
1989年9月27日
記者、6月御結婚にくやしがる。
1989年9月28日
秋篠宮御結婚関係の予算案につき検討会を行う。
1989年10月5日
秋篠宮の結婚予算について協議。
1989年10月9日
10月14日川嶋家へ支度金を届けること山本侍従長了解。
1989年10月14日
川嶋辰彦氏来庁。
山本侍従長から第一回の賜金伝達。
現金はとりあえずこちらで預かりに。
1989年10月25日
秋篠宮御結婚祝宴予算について協議。
1989年12月13日
秋篠宮納采の儀の打ち合せ。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1989年9月12日
秋篠宮、御婚約正式決定。
川嶋紀子嬢との御婚約につき、今日午前9時から皇室会議が開かれ全会一致で決まった。
お二人は午後吹上御所に昭和皇太后に御挨拶のため参内。
皇太后宮大夫安楽定信がお申し置きをお受けした。
1989年9月26日
秋篠宮、御結婚の日取りは来年6月末と決まり発表された。
6月半ばにイギリスでの御修学が実質的に終了するので、秋篠宮の早い御希望に応えてそう決まったらしい。
9月説もあったというが、その方が9月まで御修学の期間なのだから当然なのだが。
お住いは赤坂御用地内の故孝宮和子内親王の家を増改築してお使いになるという。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1990年1月12日
秋篠宮、納采の儀。
秋篠宮が両陛下に御挨拶、次に川嶋家三人御挨拶。
後で紀子さんのみ平成皇后に拝謁、指輪賜る。
1990年2月13日
本日より紀子さんのお妃教育始まり、御感想の発表あるとか。
1990年4月18日
秋篠宮御結婚の儀について打ち合せ。
1990年5月18日
秋篠宮の内廷基金よりの新宮家独立基金について説明あり。
1990年7月18日
土曜日の秋篠宮邸のバーベキューパーティーが午前まで続いていたことを問題とする。
1990年10月23日
宮務課長から紀宮清子内親王の序列位置について聞いてくる。
秋篠宮の次と答える。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1990年1月12日
秋篠宮、納采の儀。
午前侍従次長重田保夫が天皇陛下のお使いとして、目白の川嶋家を訪問した。
納采の品は、絹の洋服地3巻・清酒6本・鮮鯛2尾という。
午後竹の間で川嶋紀子さんと両親が両陛下と秋篠宮に御挨拶になり、川嶋家はすぐお帰りになり、その後両陛下と秋篠宮に皇族・元皇族が祝賀。
引き続いて宮内庁長官・宮内庁次長・侍従長の職員総代が祝賀。
さらに海部首相外遊中につき橋本総理代行・両院議長・最高裁長官の四長官が同様に祝賀申し上げる。
昨日届けられた名簿によれば、中村侍従が出ていなかった。
これは兼任侍従であることが忘れられ皇太后職参事とばかり考えられていたためだが、それなら安楽氏も侍従次長兼任なのだから皇太后大夫としては召されないはず。
しかし安楽氏は侍従次長として召されることになっていた。
そこで我々がこれを問題視し、卜部侍従から手塚英臣侍従に訂正を申し入れた。
その結果侍従として中村氏も召されることになった。
この問題は赤坂中心の考えで侍従職・東宮職側近を召すだけでよしとし、皇太后職を無視することから起きるので、これまでもこれからも礼宮御夫妻は吹上で皇太后職にお世話になることを考えないのか。
せめて女官長を代表として召すべきではないのか。
1990年6月29日
秋篠宮、結婚式。
午後から朝見の儀。
秋篠宮御夫妻は南車寄から仮御所にお帰り。
宮内庁職員が東庭でお見送り。
小生は行かず。
1990年6月30日
四方の写真は正式の記念写真として問題がある。
秋篠宮が両手を前で組んでいるのは論外。
最高の正装をし極めて改まった写真であるべきところ、こんな姿勢では良識を疑われると言うべきである。
従来から秋篠宮は両手を組む癖がおありのようで、そういう写真をよく見る。
平成陛下の左手も甚だよくない。
手のひらを大きく開いている。
自然に伸ばすか軽く握かすべきであろう。
これも癖らしく、国賓との写真でも見かける。
いずれもこの場に立ち会った側近か侍従の者が当然注意してお直し願うべきである。
カメラマンはそこまで立ち入って申し上げることはできない。
折に触れ報道される写真であるだけに、特に日頃からキリッとしない動作の多い秋篠宮にとって大きなマイナスである。
立ち会った側近の責任重大である。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1991年10月24日
