直球和館

2025年

2022/01

東京本邸 赤坂区新坂町(現:港区赤坂)
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■父  野津鎮圭
1796-1846


■母  柏木美世  柏木権蔵の娘
1851年没


●男子 野津三之丞 折田三之丞になる
●男子 野津鎮雄  士族大山清太夫の娘大山国子と結婚
●男子 野津道貫  初代侯爵


●野津鎮雄 士族大山清太夫の娘大山国子と結婚 1879年 46歳
0046



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◆初代侯爵 野津道貫 陸軍大将
1841-1908 

1879年 40歳
0040


6004


1001


1000



■妻  高島登女子 士族高島喜兵衛の娘
1851-1919 


●三男 野津鎮之助 2代当主
●男子 野津鎮彦  野村百合と離婚・鹿野清二郎の娘鹿野カツヨと再婚

●女子 野津槙子  子爵上原勇作と結婚
●女子 野津栄子  日本郵船林民雄と結婚
●女子 野津輝子  日清生命保険社長池田龍一と結婚
●女子 野津美屋子 名古屋電灯三浦恵民の子三浦恵一と結婚


●野津槙子 子爵上原勇作と結婚
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◆2代 野津鎮之助 1代道貫の子
1883-1942




■妻  末弘ヒロ子 小倉市長末弘直方の娘
1893-1963

*明治40年に行われた日本初の美人コンテストの優勝者








●長男 野津高光  3代当主

●長女 野津美智子 ヒゲタ醤油浜口吉右衛門久常と結婚
●二女 野津真佐子 倉敷紡績大原総一郎と結婚
●三女 野津佐恵子 実業家田中秀雄と結婚


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◆3代 野津高光 2代鎮之助の子
1921年生


■妻  佐藤緑子 佐藤茂の娘
1930年生


●長女
●二女

東京本邸 麹町区上六番町(現:千代田区三番町)
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◆初代侯爵 東郷平八郎 海軍元帥
1848-1934

1879年 イギリス留学中


1879年 34歳
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1000


1069




1003


1911年 ロンドンで
191101


191102


1914年
1007(1)



■妻  海江田テツコ 子爵海江田信義の娘
1861-1934



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●男子 東郷彪   2代当主
●男子 東郷実   赤崎戸八郎の娘赤崎八重と結婚

●女子 東郷八千代 男爵園田実と結婚


●東郷実 赤崎戸八郎の娘赤崎八重と結婚



●東郷八千代 男爵園田実と結婚
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1007(1)



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◆2代 東郷彪 1代平八郎の子
1885-1969 明治18-昭和44

*イギリスに留学






■妻  小原百合 男爵小原駩吉の娘
1899-1985


●男子 東郷一雄 3代当主

●女子 東郷良子 子爵山口元吉と結婚
●女子 東郷百子 医者久保素信と結婚


1935年2月27日、東郷彪の娘良子が家出する。
良子は3月に学習院卒業の予定であった。
東郷平八郎が国葬となって一周忌も明けないうちの事件だった。
東郷家は警察に捜索願を出すとともに、新聞の尋ね人欄で良子に呼びかけたりした。
そのうちマスコミの知るところとなり、紙面トップで報道される。
良子は偽名で住み込みのカフェーの女給をしていたのだが、新聞を読んだ客が騒ぎ出してカフェーにいられなくなる。
観念した良子は17日ぶりに自分で自宅に戻ってくる。
断髪して派手な着物を着て帰ってきた良子に家族は驚く。
事件の責任から、父東郷彪は宮内省式部官を依願退職する。


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『木戸幸一日記』内大臣※当時は宗秩寮総裁

1935年3月19日
女子学習院長長屋氏来庁。
東郷良子の件、処置につき報告を聴く。
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『入江相政日記』昭和天皇の侍従長※当時は侍従

