直球和館

2025年

2016/01

◆12代 前田利昭 11代前田利豁の子 最後の藩主
1850-1896

1879年 31歳
0031r



■妻  酒井春子 伊勢崎藩主酒井忠恒の娘
1855-1916


●長男 前田利定 13代当主
●二男 前田利乗
●三男 前田利彭 前田利鬯子爵の娘前田亀子の婿養子になる
●四男 前田利為 前田利為侯爵となる
●五男 前田馮  前田貞久となる

●女子 前田静子 平田栄二伯爵と結婚
●女子 前田秀子 山中秀二郎男爵と結婚


●前田静子 平田栄二伯爵と結婚



=========================


◆13代 前田利定 12代利昭の子
1874-1944

1085(1)



■妻  酒井清子 姫路藩主酒井忠邦の娘
1877-1933

1085(2)



●二男 前田利民 14代当主
●四男 前田利儀 田川利儀となる

●長女 前田浜子 藤平左中と結婚
●二女 前田島子 外務大臣岡崎勝男と結婚


9088(3)



=========================


◆14代 前田利民 13代利定の子
1908-1983


■前妻 広岡允子 大同生命社長広岡久右衛門の娘
1916年生


■後妻 石川久子 石川仁十郎の娘
1913年生


●長女
●二女
●三女

◆12代 高木正坦 松平維賢の子・養子になる
1829-1891

1879年 52歳
0052i



■妻  一柳銛子 小野藩主一柳末延の娘・結婚3回
高木正坦→朽木之綱→斯波喜氏
1883年没


●男子 高木正亨 子爵堀田正亨となる


=========================


◆13代 高木正善 高木守庸の子・養子になる 最後の藩主
1853-1920 67歳没

1879年 28歳
0028f



■妻  大河内銑子 高崎藩主大河内輝聴の娘
1858-1927 69歳没


●男子 高木正得 14代当主

●女子 高木糸子 細谷源四郎と結婚
●女子 高木留子 立川太郎と結婚


=========================


◆14代 高木正得 13代正善の子
1894-1948 54歳没*自殺

*戦後経済的に行き詰まり、昭和23年7月「自然に融合して還るのみ」という遺書を残して奥多摩山中に姿を消した。
同年末、遺体が発見される。


■妻  入江邦子 子爵入江為守の娘
1901-1988 87歳没



1941年
194102



●長女 高木衣子  婿養子に迎え15代当主とする
●二女 高木百合子 三笠宮崇仁親王妃
●三女 高木桃子  子爵京極高修の子京極高晴と結婚
●四女 高木小夜子 子爵高丘季昭と結婚


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『入江相政日記』侍従長

1948年7月10日
帰ってみると母上〔入江信子〕と兄上〔入江為常〕がいらっしゃった由。
その時の御話によると、高木兄上〔高木正得〕が8日の夜以来家に帰られない由。
8日の9時過ぎに京極さんの桃ちゃん〔高木正得の娘京極桃子〕の所へ行き、西荻のホームから東京行の省線に乗られたまではわかっているが、その後のことはまったくわからない由。
直感的に自殺ではないかと思う。

1948年7月11日
三笠宮から御電話で、高木兄上の一件で御相談になりたいからちょっと来てほしいとの仰せ。
いろいろお話し合った結果、手帳に書いてあることなどによって、どうも自殺ではないかと思われるということになる。
赤坂警察の署長に衣ちゃん〔高木正得の娘高木衣子〕と一緒に会う。
また御車を拝借して衣ちゃんと一緒に高樹町へ行く。
この手帳というのは昨日正順さん〔高木衣子の夫高木正順〕が学校から持って帰ったものの由であるが、姉上〔高木正得の妻入江邦子〕も非常に興奮しておられたし、万一をお案じになって三笠宮妃殿下が御殿へお持ちになった由。
しかしそれがまた誤解があってもいけず、また昆虫を殺すのに使われた青酸カリがまだある由なので、それもまた間違いがあってもいけないから予が預かろうということになり、それで高樹町に行くことになった。
暑い暑い。
焼け野原の細い道を曲がり曲がって行く時に、万感胸に迫るものがあった。
この戦争の前後から敗戦後の現在までのことがちょうど一秒間に夢ならば、非常に複雑な事件の前後を見通すことができるように、この高樹町の焼け野原の夏の暑い陽の光に今度も事件の全貌を感得したと思った。
着いてみると、母上・坊城姉上〔坊城俊良の妻入江朔子〕・京極さんの温様がみえている。
こういう状態なので、予定のように姉上に思いつめたことをなさらないようにしみじみと御話することができなかった。
しかし簡単に手帳のいきさつを御話し、問題の青酸カリをお預かりして御所へ帰る。

