直球和館

2025年

2016/03

■東京本邸 下谷区入谷町(現:台東区入谷)
1169(2)



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◆25代 京極朗徹 京極高周の子・婿養子になる 最後の藩主
1828-1882

1879年 53歳
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■妻  京極十子 24代高朗の娘 
1836-1852


●長女 京極藤子 子爵有馬頼之と結婚


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◆26代 京極高徳  京極高岑の子・養子になる
1858-1928

1879年 23歳
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1169(1)



■妻  山内熊子  山内豊樹の娘 
1860-1936


●男子 京極高修  27代当主
●男子 京極高文  多度津藩京極高備子爵の娘万喜子の婿養子になる
●男子 京極定   篠田美喜代と結婚
●男子 京極敦   三崎敦となる
●男子 京極譲   松平譲となる

●女子 京極八重子 子爵池田政時と結婚
●女子 京極春子  稲田英昌と結婚
●女子 京極多幾子 本多忠鋒子爵と結婚
●女子 京極茂子  川口義久と結婚
●女子 京極政子  岡崎正雄と結婚
●女子 京極富子  中江竜二と結婚
●女子 京極豊子  子爵入江為常と結婚


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◆27代 京極高修  26代高徳の子
1891-1967

1169(3)



■妻  徳川温子  水戸徳川昭武の娘
1901年生

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●長男 京極高晴  28代当主

●長女 京極秀子  田中穣二の妻
●二女 京極寿実子 川越敬の妻
●三女 京極千代子 須見裕の妻
●四女 京極貴子  相羽忠敏の妻


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◆28代 京極高晴 27代高修の子
1923-2002


■妻  高木桃子 高木正得子爵の娘・姉は三笠宮百合子妃
1923年生


●長男
●二男

東京本邸 赤坂区一ツ木町(現:港区赤坂)
1101(3)



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◆30代 伊東祐相 28代伊東祐民の子
1812-1874

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■前妻 水野甫子 浜松藩主水野忠邦の娘


■後妻 不明   勝山藩主三浦一族の娘


●長男 伊東祐帰 31代当主

●女子 不明   鯖江藩主間部詮実と結婚
●女子 伊東宏子 松代藩主真田幸民と結婚
●女子 伊東栄子 子爵亀井茲明と結婚
●女子 伊東雅子 志筑藩主本堂親久と結婚
●女子 伊東養子 子爵亀井茲明と結婚
●女子 伊東久子 大聖寺藩主前田利鬯と結婚


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◆31代 伊東祐帰 30代祐相の子 最後の藩主 
1855-1894

1879年 26歳
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■1番目の妻 木下千賀 日出藩主木下俊敦の娘
1875年没


■2番目の妻 岩倉文子 公家岩倉具慶の娘
1881年没


■3番目の妻 酒井久子 小浜藩主酒井忠義の娘
1862-1910


●長男 伊東祐弘 21代当主
●長女 伊東彜子 子爵吉田良正と結婚


●伊東彜子 子爵吉田良正と結婚
6016(2)



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◆32代 伊東祐弘 31代祐帰の子 
1880-1931

1100(1)



■妻  松平経子 子爵松平康民の娘 
1886-1967

1100(2)



●男子 伊東祐淳 33代当主
●女子 伊東綏子 飯田照夫と結婚


●伊東綏子 飯田照夫と結婚
1101(2)



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◆33代 伊東祐淳 32代祐弘の子
1907-1990

1101(1)



■妻  石井英子 日本郵船石井徹の娘 
1912年生


●長男
●二男

◆14代 榊原政敬 11代榊原政令の子 最後の藩主
1843-1927 84歳没


■前妻 有馬久仁子 丸岡藩主有馬温純の娘・離婚
1850年生


■後妻 前田礼子  金沢藩主前田慶寧の娘
1854-1899


★側室 長瀬庸   後妻礼子の侍女
1956年没 78歳没


●女子   榊原重子 伊藤忠寿と結婚
●後妻の子 榊原彜子 15代当主の前妻
●庸の子  榊原鑑子 15代当主の後妻


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『高松宮日記』

※榊原政春の妻徳川喜佐子は高松宮喜久子妃の妹

1942年9月8日
喜佐子来邸、オバーサンと折り合い悪し趣。
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榊原喜佐子 榊原政春の妻・公爵徳川慶久の娘 

