■東京本邸 品川区山王 840坪
■「板橋村荘」小田原市 2千坪
■腰越別邸
■「喜寿庵」京都市東山区
■「米寿庵」熱海市
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◆初代伯爵 清浦奎吾 仏職大久保氏の子・婿養子になる 総理大臣
1850-1942
1879年 31歳
■妻 清浦錬子 士族清浦秀達の娘
1858-1944
●男子 清浦保恒 2代当主
●男子 清浦敬吉 山浦ユキと結婚
●男子 清浦豊秋 又原銀と結婚
●男子 清浦恒通 ツナと結婚
●男子 清浦保直 松本智恵と結婚
●男子 清浦末雄 政治家野村治三郎の娘サダコと結婚
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宮武外骨『地獄耳』
清浦奎吾の子は有名な不良少年で、たびたび警視庁の厄介になった。
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長※当時は枢密顧問官
1923年6月13日
※清浦奎吾伯爵の発言
自分の三男豊秋が下野銀行の事に関し新聞に書かれおり。
下野銀行の支店長たる高富覚三と豊秋とは懇意の間柄なり。
実業家八尾新助の子新太郎が銀行より金を借りるため高富と豊秋に熱心に取り入り、豊秋も周旋して銀行より八尾に60万円を貸し渡し豊秋も幾分のコミッションは受けおる模様なり。
只今は高富と他一人のみ起訴されおり豊秋は一度の取り調べさえ受けたる事なきも、銀行より告訴しおるにつき、その方の示談でも出来れば事を荒立てずして済むならんと言いたる趣なるが、これはもとより秘密の事なり。
1923年6月14日
※検事総長鈴木喜三郎の言葉
高畠はいわゆる坊ちゃんなり。
清浦豊秋が主に計画したる事との推測あり。
豊秋も八尾から借り受けたる50万円のうち幾分は使用しおる。
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『木戸幸一日記』内大臣※当時は宗秩寮総裁
1934年10月16日
※侍従黒田長敬の発言
天理教顧問岩井尊人氏より東久邇宮殿下と清浦豊秋との関係につき問い合せありしゆえ、東久邇宮家にお尋ねしたりなり。
清浦が仲介して天理教の中山正善管長を東久邇宮稔彦王に拝謁せしむる段取りとなりおるものの由なり。
清浦を中山管長に紹介せしは小橋一太氏にして、最近文部省にて召集したる各派宗教家の会合にて松田源治文相より紹介書を手交せし由なり。
この紹介書の中には「事国益に関する云々」の文句ありと言う。
1934年10月19日
東久邇宮邸に伺候、東久邇宮稔彦王に清浦が天理教管長を紹介せし件につき御注意申し上ぐ。
1936年3月1日(二二六事件直後)
※東久邇宮務官松本の発言
清浦末雄が事件中に酔いて御殿に来り夕食を頂戴したるが、
その際「今回の事件に参加せる将校は東久邇宮稔彦王を非常に崇拝しておりますから、お迎えに来るかもしれません。その際には御優遇にならなければなりません」と話し、当時御殿守衛のために来りおりし特務曹長の所に至り、
「もし白たすきの隊が来たら貴様らは討ってはいけない。まず役所へ知らせて指図を受けろ」と話した。
よって南部外茂起御付官と相談し、武官が戒厳司令部にその話をなしたる結果、戦車2台・兵30名増派せられた。
しかし何事も起こらなかった。
また、安田中佐より御殿気付清浦末雄宛にて、かくのごとき書面を送付越せり。
《清浦宛安田書面》2月29日午後使者にて
●今回の事件の経緯は青年将校自体の決意にありたりとするも、思想的系統が北・西田らの革命的思想に感染し、さらに荒木・真崎らの武士道的道義(彼らはこれを皇道と詐称しておりました)に支配されたために、終局を不幸なる運命に導きました。
これについては神兵隊同志の一員を27日早朝来行動隊の幹部の所に入れて最後の努力を試みておりますが、時期を失しているため効果上がらむようであります。
●精鋭なるもの500名集ってあります。
それは皇族内閣以外の内閣が出来る時に、これを殲滅する姿勢であります。
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◆2代 清浦保恒 1代奎吾の子
1883-1928
■妻 大森トシコ 士族大森虎雄の娘
1888-1984
トシコ夫人と姑錬子夫人
●男子 清浦保敏 3代当主
●男子 清浦慶二 相場師竹原友三郎の娘エイと結婚
●男子 清浦保正 実業家冨永正太郎の娘敏子と結婚
●男子 清浦保久 早逝
●女子 清浦栄子 松浦素伯爵と結婚
●女子 清浦婦美 池田政之男爵と結婚
●女子 清浦貞子 青木賢三と結婚
1929年
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◆3代 清浦保敏 2代保恒の子
1910-1982
■妻 坂内聡子 実業家坂内義雄の娘
1918-
●長男
