直球和館

2025年

2016/03

◆15代 瀧脇信広 伊達宗城伯爵の子 養子になる
1865-1913


■前妻 田沼智恵 遠江相良藩主田沼意尊の娘 離婚して伏原望を婿養子に迎え田沼子爵家を継ぐ
1867-1873


■後妻 宮崎鏞子 宮崎利央の娘 
1870-1941


●男子 瀧脇信鑰
●女子 瀧脇基子 金光文孝と結婚


=========================


◆16代 瀧脇信鑰 15代信広の子
1893年生


=========================


◆17代 瀧脇宏光 古市公威男爵の子 養子になる
1888-1964


■前妻 田口久子 実業家田口義三郎の娘 自殺
1896-1934


■後妻 越石アキ 越石権三郎の娘
1904-1973


●前妻の子 瀧脇芳子
●前妻の子 瀧脇光子  南平次と結婚
●前妻の子 瀧脇タキ  野崎道朗と結婚
●前妻の子 瀧脇ヒロコ 高千穂交易鍵谷武雄と結婚


1914年 前妻 久子夫人
191401(1)



当主となった養子瀧脇宏光は官僚出身の実業家であったが、相当借金を抱えていた。
昭和9年9月5日、宏光は家庭不和を理由に宮内省に離婚願いを提出する。
10日後 妻久子がカルモチン自殺で死亡、宏光は自殺の事実を伏せて心臓マヒという診断書を書いてもらう。
しかし久子の父田口義三郎がこれに不審を抱き、娘の死因の究明を宮内省に願い出る。
この間に宏光は借金返済の件でも訴えられる。
宮内省は離婚問題以外にも宏光の良からぬ噂をつかんでいたが結局証明できず、すべてはうやむやになった。
その後 宏光は再婚する。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『木戸幸一日記』内大臣※当時は宗秩寮総裁

1934年9月25日
宮内大臣宛に瀧脇宏光子爵に関する投書あり。
瀧脇久子夫人の離縁問題についてはかねて不審を懐ける点もあり、警視庁と連絡を取ることとす。

1934年10月18日
〔瀧脇久子の父〕田口義三郎氏来庁。
瀧脇久子夫人の死につき陳情するところあり。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

◆3代 南部信民  南部信也の子・養子になる
1833-1900

1879年 48歳
0048d



■前妻 前田睦子  七日市藩主前田利和の娘
1838-1861


■後妻 細川瑳久子 谷田部藩主細川興建の娘
1834-1905


=========================


◆4代 南部信方 盛岡藩主南部利剛の子・養子になる 最後の藩主
1858-1923

1879年 23歳
0023e


1157(1)



■前妻 土井亀子 刈谷藩主土井利善の娘
1863年生


■後妻 細川澄子 子爵細川行真の娘
1871-1945


●女子 南部信子 男爵島津壮之助と結婚
●女子 南部民子 鍋島茂明と結婚
●女子 南部静子 岡琢郎と結婚
●女子 南部正子 婿養子を迎え5代当主とする


1157(2)



=========================


◆5代 南部信孝 鍋島直大侯爵の子・婿養子になるが離婚
1888年生


■妻  南部正子 4代信方の娘
1894-1948


=========================


◆6代 南部信俊 伊賀氏広の子・養子になる
1914-1966


■妻  山内礼子 山内豊厳の娘
1928年生


●長男
●長女
●二女

◆7代 柳沢光昭  郡山藩主柳沢保泰の子・養子になる
1823-1900

1879年 58歳
0058c



■前妻 小笠原邦子 小倉新田藩主小笠原貞哲の娘
1825-1843


■後妻 不明    畑村藩主戸田氏宥の娘


●長男 柳沢保恵  伯爵柳沢保恵となる  
●二男 柳沢高敏  子爵京極高厚の娘京極礼子の婿養子になる

●女子 柳沢鶴子  婿養子を迎え8代当主とする


●柳沢高敏 子爵京極高厚の娘京極礼子の婿養子になる
1122(1)



