直球和館

2025年

2016/02

◆10代 池田政善  8代池田政養の子
1811-1847


■妻  山内仲子 福原資敬の実娘・山内豊敬の養女


●女子 池田宇多子 岡山藩主池田慶政と結婚


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◆11代 池田政詮/池田章政 人吉藩主相良頼之の子・養子になる

*岡山藩主となり当家を離れる


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◆12代 池田政鋹 子爵池田詮政の子
1899-1945


■前妻 壬生綾子 伯爵壬生基義の娘 
1902-1929


■後妻 戸田愛子 伯爵戸田氏秀の娘・子爵大久保忠言と離婚・池田政鋹と再婚
1905-1987


●女子 池田篤子 婿養子を迎え14代当主とする


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◆13代 池田政保 侯爵池田章政の子
1865-1939

1879年 17歳
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■前妻 池田千代子 岡山藩主池田慶政の娘・死別
1865年生


■後妻 戸田銓子  子爵戸田氏良の娘 
1879-1954




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◆14代 池田政忠 子爵小笠原恒の子・婿養子になる
1921年生


■妻  池田篤子 12代政鋹の娘
1927年生


●政寛
●政宜

◆10代 黒田直養 黒田直古の子・養子になる 最後の藩主 
1849-1919


■妻  堀清子 村松藩主堀直央の娘


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◆11代 黒田和志 対馬藩主宗義和の子・婿養子になる
1851-1917





■妻  黒田鏻子 9代直和の娘
1863-1925




●男子 黒田広志 12代当主
●男子 黒田貞志
●男子 黒田武志 宗武志伯爵となる 大韓帝国皇帝高宗の娘李德恵と離婚・勝村良江と再婚

●女子 黒田梅子 斉藤長樹と結婚
●女子 黒田篤子 河田以備三と結婚・草間滋と再婚
●女子 黒田敏子 星野亀年と結婚
●女子 黒田章子
●女子 黒田淑子


●黒田貞志



●黒田武志 宗武志伯爵となる
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●黒田梅子



●黒田敏子


1913年
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左:黒田章子 右:黒田淑子



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◆12代 黒田広志 11代和志の子
1880-1938


■妻  児玉千枝 士族児玉利明の娘
1888-1967


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●男子 黒田経志 13代
●男子 黒田泰志 氏江泰志になる

●女子 黒田幸子 野村亨と結婚
●女子 黒田雅子 海軍米倉冬彦と結婚


1933年雅子はエチオピアのリジ・アリア・アベベ王子が日本女性を妻にしたいという記事を見て両親に無断で応募、応募者350人の中から第一候補に選ばれたが成立しなかった。
1934年にはモンゴル王子との縁談が持ち上がったがこれも成立せず、
1935年日本人男性と結婚した。


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『木戸幸一日記』内大臣※当時は宗秩寮総裁

1934年4月2日
近来話題の中心となれるエチオピア皇族と黒田雅子嬢の結婚談は、先方より取り消し来りたりとの情報あり。
一場のナンセンスに終わりしか。
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◆13代 黒田経志 12代広志の子
1914-1986


■妻  木俣薫子 木俣波男の娘
1923年生


●長男
●長女

◆14代 大関増徳 篠山藩主青山忠良の子・婿養子になる

1879年 42歳
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■前妻 大関鉱子 12代大関増儀の娘・14代大関増徳と結婚・15代大関増裕と再婚  




■後妻 早川仲子 篠山藩からついてきた腰元




●男子 大関釥  1874年生 士族榊原伊三郎の娘榊原ミサコと結婚
●男子 大関寛  1880年生 陸軍一戸寛となる

●女子 大関銑子 1870年生 土井利与子爵と結婚離婚
●女子 大関珪子 1872年生 大沼盾雄男爵と結婚
●女子 大関雪子 1877年生 陸軍風野光四郎と結婚


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小野寺百合子 大久保春野男爵の孫・一戸寛の娘・小野寺信の妻

