直球和館

2025年

2007/07

■東京本邸 小石川区堅町

■東京本邸 豊多摩郡千駄ケ谷町

 
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◆初代男爵 若王子遠文 公家山科言知の子 聖護院
1828-1898

1879年 51歳
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■妻  持明院治子 公家持明院基政の娘
1849-1913 


●長男 若王子文健 1873年生 2代当主
●男子 若王子文礼 1877年生
●男子 若王子祥瑞 1879年生

●女子 若王子文子 1875年生
●女子 若王子安子 1886年生 鎌田正棟と結婚


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◆2代男爵 若王子文健 初代男爵若王子遠文の子
1873-1942

1017(1)



■妻  吉田錠子  吉田重五郎の娘
1881-1935

1017(2)



●男子 若王子文俊 1906年生 3代当主
●男子 若王子敬文 1914年生
●男子 若王子康文 1916年生
●男子 若王子文哉 1921年生

●女子 若王子元子 1908年生 本庄種次郎と結婚
●女子 若王子幸子 1910年生 藤崎信助と結婚
●女子 若王子賛子 1912年生 橋爪雄一郎と結婚
●女子 若王子文江 1919年生 石川文江となる
●女子 若王子宣子 1925年生 宮倉正男と結婚
●女子 若王子治子 1927年生 江口雅彦と結婚


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『侍従次長 河井弥八日記』参議院議長※当時は侍従次長&皇后宮大夫

1932年4月17日
若王子文健男爵夫人来訪。
長男の就職の件・長女離縁となりし人の宮内省奉職希望のこと申し出でらる。
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◆3代男爵 若王子文俊 2代男爵若王子文健の子
1906-1988


■妻  堀朝子   堀健哉の娘
1917年生


●女子 若王子史子 1939年生 小林耕二と結婚
●女子 若王子和子 1941年生 婿養子を迎え4代当主とする
●女子 若王子直子 1944年生 三輪信夫と結婚


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◆4代当主 若王子信行 土井喜平の子・婿養子になる
1940年生


■妻  若王子和子 3代若王子文俊の娘
1941年生


●長男
●二男

◆初代男爵 玉松真幸 公家山本実政の子 醍醐山無量寿院
1859-1907

1879年 21歳
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■前妻 松平鏐子 松平頼顕の娘
1862-1886


■後妻 高丘紀子 高丘紀季子爵の娘
1859-1934


●男子 玉松公秋 2代当主
●男子 玉松公敍
●男子 玉松公三


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◆2代 玉松公秋  1代真幸の子
1890-1928


■前妻 高丘礼子  高丘礼季子爵の娘
1890-1915


■後妻 清水リヨ  清水幸吉の娘
1896-1977


●男子 玉松公敏  3代当主

●女子 玉松妙子  外務大臣有田八郎の子有田浩吉と結婚
●女子 玉松蓉子  中川堯と結婚
●女子 玉松恵津子 加藤玉之助と結婚


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◆3代 玉松公敏 2代公秋の子
1915-1973


■妻  筒井タミ 筒井喜三郎の娘
1918-1982


●長男
●長女
●二女

◆20代 大谷光沢/広如 仏職近松暉宣の子・養子になる
1798-1871


■妻  鷹司祥子 公家鷹司政熙の娘
1817-1846


★側室 岡田為子 京都府士族岡田栄柄の娘
1826年生


●側室の子 大谷光尊 1850年生 21代当主
●側室の子 大谷沢依 1852年生

●側室の子 大谷朴子 1863年生 大谷昭然と結婚


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◆21代 大谷光尊/明如 20代大谷光沢の子
1850-1903 53歳没

*5代目尾上菊五郎と並び称されるほどの美男だった。


■妻  大谷枝子 大谷光威/徳如の娘
1858年生


★側室 松原藤子 和歌山県士族松原有積の娘
1854年生


●藤子の子 大谷光瑞 1876年生 22代当主
●藤子の子 大谷孝慈 1881年生 木辺孝慈となる男爵 醍醐忠敬侯爵の娘静子と結婚
●藤子の子 大谷光明 1885年生 ゴルファー
九条道孝公爵の娘九条紝子と結婚→子光照は23代当主・娘正子は近衛文隆と結婚
●藤子の子 大谷尊由 1886年生 小出英尚子爵の娘小出泰子と結婚→娘益子は朝香宮正彦王妃