夕方三笠宮妃から御電話で、新聞記者がたくさんつめかけているから結局明日の新聞に出るだろうし、また正順さんがつめかけている新聞記者に会うことになったが、正順さんは大宮御所の当直なので結局節子皇太后〔貞明皇后〕に申し上げることになったとの仰せ。
両陛下の方はよろしく願うとのこと。
いろいろ考えたが、良子皇后にだけ申し上げる。
昭和天皇には明日申し上げようとの仰せ。
「早く帰って来てくれればよいが、心配でいけませんね」など、いろいろありがたいもったいない御言葉あり。

1948年7月12日
三笠宮がお出でになり、自殺説が有力になってきたと仰せられる。
これが困るので、こういうことが流布されると必ず遺書でもあったのかということになり、それからそれへとジャーナリズムにつきまとわれることになってしまう。

1948年7月14日
宮内庁次長加藤進から、「新聞記者が『高木さんの遺書が出たというのに高木家で発表しないのは、なにか三笠宮の関係があるに違いないということを共同あたりで言っている』ということを言いに来た。それも考慮に入れたらよかろう」とのこと。
坊城兄上〔坊城俊良〕と加藤宮内庁次長から言われたことにつき打ち合せの上、6時ごろ高木さんへ行く。
4時にはすでに遺書を発表したとのことで問題はなかったが、その遺書というのが正順さんと信ちゃんのことだけ言われており、清和源氏の血統云々と必ず何か言われそうなことが書かれてある。
警視庁から追分へ捜査に行くので誰か来てくれとのこと。
今度のことで遺族が非常に冷淡だという非難があるとのことで、高晴君と桃ちゃんが今夜追分へ出発とのこと。

1948年7月29日
坊城兄上と、高木さんのこと、このあいだ三笠宮妃殿下と御打ち合せしたことにつき協議、全然同感だということだった。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『近代日本の上流階級』タキエ・スギヤマ・リブラ著

一般に華族出身の情報提供者たちは、皇族に輿入れすることは望ましくないとの考えだった。
皇族が自分の娘や息子との結婚を検討中という風聞に接すると、その家族はすぐさま別の相手との結婚を取り決めるのであった。
このような縁組は〈宮様よけ〉と呼ばれたが、皇族からの縁談を断るための結婚だった。
このように皇族との婚姻が忌避される一つの理由は、娘を皇室に嫁がせる側の経済的な負担である。

妃を出す家は巨額の持参金や婚礼の費用を負担しなければならないほか、宮家の上から一番下の使用人に至るまで全員に対して常に贈り物を届け出なければならない。
そのうえ妃の実家は皇族の親族として遜色ない生活様式を維持しなければならず、皇族と皇族関係者への贈答品をはじめとして社交上の義務を果たさなければならない。
ある内部関係者によれば、この摂家の娘がある宮家に嫁ぐことが決まった時、当家の家職は持参金に含められるべきものとしてピアノなどの目録を提示してきた。
特注しなければならない高価な品物は、注文で作らせる十二単・ローブデコルテ・ダイアモンドの散りばめられた宝冠などだった。
またお妃になる女性は、書道や詩歌・茶道・華道・琴などを高名な師範について習得しなければならず、しかもそれらの経費はすべて彼女の実家が負担しなければならなかった。
さらに婚礼後は彼女の実母は盆・暮れ・正月などに宮家を訪れたが、その際には娘の義理の両親から【表】【奥】両方の使用人に至るまで全員に贅沢な贈り物を持参した。
最優的にこうした物を供出したのは妃殿下の実家ではなく、裕福な大名家出身だった母方の実家だった。
別の情報提供者は、
「運転手に至るまですべての人に贅沢な贈り物を届けて喜ばせなければ、娘がいじめられるのです」と語っていた。
彼によれば、三笠宮殿下の義理の父だった高木子爵を自殺に追いやったのは、ひとえにこのような経済的負担のためだったという。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