<本妻の死後増長する側室>

長瀬庸は正室礼子に付いて前田家から来た侍女だったが、礼子が大変身体が弱かったため祖父の御手が付いて政和の後妻鑒子を産んだのだ。
当時側室はあくまでも御女中と見なされたが、後にお子様たちの世話をすることになって「おばあ様」と呼ばれるようになったのだという。

長瀬は派手好きで目端のきく人だった。
だから祖父に気に入られたのであろう。
弟たちも、ことに幼かった末の弟二人は母親同然に慕っていた。
そして私はと言えば、そういう家族の間で長い間家を守りながら、兄弟が仲良く暮らしていくにはどうすれば良いか絶えず神経をすり減らしてきたように思う。

嫁いで2年目、夫が出征中の事だった。
私は家の相談役で日本金属工業社長だった田沼義三郎氏を会社に訪ねた。
すると氏はいきなり立ち上がり、改まった口調でこう切り出した。
「奥様にお詫び申し上げねばならない事があります。5人のお子たちのお世話をしてもらうのだから、
長瀬を「おばあ様」と呼んではどうかと勧めたのは自分です。いや、大失敗でした」
と深々と頭を下げたのだ。
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◆榊原政和 榊原職政の子・婿養子になる
1868-1927 59歳没


■前妻 榊原彜子 14代榊原政敬の娘 
1875-1906 31歳没


■後妻 榊原鑒子 14代榊原政敬の娘・前妻の妹
1892-1926 34歳没


●前妻の子 榊原政職 早逝
●後妻の子 榊原政春 16代当主
●後妻の子 榊原政徳
●後妻の子 榊原政道
●後妻の子 榊原政行
●後妻の子 榊原政美
●後妻の子 榊原政明 早逝


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榊原喜佐子 榊原政春の妻・公爵徳川慶久の娘

榊原家は本来7人兄弟だった。
そのうち兄政職は23歳で末の弟政明は3歳で亡くなり、私が嫁いだ時には夫の下に政徳・政道・政行・政美と4人の弟たちがいた。
私と夫は10歳の歳の差があったから、いずれも私より年長だった。

政徳は九州大学を卒業、勤めていた満州重工から召集。
学習院時代には野球部に在籍し、東急の五島昇氏とともに投手捕手のコンビを組んでいたという。
夫はこの弟の事を「徳さん、徳さん」と呼んでいた。
他の弟は「ちゃん」付けだったから、彼には一目置いていたのであろう。
ただしその「徳さん」は早くから榊原家の事から逃げて、とかく自己本位に楽しんで生きる調子のいい人だった。
酒好きがこうじて3回も脳出血を起し、妻に先立たれてボケがひどくなった。
今は老人ホームで『ヤンシューかもめ』を歌うのが楽しみだという。

政道は学習院から九州大学を卒業、日本鋼管に入社した。
どこかひ弱な感じがあった。兄弟中で一番優しかったように思う。
長瀬の対応にとまどっている私に、「そう大事にしなくていいんだよ」と声をかけてくれたのも彼だった。
昭和19年に召集が来て、戦後になってフィリピン諸島で戦死との報があった。
26歳だった。

政行は学習院から九州大学を卒業、三井造船に就職したがほどなく召集、復員後は私たちと共に暮らしながら再び三井造船に勤めた。
ところがその後労働争議がきっかけで会社を辞め、以後まったく働かなくなった。
それからおよそ13年、競馬に打ち込むなどすさんだ暮しを続ける。
彼は性格が強く、どこか夫と似ていたと思う。
だから逆に反発もあったのだろうか。
長く暗いトンネルを抜け出て妻とともに始めた会社を軌道に乗せていたが、食道ガンに襲われた。
13年の遅れを取り戻そうとしたのだろうか、
医者にも行かずひたすら仕事に熱中し、手遅れとなり69歳で亡くなった。

