直球和館

2025年

2004/07

◆14代 大宮以季 公家小倉輔季の子・婿養子になる
1858-1932

1879年 23歳
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■妻  大宮政子 12代大宮政季の娘
1861-1903


●男子 大宮浩季 山本秀子と結婚
●男子 大宮正二 小川ヒサノと結婚

●女子 大宮知子 北恕太郎と結婚
●女子 大宮安子 田中政次郎と結婚


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◆15代 大宮公孝 子爵小倉英季の子・養子になる
1910-1971


■妻  今小路理子 公家今小路覚尊の娘
1910年生


●長男
●二男
●長女
●二女

◆10代 植松雅徳 8代植松雅恭の子
1843-1887

1879年38歳
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●女子 植松久子 山崎謇と結婚


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◆11代 植松雅平  9代植松雅言の子 
1853-1915

1879年 28歳
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■妻  東園嘉弥子 公家東園基敬の娘
1854-1917


●男子 植松雅道  12代当主
●男子 植松雅尚
●男子 植松雅尹

●女子 植松多賀子 伊東駒千代と結婚
●女子 植松碩子  司城通敏と結婚
●女子 植松礼子  桜井亦男と結婚


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◆12代 植松雅道  11代雅平の子
1877-1941


■妻  印部コテル 印部所一の娘
1887-1957


●男子 植松雅俊 13代当主
●男子 植松雅英 大野澄子の婿養子になる

●女子 植松信子 今西清之亮と結
●女子 植松正子 的埜中と結婚


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◆13代 植松雅俊  12代雅道の子
1910-1958


■前妻 深山一重子 深山正の娘
1917-1941


■後妻 樋口美恵子 樋口美津雄の娘
1914-1974


●長男
●二男
●三男
●長女
●二女

■東京本邸 東京市赤坂区青山南町


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◆24代 中山忠能 23代中山忠頼の子
1809-1888 79歳没

1879年 72歳
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■妻  松浦愛子 平戸藩主松浦清の娘 
1817-1906


●男子 中山忠愛 25代当主
●男子 中山公董 公家正親町公董となる
●男子 中山勝任 士族板倉勝任となる

●女子 中山慶子 孝明天皇の側室・明治天皇の生母
●女子 中山栄子 子爵本多正憲と結婚


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◆25代 中山忠愛 25代忠能の子
1832-1882 50歳没


●二男 中山孝麿 26代当主
●女子 中山種子


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◆26代 中山孝麿 26忠愛の子
1853-1919 66歳没

1879年 29歳
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■前妻 四辻勝子/浅子 公家四辻公績の娘
1856-1902 46歳没


■後妻 成瀬三千代   成瀬正肥子爵の娘 
1870年生


●二男 中山定政 今城定政子爵となる
●五男 中山輔親 27代当主
●七男 中山保親 錦織保親子爵となる

●長女 中山正子 花山院親家侯爵と結婚
●三女 中山徳子 渡辺修二男爵と結婚


●中山定政 今城定政子爵となる



●中山徳子 渡辺修二男爵と結婚



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◆27代 中山輔親 26代孝麿の子
1894-1980


■妻  九条豊子 九条道実公爵の娘 
1899-1985

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中山輔親&九条豊子
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●二男 中山忠敬 28代当主

●長女 中山孝子 出雲大社千家尊祀と結婚
●二女 中山福子 実業家渡辺誠一郎と結婚
●三女 中山清子 岡野清輝と結婚


●1939年 中山孝子 1919年生・159センチ・学習院出身・趣味は音楽・手芸・テニス
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『横から見た華族物語』昭和7年出版

中山輔親侯爵にも華族の子弟に通有な、ひどく物驚きのしないおっとりとしたところがある。
先年北海道余市の金満家にかつがれて富士生命保険会社の社長になったことがある。
無論名義だけの社長で表看板に利用されたまでのことだが、名義だけにしても表面上相当の株を持たねばならぬからなにがしかの株を輔親侯爵の持株ということにした。
ところが実業家仲間のやりくりについては全然認識ゼロな輔親侯爵は、その株を名実とも自分の物だと思い込んでしまったから会社側では閉口してしまった。
いくら説明しても、この持株は形式だけのもので実際の権利も義務もないものだと言っても、輔親侯爵の方では承知しない。
払い込みは一文もしないでおいて、持主が自分名義である以上当然利益配当も受くべきものだとがんとして動かぬので一同も弱り切った結果、名義上の輔親侯爵の社長を解除して壬生基義伯爵へ乗り換えたなどの珍談がある。
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◆28代 中山忠敬 27代輔親の子
1923年生