=========================


◆8代 柳沢光邦    幕臣武田信之の子・婿養子になる
1854-1923

1879年 27歳
0027c


1000



■前妻 柳沢鶴子    7代光昭の娘
1861-1881


■後妻 那須飛佐子   那須資興の娘
1863-1919


●三男 柳沢光治    9代当主

●長女 柳沢斐子    子爵津軽類橘と結婚
●三女 柳沢鉚子    子爵京極高義と結婚
●四女 柳沢房子/宣子 伯爵山田英夫と結婚


立つ左から 光治 柳沢光邦
座る左から 宣子 飛佐子夫人 斐子 鉚子
1064(1)



●柳沢斐子 子爵津軽類橘と結婚
1123(1)



●柳沢鉚子 子爵京極高義と結婚



=========================


◆9代 柳沢光治 8代光邦の子
1891-1957


■妻  中山エイ 中山幸三郎の娘
1897-1987


●長女
●二女
●三女

◆10代 岡部長慎 9代岡部長備の子
1787-1859 71歳没


■前妻 松平丈子  上田藩主松平忠済の娘


■後妻 青山久二  八幡藩主青山幸孝の娘


●庶子 岡部直吉  1807年生 11代当主岡部長和
●庶子 岡部第二郎 1809年生 13代当主岡部長寛
●庶子 岡部武之丞 1834年生 12代当主岡部長発

●庶女 岡部於彪  1808年生 鳥取新田藩主池田定保と結婚
●庶女 岡部於啓  1814年生 平戸藩主松浦曜と結婚
●庶女 岡部賀子  1830年生 本荘藩主六郷政殷と結婚


=========================


◆11代 岡部長和 10代岡部長慎の子
1807-1850 43歳没


■妻  中川貴子 岡藩主中川久貴の娘
1811-1857


●女子 岡部楠子 1848年生 小諸藩主牧野康済と結婚
 

=========================


◆12代 岡部長発 10代岡部長慎の子
1834-1855 21歳没


■妻  鳥居冬青  壬生藩主鳥居忠挙の娘
1838-1912 74歳没


●男子 岡部弥次郎 1855年生 14代当主岡部長職

●女子 岡部武子  1854年生 六郷政鑑子爵と結婚


=========================


◆13代 岡部長寛 10代岡部長慎の子
1809-1887 77歳没


■妻  岡部於熊  岡部長貞の娘


●男子 岡部長興
●男子 岡部長美  1855年生 村上藩主内藤信美となる
●男子 岡部長融       朝比奈長融となる

●女子 岡部鎮子  1850年生 明石藩主松平直致と結婚
●女子 岡部鐮子  1852年生 福島藩主板倉勝己と結婚・岩村藩主松平乗命と再婚
●女子 岡部鑅子       岡部長道と結婚・渋谷達性と再婚



=========================


◆14代 岡部長職 12代岡部長発の子
1855-1925 70歳没


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『横から見た華族物語』昭和7年出版

岡部長職子爵は外国の知識も多少持ち合せていたし普通の学問もあり、風采の堂々たる点からもみても大名華族の貫録を備えていた。
その代り酒癖の悪いことが玉に瑕で、外国から帰朝した当時は岡部も発狂したと言われたほど、酒のために自ら人格を傷つけることは一再ではなかった。
かつて同族の宴会を開いた時、彼は例によって前後不覚に乱酔し、松浦厚伯爵に喧嘩を吹きかけた。
松浦伯爵は多少柔道の素養がある。
それに気の短い男であったから、売った喧嘩なら買ってやろうと、大喝一声岡部子爵の無体を責め柔道の手で投げ飛ばしたから、平生は大力を誇る岡部子爵ももんどり打って転倒し、衆人環視の座で大恥をかいたこともある。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


■前妻 青山錫子  八幡藩主青山幸哉の娘
1858-1887 29歳没


■後妻 前田坻子  金沢藩主前田斉泰の娘
1867-1943 76歳没


●前妻の子 岡部長景  1884年生 15代当主
●前妻の子 岡部鍾子  1876年生 日本興業銀行重役井上辰九郎と結婚

●後妻の子 岡部長剛  1893年生 
●後妻の子 岡部長挙  1894年生 朝日新聞創業者村山龍平の娘藤子の婿養子になる 村山長挙
●後妻の子 岡部長世  1899年生 大阪府小林多賀子の婿養子になる 小林長世
●後妻の子 岡部長量  1901年生 
●後妻の子 岡部長建  1904年生 
●後妻の子 岡部長章  1909年生 財閥岩崎輝弥の娘岩崎妙子と結婚

