直球和館

2025年

2015/01

◆13代 上杉斉憲  12代上杉斉定の子
1820-1889


■前妻 山内貞子  高知藩主山内豊資の娘
1821-1847


■後妻 松平郁子  高松藩主松平頼恕の娘
1828-1862


●庶子 上杉茂憲  14代当主
●実子 上杉信謹  吉井藩主吉井信謹となる
●庶子 上杉勝賢  上杉勝賢子爵となる
●実子 上杉忠敬  松平忠敬子爵となる
●庶子 上杉熊松  敦賀藩主酒井忠経の娘酒井定子と結婚
●実子 上杉長裕  丹羽長裕子爵となる
●庶子 上杉長保  丹羽長保子爵となる


●庶子 上杉栄子  結婚3回
人吉藩主相良為知→飛鳥井雅望伯爵→山内豊範侯爵
●庶子 上杉猷子  池田政礼子爵と結婚
●庶子 上杉純子  小笠原忠忱伯爵と結婚
●庶子 上杉千鶴子 細川立興子爵と結婚


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◆14代 上杉茂憲 13代斉憲の子 最後の藩主
1844-1919 75歳没


■1番目の妻 松平幸子 高須藩主松平義建の娘
1845-1872 27歳没


■2番目の妻 竹股猶子 竹股権平の娘



■3番目の妻 松平敏子 岩村藩主松平乗喬の娘
1852年生


■4番目の妻 伊藤兼子 士族伊藤清久の娘


●男子 上杉憲章 15代当主
●男子 上杉勝憲 上杉勝憲子爵となる
●男子 上杉近憲 大給近憲子爵となる

●女子 上杉覚子 池田勝吉男爵と結婚
●女子 上杉重子 山内豊景侯爵と婚約解消・高辻宜麿子爵と結婚
●女子 上杉琉子 松平直幹子爵と結婚
●女子 上杉久子 亀井慈常伯爵と結婚
●女子 上杉直子 経済哲学者左右田喜一郎と結婚
●女子 上杉大子 林安男爵と結婚


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池田覚子の孫 鮫島純子 財閥渋沢正雄の娘・鮫島員重男爵の妻   

母方の祖母覚子は上杉茂憲伯爵の長女で、16歳の時手毬を持って〔池田勝吉男爵に〕嫁がれました。
4人の子供を生んだ後は側室にバトンを渡さざるを得なかったようですが、夫が次々と側室を作り、同じ屋根の下で内縁の女性や13人もの庶子と暮らす理不尽さを、次女である母は見るに見かねたのでしょう。
自分の元に引き取りました。
母の気持ちを理解して、父は義母に憩いの部屋を提供していました。

祖母がイキイキと楽しそうに孫や娘を同伴してゆく先は、実家上杉伯爵邸でした。
祖母の兄弟姉妹は9人。上杉家の家紋が竹に雀なので、この集まりを「九雀会」
次の世代の子や孫も招待する時は「小雀会」と区別していたようです。
和船での江の島巡りや一宮ぶどう狩りのバスツアーなど当時としてはユニーク企画もあり、本当に仲の良い御兄弟でした。
珍しく楽しそうな晴れやかな実家での祖母の顔を見るのは、私たちにとってもうれしいことでした。
上杉家は私にとって、大名家の雰囲気を味わうに充分な楽しい場所でした。
ただひとつお客用のトイレが二畳敷きの畳に黒漆塗唐草模様の金蒔絵の金隠しで、とても恐れ多くて用が足しづらかった記憶が残っております。

