直球和館

2025年

2013/01

■東京本邸 麹町区三年町(現:千代田区霞が関または永田町)


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◆初代 島津久光  本家島津家27代島津斉興の子 玉里島津家を創設する
1817-1887 70歳没


■妻  島津千百子 島津忠公の娘 イトコ結婚
1821-1847 26歳没


●男子 島津忠義  本家島津忠義公爵となる
●男子 島津久治  宮之城島津久治となる 通称:島津図書
●男子 島津忠鑑  重富島津珍彦男爵となる 薩摩藩主島津斉彬の娘典子と結婚
●男子 島津忠欽  分家して島津忠欽男爵となる 島津忠冬の娘厳子と結婚
●男子 島津忠済  2代当主


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◆2代 島津忠済 1代久光の子
1855-1915


■妻  竹内田鶴子 竹内治則子爵の娘 
1870-1953 


●男子 島津忠承 3代当主
●男子 島津久大 島津忠重公爵の娘経子と結婚

●女子 島津薫子 小松輝久侯爵と結婚
●女子 島津肅子 島津忠義公爵の子島津康久と結婚
●女子 島津量子 久邇邦久侯爵の前妻・離婚


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◆3代 島津忠承 2代忠済の子
1903-1990 


■妻  三条泰子 三条公美公爵の娘 
1908-1976 


●男子 島津忠広 4代当主
●男子 島津久正

●女子 島津純子 波多野敬雄と結婚
●女子 島津迪子 兼高安登仁と結婚
●女子 島津慶子 北白川道久王妃


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『入江相政日記』昭和天皇の侍従長※当時は侍従

1957年2月8日
島津忠承君来訪。
お嬢さんがお妃候補〔平成天皇の妃〕になっているのでうるさくて困ると言い、それに関する妃殿下方のことや何かいろいろ言う。
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◆4代 島津忠広 3代忠承の子
1933年生


■妻  北白川宮肇子女王 北白川宮永久王の娘 兄道久王と夫の妹慶子が結婚している関係から兄妹同士の相互結婚


●長男 島津忠美
●長女

◆初代 島津久光 本家島津家27代島津斉興の子 玉里島津家を創設する
1817-1887 70歳没

1867年 京都二条城で
5003



■妻  島津千百子 島津忠公の娘 イトコ結婚
1821-1847 26歳没


●男子 島津忠義 本家島津忠義公爵となる
●男子 島津久治 宮之城島津久治となる 通称:島津図書
●男子 島津忠鑑 重富島津珍彦男爵となる 薩摩藩主島津斉彬の娘典子と結婚
●男子 島津忠欽 分家して島津忠欽男爵となる 島津忠冬の娘厳子と結婚
●男子 島津忠済 2代当主


左:珍彦  右:久治
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左から 男性・忠済・珍彦・忠欽・男性・男性
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左から 男性・珍彦・忠欽


洋服男性2人  左:珍彦  右:忠欽



●島津忠義 薩摩藩主島津忠義公爵となる



●島津久治 宮之城家島津久治となる 通称:島津図書

中央椅子が久治
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●島津忠鑑 重富家島津珍彦男爵となる 薩摩藩主島津斉彬の娘典子と結婚



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◆2代 島津忠済 1代久光の子
1855-1915




■妻  竹内田鶴子 竹内治則子爵の娘 
1870-1953 




●男子 島津忠承 3代当主
●男子 島津久大 島津忠重公爵の娘経子と結婚

●女子 島津薫子 小松輝久侯爵と結婚
●女子 島津肅子 島津忠義公爵の子島津康久と結婚
●女子 島津量子 久邇邦久侯爵の前妻・離婚


左:薫子  中:粛子  右:量子


●島津薫子 小松輝久侯爵と結婚


●島津肅子 島津忠義公爵の子島津康久と結婚


●島津量子 久邇邦久侯爵の前妻・離婚


1924年
19230101


1924年
bb632153


1924年
1902



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◆3代 島津忠承 2代忠済の子
1903-1990


■妻  三条泰子 三条公美公爵の娘 
1908-1976 


島津忠承
ss3406



●男子 島津忠広 4代当主
●男子 島津久正

●女子 島津純子 波多野敬雄と結婚
●女子 島津迪子 兼高安登仁と結婚
●女子 島津慶子 北白川道久王妃


●島津迪子 兼高安登仁と結婚
9509



●島津慶子 北白川道久王妃
1003



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◆4代 島津忠広 3代忠承の子
1933年生


■妻  北白川宮肇子女王 北白川宮永久王の娘 兄道久王と夫の妹慶子が結婚している関係から兄妹同士の相互結婚
1939年生

1958年
ss3301


8002


左:泰子夫人  中:忠美  右:肇子夫人
9505



●長男 島津忠美
●長女

■鹿児島藩 江戸高輪屋敷
1004


■東京本邸 芝区袖ヶ崎(現:品川区東五反田)敷地3万坪・建物2,500坪
1014(1)