昨夜秋篠宮家内親王御誕生につき、雪印からミルクを献上できないかとの相談。
ちょっと無理ではないかと。
1991年10月29日
秋篠宮御命名は眞子と。
なぜ当用漢字をお使いにならないのか。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1991年3月13日
秋篠宮妃御懐妊、宮内省発表。
皇太子様のお妃選びも何かと言われよう。
1993年6月22日
秋篠宮邸前を通ったが、門前の車庫前で秋篠宮妃がお子さんを連れ運転手とお話ししておられたのでお辞儀をした。
全く普段着のスラックスにTシャツという姿で、最初は秋篠宮妃とは気づかなかった。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1996年4月15日
日タイ協会の前田氏来訪。
秋篠宮の総裁就任の件は、例の問題がらみで先送りすることになったと。
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■妻 川嶋紀子 経済学者川嶋辰彦の娘
●眞子内親王
●佳子内親王
●悠仁親王
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1979年1月17日
夜、東宮四殿下御参内。
(浩宮様御不参)
秋篠宮いよいよ背が伸び、もう浩宮様を追い越してしまったという。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1985年12月23日
秋篠宮のヒゲ願望につき、富田宮内庁長官に相談。
富田宮内庁長官は否定的。
1985年12月24日
東宮侍従手塚英臣に、秋篠宮のヒゲのことにつき善処方申し入れ。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1988年10月6日〔昭和天皇闘病中〕
昭和陛下より田中侍従にヒオウギアヤメの資料を読むように御指示あり。
〔ヒオウギアヤメは秋篠宮紀子妃のお印〕
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1988年11月7日
秋篠宮、御帰国。
イギリス御就学中の秋篠宮は、昭和陛下の御容態が良くないというので、今夕日本に御到着になるという。
深夜0時半頃記者会見というのだから恐れ入る。
間に合わなくてもかまわないと思うのだが。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1989年7月12日
秋篠宮、留学先のイギリスから自動車持ち帰りのことが問題点。
〔結婚後の〕秋篠宮御用邸についても不確定要素多し。
1989年8月21日
秋篠宮の結婚問題 来月あたり皇室会議にはかることになるやもということで、侍従手塚英臣が三笠宮寛仁親王の時の記録を借用していく。
1989年8月26日
朝6時ころ記者の電話で起こされる。
秋篠宮の結婚問題を朝日がスクープしたことで、他の記者からも「やられた」と電話してくる。
1989年8月28日
管理部長から秋篠宮の御新居に関し、赤坂御用地内の故孝宮和子内親王邸のことを聞いてくる。
1989年9月26日
秋篠宮御結婚来年6月末、新居は旧孝宮和子内親王邸と発表する由。
1989年9月27日
記者、6月御結婚にくやしがる。
1989年9月28日
秋篠宮御結婚関係の予算案につき検討会を行う。
1989年10月5日
秋篠宮の結婚予算について協議。
1989年10月9日
10月14日川嶋家へ支度金を届けること山本侍従長了解。
1989年10月14日
川嶋辰彦氏来庁。
山本侍従長から第一回の賜金伝達。
現金はとりあえずこちらで預かりに。
1989年10月25日
秋篠宮御結婚祝宴予算について協議。
1989年12月13日
秋篠宮納采の儀の打ち合せ。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1989年9月12日
秋篠宮、御婚約正式決定。
川嶋紀子嬢との御婚約につき、今日午前9時から皇室会議が開かれ全会一致で決まった。
お二人は午後吹上御所に昭和皇太后に御挨拶のため参内。
皇太后宮大夫安楽定信がお申し置きをお受けした。
1989年9月26日
秋篠宮、御結婚の日取りは来年6月末と決まり発表された。
6月半ばにイギリスでの御修学が実質的に終了するので、秋篠宮の早い御希望に応えてそう決まったらしい。