いかにも穏やかな品の良い殿様は祖母の兄上で、静かにおっとりお構えですべて奥方と召使いにお任せのようでした。
殿様の前妻の方は鷹司公爵家から来られ、3人の美男美女の御子様に恵まれましたのに最期のお産で亡くなられました。
私が伺う頃は、後添えとして実業家の近藤廉平氏の三女の方が奥様になっておられました。
海外婦人協会会長という肩書をお持ちでしたが、外での御活躍を感じさせない物静かな微笑みを絶やさないおもてなしでした。
それはそれはいろいろ趣向を凝らして、子供たちをも細やかなお気遣いで楽しませてくださいました。
絹のお召し物の裾を長めにお引きずりにお召しの奥方が、召使いがいるとはいえよくあの大人数の御馳走と趣向を凝らした余興の用意をしてくださったものでございます。

祖母は祖父が他界する1年前の昭和15年に、胃ガンのため亡くなりました。
我慢強い性格と、これ以上厄介をかけたくないという気持ちからでしょう。
胃が痛むたびに赤い缶の「ホシ胃腸薬」を飲んで何事もない顔をして暮らしていましたが、吐血、即入院、5日も経たないうちに亡くなりました。
泣き言ひとつ言わず、婿に感謝しつつ、凛とした一生を終えました。
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小川金男 明治・大正・昭和の天皇に仕えた仕人

<上杉重子&山内豊景侯爵の婚約解消>

*山内豊景侯爵は上杉茂憲伯爵の娘重子と婚約していたが、
伏見宮貞愛親王から大正天皇との婚約が解消となった娘禎子女王を押し付けられて繁子との婚約を解消、
重子は高辻宜麿子爵と結婚する。

〔大正天皇との婚約が解消になって〕困ったのは伏見宮家である。
貞愛親王・禎子女王御自身の心情はもちろんのこと、宮家としてもなんとなく傷がついた感じである。
それでなるたけ早く姫君は嫁がせた方がよかろうということになり、いろいろと相手の男子を物色されていたのである。
ある時宮中で宴会があって、大勢の華族たちが御陪食にあずかった。
伏見宮は大尉の軍服を着た若い山内侯爵獅子の姿を目に止められた。
やせぎすではあるが、どこかキリッとしていかにも頼もしい好青年士官である。
そこで伏見宮はさっそく近づいていかれて、
「どうだ、君はまだ独身だろう?」とお尋ねになった。
そこで山内大尉が事実を明白にすればよかったのであるが、
ついうかうかと「はい、さようでございます」と言ってしまったのである。
「それではどうだね。ワシの娘を嫁にもらってはくれまいか」と直談判を始められた。
それでもなお山内大尉にもう少し勇気があればよかったのであるが、なにぶんにも伏見宮からの直々の御談判である。
若い大尉がすっかりあがってしまったことも想像に難くない。
「はい」と答えてしまって、その自分の言葉の重大さに気がついた時にはもう遅かった。
「それではよろしくお頼みしますよ」
伏見宮はようやく心の重荷が下りたといったようにご満足気に笑われた。
おそらく帰途についた山内大尉の気持ちは複雑であり、さすがに若くて元気のある青年士官も意気消沈したことであろうと思われた。
と言うのは、その時山内大尉は確かにまだ独身だったことには違いなかったが、すでに上杉伯爵家の娘と婚約が成立していたからである。
若い大尉はその日邸に帰るとすぐ、一家をあげて評議したであろう。
ところが相手がなにぶんにも伏見宮である。
いったん承知してしまったことを覆すということはいかにもできにくい。
一家がどういう結末をつけたかは、その後間もなく山内家と上杉家との婚約が破談になったということが伝わって明白となった。

このことで最も打撃を受けたのは、言うまでもなく上杉伯爵家の娘であったろう。
乙女の純情はみじんに砕かれた。
彼女はその後何事もなかったかのように、高辻子爵と結婚した。
高辻子爵は公卿華族で、大正時代には東宮侍従をやった人物である。
小柄ないかにも温厚な人物で、家庭では寛大なよき主人であることがうかがえた。
また高辻家は公卿華族としては比較的資産にも恵まれており、それ相応の生活をしていた。
夫人との間には子供もあり、長女は音楽学校に入っていた。
そうした表面だけを見れば、高辻家にはどこにも不満や家庭的な破綻を生じる余地がないように見えた。
夫人は中年以降にもその若き日の美貌と怜悧とがいまだに物を言っている風で、年に似合わず夫人の周囲にはいつも華やいだ雰囲気が漂っていた。
高辻子爵夫人の晩年には、とかく自暴自棄の行動が多かった。
中年を過ぎた高辻夫人の乱行を思い浮かべて、女の業の深さに暗澹とした気持ちを抱いたのであった。
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◆15代 上杉憲章 14代茂憲の子
1876-1953  77歳没