●本妻の子 大谷義子 1897年生 壬生泰弘男爵と結婚・広瀬千秋と再婚

●藤子の子 大谷文子 1877年生 常磐井堯猷男爵と結婚
●藤子の子 大谷武子 1887年生 九条良致男爵と結婚→歌人九条武子


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『侍従次長 河井弥八日記』参議院議長※当時は侍従次長&皇后宮大夫

1929年2月12日
東本願寺事務局長の来訪を求め、良子皇后より大谷智子への賜金を交付し、その趣旨を説明す。
①御姉妹の関係をもって特に智子夫人に内賜ありしこと
②ゆえに東本願寺に賜しにあらず
③智子夫人が別院建築費に差し出さるるも、良子皇后より建築費として賜りしにはあらざること
などなり。

1931年6月10日
宮内次官関屋貞三郎より、西本願寺大谷尊由から「東本願寺別院建築につき良子皇后より御下賜金ありし由につき、西本願寺別院建築につき同様に御下賜金ありたし」との申し出ありし由なり。
右は一昨年2月14日大谷智子に下賜ありしにて、東本願寺に下されしにあらず。
智子夫人が寺院建築のため使用することは妨げざるも、恩賜の由を発表すべからずと告げ千円を下されし事実を指すものなり。
よりてその次第を関屋次官に報告す。
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西園寺公望公爵 総理大臣

かつて大谷尊由が来て、
「近頃左傾がはびこって困る。今のうちに何とか対策を講じておかなければ」としきりにそればかり言っていたから、
「君の御先祖の親鸞上人は非常な左傾じゃないか」とからかってやると、
「いや、あれは左傾どころじゃありません。立派な反逆であります」と言ったので、
「そうか、それなら一つ君も反逆をやったらどうか」と言って笑ったことがある。
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『高松宮日記』

1940年11月14日
音羽正彦侯爵&大谷尊由の娘大谷益子の御披露。
大きな砲丸投げやるだけ左肩を上げた癖のある、許婚が長かっただけ慣れたお嫁さんだった。

1943年6月30日
音羽正彦侯爵の奥様〔大谷尊由の娘大谷益子〕御病気なりしとのことにて御見舞の件 秩父宮と御相談せるも、音羽侯爵は別に女あるらしく、奥様は今まで黙ってきたのだがそれが原因とのことにて、御見舞はもう少し調べてからとなる。
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◆22代 大谷光瑞/鏡如 21代光尊の子
1876-1948 72歳没

*当時としては珍しい180センチ超、80キロと大柄であった。


■妻 九条寿子 九条道孝公爵の娘・妹は貞明皇后
1882-1911 29歳没


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光瑞には嫌いなものが6つあった。
蛇と雷、これは単に苦手なもの。
囲碁と将棋、これは時間を浪費するから。
そして、女と老人。
女は愚痴を言い、老人は過去を語るから。
光瑞は特に女のおしゃべりを毛嫌いした。
女々した旧式の女を好まなかった。
光瑞の眼鏡に適ったのは妹の武子だけであった。
美しく、好奇心が強く、ユーモアがあり、自分の意見を持っている人物だったからである。

女嫌いであった光瑞は妻の死後再婚せず、六甲山に二楽荘を造って移り住んだ。
総面積は24万6000坪、ケーブルカーを3本備えていた。
建坪は500坪。
イギリスの沈没船を引き揚げて解体して作られた建物で、アラビア室・インド室・中国室・イギリス室・エジプト室など各国の部屋が設けられ、各部屋には金にまかせて世界各地から買い集められた物が飾られていた。

