直球和館

2025年

2016/01

◆11代 脇坂安宅 10代脇坂安董の子 
1809-1874 65歳没


■妻  毛利政子 長府藩主毛利元義の娘
1819-1859 40歳没


●男子 脇坂安煕 13代当主
●女子 脇坂松子 脇坂安足と結婚


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◆12代 脇坂安斐 津藩主藤堂高猷の子・養子になる 最後の藩主
1840-1908 68歳没



1879年 42歳
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■妻  井上嘉代 浜松藩主井上正春の娘
1870年没


●女子 脇坂展子 脇坂安足と結婚


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万朝報 1898年

子爵脇坂安斐は本所区横網町の自宅に、浅草区諏訪町片岡定吉の養姉キミ(42歳)を妾として置く。
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◆13代 脇坂安煕 11代安宅の子
1855-1920 65歳没

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1879年 26歳
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■妻  森広子 森義夫の娘
1857-1908 51歳没

左側が広子&安煕夫妻
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●男子 脇坂安之  14代当主
●男子 脇坂孝之助 子爵堀親篤の娘堀喬子と結婚
●男子 脇坂剛二  田村静子と結婚
●男子 脇坂勝三  桑田勝三となる
●男子 脇坂五雄  河内五雄となる

●女子 脇坂五百子 原友巳と結婚
●女子 脇坂龍子  岩田仲蔵と結婚


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◆14代 脇坂安之 13代安煕の子
1876-1939 63歳没

左端が安之



■前妻 藤堂銑子  伯爵藤堂高潔の娘・脇坂安之と離婚・子爵高倉永則と再婚
1880年生


■後妻 小松ハナコ 伯爵小松清直の娘
1885-1974 89歳没


●男子 脇坂研之  15代当主

●女子 脇坂万千子 長部文治郎と結婚
●女子 脇坂郁子  橋本芳三と結婚
●女子 脇坂美保子 大西甚一平と結婚
●女子 脇坂麻子  和田寿恵松と結婚
●女子 脇坂セイ  学者妹背武雄と結婚
●女子 脇坂梅子  富岡周吉郎と結婚


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◆15代 脇坂研之 14代脇坂安之の子
1923年生


■妻  吉武妙子 吉武鴨次郎の娘
1930年生


●長男
●長女


1993年 脇坂研之&妙子夫妻
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東京本邸 1万坪 麻布


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◆30代 戸沢正実 29代戸沢正令の子 最後の藩主
1833-1896


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1879年 49歳
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■1番目の妻 小笠原茂代子 小倉藩主小笠原忠徴の娘・戸沢正実と離婚・小倉藩主小笠原忠幹と再婚
1834-1904


■2番目の妻 松平章子   上田藩主松平忠固の娘 
1846-1875


■3番目の妻 青山銀子   篠山藩主青山忠良の娘・板倉勝運と結婚・戸沢正実と再婚


■4番目の妻 松平愛子   吉田藩主松平信順の娘・戸沢正実と離婚・広瀬藩主松平直巳と再婚
1869年没


■5番目の妻 酒井錦子   庄内藩主酒井忠発の娘・島原藩主松平忠和と結婚・戸沢正実と再婚
1852-1909


●男子 戸沢正定 31代当主
●男子 戸沢富寿 伯爵松浦厚の娘松浦和子と結婚

●女子 戸沢慶子 男爵島津隼彦と結婚
●女子 戸沢マス 子爵米津政賢と結婚
●女子 戸沢敬子 男爵岩倉具徳と結婚


●戸沢富寿 伯爵松浦厚の娘松浦和子と結婚



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◆31代 戸沢正定 30代正実の子
1861-1888

1879年 20歳
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■妻  有馬直子 子爵有馬道純の娘・戸沢正定と死別・関宿藩主久世広業と再婚
1869-1917


