◆10代 保科正益 9代保科正丕の子 最後の藩主
1833-1888
1879年 48歳
■妻 伊達節子 宇和島藩主伊達宗紀の娘
1840-1905
●二男 保科咸次郎 男爵楠田咸次郎となる
●三男 保科正昭 11代当主
●長女 保科寧子 財閥岩崎久弥男爵と結婚
●二女 保科尚子 伯爵佐野常羽と結婚
●三女 保科建子 沢田鋓義と結婚
●保科咸次郎 男爵楠田咸次郎となる
●保科寧子 財閥岩崎久弥男爵と結婚
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◆11代 保科正昭 10代保科正益の子
1883-1947
■妻 北白川宮武子女王 北白川宮能久親王の娘
1890-1977
●長男 保科光正 12代当主
北白川宮武子女王は藤堂高紹伯爵と婚約していたが、
藤堂は留学中に密かにイギリス人女性と結婚、
帰国後その事実が発覚して大問題となり破談となった。
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長※当時は宗秩寮職員
*倉富勇三郎は有馬伯爵家の相談役でもあった
1920年10月26日
※有馬頼寧伯爵の発言(有馬の妻貞子女王と武子女王は姉妹)
保科正昭、先年来朝鮮京城にあり。
夫人武子は東京にあり。
先頃保科より、近々総督府の技師を辞して東京に帰る旨を通知し来り。
親族にても喜びおりたるところ、聞くところによれば保科は京城にて妓女に通じ既に懐妊しおるとの事なり。
よりて先日伯爵二荒芳徳〔二荒の妻拡子女王と武子女王は姉妹〕と協議し、いかに処置すべきや談合の末、まず事実を確かめる必要を生じたる、もみだりに問い合す事もできず。
君は京城に知人あるにつき、君に依頼して取り調べもらう事に話し合いたるゆえ、しかるべく問い合せてくれよ。
※有馬頼寧伯爵の発言(有馬の妻貞子女王と武子女王は姉妹)
武子は初め藤堂高紹に嫁するつもりのところ、藤堂が外国婦人の関係ありたるため破談となり、藤堂との婚約まだ破れざる時、保科より貰い受ける様の話をなしたる事あり。
しかるに藤堂との婚約破れたるより、北白川宮富子妃は一も二もなく保科に嫁せしむることに決したるが、保科はこの結婚を喜ばず。
結婚後 朝鮮へ行き既に7年になれり。
武子は病身にて朝鮮に行きがたく、今日のごとき事となりたる次第なり。
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左から 貞子女王 満子女王 拡子女王 武子女王
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◆12代 保科光正 11代保科正昭の子
1914-1945
■妻 徳川順子 公爵徳川家正の娘・保科光正と死別・関根勇吉と再婚
1919年生
●長男 保科正興 13代当主
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『高松宮日記』
1941年11月9日
保科・徳川の〔保科正昭子爵の子保科光正&徳川家正公爵の娘徳川順子〕御披露にて会館に行く。
保科さんも大人だし、お嫁さんは身体大きいし、なんとなく華々しさのない御披露だったが、落ち着いた気分だった。
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酒井美意子 前田利為侯爵の娘・酒井忠元伯爵の妻
作家有馬頼義の小説『姦淫の子』は、徳川公爵家の三女で保科子爵家の保科光正氏に嫁いだ順子さんの再婚物語である。
夫君の光正氏は外交官で夫妻は光り輝くばかりの美男美女であったが、光正氏は戦争中に死亡したので、未亡人の順子さんは三井鉱山勤務の関根勇吉氏と恋愛・再婚したのである。
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◆13代 保科正興 12代保科光正の子
1943年生
■妻 西方雅子 西方潔の娘
1943年生
●長男
●長女
●二女
2018年 保科正興の娘
1833-1888
1879年 48歳
■妻 伊達節子 宇和島藩主伊達宗紀の娘
1840-1905
●二男 保科咸次郎 男爵楠田咸次郎となる
●三男 保科正昭 11代当主
●長女 保科寧子 財閥岩崎久弥男爵と結婚
●二女 保科尚子 伯爵佐野常羽と結婚
●三女 保科建子 沢田鋓義と結婚
●保科咸次郎 男爵楠田咸次郎となる
●保科寧子 財閥岩崎久弥男爵と結婚
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◆11代 保科正昭 10代保科正益の子
1883-1947
■妻 北白川宮武子女王 北白川宮能久親王の娘
1890-1977
●長男 保科光正 12代当主
北白川宮武子女王は藤堂高紹伯爵と婚約していたが、
藤堂は留学中に密かにイギリス人女性と結婚、
帰国後その事実が発覚して大問題となり破談となった。
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長※当時は宗秩寮職員
*倉富勇三郎は有馬伯爵家の相談役でもあった
1920年10月26日
※有馬頼寧伯爵の発言(有馬の妻貞子女王と武子女王は姉妹)
保科正昭、先年来朝鮮京城にあり。
夫人武子は東京にあり。
先頃保科より、近々総督府の技師を辞して東京に帰る旨を通知し来り。
親族にても喜びおりたるところ、聞くところによれば保科は京城にて妓女に通じ既に懐妊しおるとの事なり。
よりて先日伯爵二荒芳徳〔二荒の妻拡子女王と武子女王は姉妹〕と協議し、いかに処置すべきや談合の末、まず事実を確かめる必要を生じたる、もみだりに問い合す事もできず。
君は京城に知人あるにつき、君に依頼して取り調べもらう事に話し合いたるゆえ、しかるべく問い合せてくれよ。
※有馬頼寧伯爵の発言(有馬の妻貞子女王と武子女王は姉妹)
武子は初め藤堂高紹に嫁するつもりのところ、藤堂が外国婦人の関係ありたるため破談となり、藤堂との婚約まだ破れざる時、保科より貰い受ける様の話をなしたる事あり。
しかるに藤堂との婚約破れたるより、北白川宮富子妃は一も二もなく保科に嫁せしむることに決したるが、保科はこの結婚を喜ばず。
結婚後 朝鮮へ行き既に7年になれり。
武子は病身にて朝鮮に行きがたく、今日のごとき事となりたる次第なり。
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左から 貞子女王 満子女王 拡子女王 武子女王
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◆12代 保科光正 11代保科正昭の子
1914-1945
■妻 徳川順子 公爵徳川家正の娘・保科光正と死別・関根勇吉と再婚
1919年生
●長男 保科正興 13代当主
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『高松宮日記』
1941年11月9日
保科・徳川の〔保科正昭子爵の子保科光正&徳川家正公爵の娘徳川順子〕御披露にて会館に行く。
保科さんも大人だし、お嫁さんは身体大きいし、なんとなく華々しさのない御披露だったが、落ち着いた気分だった。
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酒井美意子 前田利為侯爵の娘・酒井忠元伯爵の妻
作家有馬頼義の小説『姦淫の子』は、徳川公爵家の三女で保科子爵家の保科光正氏に嫁いだ順子さんの再婚物語である。
夫君の光正氏は外交官で夫妻は光り輝くばかりの美男美女であったが、光正氏は戦争中に死亡したので、未亡人の順子さんは三井鉱山勤務の関根勇吉氏と恋愛・再婚したのである。
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◆13代 保科正興 12代保科光正の子
1943年生
■妻 西方雅子 西方潔の娘
1943年生
●長男
●長女
●二女
2018年 保科正興の娘




