●後妻の子 岡部栄子  1895年生 学習院出身 財閥三井弁蔵と結婚
●後妻の子 岡部豊子  1897年生 学習院出身 刀江書院創業者尾高豊作と結婚
●後妻の子 岡部盈子  1888年生 学習院出身 横浜生糸社長新井領一郎の子新井米男と結婚
●後妻の子 岡部久子  1903年生 学習院出身 川崎芳熊男爵と結婚

●妾の子  岡部清子  1871年生 戸田忠義子爵と結婚・衆議院議員日下義雄と再婚


=========================


◆15代 岡部長景 14代岡部長職の子
1884-1970 85歳没


■妻  加藤悦子  総理大臣加藤高明伯爵の娘 東京女子師範学校附属出身
1888-1946 58歳没

*イギリスからの帰国子女


●長男 岡部長衡  1913年生 16代当主


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
岡部長景の弟 岡部長章

当時華族で外交官になった人は兄(岡部長景子爵)も含めて3人いました。
一人が徳川家正公爵。
もう一人が武者小路実篤さんの兄武者小路公共子爵で、宗秩寮総裁もやった人ですから、3人の中で一番の出世頭でした。
ただ武者小路総裁は話は面白いけれども、食べ物の話ばかりしているという印象が強かった。
兄は外務省における評価はあまり高くなかったように思います。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『岡部長景日記』文部大臣※当時は外務官僚

※当時の総理大臣の年給は12,000円。

1929年1月15日
平生釟三郎、約束通り役所に訪ねて来てくれた。
畜産会社株処分の顛末を話したところ非常に喜んでくれ、「あのような事業に手を出すことは絶対に不可なり」とて、従前の所説を重ねて述べられた。
これは予も全然同感するところであるが、我が子孫もどうか小窓を出して大損をするようなつまらぬ事業に手を出せざらんことを衷心祈る次第である。

1929年1月18日
平生釟三郎来省。
畜産会社の後始末の件を相談す。
まず関係者に5千円ぐらいを分与するが適当なるべく、穴倉氏には3,500円がよかるべしとのこと。
長世には1万円ぐらいを譲与せば喜ばるべく、「長世さんは気の毒にて非常に平民的に生活しておられ、過日電車にて遇ってところ一抱えもある大風呂敷を抱えいたるにつき、『何か』と問うたら、『鍋を買って来た』と嬉々として語られたるが、まことに明るき性質の持ち主にて敬服す」との話。
畜産会社のことに尽力してくれ、今度会社の方の肩が抜けたというのを機会に贈与せば、他の方々との権衡上も差支なく、至極適当なるべしとの意見なり。
その他は100円内外の譲与をなすぐらいが適当という意見を述ぶ。

1929年1月24日
宮内省入りの件、各新聞に出た。

華族会館に有志午餐会あり。
みな噂していた由にて、ふざける。
木戸幸一君の評が面白い。
「岡部君が式部次長になると、長官が西園寺八郎では逆になる。細かいことは西園寺長官に行って聞いてくれというようなことになるだろう」と。
裏松友光君は武井式部官等のまめまめしい様子から、「岡部君はヌーとして立っているだろう」など笑わす。

穴倉君来庁。
畜産会社関係者に対する謝礼の問題を相談し、場員に対する分は追って長世と相談することに打ち合わせた。

1929年1月30日
夕食後みかんを食べんとするや、妻が「スジを取りたい」と飛んで来た。
いつもながら妙な趣味だが、おかしくもありまた愛嬌なり。
3人にてドッと笑うた。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『岡部長景日記』文部大臣※当時は内大臣秘書官長

※当時の総理大臣の年給は12,000円。

1929年3月22日
三菱銀行に立ち寄る。
畜産会社株代金の残高の約束手形6万円余の取立方を依頼し、高田商会所有沼津三津の地所を1万5千円にて譲り受くることに相談をなして去る。

1929年3月28日
初めて御先導す。
昭和天皇はカーキーの軍装にて出御あり。
正殿は滑りそうにて危ないにより、足を踏みしめ踏みしめ歩む。
昭和天皇は仮玉座に上らせられ、鈴木侍従長・奈良武官長玉座の左右に侍立す。