■妻  伊藤雪子 伊藤博精公爵の娘 
1928年生


●長男
●長女

◆24代 飛鳥井雅典  23代飛鳥井雅久の子
1825-1883

1879年 56歳
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■妻  花山院梅子  公家花山院家厚の娘
1831-1874 


●男子 飛鳥井雅望  25代当主
●男子 飛鳥井雅之  藤枝雅之となる
●男子 飛鳥井基静  持明院基静となる
●男子 飛鳥井恒麿  26代当主
●男子 飛鳥井勝道  大谷勝道となる
●男子 飛鳥井忠三郎 下山忠三郎となる

●女子 飛鳥井芳子  子爵永井直哉と結婚
●女子 飛鳥井生子  石田沢心と結婚


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◆25代 飛鳥井雅望 24代雅典の子
1842-1906

1879年 39歳
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■前妻 上杉栄子  米沢藩主上杉斉憲の娘・結婚3回
人吉藩主相良頼基→伯爵飛鳥井雅望→侯爵山内豊範
1848-1886 
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■後妻 四条満子  侯爵四条隆謌の娘
1853-1890 


●男子 飛鳥井雅広


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◆26代 飛鳥井恒麿 25代雅望の弟/24代雅典の子
1859-1924

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■1番目の妻 津守覚子 男爵津守国美の婿養子になるが離婚
1860-1927 


■2番目の妻 伊達美知 伊達邦直の娘
1896年没


■3番目の妻 高橋ツネ 高橋島五郎の娘
1871-1944


●長男 飛鳥井雅信 27代当主
●二男 飛鳥井翠
●三男 飛鳥井勉  不破克己の娘不破タカと結婚

●長女 飛鳥井喜多 住職哲覚となる
●二女 飛鳥井真寿 曇華院住職慈孝となる
●三女 飛鳥井登美 北垣晋一男爵と結婚
●四女 飛鳥井加都 千種有秀子爵と結婚


●飛鳥井登美 北垣晋一男爵と結婚
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◆27代 飛鳥井雅信 26代恒麿の子
1893-1969

1075(2)



■妻  八条敞子  子爵八条隆正の娘
1902年生


●男子 飛鳥井雅道 28代当主
●男子 飛鳥井雅慶 29代当主

●女子 飛鳥井典子 金田民夫と結婚
●女子 飛鳥井祥子 梅本二郎と結婚


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宮内庁長官 田島道治『拝謁記』

1952年3月8日※当時の総理大臣の年給は132万円

「京都出張所の飛鳥井雅信が部内の統制もよく取れず、投書などもありましたし、不正というほど大きな事ではありませんが、御所内の材木の端がどうとかいうような噂もありまして、定評があります。この際勇退してもらおうと考えまして、昨年来神職の方いろいろ空席のある所を当たってもらいましたが、みな飛鳥井ではとてもと受け手がありませぬ。一方行政整理の該当者は退職金8割増という特典があり、退職金は100万円近いようでありますから、他へ就職は退職後としてこの3月限りで勇退してもらうことに致したいことになりましたゆえ、お許しを得たいと存じます」

1952年3月22日
「先日京都の飛鳥井のことを申し上げましたが、投書等によりましてあまり芳しからぬ事もあるやの噂で調べましたが、部下が良からぬ事を致しておりまして小さいのでありますが質が悪いので勇退を申し入れ出ましたところ、進退伺を出さねばならぬと思ってたというような次第で、退官のことは決まりましてございます。
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◆28代 飛鳥井雅道 27代飛雅信の子
1934-2000


■妻  堀口和子  堀口太助の娘
1934年生


●長男
●長女


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◆29代 飛鳥井雅慶 28代雅道の弟/27代雅信の子
1937年生


■妻  篠原悠子  篠原真慶の娘
1947年生


●長男

◆12代 花園実延 11代花園公総の子
1851-1882

1879年 30歳
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■前妻 大原亀子 公家大原重徳の娘・花園実延と離婚・津江左太郎と再婚
1849年没


■後妻 山内立子 山内豊栄の娘


●男子 花園公季 13代当主


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◆13代 花園公季 12代実延の子
1874-1926

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■妻  本多キク 本多治三郎の娘
1875-1944


●男子 花園公栄 14代当主
●男子 花園実昌

●女子 花園静子 峯崎要と結婚


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◆14代 花園公栄 13代公季の子
1902-1961


■妻  肥沼梅次 肥沼梅三郎の娘
1916年生


●長男
●二男
●長女

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