■前妻 鷹司房子 鷹司熙通公爵の娘・死別
1887-1918 31歳没


■後妻 近藤貴子 近藤廉平男爵の娘
1887-1967 80歳没


●男子 上杉隆憲 16代当主
●男子 上杉昭雄 上杉勝昭子爵となる

●女子 上杉敬子 真田幸正伯爵の子真田幸尚と結婚・内山英太郎と再婚


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佐々木高行『かざしの桜』明治天皇の娘昌子内親王・房子内親王の御養育係

*鷹司房子は大正天皇のお妃候補となったことがあった

1899年4月8日
※前宮内大臣土方久元の発言

徳川慶喜娘国子は人物よろしき趣きにつき、先日大山巌らと学校へ模様を見に行きたり。なにぶん体格至少にていかがかと考えたれども、人物よろしき趣きにつき、なお体質を検査致せさせ方、これは伏見宮禎子女王〔大正天皇の婚約者に内定していたが、肺病の疑いありとして取消になった〕より一層悪しきと申すことにて致し方なく取り消したり。
久邇宮純子女王は天皇に思召しあらせられ難しい。
北白川宮女王は御体質よろしからず。
一条経子は人柄よろしからず。
華族女学校にて各教師も見込みなしと言う。
鷹司房子は弱体にてすでに当御殿にも参殿せぬくらい。
毛利万子はよろしき趣きなれども、薩長二藩閥うんぬんにて人心に関しおる時に向来の皇后宮まで長とか薩とかにてはしかるべからず。
九条節子は体質は丈夫にて悪心はこれ無し。
もやは致し方なく、まずもって七分通り節子と申すことに相成りおり候。
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『木戸幸一日記』内大臣※当時は宗秩寮総裁

<上杉憲章の宗教問題>

1934年12月10日
今泉国太郎氏来庁。
上杉憲章伯爵の大本教につき話を聴く。

1934年12月24日
上杉憲章伯爵と面談、伯爵の信仰につき注意を促す。

1936年5月14日
今泉氏来庁。
上杉憲章伯爵の件につき、その後の状況を聴く。

1936年7月20日
中島鉄蔵武官来室。
上杉憲章伯爵隠居の件につき相談ありたり。

1936年7月22日
中島武官と上杉憲章伯爵の件につき再び懇談す。

1936年8月15日
上杉伯爵家の今泉氏来庁。
伯爵家家範改正・上杉憲章伯爵信仰の問題につき懇談す。
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◆16代 上杉隆憲 15代憲章の子
1917年生


■妻  徳川敏子 徳川家正公爵の娘
1918年生


●男子 上杉邦憲 17代当主
●男子 上杉隆治 高橋博子と結婚

●女子 上杉統子 筧元成と結婚
●女子 上杉絢子 山中信六と結婚


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◆17代 上杉邦憲 16代隆憲の子
1943年生


■妻  奥紀美子 奥重造の娘
1946年生


●長男
●長女

◆13代 上杉斉憲  12代上杉斉定の子
1820-1889

1879年 61歳
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■前妻 山内貞子  高知藩主山内豊資の娘
1821-1847


■後妻 松平郁子  高松藩主松平頼恕の娘
1828-1862


●庶子 上杉茂憲  14代当主
●実子 上杉信謹  吉井藩主吉井信謹となる
●庶子 上杉勝賢  上杉勝賢子爵となる
●実子 上杉忠敬  松平忠敬子爵となる
●庶子 上杉熊松  敦賀藩主酒井忠経の娘酒井定子と結婚
●実子 上杉長裕  丹羽長裕子爵となる
●庶子 上杉長保  丹羽長保子爵となる