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◆11代 島津斉彬  10代島津斉興の子
1809-1858 49歳没

*生まれつき頑健であったが、中年期からは体調を崩しがちであった。

*1858年7月9日風邪と腹痛を訴え、下痢が始まる。
7月10日には発熱も加わり、1日に30回の激しい下痢が続く。
7月16日死亡。
コレラと診断されたが、細菌性赤痢であったと思われる。


■妻  徳川恒子  一橋徳川斉敦の娘
1805-1858 53歳没


★側室 伊集院須磨
1821-1870 49歳没


※斉彬には複数の側室がいたが、育ったのは須磨の子供だけである。


●須磨の子 島津暐子 12代当主島津忠義の前妻
●須磨の子 島津典子 男爵島津珍彦と結婚
●須磨の子 島津寧子 12代当主島津忠義の後妻


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◆12代 島津忠義 11代斉彬の甥/公爵島津久光の子・婿養子になる 最後の藩主
1840-1897 57歳没


■1番目の妻 島津暐子 11代斉彬の娘・死別 
1851-1869 18歳没


■2番目の妻 島津寧子 11代斉彬の娘・前妻の妹・死別
1853-1879 26歳没


■3番目の妻 板倉棲子 子爵板倉勝達の娘 
1886年没


★側室 山崎寿満子
1850-1927 嘉永03-昭和02 77歳没


★側室 菱刈久子
1872-1960 明治05-昭和35 88歳没


●山崎寿満子の子 島津忠重 13代当主
●菱刈久子の子  島津忠備 男爵島津忠備となる
●菱刈久子の子  島津忠弘 男爵島津忠弘となる
●菱刈久子の子  島津久範 伯爵島津久範となる
●菱刈久子の子  島津康久 島津忠済公爵の娘島津肅子と結婚

●山崎寿満子の子 島津清子 侯爵黒田長成と結婚
●山崎寿満子の子 島津充子 侯爵池田詮政と離婚・伯爵松平直亮と再婚
●山崎寿満子の子 島津常子 山階宮菊麿王妃
●山崎寿満子の子 島津知子 伯爵徳川達孝と結婚
●山崎寿満子の子 島津貞子 伯爵久松定謨と結婚
●山崎寿満子の子 島津俔子 久邇宮邦彦王妃
●山崎寿満子の子 島津正子 公爵徳川家正と結婚
●菱刈子久の子  島津為子 侯爵徳川頼貞と結婚


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『倉富勇三郎日記』枢密院議長※当時は宗秩寮職員

1922年11月2日
※倉富&東久邇宮家事務官金井四郎の会話

倉富◆久邇宮俔子妃はよほど寡言の方なる由。
金井◆これはまったく無言なり。
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◆13代 島津忠重  12代忠義の子
1886-1968 82歳没


■妻  徳大寺伊楚子 徳大寺実則公爵の娘
1888-1971 83歳没


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『横から見た華族物語』昭和7年出版

先年十五銀行がいけなくなった時、社長の松方巌公爵は爵位をも辞退し、その他身についた一切の公職を投げ出して一平民の松方巌となり、どこかの長屋へ今は日陰者の身を運び込んだ。
自分が主宰する銀行があんなことになって、世間様を騒がして何とも申し訳がないという意思を表明したものであるが、実を言うとあれは表面だけのことで、本当の心は旧藩主島津家に対する謝罪のため、あのような態度に出たと言った者があった。

十五銀行の騒ぎでは旧大小名華族のほとんど全部が大なり小なり手傷を負うたが、中でも最もひどくやられたのは島津公爵家であった。
当時島津家では十五銀行へ150万円の預金があった。
そのうえに2万近い新株を持っていてその払い込みがざっと145万円、もし島津家がこの新株を払い込まないようだったら、十五銀行の整理案が成り立たぬというのっぴきならぬ辛い立場に置かれた。
何と言っても九州の島津だ、動産不動産合わせて8000万円は下るまいと言われている金持華族だからそれぐらいの金は右から左へ出すだろうと思われたが、有るようで無いのは金、無いようで有るのは借金というやつ、こればかりはどうにもならぬ。
そこで袖ヶ崎のあの屋敷、明治大帝がしばしば行幸あらせられたという由緒の深い3万坪の屋敷のうち、6千坪だけを残し後を全部売りに出して、そこから浮かんだ240万円の金で銀行の方のカタをつけたものだ。
いくら島津が財産家でもこれはこたえたに違いない。
そこで松方公爵にすれば、旧臣の情誼として主家にそれほどの大穴を開けたからには何とかして申し訳をせねばならぬ道理、昔ならさしずめ切腹ものだが、今ではそんな古手は流行らない。
それで身につくもの一切を投げ出してこれで御勘弁と出たという。
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●長男 島津忠秀 14代当主
●二男 島津晃久 伯爵鹿島晃久となる
●三男 島津矩久 伯爵柳原博光の娘柳原行子と結婚
●四男 島津斉徳 伯爵柳沢保承の娘柳沢佐久子の婿養子になるが離婚

