直球和館

2025年

2012/03

■東京本邸 四谷区元町(現:新宿区南元町)
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◆10代 松平定安 津山藩主松平斉孝の子・婿養子になる
1835-1882


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■妻  松平熙子 9代斉斎の娘 
1850-1872 22歳没


●二男 松平安敦  大橋安敦となる
●三男 松平直亮  13代当主
●四男 松平直平  松平直平子爵となる
松岡藩主中山信徴の娘久子と結婚離婚・戸田氏共伯爵の娘幸子と再婚

●四女 松平八百子 松平康民子爵と結婚
●八女 松平鑑子  浅野長之侯爵の前妻・離婚
●九女 松平雅子  松平武修子爵と結婚
●十女 松平鉞子  三井得右衛門と結婚


●松平八百子 松平康民子爵と結婚



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◆11代 松平直応 9代斉斎の子
1855-1911


■妻  伏見宮貴子女王 伏見宮邦家親王の娘・1877年離婚・忍松平忠敬子爵と再婚


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◆12代 10代松平定安が再度


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◆13代 松平直亮 12代定安の子
1865-1940




■前妻 細川冝子 細川護久侯爵の娘・死別
1871-1891


■後妻 島津充子 島津忠義公爵の娘・池田詮政侯爵と離婚・松平直亮と再婚
1873-1889




●前妻の子 松平貞子 鍋島直和子爵の前妻

●後妻の子 松平直国 14代当主
●後妻の子 松平益子 鍋島直和子爵の後妻
●後妻の子 松平元子 仙石政敬子爵の子を婿養子に迎え松平久武とする


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◆14代 松平直国 先代直亮の子
1902-1988




■前妻 徳川繁子 徳川家達公爵の娘・離婚
1904-1982




■後妻 林スミ 林健の娘
1959年生


●前妻の子 松平直寿 15代当主

●前妻の子 松平静子
●前妻の子 松平和子


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◆15代 松平直寿  14代直国の子
1925年生


■妻  大久保尚子 大久保寛一の娘
1933年生


●長男
●長女

■東京本邸 小石川区上富坂町
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◆11代 大給恒  奥殿藩主松平乗謨であったが、維新後松平氏から大給氏に改姓
1839-1910

1879年 42歳
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■妻  石川充子 下館藩主石川総貨の娘


●男子 大給左  12代当主

●女子 大給竹子
●女子 大給園子
●女子 大給貞子
●女子 大給増子
●女子 大給公子/芙蓉 片桐貞央子爵と結婚


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万朝報 1898年

伯爵大給恒は京橋区日吉町に妾宅をかまえ、美屋河お兼の娘ミツ(41歳)を住まわせ月々50円の手当を給す。
ミツは生花の師匠をなし、常に華族紳士らの家に入り込みつつあり。
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◆12代 大給左/松平乗建
1859-1945 




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◆13代 大給義龍 尾張徳川義親侯爵の子・養子になる
1916年生


■妻  朝香宮湛子女王 朝香宮鳩彦王の娘
1919年生


1935年
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19 小石川区上富坂町(現:文京区小石川)
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◆11代 大給恒  奥殿藩主松平乗謨であったが、維新後松平氏から大給氏に改姓
1839-1910

1879年 42歳
0042e



■妻  石川充子 下館藩主石川総貨の娘


●男子 大給左  12代当主

●女子 大給竹子
●女子 大給園子
●女子 大給貞子
●女子 大給増子
●女子 大給公子/芙蓉 片桐貞央子爵と結婚


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
万朝報 1898年

伯爵大給恒は京橋区日吉町に妾宅をかまえ、美屋河お兼の娘ミツ(41歳)を住まわせ月々50円の手当を給す。
ミツは生花の師匠をなし、常に華族紳士らの家に入り込みつつあり。
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◆12代 大給左/松平乗建
1859-1945 




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◆13代 大給義龍 尾張徳川義親侯爵の子・養子になる
1916年生


■妻  朝香宮湛子女王 朝香宮鳩彦王の娘
1919年生


1935年
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1939年
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●男子 大給乗龍 14代当主
●男子 大給孝  佐竹孝となる
●男子 大給悟  久保悟となる


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◆14代 大給乗龍 13代義龍の子
1945年生


■妻  篠原三枝子 篠原敏之の娘
1943年生


●長男
●二男

■東京本邸 大久保 敷地5,000坪・建物300坪

■茅ヶ崎別邸 敷地3,000坪

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◆11代 松平直克 久留米藩主有馬頼徳の子・婿養子になる
1840-1897

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■妻 松平恵子/幸子 松平可寛の実娘・10代松平直侯の養女 
1850-1885