9月説もあったというが、その方が9月まで御修学の期間なのだから当然なのだが。
お住いは赤坂御用地内の故孝宮和子内親王の家を増改築してお使いになるという。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1990年1月12日
秋篠宮、納采の儀。
秋篠宮が両陛下に御挨拶、次に川嶋家三人御挨拶。
後で紀子さんのみ平成皇后に拝謁、指輪賜る。
1990年2月13日
本日より紀子さんのお妃教育始まり、御感想の発表あるとか。
1990年4月18日
秋篠宮御結婚の儀について打ち合せ。
1990年5月18日
秋篠宮の内廷基金よりの新宮家独立基金について説明あり。
1990年7月18日
土曜日の秋篠宮邸のバーベキューパーティーが午前まで続いていたことを問題とする。
1990年10月23日
宮務課長から紀宮清子内親王の序列位置について聞いてくる。
秋篠宮の次と答える。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1990年1月12日
秋篠宮、納采の儀。
午前侍従次長重田保夫が天皇陛下のお使いとして、目白の川嶋家を訪問した。
納采の品は、絹の洋服地3巻・清酒6本・鮮鯛2尾という。
午後竹の間で川嶋紀子さんと両親が両陛下と秋篠宮に御挨拶になり、川嶋家はすぐお帰りになり、その後両陛下と秋篠宮に皇族・元皇族が祝賀。
引き続いて宮内庁長官・宮内庁次長・侍従長の職員総代が祝賀。
さらに海部首相外遊中につき橋本総理代行・両院議長・最高裁長官の四長官が同様に祝賀申し上げる。
昨日届けられた名簿によれば、中村侍従が出ていなかった。
これは兼任侍従であることが忘れられ皇太后職参事とばかり考えられていたためだが、それなら安楽氏も侍従次長兼任なのだから皇太后大夫としては召されないはず。
しかし安楽氏は侍従次長として召されることになっていた。
そこで我々がこれを問題視し、卜部侍従から手塚英臣侍従に訂正を申し入れた。
その結果侍従として中村氏も召されることになった。
この問題は赤坂中心の考えで侍従職・東宮職側近を召すだけでよしとし、皇太后職を無視することから起きるので、これまでもこれからも礼宮御夫妻は吹上で皇太后職にお世話になることを考えないのか。
せめて女官長を代表として召すべきではないのか。
1990年6月29日
秋篠宮、結婚式。
午後から朝見の儀。
秋篠宮御夫妻は南車寄から仮御所にお帰り。
宮内庁職員が東庭でお見送り。
小生は行かず。
1990年6月30日
四方の写真は正式の記念写真として問題がある。
秋篠宮が両手を前で組んでいるのは論外。
最高の正装をし極めて改まった写真であるべきところ、こんな姿勢では良識を疑われると言うべきである。
従来から秋篠宮は両手を組む癖がおありのようで、そういう写真をよく見る。
平成陛下の左手も甚だよくない。
手のひらを大きく開いている。
自然に伸ばすか軽く握かすべきであろう。
これも癖らしく、国賓との写真でも見かける。
いずれもこの場に立ち会った側近か侍従の者が当然注意してお直し願うべきである。
カメラマンはそこまで立ち入って申し上げることはできない。
折に触れ報道される写真であるだけに、特に日頃からキリッとしない動作の多い秋篠宮にとって大きなマイナスである。
立ち会った側近の責任重大である。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1991年10月24日
昨夜秋篠宮家内親王御誕生につき、雪印からミルクを献上できないかとの相談。
ちょっと無理ではないかと。
1991年10月29日
秋篠宮御命名は眞子と。
なぜ当用漢字をお使いにならないのか。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1991年3月13日
秋篠宮妃御懐妊、宮内省発表。
皇太子様のお妃選びも何かと言われよう。
1993年6月22日
秋篠宮邸前を通ったが、門前の車庫前で秋篠宮妃がお子さんを連れ運転手とお話ししておられたのでお辞儀をした。
全く普段着のスラックスにTシャツという姿で、最初は秋篠宮妃とは気づかなかった。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1996年4月15日
日タイ協会の前田氏来訪。
秋篠宮の総裁就任の件は、例の問題がらみで先送りすることになったと。
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