●男子 戸沢正已 32代当主


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◆32代 戸沢正已 31代正定の子
1888-1960




■妻  酒井錦子 子爵酒井忠彰の娘 
1891-1952




●女子 戸沢田鶴江 33代当主の妻
●女子 戸沢靖子  浦山春雄と結婚
●女子 戸沢慰子  小野金雄と結婚
●女子 戸沢瑛子  尚裕侯爵と結婚
●女子 戸沢董子  子爵米田虎雄の子米田正武と死別・池田芳蔵と再婚
●女子 戸沢三知  34代当主の妻


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◆33代 戸沢正弘  伯爵井伊直忠の子・婿養子になるが離婚
1910年生


■妻  戸沢田鶴江 32代正巳の娘 
1913-1939


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◆34代 戸沢奎三郎 西脇健治の子・婿養子になる
1919年生


■妻  戸沢三知  32代正巳の娘 
1923-1988 


●長女

・大地主
・東京本邸 本郷区駒込曙町(現:文京区本駒込)

*土井子爵家は東京の大地主として大正期の資産高は100万円、昭和期の資産高は270万円あった。
※当時の総理大臣の年給は1万2000円


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◆14代 土井利与 13代土井利則の子 最後の藩主
1851-1929 78歳没








■前妻 青山千嘉子 篠山藩主青山忠良の娘 死別
1854-1889 35歳没


■後妻 大関銑子  黒羽藩主大関増徳の娘
1870年生


●男子 土井利孝  15代当主
●男子 土井利正  平岡アヤと結婚
●男子 土井利大  中広亮子と結婚

●女子 土井富美子 大橋篤治と結婚
●女子 土井与志子 井関保久と結婚
●女子 土井辰子  金沢修三と結婚
●女子 土井美恵子 高田政治と結婚


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◆15代 土井利孝 14代利与の子
1901-1971 70歳没


■前妻  土井利剛子爵の娘 錦子 離婚
1903-1993 90歳没


■後妻 大久保鋳太郎の娘 幸子
1918-1993 75歳没


●前妻の子 土井利泰 俳優鈴木伝明の養子になる
●前妻の子 土井博子 俳優鈴木伝明の養女になる

●後妻の子 土井卓也 伊吹卓也となり金子早苗と結婚
●後妻の子 土井幸也
●後妻の子 土井当子 茂呂治雄と結婚
●後妻の子 土井典子 



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◆16代 土井幸也 15代利孝の子
1939年生


■妻  鈴木美代子 鈴木麟三の娘
1941年生


●長男
●長女




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『横から見た華族物語』昭和7年出版  ※当時の総理大臣の年給は1万2000円

土井利与子爵はこれがまた恐ろしい旧弊な御前。
新しいことは大の嫌いで、日常の生活をちょっと言ってみるならば、屋敷の奥まった一室に白の下着に羽二重の着付けで脇息にもたれ、白綸子の座布団の上に端然と座り、左右に侍る腰元ども相手に「苦しうない、近う寄れ」をやっていたものだ。
退屈になると「弓術を致す」とあって庭へ出る。
70を越した老年後もその時の元気は30代に見えた。
元気なのは弓術のみでなく、腰元どもを相手に近う寄れをやる時にも壮者をしのぐ精力家であったとか。
その元気にまかせて子供を産ませた召使だけでも3人ある。
73の時にも子供を1人生ませている。
この調子で100まで生きたらまだまだ3人や4人は産ませるだろうとの噂であったが、昭和3年に78歳でポキリと死んでしまった。