●庶子 上杉栄子  結婚3回
人吉藩主相良為知→飛鳥井雅望伯爵→山内豊範侯爵
●庶子 上杉猷子  池田政礼子爵と結婚
●庶子 上杉純子  小笠原忠忱伯爵と結婚
●庶子 上杉千鶴子 細川立興子爵と結婚


●上義忠敬 松平忠敬子爵となる
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●1879年 22歳 上杉長保 丹羽長保子爵となる
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●上杉栄子 結婚3回
人吉藩主相良為知→飛鳥井雅望伯爵→山内豊範侯爵



●上杉千鶴子 細川立興子爵と結婚



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◆14代 上杉茂憲 13代斉憲の子 最後の藩主
1844-1919 75歳没

1879年 37歳
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■1番目の妻 松平幸子 高須藩主松平義建の娘
1845-1872 27歳没


■2番目の妻 竹股猶子 竹股権平の娘



■3番目の妻 松平敏子 岩村藩主松平乗喬の娘
1852年生


■4番目の妻 伊藤兼子 士族伊藤清久の娘
1859-1922 63歳没



●男子 上杉憲章 15代当主
●男子 上杉勝憲 上杉勝憲子爵となる
●男子 上杉近憲 大給近憲子爵となる

●女子 上杉覚子 池田勝吉男爵と結婚
●女子 上杉重子 山内豊景侯爵と婚約解消・高辻宜麿子爵と結婚
●女子 上杉琉子 松平直幹子爵と結婚
●女子 上杉久子 亀井慈常伯爵と結婚
●女子 上杉直子 経済哲学者左右田喜一郎と結婚
●女子 上杉大子 林安男爵と結婚


●上杉勝憲 上杉勝憲子爵となる
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●上杉近憲 大給近憲子爵となる



●上杉重子 山内豊景侯爵と婚約解消・高辻宜麿子爵と結婚
重子と婚約していた山内豊景侯爵は、伏見宮貞愛親王から大正天皇との婚約が解消となった娘禎子女王を押し付けられて重子との婚約を解消する
1038(2)



●上杉琉子 松平直幹子爵と結婚
1080(2)



●上杉久子 亀井慈常伯爵と結婚
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●上杉直子 学者左右田喜一郎と結婚



●上杉大子 林安男爵と結婚



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◆15代 上杉憲章 14代茂憲の子
1876-1953 77歳没

*英ケンブリッジ大学に留学




■前妻 鷹司房子 鷹司熙通公爵の娘・死別
1887-1918 31歳没




■後妻 近藤貴子 近藤廉平男爵の娘
1887-1967 80歳没





●男子 上杉隆憲 16代当主
●男子 上杉昭雄 上杉勝昭子爵となる

●女子 上杉敬子 真田幸正伯爵の子真田幸尚と結婚・内山英太郎と再婚


●1928年 20歳 上杉敬子 
1928-3012



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◆16代 上杉隆憲 15代憲章の子
1917年生


■妻  徳川敏子 徳川家正公爵の娘
1918年生


●男子 上杉邦憲 17代当主
●男子 上杉隆治 高橋博子と結婚

●女子 上杉統子 筧元成と結婚
●女子 上杉絢子 山中信六と結婚


左:上杉絢子 右:上杉統子
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◆17代 上杉邦憲 16代隆憲の子
1943年生


■妻  奥紀美子 奥重造の娘
1946年生


●長男
●長女

■東京本邸 牛込区市ケ谷河田町


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1168(2)



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◆29代 小笠原忠忱 28代小笠原忠幹の子 最後の藩主
1862-1897 34歳没