父方の祖父大関増徳は篠山藩主青山家から黒羽藩主として婿養子に来たのに、家付姫様を嫌って離婚し早々と隠居してしまった。
家臣たちがどんなに苦労して廃藩置県まで黒羽藩を持ちこたえたかわからないのに一向にお構いなく、自分勝手な暮らし方をした。
幕府の手前困りに困った家老たちは「殿様発狂」という届を出して城内に座敷牢を作り、幕府から役人が検分に来た時だけ座敷牢の中に閉じ込め、一方で急遽養子を探したという。
横須賀藩の西尾家から増裕が養子になり一安心したわけだが、この大関増裕は31歳の若さで狩場で謎の死を遂げる。
大関家ではその死を秘して、また大急ぎで次の養子を探さなければならなかった。
やっと府中藩の松平家から増勤を養子に迎え、かろうじて明治維新まで大関家を繋ぎ得たのだった。

私の祖父大関増徳は隠居して北の丸の屋敷に入ると、篠山藩から従って来た腰元早川ナカと結婚してしまった。
当時のことだから戸籍は無かったとしても、正室ではなかった。
だが生まれた子供はいずれも大関家の若君姫君として育てられた。
一人の娘は新宿土井子爵〔?〕に嫁したが離婚して戻って来て一生を父母の元で暮らし、二人の娘は家老の大沼家と風野家に嫁している。

維新の前に若隠居した増徳は一生なんの職にも就かず仕事もせず、死ぬまで大関家の大御所として威張って暮らしていた人である。
増徳夫妻は内藤家に嫁いで戻って来た娘と渋谷の小さな借家で、大関家の仕送りで暮らしていた。
増徳が死んだ時には増輝が当主であった。
私の父一戸寛は増徳の末っ子であったが、戸籍謄本を見ると大関増輝の大伯父となっている。
自分勝手に子供を生ませては養家に育てさせて、自分は先々々代の殿様として隠居生活を送った人だったのだ。
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◆15代 大関増裕 横須賀藩系西尾忠宝の子・婿養子になる
1838-1868

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■前妻 大関鉱子 12代大関増儀の娘・14代大関増徳と結婚・15代大関増裕と再婚 


■後妻 大関侍子 14代大関増徳の養女
1839年生


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◆16代 大関増勤    常陸府中藩系松平頼功の子・養子になる 最後の藩主
1849-1905

1879年 29歳
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■前妻 鍋島敏子    蓮池藩主鍋島直与の娘
1852年生


■後妻 生駒年子    矢島藩主生駒親敬の娘・男爵生駒親承と死別・大関増勤と再婚
1867-1900


●長男 大関増輝    1879年生 17代当主
●男子 大関春雄    1887年生 

●女子 大関鉄子    1874年生
●女子 大関増子    1875年生 平野長祥男爵と結婚
●女子 大関【金策】子 1877年生 士族西禎蔵と結婚
●女子 大関栄子    1880年生 三浦英太郎男爵と結婚
●女子 大関鉱子    1888年生 華族三浦正太郎と結婚
●女子 大関鋠子    1892年生 華族渡辺鹿児麿と結婚
●女子 大関鈴子    1894年生
●女子 大関千代子   1897年生 城間恒人と結婚
●女子 大関鉎子    1900年生 岡野健三と結婚


●大関増子 平野長祥男爵と結婚
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◆17代 大関増輝 16代大関増勤の子
1879-1964




■妻  山内寿子 山内豊範侯爵の娘
1886-1938




●男子 大関秀雄  1910年生  
●四男 大関敏雄  1911年生 
●五男 大関輝雄 
●男子 大関和雄  1919年生 18代当主
●男子 大関裕   1923年生 

●女子 大関輝美子 1912年生 
●三女 大関恵美子 1916年生 
●女子 大関久美子 1927年生 大友義夫と結婚
●女子 大関登美子 1935年生 


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◆18代 大関和雄 17代大関増輝の子
1919年生


■妻  山本和子 山本猛之助の娘
1922年生


●長男
●長女

◆11代 内藤文成 10代内藤政文の子 最後の藩主
1856-1901

1879年 26歳
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●女子 内藤操子 一柳直徳子爵と結婚