1929年3月29日
紅葉館にて同仁会あり。
賑やかなる会合であった。
坪上君が昨日の御先導ぶりにつき話をなし始め、「自分は松永・武富と立ちいたるが、一同静粛になると君の靴音が非常に高く聞こえて、『3人にてラバーヒールの靴を贈ろうか』と話し合いたることなり」と笑う。
次の先約のため中座し、金田中に赴く。
ここでも近衛文麿君も溝口君も、同様に靴音のことを言う。
しばらくして酒井忠正君も来て「昨日の御先導ぶりは見事であった」と揶揄したる上、やはり靴音高かりしことを話し合いたりとて、
「ラバーヒールの靴を贈ろうかと話したが、一説にはあの方が本式だということなので、寄贈説は撤回になった」と大笑い。

1929年4月1日
この日は我々結婚の第18回記念日にて、息子と3人で会食することとし、自動車にて京橋に行き〈エーワン〉に赴く。
新築なりて心地良し。
4コース注文してたらふくやり、息子も大満足。

それより邦楽座にて映画『ヴェルダン』を観る。
第一次世界大戦当時の光景を作れるものにて、専門家が見ても相当のものなりとのこと。
実際ヒヤヒヤする場面少なからず。
約2時間かかり、皆よきものを観たりとの印象を得て、午後10時近く帰邸。

1929年5月12日
息子と二人でドライブし、本牧の岡田造船所に至りスカール2艘・3人乗カヌー1艘を注文して帰路につく。
しかし今日の運転手は初心者ゆえ、速力遅く午後7時半にやっと帰邸。
妻は大待ちに待っていて御機嫌が悪い。

1929年5月26日
妻子を同道して三津別荘予定地に向った。
地所検分に出かけ、建物も見た。
多年放置してあったので、戸障子から台所等はずいぶん損じており、相当手入れを要する。
水源地から杉林の方も検分に行った。
水源地には立派なタンクができている。
将来はここから水を引くのが良かろう。
妻はランニングウォーターのない家に住んだことがないから、水汲みに水を担わせるなどは感服しておらぬので水引込には大賛成。

一旦帰邸し、妻子と帝劇でクーベリックのヴァイオリン演奏会に臨む。
妙技に酔わされた。
息子も大満足。
よき一日を送ったと喜ぶ。

1929年5月27日
帝劇でクーベリックを再び聴く。
昨夜よりは音も朗えたるやに覚ゆ。

1929年6月13日
三井銀行の新築披露につき赴く。
ちょうど栄子夫妻なども来合せ館内を巡覧す。
アメリカの事務所風の建物にて、宏壮善美を尽くしたりしというべし。
金庫も銀行の分・信託会社の分・いずれも堅牢無比。
最安全のもににて、有産階級の庫としてはこれ以上のものはなかるべし。
これを見ては財産を物理的にはかくまで保護し得んも、のらくら息子が生れれば金庫も役に立たず。
また一朝変事あらんかこの金庫も何らの価値なきに至るべく、転た惨憺の感なきあたわざるものがあった。

1929年10月8日
家庭教師清水先生来邸。
息子の高等科の選択につき学校の主管等の意見を聞いて来られたる結果の話を聞きたるに、今までのような勉強ぶりにては文科を選ぶ方無難なるべく、京大にでも入るくらいならんと心細き話なりしが、本人は理科へ行くのだと相当決心らしい。

1929年10月10日
息子の高等科選定の最後の決定をなすべく妻・息子の3人で相談をなし、大いに決心を要し努力の必要を力説し当人も大いにやる考えとなり、「乗馬をやめてもよい」というぐらいの意気込みゆえ、希望通り理科を選ぶことに定め願書に記入して渡してやった。

1929年10月11日
息子の決心につきいよいよ目的の大方針を定めて門出をなすこととなったゆえ、夕食は内祝の心地をもって赤飯を炊き、鯛などつけた。
当人だいぶ緊張した様子。

