直球和館

2025年

2015/01

◆11代 溝口直溥 10代溝口直諒の子
1819-1874


■前妻 松平愛子 浜田藩主松平康任の娘
1838年没


■後妻 土屋増子 土浦藩主土屋彦直の娘
1822-1888


●庶子 溝口直正  12代当主
●庶子 溝口信太郎 子爵増山正治となる
●庶子 溝口源八郎 子爵諏訪忠元となる
●庶子 溝口歓十郎 子爵五島盛光となる
●庶子 溝口武五郎

●庶子 溝口鋹子  福山藩主阿部正教と死別・吉田藩主大河内信古の後妻
●庶子 溝口文子  大洲藩主加藤泰と結婚
●庶子 溝口幾子  南部利恭伯爵と結婚
●庶子 溝口銀子  分部光謙子爵と離婚

●養女 溝口董子  神戸藩一族本多忠穆の娘 有栖川宮熾仁親王妃


立つ左から 三郎 直介 利男 諏訪忠元子爵 増山正治子爵 武五郎 五島盛光子爵 直亮 辰男
座る左から 久美子 溝口直正 久爾子夫人 武五郎の妻静子
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●溝口信太郎 子爵増山正治となる
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●溝口歓十郎 子爵五島盛光となる
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●養女 溝口董子 神戸藩一族本多忠穆の娘・有栖川宮熾仁親王妃 1879年 26歳
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◆12代 溝口直正 11代直溥の子 最後の藩主
1855-1919

1053(2)


1879年 26歳
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■妻  分部久爾子 大溝藩主分部光貞の娘 
1858-1915




●長男 溝口直亮  13代当主
●三男 溝口直介  財閥大倉直介となる
●男子 溝口利男  伯爵前田利男となる
●男子 溝口正理  増山正理となる
●男子 溝口六郎
●男子 溝口正夫  片山正夫となる
●男子 溝口義夫  片山義夫となる

●二女 溝口久美子 財閥大倉喜七郎男爵と結婚
●女子 溝口末子  小林太郎と結婚


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万朝報 1898年

伯爵溝口直正は芝区田町大滝政吉同居タケを妾とし寵愛ひとかたならざるため、夫人久爾子(41歳)はほとんど幽閉の姿にて徒然のあまりしきりに弄花〔花札〕の相手を求めつつあり。
また別の妾小関アサは目下その親元なる荏原郡大森村にあり。
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●溝口直介 財閥大倉直介となる



●溝口久美子 財閥大倉喜七郎男爵と結婚 1907年 19歳
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◆13代 溝口直亮 12代溝口直正の子
1878-1951




■妻  徳川須美子 田安徳川達孝伯爵の娘
1888年生




●長女 溝口歌子 14代当主
●二女 溝口豊子 安倍民雄と結婚→子は15代当主安倍隆雄


左:須美子夫人 中:娘 右:直亮
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◆14代 溝口歌子 13代直亮の娘
1907-1980


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◆15代 溝口隆雄 14代歌子の甥/溝口豊子の子
1941年生


■妻  稲垣昭子
1944年生


●長男

東京本邸 荏原郡大井町(現:品川区大井)


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◆11代 伊達斉義 一関藩主田村村資の子・婿養子になる
1798-1828 29歳没


■妻  伊達芝子/蓁子 10代伊達斉宗の娘 
1816-1858 42歳没


●庶子 伊達慶邦    13代当主

●庶子 伊達微子/綵子 婿養子を迎え12代当主とする
●庶子 伊達保子/佑子 亘理伊達邦実と結婚


●伊達保子/佑子 亘理伊達邦実と結婚



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◆12代 伊達斉邦    伊達宗充の子・婿養子になる
1817-1841 23歳没


■妻  伊達微子/綵子 11代斉義の娘
1823-1861 38歳没


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◆13代 伊達慶邦 11代斉義の子
1825-1874 42歳没




■前妻 鷹司綱子/備子 公家鷹司政熙の娘
1828-1852 24歳没


■後妻 徳川八代/孝子 水戸徳川斉昭の娘 
1841-1869 28歳没


●庶子 伊達宗基 14代当主
●庶子 伊達邦宗 15代当主


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◆14代 伊達宗基 13代慶邦の子 最後の藩主
1866-1917 50歳没