●内藤操子 
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◆12代 内藤政共 8代政成の子
1859-1902

1879年 22歳
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■妻  槙良子  槙正直男爵の娘
1870-1896


●男子 内藤政光 13代当主


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万朝報 1898年

子爵内藤政共の妾安藤シゲ(34歳)は神戸の魚屋の娘にて素性はなはだ賤しき者なれども、先年子爵の母君卒し夫人良子また世を去りし以来、シゲはあたかも夫人の位置に立ちて威権を振るいおれるが、亡人達の仏事を粗略にするのみか万事につけてワガママの振る舞い多きため邸内の評判はなはだよろしからず。
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◆13代 内藤政光 12代政共の子
1891-1961

1129(1)



■妻  松平道子 松平頼平子爵の娘
1899-1988

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◆14代 内藤政恒  内藤政挙子爵の子が養子になる
1907-1970


■妻  中御門理子 中御門経恭侯爵の娘
1917年生


●男子 内藤政武 15代当主
●男子 内藤従光 柳原承光伯爵の娘柳原順子の婿養子になる
●男子 内藤政忠 西堀泰子と結婚


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◆15代 内藤政武  14代政恒の子 
1938年生


■妻  谷口美知子 谷口貞三の娘
1939年生


●長男

◆14代 松前章広 13代松前道広の子
1775-183 58歳没


■妻  花山院敬子/知子 公家花山院常雅の娘
1776-1834


●実子 松前見広→子は15代当主と16代当主
●庶子 松前崇広 17代当主

●女子 松前染子 公家高野保右と結婚
●女子 松前欣子 蛎崎広得と結婚
●女子 松前伊勢 松平定央と結婚
●女子 松前初子 松前広重と結婚


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■夫  松前見広 14代章広の子
1805-1927 22歳没


■妻  井上友子 浜松藩主井上正甫の娘
1815-1837


●長男 松前良広 15代当主
●二男 松前昌広 16代当主


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◆15代 松前良広 14代章広の孫/松前見広の子
1823-1839 16歳没


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◆16代 松前昌広 14代章広の孫/松前見広の子
1825-1853 28歳没


■妻  本多波子 神戸藩主本多忠升の娘・松前昌広と死別・牛久藩主山口弘敞と再婚
1829-1890


●男子 松前徳広 18代当主


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◆17代 松前崇広 14代松前章広の子
1829-1866 36歳没



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■妻  相馬維子 中村藩主相馬益胤の娘 
1852-1867


●男子 松前隆広 男爵松前隆広となる

●長女 松前武子 子爵喜連川縄氏と結婚・子爵戸田忠行と再婚
●三女 松前邦子 公家清水谷公考と結婚・高梨鉄造と再婚
●女子 松前増子 天童藩主織田信敏と結婚・子爵井伊直安と再婚


●松前隆広 男爵松前隆広となる



●松前増子 天童藩主織田信敏と結婚・子爵井伊直安と再婚
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◆18代 松前徳広 16代昌広の子
1844-1869 24歳没




■妻  内藤光子 岩村田藩主内藤正縄の娘
1846-1869 23歳没


●長男 松前修広 19代当主

立つ 徳弘&光子夫妻
座る 崇広夫人と昌広夫人か
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◆19代 松前修広 18代徳広の子 最後の藩主
1865-1905 40歳没

1879年 16歳
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■前妻 本多藤子 飯山藩主本多助実の娘・松前修広と離婚・青木禅月と再婚
1869-1907



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■後妻 南部瑩子/貴子 盛岡藩主南部利剛の娘・松前修広と死別・子爵鍋島直虎と再婚
1871-1936 65歳没

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●男子 松前勝広 20代当主
●男子 松前俊広 士族蠣崎俊広となる


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◆20代 松前勝広 19代修広の子
1869-1940 71歳没

1193(2)



■妻  大藪スガ 実業家大藪房次郎の娘
1893-1967 74歳没


●長男

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