1929年10月15日
長世来邸。
かねて求め置きたる国債額面5千円を渡し、当人も感謝してくれた。

1929年10月17日
妻と共に山口察常先生を訪い、息子が理科を選択したことにつき挨拶を述べておいた。
先生も「本人がその気にさえなれば、必ず成績も良くなるだろう」と「だろう」付きの話であったが、「どうか、そうありたい」とこれもあまり信念の無き返答をしておいた。

帝展の売約日なので、3点の売約申込を依頼した。
その後電話で、3点とも落ちたそうであった。
3~4の夕刊新聞に、この売約の記事あり。
希望者競合し抽選の結果落ちたことまで記載しおり、妻と大笑い。

1929年10月19日
三津別荘、鉄管埋没図もあり飲料水タンクもコンクリートにて作ることに設計され、だいたい要領を得た。
まず500円ぐらい支出してもよいとの意向を先方に内示す。

1929年11月7日
岡本造船所来邸。
ヨットの形式についてだいたいの注文をなし、なおアウトボードモーター(ホースシー型)の注文を発してもらうよう依頼した。

1929年11月10日
洋服屋来て、運転手の制服の注文をした。
息子がしきりに斡旋する。

1929年11月17日
目黒の母上〔継母坻子夫人〕に行き、「来年度より1年の経費として1万円以上差し上ぐることできぬ由」を申し上げたところ、いろいろお困りの話もあったが、結局「豊島〔岡部家相談人〕に話してくれ」とのお仰せにて帰邸。

1929年11月22日
豊島来邸。
「来年度より目黒の経費を年額1万円と限定したし」ということについて熟談したが、
豊島は「自分には今までのようにてはとうていお引き受けできずと考えらる」とのことゆえ、
「とにかく母上に申し上げてみてくれ」と言づける。

1929年11月28日
豊島来邸。
過日申し渡した件につき母上に申し上げた結果、「ぜひ1カ月千円は支給してもらいたく、その上の不足は所有財産(日糖)を処分して行くにつき、担保に提供しあるその株を返還してくれ」とのことにて、もしそれがいけぬと種々面白からざる事態生ずべく、
例えば「目黒の地所を譲り受けたし等の意向を漏らされたることすらあり」とのことゆえ、
「それはけしからぬお考えなるが、とにかく考えみるべし」とて別れた。
夜は豊島の話に関し、来年度勘定の予算を計算して考究してみた。

1929年12月4日
豊島を呼んで、「目黒経費の件につき考慮の結果不快な問題を避けんため、1カ月千円支給のこととすべき旨」を告げ、「その代り臨時費はとうてい出す余地なきゆえ、その辺十分御覚悟願いたき旨」を申し渡し、豊島も感謝して引き取った。

1929年12月14日
妻子と青山外苑青年会のシロタ演奏会に臨む。
これで3度目であるが、仙石貢夫人&令嬢・西園寺八郎君&令嬢などは毎度御顔を見る。先方でもそう思われるであろう。
呵々。

1929年12月19日
三越に赴き、相馬孟胤君・栄子夫妻と落ち合い、来12月28日桜友会の御歳暮ゴルフトーナメントの商品選定をなす。
なにしろ1等から末席まで参加者全員に出すのであるから選定も容易ではない。
あらかじめ弁蔵さんから三越に予選を頼んではあったが、上の方の物が足りないのみならず、滑稽味の物が少ないので、さらに栄子と二人で猟りに出た。
まず見当たったのは結んだ帯。
これはブービーによかろうと選び、それから還暦祝の緋のチャンチャンコ・大きなキューピー・自動車のマスコット・時計・本立・草履・傘などいろいろ選んで特別室に運ばせ、その中より4人で選定したが、結んだ帯はあまり気の毒だというので落選。
ブービーにはチャンチャンコということになり、1等にはハッピーコートを添えることとした。
あれでもないこれでもないとて午後5時までかかってしまったが、60等まで定めて引き揚げた。

1929年12月28日
駒沢で桜友会御歳暮ゴルフトーナメント。
鍋島直栄侯爵がネット78で敵対する者なく最後まで光っていたところ、ついに高橋是賢子爵が同点に持ってこられ、プレーオフの必要生じ、暗闇の中でティーショットをされた。
ところが鍋島侯爵の球はどこへ行ったかわからなくなったため、第1等の名誉は高橋子爵に帰す。
最後のブービーはグロス180・ネット140で保科君の受くるところとなり大笑い。
保科君帰ってしまわれたので柳沢さんが保科さん代理で受け取り、チャンチャンコを着けられたのは好意。
予はグロス105・ハンデ21・ネット84で10等、マフラーを取った。