1879年 15歳
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■妻  松浦都子 伯爵松浦詮の娘
1869-1946 77歳没



1800





●女子 伊達恵以子 伯爵上野正雄と結婚



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◆15代 伊達邦宗 14代宗基の弟/13代慶邦の子
1870-1923 52歳没

*英ケンブリッジ大学に留学




■妻  留守巨梅子 留守基治の娘 
1880-1962 82歳没




●男子 伊達興宗 16代当主
●男子 伊達宗英 細川利寿子爵の娘細川素子と結婚
●男子 伊達基文 子爵東園基文となる
●男子 伊達宗武 男爵酒井宗武となる
●男子 伊達宗美 市川宗助の娘市川華子と結婚

●女子 伊達昭子 伯爵酒井忠道の子酒井五郎と結婚
●女子 伊達慶子 子爵相馬順胤の子相馬広胤と結婚
●女子 伊達秀子 伯爵堀田正恒と結婚
●女子 伊達璋子 子爵松平康昭と結婚・相馬順胤子爵の子相馬正胤と再婚


璋子 宗英 昭子 慶子 宗文 秀子 興宗
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●伊達宗武 男爵酒井宗武となる

1977年
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●伊達秀子 伯爵堀田正恒と結婚


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◆16代 伊達興宗 15代伊達邦宗の子
1906-1947 41歳没


■妻  小笠原鞠子 伯爵小笠原長幹の娘
1910-1967 57歳没


左:姉小笠原明子→多久龍三郎男爵と結婚 右:小笠原鞠子


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●長男
●長女
●二女


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興宗の死後鞠子と結婚が伊達家所有の山林を勝手に売却するなどしたため親族ともめ、新伊達騒動と世間に注目された。
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◆34代 宗義和 33代宗義章の弟/32代宗義質の子
1818-1890

1879年 63歳
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■妻  浅野嘉代 広島藩主浅野斉賢の娘 
1822-1890


●男子 宗重正 35代当主
●男子 宗和徳 原和徳になる
●男子 宗和豊 井上和豊になる
●男子 宗和志 黒田和志子爵となる
●男子 宗和一 佐賀和一になる
●男子 宗定  仁位定になる
●男子 宗和東 杉村和東になる

●女子 宗植子 松平信正子爵と結婚
●女子 宗和子 九条道孝公爵と結婚
●女子 宗宝子 難波宗礼公家と結婚


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◆35代 宗義達/重正 34代義和の子 最後の藩主
1847-1902

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1879年 34歳
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■妻  鍋島綱子 蓮池藩主鍋島直与の娘
1851-1891


●男子 宗重望  36代当主
●男子 宗正誼  氏家正誼となる

●女子 宗全子  松平武修子爵と結婚
●女子 宗績子  酒井忠道伯爵と結婚


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◆36代 宗重望  35代義達の子
1867-1923

1879年 14歳
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■妻  松園尚子 松園尚嘉男爵の娘
1873-1923 




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◆37代 宗武志 36代重望のイトコ/子爵黒田和志の子・養子になる
1908-1985

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■前妻 李徳恵 大韓帝国皇帝高宗の娘・李垠王の妹・離婚
1912-1989









1927年
1927-2001




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韓国にて 左:義姉李方子 右:徳恵
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■後妻 勝村欣永 勝村繁の娘 
1931年生


●前妻の子 宗正恵 行方不明のまま死亡認定

●後妻の子 長男
●後妻の子 二男
●後妻の子 二女



●宗正恵

*23歳の時に大学時代に知り合った26歳の中学の英語教師の男性と恋愛結婚したが、
翌年遺書を残して失踪、生死不明のまま死亡と認定された。




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徳恵の義姉 李方子 梨本宮守正王の娘・李垠王の妻 

夏休みには私が付き添って伊香保に避暑されていましたが、秋になって学校が始まっても、行きたくないと終日床につかれて食事にも出ようとされません。
夜は強度の不眠症で、時には突然外に飛び出され、驚いてお探しすると、裏門から赤坂見附の方へ歩いておられたりということもあったので、ただごとではないと精神科の先生に来診をお願いし、看護婦もお付きして当分は大磯の別荘で静養されることになりました。