●男子 松平直之 14代当主
●男子 松平直達 士族渡辺直達となる 狭山藩主北条氏恭の娘北条克子と結婚


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◆12代 松平直方  富山藩主前田利声の子
1858-1907


■妻  伊達鎨子  吉田藩主伊達宗孝の娘・松平直方と結婚・高崎正風男爵と再婚
1859-1894


●男子 松平晴之介
●男子 松平乃光  万利乃光となる
●男子 松平四郎  川村四郎

●長女 松平秀子  小笠原長生子爵と結婚
●女子 松平妙子  池田仲誠子爵と結婚


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『倉富勇三郎日記』

1923年3月23日
※先代直克の子 渡辺直達の発言

前田利同の所より養子に来たる直方がまた訴訟を起こしたるが、これは晴之助の子の財産を勝手にする事を目的としおる様なり。
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◆13代 松平基則 川越藩主松平典則の子
1875-1930


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◆14代 松平直之 11代直克の子
1861-1932




■前妻 牧野富美 笠間藩主牧野貞直の娘 
1891年没


■後妻 松平八重 川越藩主松平典則の娘 
1873-1937




●長男 松平直冨 15代当主
●二男 松平喬  杉島喬となる

●長女 松平鶴子 安藤直雄男爵と結婚
●二女 松平米子 徳大寺実厚公爵と結婚


●松平鶴子 安藤直雄男爵と結婚
1148(2)



●松平米子 徳大寺実厚公爵と結婚
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『倉富勇三郎日記』

1923年3月23日*当時の総理大臣の年給は1万2千円
※倉富&松平直之の弟 渡辺直達の会話

渡部◆直之は時刻を定め読書運動等を為しおるが、その時刻には人が来るも何事を言うも返事も為さざる有様なり。平常は話しても何とも言わず、特に何を思うかと言えば初めて自己の考えを言う有様なり。先年損失を受けたるとき表面はこれぐらいのこと頓着せざる様に装いおりたるも、その実はよほど苦心したる模様にて、極度の神経衰弱なるが、その原因は損失事件がよほどこれを誘いたるものならんと思わる。
倉富◆損失はあまり多額にはあらざる様なりしが、5,6万円ぐらいにはあらずや。
渡部◆今少し多かりしならん。父直克の遺産を自分と平分したる物にて17~18万円ぐらいは有りたらん。
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◆15代 松平直冨 14代直之の子
1885-1965




■妻  池田民子 池田源子爵の娘
1887-1973





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●男子 松平直正 16代当主


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◆16代 松平直正 15代直冨の子
1919年生


■前妻 柳原在子 柳原博光伯爵の娘・松平直正と離婚・菊池友雄と再婚
1921年生


■後妻 飯塚重子 飯塚敏雄の娘 
1945年生


●長男
●二男


1993年 松平直正
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◆14代 松平勝成 高松藩主松平頼恕の子・婿養子になる
1832-1912

1879年 52歳
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■前妻 松平令子 12代松平定通の娘 
1832-1854


■後妻 酒井鋼子 姫路藩主酒井忠学の娘 
1841-1863


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◆15代 松平定昭 津藩主藤堂高猷の子・婿養子になる
1845-1871


■妻  松平邦子 13代勝善の娘 
1843-1904


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◆16代 14代松平勝成が再度


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◆17代 15代松平定昭が再度


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◆18代 久松定謨 幕臣松平勝実の子・養子になる 松平から久松に改姓
1867-1943

*フランスに留学




■妻   島津貞子 島津忠義公爵の娘 
1878-1974




●男子 久松定武 19代当主
●男子 久松定孝 前田利同伯爵の娘前田韁子と結婚

●女子 久松宜子 小笠原恒子爵と結婚
●女子 久松基子 久松勝親子爵と結婚
●女子 久松輝子 松平親義子爵と結婚


左から 宣子・基子・輝子
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『入江相政日記』昭和天皇の侍従長※当時は侍従

1941年12月13日
昨日城さんから侍従久松定孝に対する不愉快な印象を色々と説かれたので、いろいろ考えた結果予が注意してやろうかということに思いまとめる。
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田島道治『拝謁記』宮内庁長官

1950年7月8日
田島長官◆侍従次長鈴木一更迭問題ですが、甘露寺受長が侍従次長から掌典長になりましたのは、大正天皇御学友というような点、また経済上のこととあっての御任命でございましたか。
昭和天皇◆経済の問題は私は少しも知らぬ。
田島長官◆代々公卿または皇族のようでございますが、公卿以外ではいかぬとの思召でございますか。
昭和天皇◆人が良ければ構わぬが、どちらでも良いという人があれば旧公卿の華族の方がよいと思う。
田島長官◆侍従はやはり昭和陛下の御学友の場合、退職してもらうことは差し控えるべきでございましょうか。
昭和天皇◆個人の情況として私はなるたけ望むが、どうしてもやむを得ぬ時は必ずしも同意せぬことはない。
例えば久松定孝のとごときはあまり評判もよくないから致し方ないが。
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田島道治『拝謁記』宮内庁長官