=========================


◆15代 高木正順 男爵木越安綱の子・婿養子になる
1913-1978 65歳没


■妻  高木衣子 14代正得の娘 
1921年生


●長男
●長女

◆11代 青山幸宣 10代青山幸哉の子 最後の藩主
1854-1930 76歳没

1879年 27歳
0027a







■1番目の妻 広幡定子 侯爵広幡忠礼の娘
1858-1879


■2番目の妻 井伊待子 彦根藩主井伊直弼の娘
1854-1904 50歳没


■3番目の妻 藤堂文子 子爵藤堂高邦の娘
1878-1945




●二男 青山幸直 12代当主
●五男 青山幸徳 子爵岩城隆徳となる
●七男 青山幸敬 中井幸敬となる

●長女 青山孝子 男爵細川潤次郎の子細川源三郎と結婚


●青山幸徳 子爵岩城隆徳となる



=========================


◆12代 青山幸直  11代幸宣の子
1884-1947


■妻  松平愛子  子爵松平乗承の娘
1887-1958

9d2183b0.jpg



●男子 青山幸寿  13代当主
●女子 青山カツコ 


幸宣&文子夫人 幸直&愛子夫人
3b5941cc.jpg



=========================


◆13代 青山幸寿 12代幸直の子
1918-1986


■妻  広岡真弓 広岡泰三の娘
1932年生

◆11代 大岡忠貫 10代大岡忠恕の子 最後の藩主
1847-1920

1879年 34歳
0034g



■前妻 土井寿子 古河藩主土井利則の娘
1919年没


■後妻 戸田照子 高徳藩主戸田忠至の娘


●女子 大岡幸子 婿養子を迎え12代当主とする
●女子 大岡米子 桑田房吉と結婚


=========================


◆12代 大岡忠量 子爵町尻量衡の子・婿養子になる
1868-1932


■妻  大岡幸子 11代忠貫の娘
1873-1936


●女子 大岡多美子 婿養子を迎え13代当主とする
●女子 大岡豊子  渾大坊一郎と結婚
●女子 大岡慶子  小林中と結婚


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
枢密院議長 倉富勇三郎男爵 日記 

大正13年3月29日
九条公爵家は充子を大岡忠量子爵の養女と為し、しかる後 分家せしめ、その上にて村瀬を入婿とする事に決したる趣なり。
大岡は九条の親族にて家計上でも九条の世話になりおる人なり。
始め充子は大岡の妻と為すつもりなりしも、家計があまり窮しおるゆえやめたるものなりとのこと。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


=========================


◆13代 大岡忠礼  子爵毛利元功の子・婿養子になる
1892-1936


■妻  大岡多美子 12代忠量の娘
1897-1939 




●長男
●長女
●二女
●三女
●四女
●五女

■東京本邸 荏原郡品川町北品川
f3dd5696.jpg



=========================


◆9代 細川行芬  8代細川立之/斉護の弟・7代細川立之の子
1810-1876


■妻  毛利満子  佐伯藩主毛利高翰の娘 
1871年没


●実子 細川立則  10代当主
●実子 細川信敬  柏原藩主織田信敬となる
●庶子 細川行真  11代当主
●庶子 細川寿長  小笠原寿長子爵となる
●庶子 細川寿巨  本庄寿巨子爵となる

●実子 細川敏子  成羽藩主山崎治正と結婚
●庶子 細川稲子  細川興増男爵と離婚・板倉勝達子爵と再婚
●庶子 細川千枝子 吉井藩主吉井信謹と結婚


●細川寿長 小笠原寿長子爵となる
0027i



●細川稲子 細川興増男爵と離婚・板倉勝達子爵と再婚
1159(2)



=========================


◆10代 細川立則 9代行芬の子
1832-1888

1879年 49歳
0049i



■妻  細川氏  谷田部藩主細川興建の娘


●男子 細川立興 12代当主
●女子 細川美子 佐伯藩主毛利高謙と結婚


=========================


◆11代 細川行真 10代立則の弟/9代行芬の子
1842-1902

1879年 39歳
0039x





■前妻 中川栄子 岡藩主中川久昭の娘・細川行真と離婚・小野鉄太郎と再婚
1849-1922


■後妻 松平里子/済子 明石藩主松平斉韶の娘・沢為量子爵の子沢宣種と離婚・細川行真と再婚
1851-1913


●二男 細川侃次郎 毛利高範子爵となる
●庶子 細川行雄  津軽行雄男爵の娘津軽理喜子の婿養子になるが離婚

●長女 細川元子  三浦清吉と結婚
●二女 細川澄子  南部信方子爵と結婚
●四女 細川宝子  小出英延子爵と結婚


●細川澄子 南部信方子爵と結婚



●細川宝子 小出英延子爵と結婚
1026(2)



=========================


◆12代 細川立興 10代立則の子
1871-1959




■妻  上杉千鶴子 米沢藩主上杉斉憲の娘 
1877-1965




●長男 細川立暢 13代当主
●二男 細川立業 佐双立業となる
●三男 細川立俊

●長女 細川章子 木村仲二郎と結婚


●細川立業 佐双立業となる



●細川章子 木村仲二郎と結婚



=========================


◆13代 細川立暢 12代立興の子
1896-1980




■前妻 水野敬子 水野忠亮子爵の娘 
1903-1939


■後妻 鍋島峰子 鍋島直和子爵の娘 
1913年生


■1939年 鍋島峰子 152センチ・学習院出身・趣味はピアノ・ヴァイオリン
0065



●長女

このページのトップヘ