1930年2月7日
朝鮮の管理を頼んでいたことのある梶道夫来邸。
朝鮮の所有地2千余坪を処分する意思なきやとの問い合せであったから、適当なる買い手あらばこれを辞さずと答う。

1930年2月18日
赤坂御所にて高松宮夫妻の晩餐。
高松宮御結婚御披露宴中最高のものであった。
妻は最近パリから着いた洋服を着、ティアラ・ネックレス・蜻蛉の飾り等をつけて、ひときわ目立った。

1930年2月25日
長章来邸。
将来のことを相談したるが、大学は考古学を専攻したく、東洋古代史と交渉ある問題にて研究の余地も多く、多少困難なる事項ゆえ学生少なく面白かるべしとのことゆえ、大いに賛成をなしたるに、本人も意外としたれども満足して去りたり。

1930年3月9日
岡本造船所に注文のヨット完成につき進水するというので、妻子と横浜へ。
白きカモメの浮かぶが如く美しい小舟で、約40分にて海岸に帰着。
横浜ニューグランドホテルにて昼食して帰邸。

1930年4月3日
妻子と写真館で撮影。
息子が東京高等学校尋常科を卒業し、高等科理科乙に入った記念である。

1930年4月5日
妻と上野の博覧会に行きて、帰路三越・高島屋に寄りて、自動車を下りてブラつき、蕎麦屋に入りて天ぷらを食べた。
妻は蕎麦屋に入ったのは初めてだと大満足。

1930年4月9日
妻と三越に行き五月人形の陳列を見たが、広告で見ていた兜十種を見せてもらったがよくできており、秀吉・家康・義家・忠勝・清正その他を使用したのも興味もあるので、130円というよい値段ではあったが買うことにした。

1930年4月19日
妻子と東京劇場に臨む。
『御祭佐七』は二度観る必要なきのみならず、息子には著名有益なるものだけを見せたいので、『道成寺』の幕で退場。
銀座の資生堂でドリンクをして帰邸。

1930年4月24日
幾年ぶりかに五月幟を取り出し、枠を組み立てて飾り付けた。
嫡子に限られた当家の古式等も思い出され、今昔の感に堪えない。
また兜十種を西洋館の客間に置いた。
いずれも五月節句の気分でうれしい。

1930年4月27日
妻と共に山口察常先生を訪い、息子の学業のことを話し、学校における行状等について注意をしてもらうように頼んだ。
山口先生はいつも息子の鈍重な性格は、「将来頼もしき」と評しておられる。

1930年6月7日
長章来て、考古学専攻の考えにて東京帝大か京都帝大か考慮中にて、
大学は東京の方にて済ませ、東洋史にでも入り、卒業後京都へ移り専攻せば可ならんとのことであったから、そういうことにするとの話。
もちろん異存のあるはずなければ同意を与う。

1930年7月26日
今日息子はインターハイの馬術競技会ありて東京高校4等となり、賞品として鞭を持ち帰り大喜びであった。

1930年9月18日
息子が急に士官学校に入りたいと言い出し妻とも種々相談しておったが、今夜息子を呼んで「国家社会に奉ずる所以は一軍人としてくらいのことでなく、理科か工科に進み大いに奉ずる意気込みの必要なること」を説得した。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『岡部長景日記』文部大臣※当時は内大臣秘書官長

※当時の総理大臣の年給は12,000円。

1930年12月17日
叔父上〔幣原喜重郎〕が「君は村山龍平と親類に当られるそうだが、村山氏は多年新聞界に貢献するところ多大なるものあれば、浜田首相はこれを表彰する意味にて勅選議員に奏請したき考えなるにつき、村山氏の同意を得てもらいたく、君にお頼みする次第である」とのことであったから、
「それでは大阪へ赴き直接話す必要があるのでしょうか」と伺ったところ、
「ぜひそう願いたい」とのこと。
「実は先日から痔に悩んでおるゆえ汽車旅行は好まないのであるが、ぜひとあれば夜行ででも往復することに致すべし」と答う。

