直球和館

2025年

2005/01

■東京本邸 牛込区市ケ谷加賀町


=========================


◆15代 日野西光善 子爵萩原員光の子・養子になる
1849-1923

1879年 32歳
0032f


1043(1)



■前妻 堀河賀子  公家堀河親賀の娘
1850-1882 


■後妻 粟田口親子 粟田口定孝男爵の娘
1870-1912 


●男子 日野西資博 16代当主

●女子 日野西愛子 寺田善作と結婚
●女子 日野西範子 桜井小太郎と結婚
●女子 日野西薫子 財閥村井吉兵衛の後妻・女官〈山茶花の局〉
●女子 日野西延子 田中盛行と結婚
●女子 日野西照子 馬淵咸蔵と結婚


●日野西薫子 女官〈山茶花の局〉財閥村井吉兵衛の後妻
1044(2)


1927年
1927-2028(1)


1927-2029(1)



::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
万朝報 1898年

子爵日野西光善は京都府上京区袋町伊東栄次郎の妹貞(34歳)を妾とし、延子・照子・光弘・豊子の四人の庶子をもうける。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
久世通章子爵の娘久世三千子→山川黙の妻山川三千子 明治天皇の女官〈桜木の局〉

明治陛下はなかなかお茶目さんなところもおありになって、女官にいちいちあだ名をおつけになりました。
山茶花の局〔日野西薫子〕の「にゃん」は、物の言い方が甘えたようで猫を思わせるところから。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


=========================


◆16代 日野西資博  15代光善の子 
1870-1942

1044(1)



■妻  鳥尾広子   鳥尾小弥太子爵の娘
1873-1956 

1044(3)



●長男 日野西資忠  17代当主
●二男 日野西資孝  森脇喜美子と結婚

●長女 日野西栄子  星川久七と結婚
●二女 日野西治子  北小路三郎子爵と結婚
●三女 日野西賀寿子 遠山健彦子爵と結婚
●四女 日野西智子  広瀬満敏と結婚
●五女 日野西兌子  中村久左衛門と結婚


左から 智子・資孝・治子・兌子・栄子・賀寿子・資忠
1043(2)


後列6人左から
日野西資孝・鳥尾照子・日野西智子・鳥尾孝子・日野西栄子・日野西治子
前列5人左から
日野西兌子・鳥尾敬光・鳥尾タイコ夫人・日野西賀寿子・日野西資忠
7eb26c9d


左2人日野西資博子爵の娘たち 右3人鳥尾光子爵の娘たち
td3146(1)



=========================


◆17代 日野西資忠 16代資博の子 
1900-1970


■1番目の妻 清岡重子 清岡長言子爵の娘
1906-1934 


■2番目の妻 立河将子
1905-1946


■3番目の妻 中村愛子 中村久兵衛の娘
1912年生


●男子 日野西資英  吉田恵美子と結婚
●男子 日野西豊   清沢英子と結婚

●女子 日野西公子  中宮寺住職光尊となる
●女子 日野西法子  長尾博吉と結婚
●女子 日野西佐知子 石田勇と結婚

◆9代 池尻胤房 8代池尻延房の子
1830-1870


■妻  橋本松子 公家橋本実麗の娘
1857年没


●男子 池尻知房 10代当主


=========================


◆10代 池尻知房 9代胤房の子
1869-1889


=========================


◆11代 池尻基房  伯爵清閑寺盛房の子・養子になる
1876-1943


●女子 池尻千賀子 婿養子を迎えする
●女子 池尻薫子  志賀健三と結婚


=========================


■夫  池尻実   子爵梅小路定行の子・婿養子になるが離婚・郡文子と再婚
1913-1990


■妻  池尻千代子 11代池尻基房の娘・婿養子池尻実と離婚・公爵三条実春と再婚
1916-1971


=========================


◆12代 池尻貞光 伯爵清閑寺良貞の子・養子になる
1922-1947

◆初代伯爵 烏丸光亨 先代烏丸光徳の子 「華族中の奇人」として有名
1865-1909

1879年 16歳
0016b



■妻  勘解由小路操子 勘解由小路資生子爵の娘
1868年生


●長男 烏丸光大    2代
●二男 烏丸光孚
●三男 烏丸光明    七条光明となる

●長女 烏丸花子    烏丸尊弘と結婚・女官〈初花の局〉
●二女 烏丸園子    枝吉文種と結婚
●三女 烏丸紅子


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『徳富蘆花日記』

1917年12月29日〔大正天皇の女官烏丸花子退職〕
烏丸花子〈初花の局〉が宮中を出たと新聞にある。
お妾の一人なんめり。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
小川金男 明治・大正・昭和の天皇に仕えた仕人

