直球和館

2025年

2004/07

◆10代 園池公静 8代園池実達の子
1835-1919

1879年 46歳
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■妻  四辻千賀子 公家四辻公績の娘
1843-1921


●長男 園池実康  11代当主
●三男 園池実信  男爵北大路実信となる
●六男 園池公直  岩佐公直となる

●長女 室町賀寿子 伯爵室町公大と結婚


●室町賀寿子 伯爵室町公大と結婚
1056(1)



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◆11代 園池実康  10代公静の子
1857-1928

1879年 24歳
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■妻  正親町春香 公家正親町公董の娘
1865-1921


●男子 園池公致  12代当主
●男子 園池公功

●女子 園池純子  片岡弘と結婚
●女子 園池綾子  角田不二男と結婚
●女子 園池光子  高崎親雄と結婚


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◆12代 園池公致  11代実康の子
1886-1974


■妻  竹尾茂子  政治家竹尾茂の娘
1898-1967


●男子 園池実覧  13代当主
●男子 園池美作  新倉弘江と結婚

●女子 園池松子  鍋島幹一郎と結婚
●女子 園池順子  岩崎恒雄と結婚
●女子 園池多喜子 道祖土実と結婚
●女子 園池爽生子 広瀬友太郎と結婚


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◆13代 園池実覧 12代公致の子 
1922年生


■妻  山田澄子 山田彰の娘
1930年生


●長男
●長女


1993年 園池実覧の子
19930427(2)


1994年 園池実覧の子
19940331

◆14代 綾小路有長 13代綾小路俊資の子
1792-1881

1879年 89歳
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●男子 綾小路俊賢 15代当主

●女子 綾小路俊子 豊岡随資と結婚
●女子 綾小路珠子 山内豊誠子爵と結婚
●女子 綾小路竹子 唐橋在正子爵と結婚


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◆15代 綾小路俊賢 14代有長の子
1824-1854


■妻  櫛笥従子  公家櫛笥隆起の娘
1883年没


●男子 綾小路有良 16代当主

●女子 綾小路幹子 今治藩主松平定法と結婚
●女子 綾小路滝子 金子有卿と結婚


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◆16代 綾小路有良  15代俊賢の子
1849-1907

1879年 32歳
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■前妻 分部八愛子  大溝藩主分部光寧の娘
1850-1889


■後妻 竹屋益子   公家竹屋光有の娘・菰野藩主土方雄永と結婚・綾小路有良と再婚
1853-1933


●女子 綾小路長子  庭田重直伯爵と結婚→子は17代当主綾小路茂俊
●女子 綾小路八十子 輸入食品〈菊屋〉羽田如雲と結婚


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◆17代 綾小路茂俊 16代綾小路有良の孫/綾小路長子の子 
1896-1964


■妻  藤木チヨノ
1906-1978


●男子 綾小路勝弘 華族庭田勝弘となる


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◆18代 綾小路家政 公家大炊御門家信の子・ 熟年に養子になる
1877-1920


■妻  石山晨子  石山基正子爵の娘
1877-1954


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◆19代 綾小路護 野宮定穀子爵の子・養子になる 
1892-1973


■妻  有馬雪子 有馬頼之子爵の娘
1903年生


●男子 綾小路有功 20代当主
●男子 綾小路有昭 石炭王貝島栄一の娘久美子と結婚
●男子 綾小路有恒 坂口安子と結婚

●女子 綾小路章子 1947年味の素社長鈴木重明と結婚・4年後離婚・1973年殺人で逮捕
●女子 綾小路康子 石炭王貝島栄一の子信人と結婚
●女子 綾小路睦子 実業家八十島武夫と結婚


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週刊新潮 1974年

昨年12月20日の夜から六本木などを飲み歩いていた日商岩井社員のAさん(29)とBさん(34)は1月21日午前0時半頃 西麻布の綾小路章子のマンションを訪れた。
明け方まで3人で飲む。
そして章子が押入れにしまっていたレミントン銃を至近距離からBさんに発射し即死させた。
Aさんは銃を持って一人で公衆電話に走り110番した。

別れたご亭主は沈痛に物語る。
「離婚の理由は一言でいえば商人と華族の家風の違いということでしょうね。
主人が家で食事をしている時に外で他の男と食事をするとか、子供が生まれても世話をしないで放りっぱなしでした。
離婚後私の友達が『おい、おまえの女房が店でホステスやってるのに会ったぞ!』って言ってきましてね。
いろいろとかんばしくない噂が耳に入ってくる。
彼女が助けてくれと言うんで私の会社の広告の仕事をやってもらったこともあります。
今度の事件のことを知ってショックです」