●長女 島津経子 島津忠済公爵の子島津久大と結婚


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◆14代 島津忠秀 13代忠重の子
1912-1996 84歳没


■妻  近衛昭子 近衛文麿公爵の娘・島津忠秀と離婚・整体師野口晴哉と駆け落ちして再婚
1916-2004 88歳没

昭子は戦中整体師野口晴哉と駆け落ちして再婚、『昭和のノラ事件』と呼ばれて話題になった。


●長男
●二男
●長女


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酒井美意子 前田利為侯爵の娘・酒井忠元伯爵の妻

近衛文麿公爵の長女昭子さんは、薩摩の殿様 島津忠秀氏に嫁していた。
戦前戦中なら不満が生じても一生我慢したはずである。
だが自由と開放の時代、昭子夫人は我慢しなかった。
終戦間際に島津家を出奔した昭子さんは、出入りの指圧師野口晴哉と同棲、1947年正式に野口氏と結婚して世間をアッと言わせた。
マスコミは口をそろえて離婚を絶賛、昭子さんを「昭和のノラ」と讃えた。
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◆11代 島津斉彬 10代島津斉興の子
1809-1858 49歳没

*生まれつき頑健であったが、中年期からは体調を崩しがちであった。

*1858年7月9日風邪と腹痛を訴え、下痢が始まる。
7月10日には発熱も加わり、1日に30回の激しい下痢が続く。
7月16日死亡。コレラと診断されたが、細菌性赤痢であったと思われる。




■妻  徳川恒子 一橋徳川斉敦の娘
1805-1858 53歳没


★側室 伊集院須磨
1821-1870 49歳没




※斉彬には複数の側室がいたが、育ったのは須磨の子供だけである。


●須磨の子 島津暐子 12代当主島津忠義の前妻
●須磨の子 島津典子 男爵島津珍彦と結婚
●須磨の子 島津寧子 12代当主島津忠義の後妻


左から 典子 暐子 寧子



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◆12代 島津忠義 11代斉彬の甥/公爵島津久光の子・婿養子になる 最後の藩主
1840-1897 57歳没

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1879年 41歳
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■1番目の妻 島津暐子 11代斉彬の娘・死別 
1851-1869 18歳没


■2番目の妻 島津寧子 11代斉彬の娘・前妻の妹・死別
1853-1879 26歳没


■3番目の妻 板倉棲子 子爵板倉勝達の娘 
1886年没


★側室 山崎寿満子
1850-1927 77歳没


★側室 菱刈久子
1872-1960 88歳没


●山崎寿満子の子 島津忠重 13代当主
●菱刈久子の子  島津忠備 男爵島津忠備となる
●菱刈久子の子  島津忠弘 男爵島津忠弘となる
●菱刈久子の子  島津久範 伯爵島津久範となる
●菱刈久子の子  島津康久 島津忠済公爵の娘島津肅子と結婚

●山崎寿満子の子 島津清子 侯爵黒田長成と結婚
●山崎寿満子の子 島津充子 侯爵池田詮政と離婚・伯爵松平直亮と再婚
●山崎寿満子の子 島津常子 山階宮菊麿王妃
●山崎寿満子の子 島津知子 伯爵徳川達孝と結婚
●山崎寿満子の子 島津貞子 伯爵久松定謨と結婚
●山崎寿満子の子 島津俔子 久邇宮邦彦王妃
●山崎寿満子の子 島津正子 公爵徳川家正と結婚
●菱刈子久の子  島津為子 侯爵徳川頼貞と結婚


男性左から 康久 久範 忠弘 忠備 忠重
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後列左から 充子 清子 俔子
前列左から 島津久長の娘/近衛忠房夫人/貞子/光子 知子 男子 正子
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立つ左から 康久 忠弘 側室寿満子 忠備 久範 
椅子左から 正子 貞子 常子 清子 忠重 充子 知子 俔子 為子
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●島津忠備 男爵島津忠備となる