■妻  上杉純子  米沢藩主上杉斉憲の娘 
1867-1901 34歳没


●長男 小笠原長幹 1885年生 30代当主
●二男 小笠原長丕 1891年生 小笠原長丕子爵となる

●女子 小笠原照子 1887年生 津軽英麿伯爵と結婚
●二女 小笠原百子 1896年生 尚昌侯爵と結婚


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◆30代 小笠原長幹 29代小笠原忠忱の子
1885-1935 49歳没


■妻  阿部貞子   阿部正桓伯爵の娘 
1887年生


●長男 小笠原忠春  1913年生 31代当主
●二男 小笠原忠幸  1915年生 小笠原忠幸子爵となる
●三男 小笠原忠統  1919年生 32代当主

●長女 小笠原明子  1906年生 多久瀧三郎男爵と結婚
●二女 小笠原春枝  1908年生 久松定武伯爵と結婚
●三女 小笠原富士子 1909年生 財閥安田孝一郎と結婚
●四女 小笠原鞠子  1910年生 伊達興宗伯爵と結婚
●五女 小笠原松子  1914年生 共和証券社長梅原穣と結婚
●六女 小笠原福子  1917年生 木村貞造と結婚


小笠原鞠子は伯爵伊達興宗と結婚する。
興宗の死後鞠子夫人が伊達家所有の山林を勝手に売却するなどしたため親族ともめ、新伊達騒動と世間に注目された。


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『倉富勇三郎日記』枢密院議長※当時は宗秩寮職員

*柳原義光伯爵の妹柳原白蓮事件の責任を取って柳原は貴族院議員を辞任すべきだとの意見が内外からあった。
柳原はこれを拒み続け宮内省に対して金をくれたら辞めてもいいとまで言う性格だった。

1922年11月17日
※倉富&宮内官僚関屋貞三郎の会話

関屋◆元老西園寺公望が宮内大臣牧野伸顕に「宮内省が柳原義光伯爵を買収したりと言い触らしおるは小笠原長幹伯爵なる趣」を話されたる趣なり。
柳原が「宮内省は自分を買収せんとしたるもこれを拒絶せり」と言うようなる自慢話をなし、長幹は「買収したり」と言うように言い触らしたるものなり。
長幹は先頃イギリス皇太子来朝の時「接伴委員となしくれよ」と申し込みたるも、これを拒絶したにつき宮内省に悪感情を有しおる模様なり。
倉富◆小笠原長幹は同族中にても評判よろしからず。
長幹が国勢院総裁となりたるにつき、「彼のごとき者を親任官となすや」と非議しおりたる人ありたるぐらいなり。
小笠原家の家令を為しおりたる者が、「長幹が乱費するとて困りおり。ついに家令を辞めたり」と言う。
関屋◆長幹にては金を費さざれば、彼ぐらいの地位を得る事はできがたきからざりしならん。
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『岡部長景日記』文部大臣※当時は貴族院議員

1930年11月19日
木戸侯爵邸にて十一会。
食後雑談、「小笠原長幹伯爵の政治狂も困ったものだ」との非難。
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1918年「不釣合 美醜の夫婦くらべ」
2006



1918年「虚栄三美人」
5500



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◆31代 小笠原忠春 30代小笠原長幹の子
1913-1976 63歳没


■妻  藤井ユリコ 藤井武の娘
1912年生


●長男
●二男


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◆32代 小笠原忠統 30代小笠原長幹の子
1919-1996 77歳没


■妻  松井玲子  松井和宗の娘
1924年生


●長男
●長女

◆29代 小笠原忠忱 28代小笠原忠幹の子 最後の藩主
1862-1897 34歳没

1879年 19歳
0019a





■妻  上杉純子  米沢藩主上杉斉憲の娘 
1867-1901 34歳没 


●長男 小笠原長幹 1885年生 30代当主
●二男 小笠原長丕 1891年生 小笠原長丕子爵となる

●女子 小笠原照子 1887年生 津軽英麿伯爵と結婚
●二女 小笠原百子 1896年生 尚昌侯爵と結婚


●小笠原長丕 小笠原長丕子爵となる



●小笠原照子 津軽英麿伯爵と結婚



●小笠原百子 尚昌侯爵と結婚
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◆30代 小笠原長幹 29代小笠原忠忱の子
1885-1935 49歳没