1935年3月21日
東郷彪氏が式部官を依願免職になったそうな。
気の毒ではあるが、やむをえまい。
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1935年3月15日
5000(1)

1935年3月16日
5001(1)

1935年3月16日
5000(2)

1935年3月16日
5001(2)



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◆3代 東郷一雄  2代彪の子
1919-1991


■妻  天野民子  天野勝美の子


●女子 東郷喜久子 婿養子を迎え4代当主とする
●女子 東郷尚子  真壁由紀夫と結婚
●女子 東郷宗子  保坂義雄と結婚


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◆4代 東郷良夫 丸山徳三郎の子 婿養子になる
1942年生


■妻  東郷喜久子 3代一雄の娘


●長男
●二男

◆初代侯爵 小村寿太郎 外務大臣
1855-1911

*身長156cm、大きな頭に痩せた身体、よく動き回るので「ネズミ公使」と呼ばれた。

*持病は肺結核と痔瘻だったが、腸チフスで死亡。

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1078(2)


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■妻  朝比奈マチコ 朝比奈孝一の娘
1865-1937




●男子 小村欣一 2代当主
●男子 小村捷治 3代当主

●女子 小村文子 外交官佐分利貞男と結婚


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『明治大臣の夫人』明治36年出版

<小村夫人の嫉妬>

小村寿太郎侯爵の夫人と言えば、持って生まれた負けぬ嫌いの気性と蒲色が過ぎたチンチンとで折々とんだ痴劇を演じられることがある。
一時は侯爵もなかなか盛んに新橋辺へ出かけて遊んだこともあった。
その頃侯爵が本陣というのはかの蜂龍亭で、ある夜のこと例のごとく侯爵が馴染みの芸者を呼んで真猫をきめ込んでいると、かねがねその噂を聞いていた夫人は今夜こそ一番当の敵を引き捕え思う存分意趣晴らしをしてくれようと四方八方腕車を飛ばして侯爵がしけ込んだ先を探して歩いた末やっとのことで蜂龍亭にいるということを突き止めたので、細君は夜叉の暴れたるごとくに両人が今しも蘭灯のもと浅酌低唱の最中へと飛び込んだ。
驚いたのは小村の親爺まさかこの穴まで嗅ぎつけてこようとは思い設けぬ次第ゆえ、天から降ったか地から湧いたかとばかり驚いたが、さすがは鼠公使とまであだ名を取ったほどの男、例の手腕の早業で相手の女を裏座敷へと押し隠したけれど、時遅くすでに見つけた夫人には部屋に入るや否やその場にあった火鉢を力まかせに投げ出したからたまらない。
座敷中は時ならぬ雪を散らしたから侯爵は女中を呼び掃除させようとすると、
夫人は女中のホウキを引ったくり「お前なぞがあんな芸妓を取り持つから悪いのだ」と散々っぱら打ち殴ったので、この騒ぎから侯爵も少しはおとなしくなった。
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◆2代 小村欣一 1代寿太郎の子
1883-1930




■妻  平山温子 男爵平山成信の娘
1887-1945



5000



●長女 小村淑子 早逝

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◆3代 小村捷治 2代欣一の弟/1代寿太郎の子
1895-1972

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■妻  飯田清子 飯田仁三郎の娘
1900-1970


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『木戸幸一日記』内大臣※当時は宗秩寮総裁

<後継者問題>

1933年9月26日
小村侯爵家相続人選定の件は、三井高公男爵より養子を入るるがごときは、今日の時勢より見ていわゆる財閥と特権階級の結託を目前に示すがごときものにて、人心を刺激して面白からずと思われる。