1951年11月1日
田島長官◆侍従久松定孝のことでありますが、この度広島へ参りまして実際を実見し驚きました。
同僚山田康彦が致すのに任せて何もいたしません。
そして休養などはいち早く致します。
山田に聞きましたが、「あの人はああいう風で、侍従入江相政などは仲間になるのを避ける」とか申しておりましたが、人間として同僚が仕事しているとき袖手傍観しているということは理解しがたく、かねて評判は聞いておりましたがこれほどとは存じませんでした。
天子様の御学友であったり昭和皇后の従兄弟さんであればああいう勤務ぶりでもいいのかと誤解されますれば、ひいては御徳にも関せぬとも限りませぬと存じます。
こういう職務を怠る人を放置しますることは、人事の責任者としての田島の曠職でありますので、なんとかする事のお許しを得たいと存じます。
昭和天皇◆よろしいが、後の人の事を考えて。
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『入江相政日記』侍従長※当時は侍従

1952年6月30日
侍従永積寅彦・侍従小畑忠さんと久松侍従のことについて相談する。
どうも怪しからず冷ややかなことだと思うが、あまりやりすぎても田島長官を硬化させて久松さんの不利になってもいかず困ったものだ。
三谷侍従長の所へ行って、久松さんの後の世話をしないのは君徳を汚す所以である点を説く。
一向に効き目はない。
こういうことでは困ったものである。

1952年7月2日
久松侍従の問題はなかなか紛糾してきた。
当局は非常に焦って、辞表に添える診断書を侍医西野重孝さんに書かせようということになったらしい。
西野侍医は「本人の辞意によってやめる人のために有利なように診断書を書いたことはあるが、今度のように本人の意思によらずして辞められる場合は、少なくとも本人からの希望を聞かなければ書くわけにはいかない」と言った由。

1952年8月23日
昼頃、久松侍従が退職金をもらいに来る。
28万円ほどあるはずのところ、井樽要嗣君が農林省の始めの2年は非常勤だと言って4万円減ってしまった由。
高尾亮一さんもこれに同調した由。
何とかして多くしようという気は無いわけである。
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田島道治『拝謁記』宮内庁長官

1952年3月8日
田島長官◆侍従久松定孝でございますが、行き先を心がけておりますがどうもございません。
しかしただいまの行政整理にかかれば退職金は相当額にはなりますゆえ、一方侍従職の方で〔久松定孝の退職を〕望んでおりますので、なんとか今年中に致したいと存じております。

1952年11月7日
田島長官◆掌典庭田重行が死亡いたしました際、元侍従久松定孝が捨扶持にはありつきましたが、2年の期限ではありまするし、怠け癖の人でも掌典の仕事ならば大丈夫と存じ掌典長甘露寺受長にも話しました。
甘露寺掌典長が同人の意向を尋ねましたところその希望なしとのことで、甘露寺掌典長はしからば三条実春を任命願いたいとの申出でございます
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◆19代 久松定武  18代定謨の子
1899-1995


■妻  小笠原春枝 小笠原長幹伯爵の娘 
1908-1987


●長男
●長女
●二女


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『入江相政日記』昭和天皇の侍従長

1979年5月17日
久松定武氏と■■■■の弟という人来訪。
スイスの銀行から日本に20兆の金が入る、日本の銀行は金利が高いから、皇室式微につき献金したいとのこと。
即座に断る。
妙なことを言ってきて困る。

1979年5月18日
富田宮内庁長官に昨日の久松定武氏の一件報告。
キッパリ断ってくれてよかったとのこと。
なおこのことは記録に取っておいてくれとのこと。
山本次長も驚いていた。
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■東京本邸 本郷区元町
1047(1)



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◆10代 松平頼胤   8代松平頼儀の子
1810-1877


■妻  徳川文子/結子 将軍徳川家斉の娘
1809-1837


●男子 松平頼熙 松平頼徳の娘謳子と結婚
●男子 松平頼温 松浦詮伯爵の娘逸子と結婚
●男子 松平頼和 松平頼和子爵となる 和歌山徳川茂承侯爵の娘保子と結婚

●女子      公家大原重実と結婚
●女子 松平衛子 松平頼策子爵の前妻


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◆11代 松平頼聡  9代松平頼恕の子 最後の藩主
1834-1903