●島津忠弘 男爵島津忠弘となる





●島津久範 伯爵島津久範となる


久範&久子夫妻と子供たち
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●島津康久 島津忠済公爵の娘島津肅子と結婚



●島津清子 侯爵黒田長成と結婚



●島津充子 侯爵池田詮政と離婚・伯爵松平直亮と再婚



●島津常子 山階宮菊麿王妃



●島津知子 伯爵徳川達孝と結婚 



●島津俔子 久邇宮邦彦王妃


●島津正子 公爵徳川家正と結婚



●島津為子 侯爵徳川頼貞と結婚



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◆13代 島津忠重 12代忠義の子
1886-1968 82歳没

*イギリスに駐在






■妻  徳大寺伊楚子 公爵徳大寺実則の娘
1888-1971 83歳没







1922年 ロンドンで
192201


192202


『Illustrated London News』1923年5月12日
192301




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●長男 島津忠秀 14代当主
●二男 島津晃久 伯爵鹿島晃久となる
●三男 島津矩久 伯爵柳原博光の娘柳原行子と結婚
●四男 島津斉徳 伯爵柳沢保承の娘柳沢佐久子の婿養子になるが離婚

●長女 島津経子 島津忠済公爵の子島津久大と結婚


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◆14代 島津忠秀 13代忠重の子
1912-1996 84歳没


■妻  近衛昭子 近衛文麿公爵の娘・島津忠秀と離婚・整体師野口晴哉と駆け落ちして再婚
1916-2004 88歳没

*昭子は戦後になって整体師野口晴哉と駆け落ちして再婚、『昭和のノラ事件』と呼ばれて話題になった。

昭子と父近衛文麿
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●長男
●二男
●長女

◆27代 毛利敬親 25代毛利斉元の子・婿養子になる
1819-1871 52歳没


■妻   毛利都美子 26代毛利斉広の娘
1833-1913 80歳没


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◆28代 毛利元徳 徳山藩主毛利広鎮の子・養子になる 最後の藩主
1839-1896 57歳没


■妻  毛利安子 長府藩主毛利元運の娘
1843-1925 82歳没


●男子 毛利元昭 29代当主
●男子 毛利三郎 男爵小早川三郎となる
●男子 毛利四郎 男爵小早川四郎となる
●男子 毛利五郎 男爵毛利五郎となる
●男子 毛利徳敏 子爵大村徳敏となる
●男子 毛利八郎 公爵西園寺八郎となる

●女子 毛利万子 子爵武者小路公共と結婚


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小川金男 明治・大正・昭和の天皇に仕えた仕人

仕人というのは他官庁には見られない特殊な存在で、徳川時代の茶坊主・中国の宦官のようなものである。
事実明治の頃には、毛利元徳公爵などは仕人をつかまえて、「坊主、坊主」とよく失言したものであったという。
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◆29代 毛利元昭  28代元徳の子
1865-1938 73歳没


■前妻 徳川富子  尾張徳川慶勝の娘・毛利元昭と離婚・子爵戸田康泰と結婚
1870-1909 39歳没


■後妻 三条美佐子 公爵三条実美の娘
1874-1934 60歳没


●実子 毛利元道  30代当主
●実子 毛利元治  男爵小早川元治となる

●実子 毛利顕子  侯爵醍醐忠重と結婚
●実子 毛利茂登子 子爵愛宕通経と結婚
●庶子 毛利浜子  子爵戸田忠肅と結婚


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宮武外骨『地獄耳』

毛利元昭公は本当の馬鹿殿様で、そのため東京に置かれず多病の名で三田尻に若隠居させられている。
前夫人は名古屋の徳川家から輿入れしたが、あまり夫の馬鹿なのに愛想を尽かして逃げ出し、その後添いに三条公の御姫様が行っているが、このお姫様は似た者御夫婦の低能なので、めでたく家は治まっている。
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◆30代 毛利元道 29代元昭の子
1903-1976 72歳没


■妻  松平誠子 子爵松平定晴の娘
1912-1976 64歳没


●長男 毛利元敬 31代当主
●二男 毛利元宏 福原元宏となる
●三男 毛利元保 近藤博の娘近藤佳代子と結婚
●四男 毛利元敦 神徳達也の娘神徳サヨリと結婚

●長女 毛利妙子 広沢真信と結婚


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◆31代 毛利元敬 30代元道の子
1930-2020


■妻  荻原直子 荻原晴一の娘
1939-2001


●長男
●長女

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