村山様へ出ると、村山氏の他満寿子夫人・藤子さんらも出て来られ、富美子さんはピアノを弾いて聞かせ、御自慢の由。
お祖母さんも一緒になって御自慢。

長挙・長世と3人にて今橋のスッポン料理屋でたらふくやる。
ゴルフの話で持ち切り。

1930年12月31日
顧れば本年一年、まずまず無事に越年するを得たるは欣幸の至り。
株の配当が減じてずいぶん困ったが、どうやらつじつまを合わせることができ、予は官界を去りて議員生活に入ったので変動は大変動に相違ないが、まずこれも恙なし。
身体もだいたい無事、ゴルフは依然旧態のまま。
妻も元気よく、息子は最近数学の成績面白くないが、とにかく来年春は高等科に進み、だいたいにおいてめでたく越年するわけである。
どうか明年はいっそうの幸福あれかしと祈るのみである。

1931年1月3日
妻と銀座に買い物に行き、新橋で理髪して帰った。
息子が虎ブチだとて笑う。

1930年1月13日
新橋演舞場に母上・栄子夫妻・豊子夫妻・盆子夫妻を招待す。

1931年1月21日
昨今東京高校に拘引学生釈放問題をきっかけに左翼運動あり。
息子も毎日謄写版の物を持ち帰り、学校当局の無力を訴えている。
実に困った騒ぎである。

1931年1月26日
山口察常先生来訪。
妻と共に面会し、息子の成績につき数学のことなど話あり。
赤線は1~2学期にはずいぶん多いが、3学期に入って大部分は回復するものであるそうだから、息子もだいぶ真剣にやっておる様子なども話して置いた。
東京高校の騒がしい問題について聞いたところ、瀬川先生の次男が市電争議の際刑事の前でビラをまいたところを現行犯にて捕えられ、それから段々取り調べが進みて容疑者の拘引を見、さらに学校内にて救援運動となりしが、調査の結果すでに判明したれば、遠からず学年試験を機に第2回の拘引を見るべしとの内話があった。
青年が血気に逸りて脱線し、国法に触れるようなことになるのは気の毒千万であるが、処分はやむを得ないことであろう。
困った世相ではある。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


=========================


◆16代 岡部長衡  15代岡部長景の子
1913年生


■妻  毛利綾子  毛利元雄子爵の娘 学習院出身
1920年生


●長男 岡部長忠  1941年生 17代当主
●二男 岡部長義  1943年生


=========================


◆17代 岡部長忠  16代長衡の子 
1941年生


■妻  北沢貴美子 北沢仁の娘
1945年生


●長男
●二男

■東京本邸 北豊島郡高田村高田千登世町

■東京本邸 本郷区金助町

■東京本邸 目黒町三田

■東京本邸 赤坂区丹後町

■東京別邸 四谷区塩町


=========================


◆10代 岡部長慎 9代岡部長備の子
1787-1859 71歳没


■前妻 松平丈子  上田藩主松平忠済の娘


■後妻 青山久二  八幡藩主青山幸孝の娘


●庶子 岡部直吉  1807年生 11代当主岡部長和
●庶子 岡部第二郎 1809年生 13代当主岡部長寛
●庶子 岡部武之丞 1834年生 12代当主岡部長発

●庶女 岡部於彪  1808年生 鳥取新田藩主池田定保と結婚
●庶女 岡部於啓  1814年生 平戸藩主松浦曜と結婚
●庶女 岡部賀子  1830年生 本荘藩主六郷政殷と結婚


=========================


◆11代 岡部長和 10代岡部長慎の子
1807-1850 43歳没


■妻  中川貴子 岡藩主中川久貴の娘
1811-1857


●女子 岡部楠子 1848年生 小諸藩主牧野康済と結婚
 

=========================


◆12代 岡部長発 10代岡部長慎の子
1834-1855 21歳没


■妻  鳥居冬青  壬生藩主鳥居忠挙の娘
1838-1912 74歳没


●男子 岡部弥次郎 1855年生 14代当主岡部長職

●女子 岡部武子  1854年生 六郷政鑑子爵と結婚


=========================


◆13代 岡部長寛 10代岡部長慎の子
1809-1887 77歳没


■妻  岡部於熊  岡部長貞の娘


●男子 岡部長興
●男子 岡部長美  1855年生 村上藩主内藤信美となる
●男子 岡部長融       朝比奈長融となる

●女子 岡部鎮子  1850年生 明石藩主松平直致と結婚
●女子 岡部鐮子  1852年生 福島藩主板倉勝己と結婚・岩村藩主松平乗命と再婚
●女子 岡部鑅子       岡部長道と結婚・渋谷達性と再婚


