直球和館

2025年

2011/01

■東京本邸 豊多摩郡千駄ケ谷町 10万坪
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◆16代 德川家達 田安徳川慶頼の子
1863-1940 76歳没


■妻  近衛泰子 公家近衛忠房の娘
1867-1944 76歳没


●男子 徳川家正 1884年生   17代当主

●女子 徳川綾子 1897年04月生 松平康昌侯爵と結婚
●女子 徳川綏子 1897年10月生 鷹司信輔公爵と結婚
●女子 徳川繁子 1904年生   松平直国伯爵と結婚


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井出久美子←徳川久美子 徳川慶久の娘/徳川慶喜の孫

旧大名家に招かれた慶喜公が上座に座り雑談をしていたところ、
家達が「私の席はどこだろう」と言いながら現れたそうです。
慶喜公はそっと隣の座布団に移り、家達の席を用意したといいます。
徳川家といっても様々な家がありましたから、関係は複雑でした。
家達は「慶喜は徳川家を滅ぼした男、俺は徳川家を立てた男」とよく話していました。
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長※当時は宗秩寮職員

1922年2月7日
※倉富&宮内大臣牧野伸顕の会話

牧野◆君は徳川家達の隠事を聞きおるや。
倉富◆聞かず。
牧野◆宗秩寮総裁が知らずしては困る。4~5年前の事なりし様なり。
家達は華族会館に宿泊する事あり。会館の給仕を鶏姦〔男色〕し、その事が度重なり給仕より荒立てたるため、1万円出金して落著したる事あり。
しかるに本人はさほどこれを悪事と思わず、改むる模様なし。
先年家達を学習院の総裁となすの内儀を定めたるところ松浦厚伯爵が強硬に反対し、
「もしこれを遂行するならば、鶏姦の事実を暴く」とまで主張したるため、ついにそのままとなりたるとのことなり。
この事は自分から当時の宮内大臣波多野敬直子爵に問いたるに、「事実なり」と言えり。
徳川頼倫侯爵〔家達の弟〕も、「兄が恥を知らず、今なお公職を執り隠退の考えなきには困る」と言いたる事あり。
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『原田熊雄日記』西園寺公望の秘書

1933年6月2日
貴族院議長徳川家達公爵の問題は、いよいよ早く辞した方が家達公爵のためにもいいという空気が強くなった。
むろん世間には知られていないけれども、かなり強硬に恐喝してくるので、警視総監も内相もこれを抑えるのに非常に困っているようだった。
そうして6月7日にはだいたいの経緯が新聞社に知れた。
そこで家達公爵家でも相談役たちが集まって一時も早く辞めるということに方針を立てたらしい。
警視総監もこの事件についてはたびたび家達公爵家の家令に好気的な注意をしたし、また息子家正君にも友人として注意したらしい。
しかし事はなかなか運ばない。
そういう風なことが結局この問題を促進するゆえんになっただろうと思う。
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『木戸幸一日記』内大臣※当時は宗秩寮総裁

1933年10月4日
徳川家達公爵、貴族院議長辞任は恐喝によるものたりと。

1934年1月16日
湯浅宮相より徳川家達公爵の婦人同行の問題につき話あり。
困ったものだ。

徳川家達公爵渡欧の際、一婦人今西京子を伴いたるが、この婦人は中条百合子〔作家宮本百合子〕と親交あり。
新聞記者をなしたることあり、英語をよくする由。
この婦人はアカ関係の婦人と親交あり、この方面に手入れの結果知らるるに至れり。
かのごとき婦人を伴いたること新聞に出しより問題となり、徳川家鳩首協議の結果、婦人のみ別離し帰朝せしむることとなしたるが、家正公爵帰朝のときは徳川家の浮き沈みにも関する問題なりとて、関係者は心痛しつつあり。
徳川家正氏も非常に心配せる由なり。
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◆17代 徳川家正 16代家達の子
1884-1963 78歳没


■妻  島津正子 島津忠義公爵の娘・姉は山階宮常子妃と姉は久邇宮俔子妃
1885-1963 79歳没

二人の結婚は鹿児島藩出身の天璋院篤姫によって生まれる前から決められていた。


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アサヒグラフ 1927年1月12日

『殿様根性の抜けない御曹子 平民同様任地で浮名を流す』
「利口者であるとも言われるが、最も悪い欠点は殿様根性の抜けないことである。
ちょっと困ったことは手癖の悪いことである。
欲しいと思うとすぐ手をおつけになる。
これがために新婚早々から失敗の歴史が多い。
ロンドンの一等書記官時代にはさすがの霞が関のお役人も当惑してしまったという事件を引き起こした。
相手の女性というは舞踏会に出入りするお嬢さんではあるが、在留日本人の御用を承るような街の女ではなかった。
公爵の御曹子なることを振り回したことが少し薬が効きすぎて、お嬢さんをすっかり有頂天にさしてしまった。
事これに至っては捨てても置けぬということになって、霞が関から徳川氏に対し帰朝命令が発せられた。
さすがに相手も日本までは追いかけてこなかったのでこの問題も無事に解決して、
徳川氏はさらにシドニー総領事として赴任した。
島津家から嫁いだ令夫人も、お父様のようになるんだと未来の外交官を夢見ているお子様たちには
外交官にはなるものではないとしきりに言い聞かせてその成人を楽しんでいるということである」