■妻  井伊千代子 彦根藩主井伊直弼の娘 
1845-1927


●男子 松平義礼 尾張徳川慶勝の娘の婿養子になり徳川義礼侯爵となる
●男子 松平頼親 南部甕男の娘敏子と結婚
●男子 松平頼寿 12代当主
●男子 松平胖  鍋島直大侯爵の娘俊子と結婚→子頼明は13代・娘誠子は李鍵公妃
●男子 松平翠  永井直諒子爵の養子になり永井直翠となる

●男子 松平総子 水戸徳川篤敬公爵と結婚
●男子 松平岳子 松平親信子爵と結婚


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『木戸幸一日記』内大臣※当時は文部大臣

1937年7月19日
松平頼寿伯爵より、令弟松平胖氏の財政問題につき内話を聴く。
李鍵公家事務官末松多美彦を招き、松平胖氏の内情を語り、注意を促す。
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◆12代 松平頼寿 11代松平頼聡の子
1874-1944


■妻  徳川昭子 水戸徳川昭武公爵の娘
1883-1976


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宮武外骨『地獄耳』

《騒動の裏に女あり》
昔からお家騒動の裏面には必ず女が伏在しているものであるが、大正の今日 早稲田大学の騒動にもやはり女が陰になっているとは、今さらながら閨門の勢力の大なるに驚かざるを得ない。
今度の騒動の表面の立役者はむろん高田・天野の両人であるが、その陰に隠れて秘かに彼らを煽動したのは大隈綾子夫人である。
近刊の『日本及日本人』の「早稲田騒動の人々」と題せる記事中にも「西太后のあだ名ある綾子婆さんの出しゃばり、婆さんの親戚筋なる三枝某のワガママ、知恵のないくせに野心の強い劣等な人格の信常の干渉などが因となり果となってこんがらがった騒動」とあった。
綾子は元来官僚的の女で虚栄に憧れること深く、今度の騒動も自分の養子たる信常を早稲田大学の総長にしたいという野心から出たのである。
すなわち高野・天野の両人にケンカをさせ結局喧嘩両成敗として両人を首切り、その後任として大隈家の幇間たる早大法科教授阪本三郎を学長にすえ、おもむろに時機を待って重信に引退させ、その代りとして信常を総長に押し進める考えであった。
さきに綾子の銅像を構内に建てることに反対した少壮教授連を免職にしたのも、むろん綾子の差し金である。
阪本三郎は小学教員あがりで一時は大審院判事であったが、無能な故をもって免職されしばらく浪人でいたのを大隈に救われて県知事になったが、それもつかの間で今は早大法科の教授である。
彼は無能のくせに野心が深く、先年ドイツで博士号をもらったのにはドイツのある売文社に頼んで博士論文を代作してもらったのであった。
恥さらしの男ではないか。
親族法の講義などでその無能を知っている学生らは阪本が学長と聞いて強硬に反対し血を見るまでの騒ぎが起ったので阪本はやむなく辞することになったが、その後釜に擬せられたのが讃岐高松の馬鹿殿様松平頼寿である。
これは調停者の中野武営が旧藩士であるところから引っぱってきたのでもあろうが、これも大隈綾子の魂胆である。
松平頼寿は信常の実家松浦家の縁族であり、また早稲田大学の出身であるという縁故からであるが、これもおっては馬鹿な信常を総長にすえることに便宜であるがためにほかならなかった。
松平頼寿は大の低能児なので帝国大学へはむろん行けず学習院へも入れないので、親族の縁故でやっと早大卒業ということにしてもらったのであるという。
ところがいかに調停者たる中野・渋沢らの推挙だとはいえ、民本主義を唱える学校の学長に田舎の馬鹿殿様をすえるとはけしからぬと息巻く者が多かったのでこれもおジャンになって、結局は当分は学長なしということで姑息のケリはついたらしいが、おっては再騒動が起こるであろうし、綾子婆さんがどんな知恵をしぼってどんな魂胆を巧むか、その大詰めは猫騒動の講談でも聴くつもりでゆるゆる待つのも一興だろう。

早稲田騒動は後藤新平が憲政派の中堅たる大隈党に打撃を与えるつもりで学生を煽動したのは事実で、その事実はあれほどの大騒動を警察が袖手傍観でいたのでも証明されている。
小池国三が学生の騒動費に6千円寄付したのもその筋からの関係からであって、株屋あがりの彼が学生に同情するはずがない。
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◆13代 松平頼明 12代頼寿の甥/松平胖の子
1909-1990


■妻  酒井香枝子 酒井忠克伯爵の娘 
1916年生


●男子 松平頼武 14代当主
●男子 松平頼典 田中順子と結婚


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◆14代 松平頼武 13代頼明の子
1938年生


■妻  徳川豊子 徳川厚男爵の孫/徳川喜和子&戸田豊太郎の娘
1939年生


●長男
●二男
●三男

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