◆15代 瀧脇信広 伊達宗城伯爵の子 養子になる
1865-1913
■前妻 田沼智恵 遠江相良藩主田沼意尊の娘 離婚して伏原望を婿養子に迎え田沼子爵家を継ぐ
1867-1873
■後妻 宮崎鏞子 宮崎利央の娘
1870-1941
●男子 瀧脇信鑰
●女子 瀧脇基子 金光文孝と結婚
=========================
◆16代 瀧脇信鑰 15代信広の子
1893年生
=========================
◆17代 瀧脇宏光 古市公威男爵の子 養子になる
1888-1964
■前妻 田口久子 実業家田口義三郎の娘 自殺
1896-1934
■後妻 越石アキ 越石権三郎の娘
1904-1973
●前妻の子 瀧脇芳子
●前妻の子 瀧脇光子 南平次と結婚
●前妻の子 瀧脇タキ 野崎道朗と結婚
●前妻の子 瀧脇ヒロコ 高千穂交易鍵谷武雄と結婚
1914年 前妻 久子夫人
当主となった養子瀧脇宏光は官僚出身の実業家であったが、相当借金を抱えていた。
昭和9年9月5日、宏光は家庭不和を理由に宮内省に離婚願いを提出する。
10日後 妻久子がカルモチン自殺で死亡、宏光は自殺の事実を伏せて心臓マヒという診断書を書いてもらう。
しかし久子の父田口義三郎がこれに不審を抱き、娘の死因の究明を宮内省に願い出る。
この間に宏光は借金返済の件でも訴えられる。
宮内省は離婚問題以外にも宏光の良からぬ噂をつかんでいたが結局証明できず、すべてはうやむやになった。
その後 宏光は再婚する。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『木戸幸一日記』内大臣※当時は宗秩寮総裁
1934年9月25日
宮内大臣宛に瀧脇宏光子爵に関する投書あり。
瀧脇久子夫人の離縁問題についてはかねて不審を懐ける点もあり、警視庁と連絡を取ることとす。
1934年10月18日
〔瀧脇久子の父〕田口義三郎氏来庁。
瀧脇久子夫人の死につき陳情するところあり。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
1865-1913
■前妻 田沼智恵 遠江相良藩主田沼意尊の娘 離婚して伏原望を婿養子に迎え田沼子爵家を継ぐ
1867-1873
■後妻 宮崎鏞子 宮崎利央の娘
1870-1941
●男子 瀧脇信鑰
●女子 瀧脇基子 金光文孝と結婚
=========================
◆16代 瀧脇信鑰 15代信広の子
1893年生
=========================
◆17代 瀧脇宏光 古市公威男爵の子 養子になる
1888-1964
■前妻 田口久子 実業家田口義三郎の娘 自殺
1896-1934
■後妻 越石アキ 越石権三郎の娘
1904-1973
●前妻の子 瀧脇芳子
●前妻の子 瀧脇光子 南平次と結婚
●前妻の子 瀧脇タキ 野崎道朗と結婚
●前妻の子 瀧脇ヒロコ 高千穂交易鍵谷武雄と結婚
1914年 前妻 久子夫人
当主となった養子瀧脇宏光は官僚出身の実業家であったが、相当借金を抱えていた。
昭和9年9月5日、宏光は家庭不和を理由に宮内省に離婚願いを提出する。
10日後 妻久子がカルモチン自殺で死亡、宏光は自殺の事実を伏せて心臓マヒという診断書を書いてもらう。
しかし久子の父田口義三郎がこれに不審を抱き、娘の死因の究明を宮内省に願い出る。
この間に宏光は借金返済の件でも訴えられる。
宮内省は離婚問題以外にも宏光の良からぬ噂をつかんでいたが結局証明できず、すべてはうやむやになった。
その後 宏光は再婚する。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『木戸幸一日記』内大臣※当時は宗秩寮総裁
1934年9月25日
宮内大臣宛に瀧脇宏光子爵に関する投書あり。
瀧脇久子夫人の離縁問題についてはかねて不審を懐ける点もあり、警視庁と連絡を取ることとす。
1934年10月18日
〔瀧脇久子の父〕田口義三郎氏来庁。
瀧脇久子夫人の死につき陳情するところあり。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::












