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『侍従次長 河井弥八日記』参議院議長※当時は侍従次長&皇后宮大夫

1927年3月27日
山内長人男爵来訪。
すこぶる元気よろし。
雑誌太平楽にて徳川家攻撃につき対策の件、徳川家正氏の件につき談話あり。

1929年4月22日
去4月19日毎夕新聞に徳川家正品行に関する記事記載ありし件につき、宮内次官関屋貞三郎より談話あり。
また、電話にて山内長人男爵と同件につき談話す
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『岡部長景日記』文部大臣※当時は内大臣秘書官長

1929年4月19日
宮内次官関屋貞三郎より「徳川家正君の素行につき、東京毎夕新聞に大きく出すそうで、困ったものだ」との話を聞いた。
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上杉敏子 徳川家正公爵の娘・上杉憲章伯爵の子上杉隆憲の妻

祖母がとてもできた人で、男勝りですし私達の面倒を全部看ていました。
姑が万事仕切っていますから、母は何の発言権もありません。
ちょっと脇にどけられて気の毒でした。
私達は学校から帰れば祖母の部屋に行って学校の事でも何でも話して、お小遣いも祖母からもらっていました。
私達は祖母と親子みたいでしたね。
逆に母は気の毒なくらい存在の薄い人でした。
外交官の奥さんにもまったく向かず、母は東京に帰されて父は単身赴任でした。
母はずっと一人で東京にいて、孤独で可哀想でした。
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田島道治『拝謁記』宮内庁長官

1951年11月5日
昭和天皇◆大使なども人のなき今、昔の人を起用せねば。
田島長官◆徳川家正の資格を備えながら気宇小なること。
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●男子 徳川家英 1912年生 早逝

●女子 徳川豊子 1913年生 外交官松平恒雄の子松平一郎/秩父宮勢津子妃の兄と結婚
●女子 徳川敏子 1918年生 上杉憲章伯爵の子上杉隆憲と結婚
●女子 徳川順子 1919年生 保科正昭子爵の子保科光正と死別・関根勇吉と再婚


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『高松宮日記』

1941年11月9日
保科・徳川の〔保科正昭子爵の子保科光正&徳川家正公爵の娘徳川順子〕御披露にて会館に行く。
保科さんも大人だし、お嫁さんは身体大きいし、なんとなく華々しさのない御披露だったが、落ち着いた気分だった。
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酒井美意子 前田利為侯爵の娘・酒井忠元伯爵の妻

作家有馬頼義の小説『姦淫の子』は、徳川公爵家の三女で保科子爵家の保科光正氏に嫁いだ順子さんの再婚物語である。
夫君の光正氏は外交官で夫妻は光り輝くばかりの美男美女であったが、光正氏は戦争中に死亡したので、未亡人の順子さんは三井鉱山勤務の関根勇吉氏と恋愛・再婚したのである。
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◆18代 徳川恒孝 17代家正の甥/徳川豊子の子
1940年生


■妻  寺島幸子 寺島宗従伯爵の娘
1941年生


●長男
●長女
●二女

◆16代 徳川家達 田安徳川慶頼の子
1863-1940 76歳没

*イギリスに留学

1000





■妻  近衛泰子 公家近衛忠房の娘
1867-1944 76歳没






●男子 徳川家正 1884年生   17代当主

●女子 徳川綾子 1897年04月生 松平康昌侯爵と結婚
●女子 徳川綏子 1897年10月生 鷹司信輔公爵と結婚
●女子 徳川繁子 1904年生   松平直国伯爵と結婚


左から 繁子 綏子 綾子
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1913年 左:綾子 右:綏子
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後列立つ左から 繁子 家正 綏子
前列椅子左から 正子夫人 泰子夫人 家達 綾子
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◆17代 徳川家正 16代家達の子
1884-1963 78歳没


■妻  島津正子 島津忠義公爵の娘・姉は山階宮常子妃と久邇宮俔子妃
1885-1963 79歳没

*二人の結婚は鹿児島藩出身の天璋院篤姫によって生まれる前から決められていた。





イギリスで
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●男子 徳川家英 1912年生 早逝

●女子 徳川豊子 1913年生 外交官松平恒雄の子松平一郎/秩父宮勢津子妃の兄と結婚
●女子 徳川敏子 1918年生 上杉憲章伯爵の子上杉隆憲と結婚
●女子 徳川順子 1919年生 保科正昭子爵の子保科光正と死別・関根勇吉と再婚


三代 家達 家正 家英
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後列和服女性左から 不明 繁子 敏子 豊子 順子 不明
前列椅子左から 正子夫人 綏子 泰子夫人 家達 綾子 家英
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左から 順子 豊子 敏子



●徳川豊子&松平一郎
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◆18代 徳川恒孝 17代家正の甥/徳川豊子の子
1940年生


■妻  寺島幸子 寺島宗従伯爵の娘
1941年生


●長男
●長女
●二女


1982年
19820789


1987年
19870557

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