もともと内気な方だったとはいえ、私などには明るく希望に満ちたお話しぶりで、将来は学校の先生になって、と御利発なお言葉を頼もしく伺っていたのに、今は鬱々として床についておられるばかりなのです。
「早く元気におなり遊ばして…」とベッドの枕辺にひざまづいて幾度となく涙を流してお話ししましたが、受け答えもなく、ついに早発性痴呆症と診断されました。

ところが昭和6年を迎えて徳恵様はだいぶ落ち着かれ、お食事も進んでお話しも少しは調子良く話されるようになったため、宗伯爵との御縁談も順調に進んで5月8日には御結婚式が挙げられることになりました。
この日の早いことを誰よりも望んでいた殿下〔李垠王〕と私であったとはいえ、また小康を得られたとはいいながら白い洋装のお姿が何かしらおいたわしい思いがして、そっと涙をぬぐったことでした。
再発への心配と、朝鮮の血を無理矢理日本の血の中へ同化させてしまおうとする当局の意図への反発も、秘かに感じていた私でした。
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平山為太郎の日記 宗武志の教育係

1931年11月3日
午前10時、伯爵〔宗武志〕に伺候し、古森氏・斎藤家令・伯爵と4人、絵画の談および蘭の培養等につき長時間談話をなす。
その時に徳恵夫人も突然来席あり。挨拶を述べしも、一言の言葉なく答礼ありしのみ。
そして絶えず声を出して失笑せらるること数次、真に病的の挙動なり。
伯爵の御胸中果たして如何、嘆息の至りなり。
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中村国枝の証言 昭和13年から昭和15年まで宗伯爵家に勤めた

*対馬の小学校時代、宗武志の担任を務めた米田隆太の娘
その縁で女学校卒業後、上京して宗伯爵家に勤める

私は正恵さんのお勉強やお遊びのお相手をするのが第一の仕事で、他にお掃除や縫い物などもいたしました。
正恵さんは当時小学校の1年ぐらいでしたが、細くて弱い体のお子さんで、御養生のために湯河原の温泉へお供したこともあります。
学習院の送り迎えにもお供いたしました。父兄会に私が代理で出席したこともありました。

当時の宗家には十数人の人が働いていたでしょうか。
私達は御当主を「伯爵様」とお呼びし、徳恵様のことを「御前様」とお呼びしていました。
伯爵様は週に何回かは千葉の方へ講義にお出かけで、遠いので夜遅くなられることもありました。
広い洋間の書斎があって、よく書き物などをしておられました。
伯爵様がお風呂に入って大きなお声で『この道』を歌っておられたのを覚えています。
とてもいいお声でした。
一度、伯爵様とピンポンをしたことがありましたが、あれは応接間だったかしら…。

徳恵様のお世話はミヨさんと和田さんの二人が主にしていました。
お召し物は洋服のことも和服のこともありました。
具合の良くない時、御寝巻にガウンをかえけたお姿も多かったようです。
お身体の華奢な、手も本当にほっそりとしてきれいな方でした。
時々2階から、誰も相手がいないのに笑う声が聞こえることもありました。
時たま2階から正恵さんの部屋に降りてきて、椅子にじっと座っていらっしゃることもありました。
そんな時 何もおっしゃらないのですが、お名前をお尋ねすると漢字で「徳恵」とお書きになります。
「お子様は何とおっしゃいますか」と聞くと「正恵」とお書きになりました。
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明治41年 1908
宗武志誕生

大正01年 1912
徳恵誕生

大正08年 1919 徳恵07歳
徳恵の父死去

大正14年 1925 徳恵13歳
徳恵来日

昭和04年 1929 徳恵17歳
徳恵の母死去

昭和05年 1930 武志22歳 徳恵18歳
李垠・方子・徳恵、完成した李王家新邸へ転居、「早発性痴呆症」と診断される
武志と徳恵初対面

昭和06年 1931 武志23歳 徳恵19歳
武志と徳恵結婚

昭和07年 1932 武志24歳 徳恵20歳
正恵誕生

昭和21年 1946 武志38歳 徳恵34歳 正恵14
徳恵精神病院へ入院

昭和30年 1955 武志47歳 徳恵43歳 正恵23歳
正恵結婚
武志と徳恵離婚
武志再婚

昭和31年 1956 武志48歳 徳恵43歳 正恵24歳
正恵失踪、生死不明のまま死亡認定

昭和37年 1962 武志54歳 徳恵50歳
徳恵韓国に帰国

昭和60年 1985 武志 死去 77歳

平成01年 1989 徳恵 死去 76歳

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◆12代 津軽承昭 熊本藩主細川斉護の子・婿養子になる
1840-1916 75歳没