跡取り息子の利孝子爵はこれはまたなんとしたことか親父には似ても似つかぬ新しがり屋で、その新しがりにまかせていろいろな事をやり、ついには礼遇停止を食って一時問題となった人物だが、老子爵が世の中との関係を断って大弓をいたしている間は同じ8万石の殿様でも土井家はなかなか内福だという噂で東京の多額納税者の一人であったが、嗣子利孝子爵の代になると邸内の空気がガラリと変わって一度に夜が明けたように明るくなったが、それとともに土井家の屋台骨がぐらつきだした。
新しい事を好む利孝子爵はまず写真道楽を始めた。
それから当時日本にはまだ一台もないという立派な活動写真機を買い込んで方々担ぎ回った。
小笠原長隆子爵が小笠原プロダクションに始めたのもこの頃であるが、いわゆる類をもって集まるの例で利孝子爵もこの俗に〈ボロダクション〉と言われた小笠原プロに入って技師となり、怪しい手つきでハンドルを回したものである。
これが縁となって女優や活動技師やそれに関係のある人々との交際が始まった。
そしていい気になっている間に活動山師という恐ろしい狼に噛みつかれて、親父の老子爵が大弓を致したり若い腰元どもを相手に精力の発散をやっている隙を狙ってどしどしお金を持ち出して使った。
ロシアに素敵な金鉱があってちょっと掘ると100万円ぐらいの金はすぐ出るというがひとつやってみてはどうかというような話が出てくる。
よかろうというので金をつぎ込む。
ところが儲かるはずのが、元も子も返ってこない。
嫌気がさして手を引くと、相手の男から35万円の損害賠償の訴えが出た。
驚いたのは老子爵でさっそく準禁治産の申請をしたが、調べてみるとあちらでも30万こちらでも40万と法律上当然利孝子爵が負担すべき借金が方々から出てきてその総高が180万円ということになった。
これでは土井家がいくら多額納税者でも手のつけようがない。
すったもんだと揉み合っているうち老子爵はポキリと死んでしまったので当然利孝子爵が跡を継いだが、問題はいよいよこんがらがってきてついに礼遇停止ということになった。
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■東京本邸 豊多摩郡代々幡村幡ケ谷
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◆13代 小笠原長国  松本藩主戸田光庸の子・養子になる 最後の藩主
1812-1877


■妻  不明     土浦藩主土屋彦直の娘


●女子 小笠原満寿子 1848年生 婿養子を迎える→子は14代当主小笠原長生
●女子 小笠原直子  1849年生 上山藩主松平信庸と結婚


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■夫  小笠原長行 9代長昌の子・婿養子になるが離婚
1822-1891 68歳没



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■妻  小笠原満寿子 13代小笠原長国の娘
1848年生


●男子 小笠原長生  1867年生 14代当主
●男子 小笠原丁   1878年生 画家小堀鞆音の娘小堀ツネと結婚
●男子 小笠原壬午郎 1882年生 名村泰蔵の養子になる 名村壬午郎

●女子 小笠原艶子  1876年生 海軍中将佐藤鉄太郎と結婚


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◆14代 小笠原長生 13代小笠原長国の孫/小笠原長行の子
1867-1958 90歳没

*自宅でライオンを飼っていた。

1879年 14歳
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■妻 松方秀子 前橋藩主松平直方の娘
1879年生




●男子 小笠原長隆  1900年生 除籍 映画監督小笠原明峰
●男子 小笠原長英  1902年生 除籍 俳優
●男子 小笠原長勝  1919年生 15代当主

●女子 小笠原武子  1899年生 藤堂高寛子爵と結婚
●女子 小笠原信子  1906年生 本庄宗久子爵と離婚・医師今井泰蔵と再婚
●女子 小笠原日佐子 1908年生 実業家佐々木隆一と結婚
●女子 小笠原宏子  1916年生 下関市長松井信助の子松井久と結婚→娘は女優松井康子/牧和子


●小笠原長隆 1900-1946 45歳没
映画監督になり、小笠原明峰と名乗る
芸能界入りにより男爵家より除籍される


●小笠原長英 1902-1974 72歳没
俳優楠英二郎のちに小笠原章二郎と改名
芸能界入りにより男爵家より除籍される



左:信子 右:日佐子 
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●小笠原信子 子爵本庄宗久と離婚・医師今井泰蔵と再婚
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●小笠原日佐子 実業家佐々木隆一と結婚
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小笠原信子の取材 本庄宗久子爵と離婚・医師今井泰蔵と再婚