1913年頃、侍従長徳大寺実則の推薦で貞明皇后のお控えとして入ってきた美しい娘がいた。
彼女は先祖に大納言を持つ烏丸伯爵の娘で、代々権典侍の資格のある家柄であった。
小柄な娘であったが、その美しさは美人の多い女官の中でも、もちろん世間でもまれにみるほどであった。
丸顔で、眉が秀でていて、どこまでも冴えた二つの大きな美しい目を持っていた。
笑うとエクボが出た。
しかしそれほどの美人でいながら少しも剣がなかった。
彼女は権掌侍になり、初花の局〔烏丸花子〕という源氏名をいただいた。

それから7年ほど経ったある日、私は私の家の主人筋にあたる岡山池田侯爵から不意に呼び出しを受けた。
「君からひとつ皇后宮大夫大森鍾一に伝えてもらいたいことがあるのでね、それで呼んだのだ。
『一人の女官が承知すれば無事に納まることだからよろしくお頼みする』と、ただそう言ってもらえばいいのだ。お願いしたよ」
それだけであった。
私はすぐ大森大夫の官邸に行って、池田侯爵の言葉を直々大森大夫に伝えた。
ところが大森大夫はいつになく狼狽した様子で𠮟りつけるように言った。
「この問題は君などが口を挟むことじゃない!引っ込んでいたまえ!」
私は呆然として引き下がるより仕方がなかった。
いろいろ考えてみたか、かいもく見当がつかない。
癪にも触るし、気も滅入る。
自宅に戻ると大森大夫から使いが来ていてすぐ来てくれと言う。
なにがなんだかわからないが、官邸に引き返して大森大夫の前に出ると、さっきとは打って変わって言葉である。
「先刻は失礼した。君の家は池田の家臣だったんだね。しかし烏丸権掌侍の問題にはちゃんとした証拠が挙がっているんだよ。これはどうしようもないのだ。一つこのことは絶対に秘密にして手を引いてもらえまいか」とさながら懇願する態度である。
私は手を引くも引かぬもない、ただ池田侯爵の言葉を伝えただけである。
もちろん私は承知した旨を述べて引き下がったが、烏丸権掌侍とは意外であった。
かえって秘密にされていた事件の内容に触れたことになってしまった。
翌朝早く不意に父が私を訪れてきた。
「烏丸さんの問題はよほど大事件らしい。お前ごとき身分では荷が重すぎる。早く手を引いた方がいい」
そう言って私が質問するのも恐れるかのように慌てて帰ってしまった。
池田侯爵の姉に当る人が烏丸権掌侍の兄のところに嫁に行っていたから、両家は親類であったのだ。

石山侍従は少年の頃から陛下の御給仕すなわち侍従職出仕を務めてきた男で、出仕の時から奥に出入りしていたのであった。
侍従職出仕というのは成人すると侍従に任官されるのであるが、侍従職出仕は少年であるので奥への出入りも自由になっていたのである。
そういうわけで石山侍従出仕は侍従に任官してからも、自然と以前の習慣通りに女官の所へも出入りしていたのであった。
彼はまだ若く、色の白いキリッとした顔立ちの美青年であった。

石山侍従と烏丸権掌侍は同時に退官になった。
退官になった二人からは、何一つ反駁は行われなかった。
やはり二人は関係があったのかと思わないわけにはいかなかった。
ところが退官してから後も、石山侍従は侍従職から月1,000円づつ御手当を頂いているという噂が耳に入った。
何のために石山に1,000円の手当を出さねばならぬのだろう。
その金が御納戸金から出ているとすれば、外部には絶対に漏れるものではない。

烏丸権掌侍は縁続きの武者小路家に出入りしていた神官と結婚した。
おそらくその神官が灸点に詳しかったのであろう。
一時原宿で灸点をやって相当に流行っているということも聞いたが、近ごろ新聞に〈烏丸灸〉の広告が出ているのを見ると、やはり今も灸点師としてそれ相当の暮らしを立てているのだろう。
10年ぐらい前にある人から、
「縁談の世話をしようと思っているんだが、その娘さんは大正天皇の御落胤だという噂のある人でねえ」と言うので、
「それは烏丸さんの娘さんじゃないかね?」と言うと、
「そうなんだよ」と言うことであった。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
梨木止女子→坂東長康の妻坂東登女子 明治天皇・大正天皇に仕えた女官〈椿の局〉