●長女
●二女
■「板橋村荘」小田原市 2千坪
■腰越別邸
■「喜寿庵」京都市東山区
■「米寿庵」熱海市
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◆初代伯爵 清浦奎吾 仏職大久保氏の子・婿養子になる 総理大臣
1850-1942
1879年 31歳
■妻 清浦錬子 士族清浦秀達の娘
1858-1944
●男子 清浦保恒 2代当主
●男子 清浦敬吉 山浦ユキと結婚
●男子 清浦豊秋 又原銀と結婚
●男子 清浦恒通 ツナと結婚
●男子 清浦保直 松本智恵と結婚
●男子 清浦末雄 政治家野村治三郎の娘サダコと結婚
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宮武外骨『地獄耳』
清浦奎吾の子は有名な不良少年で、たびたび警視庁の厄介になった。
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長※当時は枢密顧問官
1923年6月13日
※清浦奎吾伯爵の発言
自分の三男豊秋が下野銀行の事に関し新聞に書かれおり。
下野銀行の支店長たる高富覚三と豊秋とは懇意の間柄なり。
実業家八尾新助の子新太郎が銀行より金を借りるため高富と豊秋に熱心に取り入り、豊秋も周旋して銀行より八尾に60万円を貸し渡し豊秋も幾分のコミッションは受けおる模様なり。
只今は高富と他一人のみ起訴されおり豊秋は一度の取り調べさえ受けたる事なきも、銀行より告訴しおるにつき、その方の示談でも出来れば事を荒立てずして済むならんと言いたる趣なるが、これはもとより秘密の事なり。
1923年6月14日
※検事総長鈴木喜三郎の言葉
高畠はいわゆる坊ちゃんなり。
清浦豊秋が主に計画したる事との推測あり。
豊秋も八尾から借り受けたる50万円のうち幾分は使用しおる。
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『木戸幸一日記』内大臣※当時は宗秩寮総裁
1934年10月16日
※侍従黒田長敬の発言
天理教顧問岩井尊人氏より東久邇宮殿下と清浦豊秋との関係につき問い合せありしゆえ、東久邇宮家にお尋ねしたりなり。
清浦が仲介して天理教の中山正善管長を東久邇宮稔彦王に拝謁せしむる段取りとなりおるものの由なり。
清浦を中山管長に紹介せしは小橋一太氏にして、最近文部省にて召集したる各派宗教家の会合にて松田源治文相より紹介書を手交せし由なり。
この紹介書の中には「事国益に関する云々」の文句ありと言う。
1934年10月19日
東久邇宮邸に伺候、東久邇宮稔彦王に清浦が天理教管長を紹介せし件につき御注意申し上ぐ。
1936年3月1日(二二六事件直後)
※東久邇宮務官松本の発言
清浦末雄が事件中に酔いて御殿に来り夕食を頂戴したるが、
その際「今回の事件に参加せる将校は東久邇宮稔彦王を非常に崇拝しておりますから、お迎えに来るかもしれません。その際には御優遇にならなければなりません」と話し、当時御殿守衛のために来りおりし特務曹長の所に至り、
「もし白たすきの隊が来たら貴様らは討ってはいけない。まず役所へ知らせて指図を受けろ」と話した。
よって南部外茂起御付官と相談し、武官が戒厳司令部にその話をなしたる結果、戦車2台・兵30名増派せられた。
しかし何事も起こらなかった。
また、安田中佐より御殿気付清浦末雄宛にて、かくのごとき書面を送付越せり。
《清浦宛安田書面》2月29日午後使者にて
●今回の事件の経緯は青年将校自体の決意にありたりとするも、思想的系統が北・西田らの革命的思想に感染し、さらに荒木・真崎らの武士道的道義(彼らはこれを皇道と詐称しておりました)に支配されたために、終局を不幸なる運命に導きました。
これについては神兵隊同志の一員を27日早朝来行動隊の幹部の所に入れて最後の努力を試みておりますが、時期を失しているため効果上がらむようであります。
●精鋭なるもの500名集ってあります。
それは皇族内閣以外の内閣が出来る時に、これを殲滅する姿勢であります。
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◆2代 清浦保恒 1代奎吾の子
1883-1928
■妻 大森トシコ 士族大森虎雄の娘
1888-1984
トシコ夫人と姑錬子夫人
●男子 清浦保敏 3代当主
●男子 清浦慶二 相場師竹原友三郎の娘エイと結婚
●男子 清浦保正 実業家冨永正太郎の娘敏子と結婚
●男子 清浦保久 早逝
●女子 清浦栄子 松浦素伯爵と結婚
●女子 清浦婦美 池田政之男爵と結婚
●女子 清浦貞子 青木賢三と結婚
1929年
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◆3代 清浦保敏 2代保恒の子
1910-1982
■妻 坂内聡子 実業家坂内義雄の娘
1918-
●長男
●長女
●二女