当時海軍中将小笠原長正子爵の三女信子さんが本庄宗久子爵と結婚したのは、大正12年2月16歳の時だった。
翌年には嗣子宗正さんが生まれ、その頃は人もうらやむ幸福な生活だった。
しかし夫は当時の金額にして数十万円の負債を作った。
追いかけるように取引銀行が倒産した。
一家は邸宅を売り払って、実家小笠原家の一隅に身を寄せなければならなくなった。
このころから夫の放蕩が始まった。
鎌倉の二号宅に入り浸って、たまに帰宅すれば金の無心だったのだ。

「信子、500円ばかり用立ててくれないか。どうしても今日中に必要なのだ」
10日も顔を見せなかった夫が酒気をおびて帰宅すると、またもや金の無心だった。
「頼む。手元になければ父上にお願いしてくれ」
「いいえ、これ以上どうしてお願いできましょう」
この言葉を聞くと、夫は急に気でも狂ったように彼女に飛びかかった。
殴る蹴るの乱暴に膝を崩すまいと必死に身を支えながら、彼女は今こそはっきりと離婚を決意した。
結婚7年目の冬だった。

華族社会の離婚沙汰は当時のビッグニュースだった。
2年の歳月が流れ暗い破婚の記憶が薄れかけた頃、信子さんは胸部疾患におかされて床につくようになった。
しかし病気は彼女に第二の人生を与えたのだった。
京都の兄の元に身を寄せていた信子さんを診察したのが、兄の親友である今井泰蔵医師だった。
鹿児島県の素封家の出で、京都大学医学部を卒業後ドイツに留学し、京都で内科医院を開いていた。

昭和8年に二人は結婚した。
亡くなった先妻の遺した2人の娘と信子さんの生んだ2人の息子との6人家族の平穏な月日が過ぎた。
それも10年、夫は狭心症で急死し、幸福には終止符が打たれてしまったのだった。
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★女優松井康子 小笠原長生の孫/小笠原宏子の娘
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1977年
19770448(1)


1994年
19940240


19940242


1997年
19970359



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◆15代 小笠原長勝 14代小笠原長生の子
1919-1994 75歳没


■妻  加賀谷啓子 加賀谷長一の娘
1926年生

東京本邸 麻布区飯倉片町(現:港区六本木または麻布台)
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◆35代 相良頼基 34代相良長福の弟/33代相良頼之の子
1841-1885

中央が頼基
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■前妻 上杉栄子  米沢藩主上杉斉憲の娘・結婚3回
人吉藩主相良頼基→伯爵飛鳥井雅望→侯爵山内豊範
1848-1886


■後妻 徳大寺永子 公家徳大寺公純の娘
1853-1877


●四男 相良頼綱 37代当主
●六男 相良久賢 男爵島津久賢となる

●二女 相良弘子 子爵京極高備と結婚


●相良久賢 男爵島津久賢となる
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◆36代 相良頼紹 34代長福の子
1854-1924

1879年 28歳
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■妻  徳大寺中子 公家徳大寺公純の娘
1857-1940


●女子 相良貞子 子爵福岡秀猪と結婚
●女子 相良鴻子 外務官僚杉村虎一と結婚


●相良貞子 子爵福岡秀猪と結婚
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●相良鴻子 外務官僚杉村虎一と結婚
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杉村虎一
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◆37代 相良頼綱 35代頼基の子
1876-1966



■妻  稲葉寿子 子爵稲葉久通の娘
1885年生


●男子 相良頼知 38代当主

●女子 相良嶋子 伯爵真田幸治と結婚
●女子 相良充子 伊藤銃次郎と結婚


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◆38代 相良頼知 37代頼綱の子
1904年生


■妻  秋葉イネ 秋葉徳治郎の娘
1907-1991


●長男
●二男
●三男
●長女
●二女

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