=========================


◆14代 岡部長職 12代岡部長発の子
1855-1925 70歳没






■前妻 青山錫子  八幡藩主青山幸哉の娘
1858-1887 29歳没


■後妻 前田坻子  金沢藩主前田斉泰の娘
1867-1943 76歳没

25f8e0af.jpg





●前妻の子 岡部長景  1884年生 15代当主
●前妻の子 岡部鍾子  1876年生 日本興業銀行重役井上辰九郎と結婚

●後妻の子 岡部長剛  1893年生 
●後妻の子 岡部長挙  1894年生 朝日新聞創業者村山龍平の娘藤子の婿養子になる 村山長挙
●後妻の子 岡部長世  1899年生 大阪府小林多賀子の婿養子になる 小林長世
●後妻の子 岡部長量  1901年生 
●後妻の子 岡部長建  1904年生 
●後妻の子 岡部長章  1909年生 財閥岩崎輝弥の娘岩崎妙子と結婚

●後妻の子 岡部栄子  1895年生 学習院出身 財閥三井弁蔵と結婚
●後妻の子 岡部豊子  1897年生 学習院出身 刀江書院創業者尾高豊作と結婚
●後妻の子 岡部盈子  1888年生 学習院出身 横浜生糸社長新井領一郎の子新井米男と結婚
●後妻の子 岡部久子  1903年生 学習院出身 川崎芳熊男爵と結婚

●妾の子  岡部清子  1871年生 戸田忠義子爵と結婚・衆議院議員日下義雄と再婚


左より 長挙 久子 長職 栄子 冬青夫人 長景 長章 坻子夫人
長建 豊子 長世 長剛 長量 盈子
a124e6d2.jpg


後列左より 盈子 長剛 長挙 長世 長建
前列左より 長量 久子 坻子夫人 長章 長職 栄子 豊子
47181af3.jpg


左 豊子  中 盈子  右 栄子
3000



●岡部長剛



●岡部長挙 朝日新聞創業者村山龍平の娘藤子の婿養子になる 村山長挙




左から 長挙 藤子夫人 娘美知子 村山満寿子夫人 村山龍平
cd202696.jpg



●岡部栄子
3002


3003


2500



●岡部豊子



●岡部盈子



●岡部久子



=========================


◆15代 岡部長景 14代岡部長職の子
1884-1970 85歳没

77c948ff.jpg





■妻  加藤悦子  総理大臣加藤高明伯爵の娘 東京女子師範学校附属出身
1888-1946 58歳没

*イギリスからの帰国子女



イギリスで
11b40917.jpg


3b69b65f.jpg


ed6b6a48.jpg




イギリス人乳母と家紋付きの乳母車で
34439031.jpg


6562fa71.jpg


左から 長景 悦子夫人 長衡 長職
dd8f47f5.jpg



●長男 岡部長衡  1913年生 16代当主


=========================



◆16代 岡部長衡  15代岡部長景の子
1913年生


■妻  毛利綾子  毛利元雄子爵の娘 学習院出身
1920年生



中列左から 3人目長景 4人目悦子夫人  
前列左から 酒井秋子伯爵夫人 綾子 長衡 酒井忠正伯爵 坻子夫人
ce5a694c.jpg


長景&悦子夫妻と長衡&綾子夫妻 昭和戦前のカラー写真
39e47cfe.jpg


0c5dca14.jpg





●長男 岡部長忠  1941年生 17代当主
●二男 岡部長義  1943年生


=========================


◆17代 岡部長忠  16代岡部長衡の子 
1941年生


■妻  北沢貴美子 北沢仁の娘
1945年生


●長男
●二男

このページのトップヘ