1879年 40歳
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■前妻 津軽常子 11代津軽順承の娘・死別
1839-1861 22歳没


■後妻 近衛尹子 公家近衛忠熙の娘
1848-1900 52歳没



●庶子 津軽楢麿  男爵津軽楢麿となる

●庶子 津軽理喜子 子爵細川行真の子細川行雄が婿養子になるが離婚
●庶子 津軽寛子  男爵徳川義恕と結婚→子は14代当主津軽義孝


左側:細川護立侯爵&博子夫妻 右側:理喜子&津軽行雄男爵夫妻
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●津軽理喜子 子爵細川行真の子細川行雄が婿養子になるが離婚
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◆13代 津軽英麿  公家近衛忠房の子
1872-1919 47歳没




■妻  小笠原照子 伯爵小笠原忠忱の娘 
1887-1972 85歳没
















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12代津軽承昭は男子を次々と失ったため、理喜子の婿養子にする予定で近衛家から英麿を養子に迎えたが、その翌年妾に男子楢麿が生まれてしまう。
承昭は自分の息子を後継ぎにしたかったが、本家筋にあたる近衛家から迎えた養子を廃嫡するわけにもいかず、結局宮内省に泣きついて楢麿の方を分家させて男爵にしてもらう。

しかし英麿は14歳でドイツに留学したまま18年も帰らず、32歳で帰国した時には理喜子と結婚するのを嫌がった。
承昭は仕方なく良縁を求め、小笠原伯爵家の娘照子と結婚させた。
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◆14代 津軽義孝 12代承昭の孫/男爵徳川義恕の子
1907-1994

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■妻  毛利久子 子爵毛利元雄の娘
1911-2004



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●長女 津軽泰子  西田幾多郎の孫西田幾久彦と結婚
●二女 津軽実枝子 凸版印刷山田英夫と結婚
●三女 津軽明子  高野実と結婚
●四女 津軽華子  常陸宮正仁親王妃


●津軽華子 常陸宮正仁親王妃
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◆17代 酒井忠篤 15代酒井忠発の子
1853-1915





1879年 28歳
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■妻  徳川鎮子 田安徳川慶頼の娘
1866-1912


●男子 酒井忠良 20代当主
●男子 酒井忠孝 伊藤四郎右衛門の娘糸子と結婚
●男子 酒井忠悌 水野重尊の娘水野留尾と結婚・喜多王環の娘喜多王純子と再婚

●女子 酒井長子 男爵酒井忠精と結婚
●女子 酒井米子 子爵大給近孝と結婚
●女子 酒井高子 18代当主の子酒井忠純と結婚
●女子 酒井歌子 大達茂雄と結婚


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●酒井米子 子爵大給近孝と結婚
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◆18代 酒井忠宝 17代忠篤の弟/15代忠発の子 最後の藩主
1856-1921

1879年 25歳
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■妻  遠藤鍈子 子爵遠藤胤城の娘 
1864-1943




●長男 酒井忠純 17代当主の娘酒井高子と結婚・イトコ結婚 

●長女 酒井鑑子 子爵稲葉順通と結婚
●二女 酒井銑子 安田財閥安田善之助と結婚
●三女 酒井鉐子 政治家久須美東馬と結婚
●四女 酒井淑子 実業家西脇健治と結婚


●酒井忠純 17代当主の娘酒井高子と結婚・イトコ結婚



●酒井淑子 実業家西脇健治と結婚



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◆19代 17代酒井忠篤が再度


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◆20代 酒井忠良 19代忠篤の子
1888-1962




■妻  大給万千子 子爵大給近道の娘
1890-1965



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●長男 酒井忠明  21代当主
●二男 酒井忠治  田口アキコと結婚

●二女 酒井喜代子 華族松平乗光と結婚
●三女 酒井和子  男爵大村純之と結婚
●四女 酒井千鶴子 子爵酒井忠康と結婚


●酒井喜代子 華族松平乗光と結婚
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◆21代 酒井忠明 20代忠良の子
1917-2004


■妻  酒井慎子 子爵酒井忠晄の娘
1922年生


●長男
●二男
●長女
●二女

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