1933年10月17日
小村捷治氏来訪。
小村侯爵家相続の問題につき、岡部子爵との関係は不調となる。
(岡部子爵家から養子を取るつもりだった)
年齢が数カ月下なるため、母堂小村マチ夫人の反対せられたるによるとのことなり。
「ついては山県公爵の弟山県七郎氏に交渉することにしたり、尽力を乞う」とのことなりしゆえ、
予としては「側面より尽力すべき」旨を答う。
「もし万一不調に終わる場合にはもはや適当な候補者もこれなく、さりとてこのまま侯爵家を絶つも宮内省に対し申し訳なきゆえ、自分にても一時相続を願い出るほかなし」との話なりしゆえ、
宮内省としては無理してまでも継ぐの要はなく、後世に汚名を残すごときことあらんには、むしろ二代にして侯爵家を絶つにしかずと思う」旨を答う。

1933年11月4日
山県有道公爵来庁。
小村侯爵家相続の件につき、山県公爵の令弟山県七郎氏を勧む。
困難なる事情あるらしき様子なり。
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◆初代侯爵 佐々木高行 「土佐三伯」の一人 工部卿 
1830-1910 文政13-明治43



1879年 51歳
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■妻  国久貞子   国久市兵衛の娘 
天保09-明治45


●男子 佐々木高美  2代当主
●男子 佐々木高志  堤正誼男爵の娘順子と結婚

●女子 佐々木千勢子 藤井守馬と結婚
●女子 佐々木繁子  裁判官児玉淳一郎と離婚・軍医加賀見光賢と再婚


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◆2代 佐々木高美 1代高行の子
1862-1902


■妻  真木行子 真木長義男爵の娘 
明治08-




●男子 佐々木行忠  3代当主
●男子 佐々木行孝  
●男子 佐々木行篤  紀俊秀男爵の娘富久子と結婚

●女子 佐々木美知子 西尾忠方子爵と結婚


●佐々木美知子 西尾忠方子爵と結婚


4004



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◆3代 佐々木行忠 2代高美の子
明治26-




■妻  上野米子 宮内官僚上野季三郎の娘 
明治36-


●男子 佐々木行美  4代当主

●女子 佐々木美枝子 哲学者串田孫一と結婚
●女子 佐々木春江  田地隆夫と結婚
●女子 佐々木玲子  高丘季昭子爵と離婚・佐土浩一と再婚


●佐々木美枝子 哲学者串田孫一と結婚
4005



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◆4代 佐々木行美 3代行忠の子
昭和03-


■妻  住友邦子 財閥住友友成の娘
昭和10-

■東京本邸 麹町区三年町

■高輪別邸 芝区二本榎西町(現:港区高輪)敷地3万坪

1889年
2501


2500



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◆初代侯爵 大久保利通 内務卿・大蔵卿
1830-1878 47歳没*暗殺

*身長175~178センチ・体重65~70キロ

*ニコチン中毒・カフェイン中毒・漬け物好き。

*慢性胃痛・慢性下痢あり。

*頭頂部に円形脱毛症があり、毎日長時間かけて整髪していた。


■妻  早崎満寿子 士族早崎七郎右衛門の娘
1840-1878


★妾  杉浦勇   京都の芸者〈おゆう〉


※利通は本妻&実子は本邸に、おゆう&庶子は高輪別邸に住まわせていた。


●実子 大久保彦熊 2代当主大久保利和となる
●実子 大久保伸熊 伯爵牧野伸顕となる
●実子 大久保三熊 3代当主大久保利武となる
●庶子 大久保達熊 大久保利夫となる
●実子 大久保雄熊 石原雄熊となる
●庶子 大久保駿熊 子爵税所篤一の娘税所サワコと結婚
●庶子 大久保七熊 恩地順之助の娘恩地コキンと結婚
●庶子 大久保利賢 子爵高橋是清の娘高橋和喜子と結婚→子はロッキード事件で逮捕された利春