石山侍従は問題を起してクビになった方です。
石山さんてくそ真面目なほど真面目な方でしたよ。
でも権掌侍烏丸花子さんの事件が起きて。
烏丸さんはきれいな可愛らしい顔してらして、良い方でしたよ。
だけど石山さんは石部金吉と言われるほどカチカチの〈お固さん〉でしたがね。
だから本当にそうだったかどうだかわからないですよ。
みんなが問題を作り上げたかもしらん。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


=========================


◆2代 烏丸光大 1代光亨の子 
1885-1950


■妻  池田鋠子 池田詮政侯爵の娘
1892-1961


●長男 烏丸光喬 3代
●二男 烏丸光晴 桜井クニエの婿養子になる
●三男 烏丸光照

●長女 烏丸啓子
●二女 烏丸紀子 佐々木迪怜と結婚
●三女 烏丸章子 谷本二喜雄と結婚


1934年 烏丸啓子・烏丸章子
1934



=========================


◆3代 烏丸光喬  2代光大の子
1918年生


■妻  杤木多計子 財界人杤木嘉郎の娘
1920年生


●長女
●二女

◆9代 交野時万 8代交野時晃の子 
1832-1914

1879年 49歳
0049c



■妻  池尻繁子 公家池尻延房の娘
1834年生


●男子 交野時正 10代当主


=========================


◆10代 交野時正 9代時万の子
1878-1941


=========================


◆11代 交野政邁 子爵内藤政挙の子・養子になる
1893-1966

1070(1)



■妻  伊藤錥子 松坂屋伊藤祐民の娘
1903-1942


●男子 交野政博
●男子 交野政明 山下哲子と結婚
●男子 交野光彦 伊藤光彦となる

●女子 交野民子 牧野伸和と結婚
●女子 交野君子
●女子 交野沍子 石川知庸と結婚

◆14代 竹屋光有 公家広橋胤定の子
1811-1883

0070a



■妻  白川陳子 公家白川資延の娘


●実子 竹屋光昭 15代当主
●庶子 竹屋定允 公家野宮定允となる
●庶子 竹屋定穀 子爵野宮定穀となる

●実子 竹屋益子 菰野藩主土方雄永と結婚・子爵綾小路有良と再婚


●竹屋定穀 子爵野宮定穀となる
1028(1)



=========================


◆15代 竹屋光昭  14代光有の子
1836-1906

1879年 44歳
0044h



■妻  富小路熊子 公家富小路永忠の娘
1840年生


●男子 竹屋光富  渥美雅子と結婚→子は16代当主竹屋威光
●男子 竹屋吉光  子爵西大路吉光となる
●男子 竹屋岩麿  男爵南光利となる

●女子 竹屋津根子 女官
●女子 竹屋志計子 女官


●竹屋光富 渥美雅子と結婚→子は16代当主竹屋威光 1879年 21歳
0021c



●竹屋吉光 子爵西大路吉光となる
1015(1)



=========================


◆16代 竹屋威光 15代光昭の孫/竹屋光富の子 
1893-1912


■妻  坂東富子 坂東性開の娘
1885-1973


=========================


◆17代 竹屋春光  侯爵松平茂昭の子・養子になる
1883-1938


■妻  山県寿美子 公爵山県伊三郎の娘


●男子 竹屋康光  18代当主
●男子 竹屋忠光

●女子 竹屋千代子 杤木二朗と結婚
●女子 竹屋真佐子 安宅重雄と結婚
●女子 竹屋美都子


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
宮武外骨『地獄耳』

山県伊三郎の娘なる竹屋寿美子というのは松平春嶽の孫たる竹屋春光の女房だが、学習院女子部に在学中は学力劣等でとても卒業ができぬため別科という名にして卒業させたものである。
ところがこのご亭主の竹屋春光も春嶽の血筋とはいいながら、学習院時代から有名なおめでたい方であった。
今度貴族院議員に当選したのも山県有朋が左右の者に、
「竹屋もああしておいては困る」と慨嘆したのが、さっそく御意に協うようになったのだという。
低能児ぞろいの貴族院議員当選中、竹屋春光と大浦兼武子爵の息子兼一とが際立って目立つ大々的低能児だという。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


=========================

◆18代 竹屋康光 17代春光の子
1920年生


■妻  八田慶子 八田善之進の娘
1925年生


●長男
●長女
●二女

このページのトップヘ