章子は昭和43年麻雀屋『李白』を開業した。
「あそこは日商岩井の人間がお得意様の接待に使う『日商岩井別室』の観があった。
普通の麻雀荘とはちがう豪華なサロンという感じでした。
調度品もトイレに至るまで凝りに凝ってね。
麻雀屋では酒を飲ませてはいけないことになってるんだが舶来高級酒が並んでて」
Aさんと章子の関係について麻布署は「二人が知り合ったのは章子が経営する麻雀屋。
二人はかなり深い恋愛関係にあった。
ところがAさんに結婚相手ができて章子との関係をきれいにしておきたかった。
そこで先輩のBさんに頼んで話をつけてもらうべく深夜のマンションで3人で会談した。
どう話がこじれてああいう殺人沙汰になったのかいきさつは不明だ」
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19890023


1978年
19780099


1983年
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◆20代 綾小路有功 19代護の子
1924年生


■妻  山田千鶴子
1929年生


●長男

◆8代 梅園実紀 7代梅園実好の子
1827-1907

1879年 54歳
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■前妻 八条祐子 公家八条隆祐
1833-1863


■後妻 林芳子  林重名の子
1848-1892


●男子 梅園実師 9代当主


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■夫  梅園実静 8代実紀の弟/7代実好の子
1840-1903

*1890年離籍

1879年 41歳
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■妻  高松保子 公家高松保実の娘
1843年生


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◆9代 梅園実師 8代実紀の子
1861-1917

1879年 18歳
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1085(1)



■1番目の妻 スガ
1880年没


■2番目の妻 倉橋栄子  子爵倉橋泰清の娘
1873-1901


■3番目の妻 武部美千代 士族武部兵太郎の娘
1885年生


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◆10代 梅園篤彦  男爵梶野行篤の子・養子になる
1889-1978


■妻  吉田満智子 吉田与三平の娘
1887-1982


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◆11代 梅園勝彦  好田稔篤の子
1931-1986


■妻  森本ヒロミ 森本敏一の娘
1936年生


●長男
●二男
●長女

◆10代 久世通熙 9代久世通理の子
1818-875


■妻  鍋島繁子 佐賀藩主鍋島斉直の娘


●男子 久世通章
●男子 久世光熙 琴陵瑞枝の婿養子になる

●女子 久世具子 三時知恩寺門跡久世成章
●女子 久世ヒサ 田辺市次郎と結婚


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◆11代 久世通章 10代久世通煕の子
1859-1939

1879年 22歳
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1076(1)



■前妻 岩倉静子  公爵岩倉具視の娘・久世通章と離婚・子爵吉田良義と再婚
1862年生


■後妻 清水田鶴  清水又兵衛の娘
1870-1950


●男子 久世通志
●男子 久世章業  12代当主

●女子 久世三千子 山川默と結婚 女官


●久世三千子 山川默と結婚 女官 
1076(3)



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明治天皇の女官〈桜木の局〉久世通章子爵の娘久世三千子→山川黙の妻山川三千子 

ある日美子皇后が「三時知恩院門跡久世成章〔久世具子〕という人があった。あれは三千子の叔母で昔 若菜と一緒に御目見得に出た人でしょう」と仰せられました。
「はい、さようでございます」
「いつまでも若くてきれいね。だけどずいぶん小さい。あの人は歌も上手だし字も立派だったが、いかにも体が小さいので御縁がなかったのね」
「何の芸もない私と違ってたいていのことは致しました。琴も師の〈らく〉が褒めてくれましたとか」
「まあ、あの〈らく〉に習っていたの。〈らく〉も長生きしましたね」
「では、一条様のお姫様に御稽古申し上げたと承りましたのは、美子皇后の御事で」
「ええ、そう。それで叔母はあれからすぐに尼に?」
「いいえ、さる大名の二男に嫁ぎまして子供も二人おりましたが、なんとも堪え切れぬ事情がございまして一人で帰って参り、それから尼になりました」
「まあ、気の毒な。久世は代々 書の家だからか、おじい〔祖父〕は大変立派な字を書く人だったが、このあいだ見たらおでい〔父〕はあまり上手でないようね」
いろいろと心安く御話いただきました。
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◆12代 久世章業  11代通章の子
1898-1976

1076(2)