●実子 大久保芳子 男爵伊集院彦吉と結婚


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■夫  大久保利賢 1代利通の子
1878-1958


■妻  高橋和貴子 子爵高橋是清の娘
1891-1964


●長男 大久保利春  ロッキード事件で逮捕
●二男 大久保利秀
●三男 大久保利康

●長女 大久保百合子 財閥安田一と結婚
●二女 大久保和香子 荒居伸六と結婚


1911年 高橋和喜子&大久保利賢の結婚式
後列8人左から
男子・男性・利和・高橋是清・牧野伸顕・利武・伊集院彦吉・男性
前列11人左から
利武の妻栄子・伸顕の妻峰子・利和の妻尚子・仲人男性・新郎・新婦・仲人女性・おつう・是清の妻品子・女性・女性
2014



1919年 ロンドンで
後列3人左から 男性・大久保利賢・男性
中列6人左から 吉田茂・百合子・牧野伸顕・和貴子夫人と利康・利武
前列2人左から 利春・利秀
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●大久保利春  ロッキード事件で逮捕 1987年
19870784



●大久保百合子 財閥安田一と結婚

1932年 大久保百合子&安田一の結婚式
中列9人左から
女性・女性・男性・是清の妻品子・高橋是清・牧野伸顕・伸顕の妻峰子・利武・利武の妻栄子
前列10人左から
安田一の妹柳子・安田一の母銑子・安田一の父安田善之助・仲人男性・新郎・新婦・仲人女性・大久保利賢・和香子・和貴子夫人
2016


2004


2005



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●大久保芳子 男爵伊集院彦吉と結婚
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暗殺者の一人 島田一郎の証言

大久保の馬車の来かかる途端にAが一刀に馬の前足をなぎたるに、馬はなおも一散に走りて数間を行き過ぎるにぞ、こは仕損じたりしかと思いし折柄、Bが馬の前額に二の太刀を切りつけたれば、馬は即座に倒れたり。
ならびし一馬も進み得ざりしかば、余は大いに力を得てつと馳せ寄り、右の方より馬車の戸を開きて二刀まで刺し通せしその時に、大久保が余を睨みし顔の凄まじく恐ろしさ、苦痛かゆえか無念ゆえか何とも言われぬ顔色は今に忘れず。
折りしもまた左よりも誰なるか二刀三刀刺し貫き、しかして車より引き出せし時はもはや命も絶え絶えなりしが、なお7足8足ほどもひょろひょろと歩き行きしは、全く気の残りしなるべく。
この時みなみな乱刀にて散々に切りつけ、ついにとどめを刺したり。
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現場に駆けつけた前島密の証言

肉飛び骨砕け、また頭蓋裂けて脳のなお微動するを見る。
これ果たして真か夢か。
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◆2代 大久保利和 1代利通の子
1859-1945 86歳没


■妻  重野尚子 重野安居の娘
1875-1918 43歳没


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万朝報 1898年

大久保利和侯爵は昨年小間使に雇い入れたる芝区備前町の那波ツル(17歳)が非常の美人なるより、ついに手をつけて妾とす。
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◆3代 大久保利武 2代利和の弟/1代利通の子
1865-1943 78歳没

*米エール大学・ドイツの大学に留学


■妻  近藤栄子  男爵近藤廉平の娘
1879-1956 77歳没


●長男 大久保利謙 4代当主
●二男 大久保利正 慶光院利敬の娘慶光院治子と結婚
●三男 大久保通忠 山口金太郎の娘山口澄子と結婚


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宮武外骨『地獄耳』

親のお蔭で高官重職に就いている者も多くあるが、たいがいはウスノロで天才の活気などは少しもない。
大久保利通の子で先年大阪府知事になっている大久保利武という者なども大の不肖児で、まず村長ぐらいの人物である。
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◆4代 大久保利謙 3代利武の子
1900-1995 95歳没


■妻  米田八重子 子爵米田国臣の娘
1910年生


●長男 大久保利泰 5代当主
●長女 大久保成子


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◆5代 大久保利泰 4代利謙の子
1934年生


■妻  松平尚子  大給松平悌の娘


●長女

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