政美は身体が弱く学習院を出た後園芸学校に入学したというが、私が来た頃は獣医学校に通っていた。
卒業後どうしても人間の医師になりたいと熊本医科大学を受験、見事合格して医者となった。
アリナミンを開発し世に出した。
しかし新築したばかりに二階の階段から落ちて脊椎を損傷、頑張り屋の彼はリハビリに励んだ結果両手だけは動かせるようになり、81歳の現在もなお内科医師として診察を続けている。
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◆16代 榊原政春  15代榊原政和の子
1911-2002


■妻  徳川喜佐子 公爵徳川慶久の娘・姉は高松宮喜久子妃
1921-2013 92歳没


●長男
●長女

◆14代 榊原政敬 11代榊原政令の子 最後の藩主
1843-1927 84歳没

1879年 38歳
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■前妻 有馬久仁子 丸岡藩主有馬温純の娘・離婚
1850年生


■後妻 前田礼子  金沢藩主前田慶寧の娘
1854-1899




★側室 長瀬庸   後妻礼子の侍女
1956年没 78歳没




●女子   榊原重子 伊藤忠寿と結婚
●後妻の子 榊原彜子 15代当主の前妻
●庸の子  榊原鑑子 15代当主の後妻


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◆15代 榊原政和 榊原職政の子・婿養子になる
1868-1927 59歳没




■前妻 榊原彜子 14代榊原政敬の娘 
1875-1906 31歳没


■後妻 榊原鑒子 14代榊原政敬の娘・前妻の妹
1892-1926 34歳没



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●前妻の子 榊原政職 早逝
●後妻の子 榊原政春 16代当主
●後妻の子 榊原政徳
●後妻の子 榊原政道
●後妻の子 榊原政行
●後妻の子 榊原政美
●後妻の子 榊原政明 早逝


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◆16代 榊原政春 15代榊原政和の子
1911-2002




■妻  徳川喜佐子 公爵徳川慶久の娘・姉は高松宮喜久子妃
1921-2013 92歳没

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●長男
●長女

◆14代 前田利鬯 金沢藩主前田斉泰の子・養子になる 最後の藩主
1841-1920



1879年 40歳
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■前妻 伊東久子 飫肥藩主伊東祐相の娘


■後妻 前田祉子 富山藩主前田利保の娘
1846-1918




●女子 前田隆子 子爵稲葉正縄と結婚
●女子 前田亀子 婿養子を迎え15代当主とする


●前田隆子 子爵稲葉正縄と結婚
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◆15代 前田利彭 子爵前田利昭の子・婿養子になる
1883-1945


■妻  前田亀子 14代利鬯の娘
1878-1949


●男子 前田利満 16代当主
●女子 前田文子 今枝外二と結婚


●前田文子 今枝外二と結婚


1926年
1926-1012



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◆16代 前田利満 15代利彭の子・廃嫡
1905年生





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前田利満は学習院中学時代から奔放になり、留学の名目でアメリカに送られてしまう。
エキセーター高校・ハノーバー大学を卒業して帰国したが日本の生活が性に合わず、すぐにメキシコに渡る。
メキシコでは農産物のブローカーをして、現地の女性エスペランとの間にヨルダとノルマという二人の娘をもうけた。
これを知った前田家は驚き、日本へ帰国させる。
親族会議で外国人女性との結婚は認められず、隠居に追い込まれる。
前田家では本家前田利為侯爵の子利弘を迎え子爵を継がせた。
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◆17代 前田利弘  侯爵前田利為の子・養子になる
1929年生


■妻  鈴木三和子 鈴木荘一の娘
1928年生


●長男

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