■妻  阿部貞子  阿部正桓伯爵の娘 
1887年生

6006


6009






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●長男 小笠原忠春  1913年生 31代当主
●二男 小笠原忠幸  1915年生 小笠原忠幸子爵となる
●三男 小笠原忠統  1919年生 32代当主

●長女 小笠原明子  1906年生 多久瀧三郎男爵と結婚
●二女 小笠原春枝  1908年生 久松定武伯爵と結婚
●三女 小笠原富士子 1909年生 財閥安田孝一郎と結婚
●四女 小笠原鞠子  1910年生 伊達興宗伯爵と結婚
●五女 小笠原松子  1914年生 共和証券社長梅原穣と結婚
●六女 小笠原福子  1917年生 木村貞造と結婚


左:小笠原明子 右:小笠原鞠子



●1923年 小笠原春枝 17歳
8212



●1923年 小笠原富士子 16歳
8211



●1928年:右 小笠原富士子 20歳 
1928-3009



●小笠原鞠子&伊達興宗伯爵
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◆31代 小笠原忠春 30代小笠原長幹の子
1913-1976 63歳没


■妻  藤井ユリコ 藤井武の娘
1912年生


●長男
●二男


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◆32代 小笠原忠統 30代小笠原長幹の子
1919-1996 77歳没


■妻  松井玲子  松井和宗の娘
1924年生


●長男
●長女

東京本邸 麻布区材木町(現:港区六本木)
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◆11代 真田幸教 10代真田幸貫の孫/真田幸良の子
1836-1869


■妻  松平晴子 高松藩主松平頼恕の娘
1835-1915


●男子 真田幸世 男爵真田幸世となる

●長女 真田満佐 子爵石川成徳と結婚
●二女 真田与志 子爵本多忠敬と結婚


●真田幸世 男爵真田幸世となる
1095(1)



●真田満佐 子爵石川成徳と結婚



●真田与志 子爵本多忠敬と結婚
1097(2)



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◆12代 真田幸民 侯爵伊達宗城の子・養子になる
1850-1903 53歳没


アメリカ留学中
1031(2)


1879年 31歳
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■1番目の妻 大村隆子 大村藩主大村純煕の娘
1884年没


■2番目の妻 伊東宏子 飫肥藩主伊東祐相の娘
1864-1899 35歳没


■3番目の妻 竹内輯子 子爵竹内治則の娘 

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●長男 真田幸正  13代当主
●二男 真田幸久
●三男 真田幸保  伯爵清棲幸保となる

●長女 真田松子  伯爵島津忠麿と結婚
●二女 真田田鶴子 伯爵大村純英と結婚
●三女 真田信子  伯爵藤堂高紹と結婚


●真田幸保 伯爵清棲幸保となる


清棲幸保&前妻伏見宮敦子女王
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●真田松子 伯爵島津忠麿と結婚




●真田信子 伯爵藤堂高紹と結婚



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◆13代 真田幸正 12代幸民の子
1876-1917 41歳没

1038(1)



■妻  松平澄子 子爵松平頼英の娘・真田幸正と死別・内山英太郎と再婚
1880-1937  

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●男子 真田幸治 14代当主
●男子 真田幸尚 伯爵上杉隆憲の娘上杉敬子と結婚


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◆14代 真田幸治 13代幸正の子
1901-1977 76歳没


■妻  相良嶋子 子爵相良頼綱の娘
1906-1952


●男子 真田幸長 15代当主


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◆15代 真田幸長  14代幸治の子
1929-1984 55歳没


■妻  森野恵美子 森野森吉の娘 
1932年生


●長男
●長女
●二女

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