■妻  野口貞子  野口五平治の娘
1906-1969


●男子 久世業総  13代当主
●男子 久世業通  国松洋子と結婚

●女子 久世富佐子
●女子 久世富美子
●女子 久世典子


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◆13代 久世業総 12代章業の子
1935年生


■妻  吉川建子 吉川治良左衛門の娘
1940年生


●長男
●二男

◆9代 壬生基修 公家庭田重基の子・養子になる 「七卿落ち」の一人
1835-1906 71歳没

1879年 58歳
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■妻  四辻重子 公家四辻公績の娘


●男子 壬生基義 10代当主
●男子 壬生量基 町尻量弘子爵の養子になり町尻量基となる

●女子 壬生房子 公家庭田重文と結婚
●女子 壬生修子 清閑寺経房伯爵と結婚
●女子 壬生糸子 政治家由利公通と結婚
●女子 壬生麻子 公家南坊城良興と結婚


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◆10代 壬生基義    9代壬生基修の子
1873-1936




■前妻 岡沢留子    岡沢精子爵の娘 
1881年生


■後妻 久邇宮篶子女王 久邇宮朝彦親王の娘
1878-1947


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『倉富勇三郎日記』枢密院議長

<壬生基義の姉妹丼>

1922年8月24日
※宮内官僚小原駩吉の発言

壬生基義の性質は金銭に汚く品行不良にて、妻篶子の姉妹の寡婦となりおる者と私したる事多く、先年死去したる池田詮政の寡婦安喜子のごときもその一人にて、池田家の家職などはしきりに苦心したりし。
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『木戸幸一日記』内大臣

※債権者は戸田康保子爵、債務者は壬生基義伯爵

1935年9月2日
壬生伯爵来庁。
戸田康保子爵との債務につき破産申請の訴を出されたる件につき事情を述べられ、調停を依頼せらる。
調停は断り、ただ軽き意味の斡旋を諾す。

1935年9月5日
戸田子爵来庁。
壬生伯爵との係争事件につき、いま一度協議せらるるよう勧告す。
こころよく受諾せらる。

1935年9月13日
壬生伯爵来訪。
破産問題につき中間報告あり。

1937年4月12日
朝香宮事務官折田来庁。
壬生伯爵家の救済につき経過を聴く。
早急に援助するは考えものなり。

1937年4月13日
久邇宮務監督宇川済来庁。
壬生伯爵家救済云々を聴く。

1937年4月15日
梨本宮務監督三雲来庁。
壬生伯爵家の件なり。
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明治天皇の女官〈桜木の局〉久世通章子爵の娘久世三千子→山川黙の妻山川三千子 

昭和天皇が皇太子でおいでの時 東宮武官として奉仕していた壬生基義は、小さい時 明治天皇の出仕として仕えておりました。
ある日「大きくなったら何になる」との明治天皇の御下問に、
「はい、軍人になりたいと存じます」とお答え申し上げました。
後に当時の侍従武官長だった岡沢精に、
「壬生は軍人になりたいと言っておるが、出仕をしていて勉強もできにくかったかもしれぬ。
試験の受けられるよう、誰かに面倒を見させてやれ」と仰せられましたそうです。
後になってその御話を知った壬生氏は非常に感激して、
「この明治天皇のおためなら一生を賭けてもと思った」と話したそうです。
壬生氏は東宮武官時代に美子皇后〔昭憲皇太后〕に御機嫌伺に出るたびごとに、面白い世間話を申し上げてはみなと一緒に笑いくずれたものです。
そんな吞気屋な壬生さんすら、明治天皇の御心遣にはそんなにも感激したのでした。
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●男子 壬生基泰 11代当主

●女子 壬生綾子 池田政鋹子爵と結婚
●女子 壬生種子 副島道正伯爵の子副島種義と結婚・離婚


椅子 基義&篶子夫妻
立つ 基義の弟基綱/町尻量基


左:篶子夫人  右:種子


立つ左から 基泰 基義
座る左から 篶子夫人 種子
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『木戸幸一日記』内大臣

壬生基義伯爵、令嬢種子が副島種臣伯爵令息種義と結婚希望につき、意見を徴せらる。
けだし副島種義が赤化事件に関連せしことにあるによるなり。
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◆11代 壬生基泰 10代壬生基義の子
1909-1979


■1番目の妻 渋沢博子 財閥渋沢正雄の娘・死別
1919-1947


■2番目の妻 清水建設社長の孫・死別 



■3番目の妻 三好淑子 政治家三好英之の娘
1921年生


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鮫島純子 博子夫人の妹・財閥渋沢正雄の娘・鮫島員重男爵の妻