住み込みの仕立屋と中国人のコックがおり、食堂には2人のイギリス人少年がいた。
すべてに豪華好みの光瑞であったが食事だけは粗食であり、主食は麦飯であった。
しかし食事の作法は外国式で、食堂での言葉は英語である。
「ワンモア・ミソシル」「ワンカップオブ・メシ」と光瑞が言うと、礼服を着たイギリス人のボーイは優雅に命じられたことを行った。
光瑞が目指したものは単なる別荘ではなく、学校も造って教育事業も併せて行うという壮大な理想郷の設立であった。
二楽荘の近くに2階建ての校舎を建設し武庫仏教中学を設けた。
生徒は日本全国から選んだ450人。
光瑞は耳の形のいい者にしか立派な人間はいないと信じていたから、生徒の選考基準はまず耳の形のいい少年。
次が容姿の美しい少年であった。
学校の生徒一人一人にロンドンから純毛の毛布を取り寄せ、1人に3枚ずつ支給して鉄製のベッドで眠らせた。
洋服や靴も、ヨーロッパの貴族の子弟並みの物を与えた。
美少年が揃った学校の中でも光瑞が選びに選んだ美少年が、光瑞の身辺にはべり世話をした。

しかし別荘と学校さらに大谷探検隊により負債が膨らんで、光瑞は爵位を返上して法主の座も去った。
武庫仏教中学と二楽荘は手放したが、その後は世界中を飛び回り、旅順に策進書院・大連に浴日荘・上海に無憂園・台湾に逍遥園・インドネシアに環翠山荘と耕雲山荘などを持った。
戦後は京都に戻り、別府で最期を迎えた。
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宮武外骨『地獄耳』1917年

本願寺の大谷光瑞が今度僧籍を脱して還俗すると言っているそうであるが、大野心家の俗物 今さら形式の還俗でもあるまい。
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原田熊雄男爵 西園寺公望の私的秘書

大谷光瑞氏は立派な人かもしれないけれども、財政とか経済の頭がまるでない。
光瑞氏は非常に大きな金をオランダ中央銀行から借りて、オランダ領で山を買って大きな別荘を建て仕事を始めたが、とうとう払えずに追っ払われてしまい、後から木村鋭市元アジア局長が行って後始末をしたようなわけで、あの方面では非常に迷惑をかけている。
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◆23代 大谷光照/勝如 22代光瑞の甥/大谷光明の子
1911-2002 91歳没


■妻  徳大寺嬉子 徳大寺実厚公爵の娘
1918年生


●長男 大谷光真  1945年生 24代当主

●長女 大谷篤子  1939年生
●二女 大谷紀美子 1941年生
●三女 大谷登代子 1949年生

◆20代 大谷光沢/広如 仏職近松暉宣の子・養子になる
1798-1871


■妻  鷹司祥子 公家鷹司政熙の娘
1817-1846


★側室 岡田為子 京都府士族岡田栄柄の娘
1826年生


●側室の子 大谷光尊 1850年生 21代当主
●側室の子 大谷沢依 1852年生

●側室の子 大谷朴子 1863年生 大谷昭然と結婚


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◆21代 大谷光尊/明如 20代大谷光沢の子
1850-1903 53歳没

*5代目尾上菊五郎と並び称されるほどの美男だった。




■妻  大谷枝子 大谷光威/徳如の娘
1858年生


★側室 松原藤子 和歌山県士族松原有積の娘
1854年生




●藤子の子 大谷光瑞 1876年生 22代当主
●藤子の子 大谷尊行 1881年生 木辺孝慈となる男爵 醍醐忠敬侯爵の娘静子と結婚
●藤子の子 大谷光明 1885年生 ゴルファー 
九条道孝公爵の娘九条紝子と結婚→子光照は23代当主・娘正子は近衛文隆と結婚
●藤子の子 大谷尊由 1886年生 小出英尚子爵の娘小出泰子と結婚→娘益子は朝香宮正彦王妃