姉はお茶の水女学校を18歳で卒業と同時に、英語・フランス語・和裁・洋裁・編み物・茶道・華道・書道・ピアノ・ヴァイオリン・日本料理・中華料理・フランス料理など十指に余るお稽古事を本人の意志のままに自分で申込み、欲しい物はデパートの御帳場にサッサとつけて、月末の請求書に母が驚きあわてて諌めるといったこともございました。
そのうちポツポツ縁談が持ち込まれ、熱心に持ち込まれた話が公家の伯爵家からのものでございました。
姉本人の耳には入れず、両親は「若すぎる」「公家の嫁向きに育てていない」を理由にすぐお断りしました。
ところが、あちらからこちらからのルートでさらに熱心に申し込まれました。
花婿候補の御母堂は宮家の王女の由で、失礼があってはとやんごとなき筋を通し謹んでお断り言上の礼を尽くした次第でございましたが、なかなか御縁を切っていただけません。
やがて彼は丸ビルにある父の事務所に通われるようになりました。
後になって知ったことでございますが、先代基義伯爵が他人様にお頼まれになって借金の保証人の実印を押しておられたそうです。
伯爵家では先代が亡くなられた後、その事実がわかりました。
1000坪の土地屋敷が抵当に入っていたのですが、借り手が倒産してしまったのです。
すべては後日わかったことでしたが、そのような理由でなかなか諦められずに何度も申し込んでこられた次第でした。
そんなこととは露知らず、
「博子は若いから人を見る目がまだ育っていないのだろう。あれはなかなかいい青年だよ」と父の心はいつしか娘の結婚に傾いていきました。
1年半見守るなか着かず離れずデートなど始まり、
姉も「10歳年上の〈おじい〉なんて若さがなくて」と言っておりましたのにそのうち年齢差も気にならなくなったのか、
とうとう「両親がいいと認める相手だから」と昭和13年11月妻になりました。
あれだけ望まれて行ったのですからさぞかし大事にされているのだろうと思っていましたところ、夫婦仲は良いのですが、お姑様・小姑様・先代基義の側室・先代の妹様(御離縁で出戻り)・古くからいるお女中頭、人間関係の複雑さに、のんびり育った姉の試練は厳しいものでした。
良かれかしと思うがゆえに、可愛がって育てた初めての娘を無理に近い格好で嫁がせた母としては、蔭になり日なたになり励ましかばい経済的援助の手を差し伸べ、それは母にとってもつらい試練のようでした。
そのうちやっと前述のようなお家の内情が打ち明けられ、抵当になっている代々木の1000坪の土地建物を取り戻してほしいとの御依頼があり両親は驚きました。
お嬢さん育ちそのままの疑うことも知らない無邪気な姉でしたが、揉まれていませんでしただけにお姑様をはじめ複雑な人間関係の駆け引きに驚き戸惑いながら仕えました。
戦中もモンペ姿で食料調達に駆け回り、三老人(お姑様・先代側室・痴呆症の義叔母様)をいたわりながら奮戦し、やがて疎開先の鎌倉で二老人を見送りました。
取り戻した代々木の屋敷は焼けてしまい、終戦後行くあてもないまま鎌倉を引き上げて実家にお姑様ともども転がり込みました。
まだまだ宮様気質のままのお姑様に一番良い南向きの10畳の座敷を提供し、結局母ぐるみでお仕えする羽目になったのです。
娘を思えばこそ、母は愚痴ひとつこぼさず最期のお看取りまでその家でまっとういたしました。
姉夫婦はやっと晴れて二人だけの新生活が始められることになりましたが、昭和23年心臓病に苦しみながら姉は亡くなりました。
わずか30年の生涯でした。
思うことがすべてかない「博子様は何事も御運が良い」と使用人たちに言われていた娘時代と、結婚後の天と地のようなギャップを想う時、人生の意味を考えさせられました。
通夜の日 姉の遺体の前で、
「博子がいなくなりまして不自由になります。後を探していただけませんか」という義兄の正直すぎる言葉に私は耳を疑いました。
それに対してずっと病床で泊まり込みで看病しておりました母は、
「そうね、ご不自由におなりね」と約束通り良いお嫁様をお世話しました。
清水建設社長のお孫さんでしたから、姉が苦心して取り戻した家はすぐに立派な家に建て替わりました。
5年後亡くなられたこの奥様のすぐ後には、当時の国務大臣のお嬢様が私の家でお見合いされ嫁がれました。
帝国ホテルでの披露宴には、姉が嫁いだ時と同様、宮様がおおぜい御出席されました。
仲人岸信介氏が「新郎は今まで配偶者に恵まれませんでしたが、このたびは…」と新婦の紹介をされたとき私はなんとも複雑な気持ちで姉が哀れに想われました。
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◆12代 壬生基博 東久邇宮盛厚王の子久邇宮秀彦・養子になる
1949年生


■妻  土屋幸子 第一ホテル社長土屋計雄の娘
1953年生


●長男
●二男


1977年
19770185



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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従

1986年6月3日
壬生基博〔東久邇秀彦〕日航を辞めて第一ホテルの役員になるとのこと。
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