●本妻の子 大谷義子 1897年生 壬生泰弘男爵と結婚・広瀬千秋と再婚

●藤子の子 大谷文子 1877年生 常磐井堯猷男爵と結婚
●藤子の子 大谷武子 1887年生 九条良致男爵と結婚→歌人九条武子


座る左から 武子 スウェーデン人探検家スヴェン・ヘディン 光瑞の妻寿子 光瑞 光明の妻紝子
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●大谷光明 ゴルファー
九条道孝公爵の娘九条紝子と結婚→子光照は23代当主・娘正子は近衛文隆と結婚
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●大谷尊由 小出英尚子爵の娘小出泰子と結婚
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大谷尊由の娘大谷益子→朝香宮正彦王妃
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●大谷武子 九条良致男爵と結婚→歌人九条武子
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1928年 武子の葬儀で
左から 夫九条良致・生母松原藤子・良致の妹大谷紝子
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◆22代 大谷光瑞/鏡如 21代大谷光尊の子
1876-1948 72歳没

*当時としては珍しい180センチ超、80キロと大柄であった。






■妻 九条寿子 九条道孝公爵の娘・妹は貞明皇后
1882-1911 29歳没



左から 武子 寿子 九条良致 光瑞
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左:寿子  右:武子



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◆23代 大谷光照/勝如 22代大谷光瑞の甥/大谷光明の子
1911-2002 91歳没


■妻  徳大寺嬉子 徳大寺実厚公爵の娘
1918年生


●長男 大谷光真  1945年生 24代当主

●長女 大谷篤子  1939年生
●二女 大谷紀美子 1941年生
●三女 大谷登代子 1949年生

◆27代 華園摂信 公家鷹司政通の子 浄土真宗興正寺
1808-1877


●男子 華園沢称 28代当主
●男子 華園信暁 子爵東坊城任長の娘東坊城成子と結婚・士族鈴木文子と再婚

●女子 華園暢子 福成寺橘得証と結婚
●女子 華園晟子 公家裏辻公愛と離婚・子爵曽我祐準と再婚
●女子 華園糸子 仏光寺渋谷達性と結婚


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1871年2月、華園摂信の娘晟子20歳は公家裏辻公愛50歳と結婚する。
しかし30歳も年上の裏辻には、すでに妾との間に2歳から12歳までの4人の庶子があった。
結婚して4年後の1875年3月、妾との間にさらに男子が産まれた。
父摂信は娘晟子に「当方御可給にてもよろしく婦道を守るを善とす」と忍耐を促す手紙を送った。
摂信は裏辻に度重なる借金の連帯保証人になってもらっていたからである。
1876年8月裏辻は単身上京、晟子は実家で暮らすという別居生活が始まった。
摂信は「妾はめでたく暇遣になり候」と喜んだが、1877年に摂信自身が死んでしまう。
1878年、裏辻は摂信の借金の連帯保証人になっていたため破産する。
さらに1882年には政治に手を出して逮捕される。
晟子は裏辻の子を産むことなく離婚して、曽我祐準子爵と再婚できた。

華園信暁は京都府士族神原タツを妾にしていたが、分家が認められ一戸を構えることができたので、東坊城任長子爵の娘成子と結婚した。
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◆28代 華園沢称 27代摂信の子
1852年生

1879年 29歳
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■妻  萩原徳子 子爵萩原員光の娘 
1859年生


●男子 華園真淳 29代当主
●庶子 華園称善 男爵梶野行康となる
●庶子 華園称淳 丸亀善照寺三原俊栄の娘三原沢子と結婚
●庶子 華園称  日下称となる
●庶子 華園称円 大伴称円となる

●長女 華園穆子 正覚寺有馬憲文と結婚
●二女 華園準子 仏職小笠原厳実と結婚

●庶子 華園寛子 富士澤信隆と結婚
●庶子 華園偕子 阿岸基照と結婚


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◆29代 華園真淳 28代沢称の子
1884年生


■前妻 林千賀子 林竹三郎の娘・離婚
1904年生

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■後妻 井上〈国明〉 井上幸一の娘 
1897年生


●男子 華園真準 30代当主

●庶女 華園咲子 武藤勇哉と結婚
●庶女 華園実子 松谷貞治と結婚


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◆30代 華園真準 29代真淳の子
1925年生


■妻  三林昭子 医者三林隆吉の娘 
1933年生


●長男
●長女
●二女

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